第38話

文字数 4,192文字

   ☆


 黒衣が大きなカンバスをステージ中央に設置する。
 そのカンバスに繰り広げられた飛沫の絵画を観て、ちはるは叫んだ。
「あ、ストーンローゼズのファーストだ!」
 実況の日和がそれに応じる。
「ちはるちゃん、いいところに気づいたねっ! そう、これはストーンローゼズのファーストアルバムのジャケットの絵だよねっ」
「うん。そうそう、日和ちゃん、好きだよ」
 いらないコトまで、ちはるは言う。
「私も好きだよっ、ちはるちゃん」
 と、それにあーあー言いながらみっしーが割り込む。
「なんですか、この女子小学生! ちはるはボクのものです!」
 ちはるはみっしーに向かい。
「でもみっしーだって日和ちゃんのラジオ、好きでしょ」
「そ、……そうですが。でも~、これとそれとは別なのです! そうそう、別、別なのです! 断じて」
 その理科の絵は。
 カンバス一杯に、絵の具や塗料の飛沫が飛び散った、普通に観たら絵画とは思えない絵画、であった。
 その絵は、絵筆で絵を描くのではなく、絵の具や塗料を刷毛にいっぱい付け、それを振りかけるようにして、飛沫を飛び散らせる。その飛沫が、カンバスいっぱいに散らばっていて、いや、埋め尽くしている、と形容した方がいいような、そんな画面構成になっている。
 色とりどりのその飛沫はしかし、美しい。
 これがいわゆる、抽象表現主義の絵画であるコトはちはるには解らない。しかしながら、ちはるはその美しさに、驚き、そしてそれが、英国の誇るロックバンド、ストーンローゼズのアルバムのジャケットワークの元ネタになっているコトを指摘したのは、評価に値するだろう。まさに、ストーンローゼズのジャケットは、この抽象表現主義、『アクションペインティング』の開祖、ジャクソン・ポロックの絵画を意識して制作されたからだ。
「なるほど、こう攻めてきたか」
 半熟王子は、ため息混じりに理科の絵画を観る。
 この、アクションペインティングの絵を。
「オールオーヴァの絵画、ぱせね」
 オールオーヴァ。それは、画面一杯に絵を描き、そこには『枠』が存在せず、躍動感が格段に高い絵画である。特にアクションペインティングにその形容はつけられる。
「こんなハードコアな代物を作るとは。田山理科、恐るべし、だな」
 半熟王子が評したところで、バツ子から。
「これだけじゃないわよ。これ、ちゃっちゃと配っちゃって」
 頷いた黒衣たちが解説の四人と筆王に、小冊子を配る。
「ふむ? なんだ、これは?」
 半熟王子はよくわかっていない。表紙を見る。「うむむ? 『おいしいパイナップルサンドの作り方』?」
 そこで日和。
「この作品のタイトルは、『パイナップルサンド』っていうんだよっ」
「ほ~う。うまそうな名前だな、パイナップルサンド」
「ああ、もう、バカ理科! ボクはタイトルに『アナグラ』ってつけろって散々言ったんですよ?」
「ぱせ。『アナグラ』って、黒猫チェルシーの曲名ぱせね」
「そうです! 黒猫チェルシーの大知にゃんにあやかってタイトルをつければ完璧だ、とボクは理科に言ったのです」
「あ~、タイトル、パイナップルサンドの方がこの作品には合ってるぱせよ……」
 みっしーはムキー、と猿のように暴れる。が、みんなそれはスルー。
 半熟王子は配られた小冊子の中をパラパラめくる。
「どうやらこれは、この絵画の『設計図』だな」
「そうぱせね。つまりこれは、……『大ガラス』!!」
「ふむ。そう見て間違いない。計算的だな、田山のお嬢ちゃんは」
「まさか数週間程度の私のレッスンだけでこれを編み出すとは。むしろ私がアナグラがあったら入りたいぱせ」
「うまいコト言ってんじゃねぇですよ、クソ魔女!」
 ツッコミを忘れないみっしーだった。

 筆王は雄叫びをあげる。
「瞳にみなぎる確かな一作! タフ・アンド・クールな爽快感じゃあああぁぁぁァァァ!!」
 叫びつつ筆王はラジオ体操第二を開始。
 それを無視するカタチで日和はオーディエンスに向かって言う。
「筆王のお墨付きをもらったところで、この問題作。お次は理科さんの『再演・パイナップルサンド』だよっ」
 みんなが息を呑む。
 半熟王子もびっくりして
「な、……なん、だと! 再演!?」
 と言い、ぱせりんの方は笑みを浮かべる。
「なるほど。違う作品でぶつけてくるのではなく、あくまでこの作品で勝負なのぱせね。どこまでやる気なのかしら、田山理科……!」

「それではっ、田山理科さん、どうぞっ」

 そして、理科がステージに降り立った。


「よっしゃ、いっちょやってやるか!」
 両頬を手で叩き、気合いを入れる。
 手にした刷毛をいつものペインティングナイフのようにくるくる回し、構える。
「田山理科、イカせてもらいます!」
 理科は塗料の入ったバケツに刷毛を突っ込む。理科のパフォーマンスが、こうしてはじまる。

 ぱせりんはちはるに尋ねる。
「ちはるちゃんは理科と一緒に住んでるけど、創作現場を見たりはしなかったぱせか」
「う、うん。知らなかった。お姉ちゃんがこんな絵を描くなんて、全く知らなかった。いつも、キャラクターグッズとかにありそうな絵を描いてたから」
「なるほどぱせね~」
 と、そこに半熟王子。
「しかしてちはるちゃん。パイナップルサンドとはなにかな?」
「うん、パイナップルサンドっていうのは、私のうちの定番朝食メニューだよ。トーストしたパンにパイナップルを挟んだものなの」
「な~るほどな。ぽっくんはわかったよ」
「なにがわかったぱせか」
「この画題とテーマの『でんぐり返っておぱんちゅきらり☆』の関係性だよ」
「ほっほ~、ぱせ。また阿呆なコト考えたんでしょ。ぱせぱせ」
 半熟王子はもったいぶった言い方で、説明をする。
「阿呆かどうかは聞いた後で決めるんだな。猫部くんの場合は、その幼児のディスコミュニケーションを表現していて、下野くんの場合はアンダーヘアを現していて、それが幼児の『おぱんちゅきらり』、即ち恥ずかしさや成長する時期の年齢の問題と繋がっていたわけだ」
「私としてはそこからすでに妄想的に思えるぱせが……」
「そして、この田山くんの作品」
「なにぱせか」
「これはもう、メタ構造なのだろう。メタおぱんちゅ、と言えよう」
「はぁ?」
「これはつまるところ、幼児的な身体を持つちはるちゃんの姿を表現しているのだ!」
「まあ、千鶴子はちはるちゃんのコトを『チビメガネ』と呼ぶほど、背は低いし、可愛い外見をしているけど。そうなのぱせか?」
「これはもう、間違いない」
 その会話を断ち切るように、みっしーはマイクを握りしめて、理科に抗議する。
「このバカ理科! なんでタイトルが『アナグラ』じゃないのですかッ」
 ステージの床に置いた大きなカンバスに塗料の飛沫を飛び散らせながら、理科はみっしーに応じる。
「あー、もうみっしー。少し黙っててよ」
「いーや、黙らないです。アナグラです。大知にゃんです」
「はいはい、小言はあとで聞くからさ」
 みっしーは拗ねる。
「理科はいつもそうです。これは立派な逃げですよ?」
 とかやり取りをしてる間も、作品制作は着々と進む。
「ぽっくんたちはこの『パイナップルサンドの作り方』を見たわけだが、会場のみなさんは見てないので、ちょっと説明が必要だな」
「そうぱせね」
「この小冊子に書かれている『作り方』だが、これはプラモをつくる時の説明書のようなものではないのだよ」
「これはどっちかと言うと、思想書みたいな感じぱせね」
「そう、だからエントリー作品と今田山くんが描いている作品は、違う様相を呈しているのだよ」
「違う様相を呈している、というのにもちょっと注釈がいるぱせ。今、理科はカンバスを床に寝かせて描いてるぱせ。絵筆を直接接触させないで描く『ドリッピング』、そして絵の具を滴らせて撒き注ぐ『ポーリング』という技法を使ってるから、これは寝かせて描くのも仕方がないぱせ。そしてその技法でつくられる『ポード・ペインティング』と呼ばれる絵画作品、これはその技法ゆえ、同じ作品はつくるコトが出来ないというジレンマがあるぱせ」
「ふむ。そうなのだ。つまりこの『再演』は、『同じモノ』をつくる再演ではなく、あくまで『思想の再演』であるのだ」
「思想の再演、それは埋もれてしまった思想が何世紀もあとに再発見されるような、そういう世界観を表現している、と受け取って鑑賞するコトも出来るぱせね」
 ぱせりんと半熟王子が語っている最中も、理科は作品をつくり続ける。
 まき散らせ!
 まき散らせ!
 まき散らせ!
 そう、それは理科がその命を燃焼させる時に発せられる魂のほとばしりなのだ。魂のほとばしりが、飛沫となって飛び散る。まき散らせられる。
 ドリッピングを武器とする一人のジャック・ザ・ドリッパーが、ここにはいた。

 そうして三十分。
「完成~!」
 理科は叫び、絵は完成した姿を皆の前に現した。
 日和はそれを受け、進行を進める。思えば実況をせずに、ただの司会進行になってしまったが、それはそれで、良かったかな、と日和は思う。
「はいっ。田山理科さんのパフォーマンスが終了したよっ。それでは、筆王さん、点数の方をっ!」
 筆王は理科の作品制作を舐めるような目つきでずっと追っていたが、完成に至った時はすでに白目を剥いていたのであった。
「はわわわわわ……」
 口から泡を吹く筆王。
 そして、絶叫。
「BASARA、ふぃいいいいいいいいいいばああああああああああァァァァ、おっほほおおおおおおおおおおおおおいッッッッッッッ」
 BASARAフィーバー(ばさらふぃーばー)。それは、筆王が絶頂に達した時に発動する術式である。
 ぱせりんは言う。
「はじまったぱせね……。『竹林七賢図計画』のなくなった、いや、その計画に変更があった今、筆王がなにをするか。私を裏切ってなにをするのかを、この目に焼き付けるぱせよ」
 しかし、悠長に焼き付けるなんて出来ないように、物語はその歯車を軋ませながら回す。そう、現実という軋みの音を立てて。

「それではっ、優勝者の発表です! 優勝はっ……」

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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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