第29話

文字数 1,667文字

   ☆


 後ろ手に縛られたままアイマスクを着けられ、ちはるが運び込まれたのは、どこかの建築物。いや、自動車で連れて行かれ、車を降り、階段をのぼったのだから、ここはマンションの一室か。ちはるが不愉快な汗を全身にかきながら沈黙してぎしぎし軋む椅子に座らされしばらくすると、アイマスクが外された。
 そこは物が乱雑に散らばった部屋だった。
 散らばっている物はコピー用紙や分厚い本、それからカップラーメンのカップやコンビニの袋一杯に詰まったコンビニ弁当の容器などだった。
 部屋には大きなデスクが三つ。そこにはそれぞれデスクトップパソコンが置かれ、どれも起動している状態。スクリーンセイバーが動いていて、なんの作業をしてるのかは知れない。
「無礼をお許し下さい、ちはるお嬢様」
 みっしー曰く「マトリックスの時のキアヌ・リーブスの格好」であるその男が言う。
「お姉ちゃんは無事なの!? 答えて!!」
 ちはるが怯えながらもまず口に出したのは、理科の安否についてだった。
「理科お嬢様は、無事です。あの場で一旦眠ってもらっただけです」
 そう言って男は、理科に切られた頬の傷跡をさする。
 アイマスクを取った際にちはるに近づいていたキアヌ・リーブス似の男は、ちはるに更に近づく。鼻と鼻が触れるような距離の男に、ちはるは生理的に恐怖する。女の子なのだ、それは当たり前と言えよう。
「な、なにっ、なにをするの!?」
 ちはるには答えず、男は黙ってちはるの縛られた手に触れる。
 と、手の縄をほどいた。
「お嬢様を悪いようには致しません。……おっと、変な気は起こさない方が良いですよ。玄関に接する別室には、お嬢様をここまで連行した屈強なセキュリティが二人、待機していますから」
 縄をほどいた男はちはるから離れ、「失礼」と断ってから胸ポケットの中の煙草を取り出し、Zippoで火をつけた。煙草はフィリップ・モリスである。
 そう、悪いようにはしないのだ。この前ちはるの前に現れた時は院内政治の策謀によって、ちはるに詰めかけた。しかし、あれは演技だったのだ。本当の依頼主は、……田山馬岱、その人だ。しかし、それをちはるが知る必要など、ない。知らない方がいいのだ、こんな大人の勝手など。

 ちはるはしばらくわめいたが、意味がないのを悟るとわめくのをやめ、ただぼーっと部屋を見つめた。
 この部屋は汚すぎる。ちはるはそう思った。
 屈強なセキュリティ。私を連行してきた人たち。なんで、そんな人なんかを雇って拘束してまで私が必要なのだろう。ちはるは考える。しかし、答えが浮かばない。だって、院内政治に必要なのは、長女であるお姉ちゃん、田山理科なんじゃないの、と。
 ちはるには、今の状況も目の前の男の思惑も、全くわからない。理解出来ない。自分が大切な人間だとは、到底思えない。私はドジで間抜けで。居候のみっしーとボケ合ってるのがちょうどな、そんな女の子なのに。女の子? ううん、違う。私は成人式を迎えて、大人の女性になって……、なのに、これはなに? どういうコト?

 男はコーヒーメーカーに水を入れ、珈琲豆を入れ、スイッチを入れる。
「お嬢様、珈琲、お好きですよね」
「…………うん」
「私も珈琲党でしてね。豆にはこだわっています。今、煎れますから」
「…………」
 ちはるが沈黙すると、男はバツが悪そうに親指を噛んだ。そのまま、沈黙がこの部屋を支配する。
 しばらくその状態が続いていると、男のケータイが鳴った。着信音は東京スカパラダイスオーケストラの『美しく燃える森』だ。
「失礼」
 さっきと同じ言葉を発しちはるにお辞儀してから、男は電話に出る。電話の話し相手に一瞬驚いてから、男は慌ただしく部屋の外に出る。ドアを閉める。
 男はこそこそ話しているのか、ドアを閉められ遮断されたちはるには聞こえない。
 しばらくちはるはぼーっとする。しかし気づく、自分が今、縄を解かれているコトに。
 なので、ちはるは思ったコトを行動に移すコトにした。

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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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