第16話

文字数 3,335文字

   ☆


 息を切らして日和が辿り着いた場所、それは商店街よりずっと北にある、雀孫神社であった。山の麓に位置し、近くには家が一軒も建ってない、バス停だけがぽつんと立っているようなところだ。冬になっても伸びたススキは枯れたまま高く茂っており、その高さは小学生の日和の背丈ほどもある。
 風が強くて曇り空の今日は特に寂しげな場所。でも、そこは日和にとって、特別な場所だった。

 雀孫神社。
 日和は知らないが、その神社は名前の通り、スズメを祀っている神社だ。スズメ、しかも民話にある『舌切り雀』を祀っている。
 日本にある神社というヤシロは『ヘンなもの』を祀っているコトが多い。否、意味を知る者にとってはヘンでもなんでもない。だが、素人にとっては「ヘンである」という形容をしても罰は当たらないような、そういうものを祀っているコトは実に多い。この雀孫神社もその「ヘンな」神社のひとつである。
 なぜ、舌切りスズメなのか。それには、過多萩市にある『獣王町』という区画の名前の由来を知る必要がある。
 獣王町。この名前は元々『十王町』という漢字を書いた。しかし、名前が不吉であり、そのため『十』が今の『獣』に変わった。
 この区画には昔から『十王』と名の付く地名が多かった。だから十王町と呼ばれた。
 漢語表現で『十王』とは『地獄』を指す。死神少女・みっしーの所属する『十王庁』とは、地獄であり、そこの長は『閻魔』と呼ばれる人間の魂のジャッジメントだ。
 閻魔はひとを裁くと言われている。どう裁くかというと、『嘘つき』の『舌』を『切る』のである。そう、雀孫神社が祀っている『舌切りスズメ』とは、閻魔のこの故事に由来していた。元は閻魔を祀っていたハズが、時が経過し時代が変遷していくうちに舌切りスズメの民話と混同されてしまったのである。
 この十王という土地には昔、閻魔信仰というものがあった。「嘘つきにならないように」という人々の願いから、町の各地に『閻魔堂』と呼ばれるお堂が建てられ、熱心な信仰を集めていたのである。十王と名の付く地名は、その時に便宜的に使われていた「閻魔堂の近くのどこそこ」という名前が、定着していったものである。それが地名となってずっと残った。ただ、その由来というものは次第に人々に忘れ去られていき、閻魔信仰の神社の名残であるハズの神社のひとつである雀孫神社ですら「舌切りスズメを祀ってんじゃね?」という風にしてカタチが歪められてしまった。まあ、舌切りスズメの民話で、舌を切られるのはスズメの方なのだが。
 そうして、由来が「消えてしまった」後に十王町という名前も「不吉だ」の一言で『獣王町』という漢字に取って代わられたのである。ちなみになぜ『獣』という漢字が使われたのかというと、「自然との調和」とかいう、昔の過多萩市アピールの、宣伝文句からである。たいした意味はなさそうである。更にいえば今、過多萩市は『筆王』主導の下「芸術復興都市」という肩書きで人を集めており、自然の調和とはかなりずれた方向性になってしまったのであった。

 日和は短い石段を走って登り抜け、鳥居をくぐったところで身をかがめ、膝に手をつき一息つく。どのくらい走っただろう、見当も付かない。でも、やっと到着した。エンジェルさまの元へ。
 日和は呼吸が戻ったのを確認してから、境内の中、ヤシロの方へと歩を進めた。


   ☆


 神社で絵馬を買う。絵馬にマジックで「画家になれますように」と書き込み、それをみんなが吊しているところに倣って、日和も吊す。いつものように。
 周りに誰もいないのを確認してから、日和は目をつぶる。
 祈る。
 念じる。
 そうすると願いが通じるように、声が聞こえ出す。
「日和ダネ」
 頭の中に直接問いかけてくる、優しい声。どこか日本語が下手な、そんな声。
「はい、エンジェル様……」
 日和がそう答えると、一気に視界が遠のく。
 視界にブレが生じ、背中を強く押されたような感覚。
 意識が吹き飛び。
『……サイバースペースヘ…………コネクト、シマス』
 それから。
 日和は絵馬の中の、否、何者かが干渉している己の精神世界に『没入(ジャック・イン)』した。


 日和は半透明になった自分の姿を見てから、前方にいる天使を見る。今自分がいる世界が現実世界でないのは、日和にもわかる。アナログテレビの砂嵐のような空間。電子計算機、という言葉が浮かんだが、電脳世界のコトなんてもちろん、日和にはわからなかったし、それはどうでもいいコトだった。日和は電脳世界が見たくてここに来たのではなく、前方に浮かんでいる『エンジェル様』に話を聞いてもらうために、ここに来たのだ。日和の精神世界をスキャニングし、『天使の数式』で演算してつくりだされた電脳空間に。
 芸能人である日和は、誰に悩みを聞いてもらうコトも許されない場所に、いつもいる。だから、悩みを打ち明けられるこの『エンジェル様』は日和にとって、まさに天使なのである。
 その天使、エンジェル様は白い光に包まれた、純白の翼を持った存在。光り輝き、その姿はおぼろげにしか見えないが、そこが更に良かった。そもそも芸能人を見飽きるほど見てきた日和には、相手が美形でもそれは「ただの美形」にしか過ぎず、嫌気が差すばかりなのであり、顔が見えないぶん、イマジネーションを刺激してくれる真っ白いエンジェルさまの方が、日和には良いのだった。

「エンジェル様」
「なんだネ、日和」
「私、今日、収録を途中で抜けだしてきてしまったんです」
「そうかネ」
「私、ダメな子です……」
「それだけで自分をダメな子だと断定するのは、ヨクナイコトだヨ」
「今日の朝、収録の現場に向かう前に私、スタッフとマネージャーさんが話してたのを、聞いてしまったんです」
「なにを話していたんだヨ」
「『あのジャリタレの賞味期限はもうすぐだ』って。マネージャーさんが言うんです。スタッフの方も『もうそろそろあいつのツラに観衆は飽きてきたし、この番組をおろしていい頃合いだぜ』って」
 日和は泣き出す。その涙は、粗いドットのしずくとなって、床に落ちる。
「私、頑張ってきたのに……、飽きられたって」
「キミの価値が、そいつらにはわからないだけダヨ」
「私、画家になりたくて、でも画家で食べていけるのは一握りだから、お金を今の内に稼いで、ずっと画家として生きていくお金と、外国への留学費用にしようって、それに、ママとパパのために、頑張ってきたのにっ……!」
「…………」
「ママは私のお金を使って、家に貯金なんて、もうないんです! パパもママ以外の女の人と遊ぶお金を、ママに内緒で私が払ってるんです!」
 日和が大声を出すと、砂嵐の世界が一瞬大きく揺らぎ、日和とエンジェル様のカタチが崩れた。この世界は電脳としてつくりだされてはいるが、基本的には日和の精神の世界を反映してつくられた仮想現実である。日和の感情に、この世界は左右される。日和の精神が自我を保てなくなったら、この世界はおしまいなのである。『エンジェル様』は退散するしかない。繊細な世界なのだ。
「私、ママにもパパにも、好かれたかった。だから、我慢してやってきた。小学生に上がって、画家っていう目標も出来て、でも仕事を続けてこれたのは、このまま続ければきっとみんなハッピーになれるからだって。……そう思って頑張ってきたのに」
「Oh……」
「ファームも、大好きっ! 絵も描けるし、みんないい人ばっかりだから。でも、芸能人じゃなくなったら、相手にされなくなっちゃうかも。……トラブルシューターのお仕事は私とバツ子の『情報』が、とても大切だから……」
「神はいつもキミを見ているヨ」
「見てるだけじゃイヤ! 私を助けて欲しいのっ! エンジェル様! 私を助けてください!!」
「おれが助けても、それは日和の力じゃないんダ、きっと後悔するコトになるヨ」
「…………」
 日和の涙は収まらない。後から後から、涙はあふれてくる。エンジェル様は、そんな日和を見つめていた。ずっと見つめていたいと思っていた。
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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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