第27話
文字数 2,788文字
☆
トイレで喀血した理科は、痛みと動悸を落ち着けるために、十分以上の時間を要した。その間にちはるが来てしまったらどうしよう、とバレるのを心配していたが、ラッキーなコトにちはるはトイレまで来なかった。
深呼吸。
理科は、何事もなかった風を装って、トイレから出る。
ちはるは湯飲みで三杯目の珈琲を飲んでいる。みっしーはテレビを観ながら、みかんを食べている。
「遅かったですねー、理科」
理科が遅かった理由は知っているであろうに、平生のまま、みっしーは言い捨てた。興味ないと言わんばかりに。理科はその考慮が嬉しかったのであった。
みっしーはテレビを観ながら、思考する。思考するコトは、理科についてだ。みっしーの横では、その理科が画布を立てかけている。どうやらこれから、金太フェスに向けてコンクール用の絵を描くらしい。
もしもですよ、もしもこの世界が『予定説』であった場合、ボクのもくろみは成功するコトは万が一にもありません。予定説、つまり、「全てが生まれる前から決まっている世界」。神に救われたいとか、審判の時に神の世界に入りたいと願って、入れるように信心深く生きていくとしましょう。でも、それで救われるとしたら、それは果たして救われるように生きたから救われたのか、それとも最初から救われるコトが決まっているから救われたのか。別にそういう生き方をした場合、その問いにたいした意味はありませんが、でも、です。今回のように、ボクが理科の「死」に介入した場合、どうか。ボクがどんなに「天国」に連れていこうとしても、ダメなのじゃないか。なぜなら、十王庁は理科をこっちに引き渡せ、と言っているのですから。たぶん、理科の運命は、十王庁に魂が持っていかれるコトです。それをねじ曲げるコトは可能か、はたまた否か。予定説で理科が救われるとしたら、それはボクが介入するのがもはや生まれる前からの前提であった場合のみです。そんな都合の良い話があるわけないです。そうしたら、賭けるのは、この世界が予定説じゃない、という可能性です。「神はサイコロを振らない」のか、それとも「神はサイコロを振る」のか。アインシュタインの予想を裏切った答えを、望むしかないですね。
今は否定されていますが、いわゆる『ラプラスの魔物』というのがあるです。ラプラスの魔物というのは、機械論的・決定論的自然観にもとづく仮想の超人間的知性のコトです。自然界を貫く法則を全部知ってて、自然の全構成要素について初期条件と束縛条件を完全なカタチで識別して、自然界のあらゆる現象を計算・予測できる存在だとかいう。古典力学の成功を背景にラプラスっていう人が言及した、そんな話。……と、まあ、辞書的な意味ではそういうものです。つまりは「自然界の全てを知ってて計算出来れば、これから来る未来を全て間違えないで予測出来る」という、そんな存在のコトです。神ならどうか。その上に、全ての存在の思考パターンも読み取れて、ならば「サイコロを振らない神」なら、カルバンよろしく『予定説』の完成です。
果たして、そんな存在が神だとしたら、ボクはどう立ち向かって理科を助けようと言うのでしょう……。
と、みっしーが考えているとその横で、珍しくペインティングナイフを絵描きの道具にして画布の前で「う~ん、やっぱ構図が……」とか言ってうなってる理科がいた。
みっしーはそんな理科を見ていたら腹が立ってきたのであった。
「う~ん」
「理科、進んでますか?」
みっしー、満面の笑顔。
「いや、全く。どうしていいかわかんなくて」
みっしーはにししし、と口元を緩めてから、
「こうです!!」
と、みかんの皮をつぶしてその飛沫を画布に浴びせる。
「あ~ッッッ、なにすんの、いきなり!」
「更にこうです!」
アクリル絵の具のつけてあるパレットからみっしーは、絵の具を手の指ですくい取り、腕を振りかぶってその絵の具の塊を画布に浴びせまくった。そのスプラッシュが画布に存在感を持ち、とどまった。
理科は髪の毛をボリボリ掻いて困った様子。
「もう、めちゃくちゃじゃな……、んん? 待てよ?」
髪の毛を掻くのを止めた理科は、目を点にして、めちゃくちゃにされた画布をのぞき込む。
「あ、これは確か……」
と一人で興奮した理科は、自分の部屋にダッシュ。ぱせりんのレッスンを受けた時に渡されたプリントを漁る。
一方、みっしーは気が済んだので、手を洗いに洗面所に向かう。
「あった!」
理科は見つけたプリントを天井に向かって高く掲げた。
そこには、
『アクションペインティング』
と、描かれていたのであった。
☆
めざましテレビが終わった八時。ちはるは腰を上げる。
「お姉ちゃん、わたし着替えてくるね」
「あいよ」
理科は食器を流しに持って行き、洗浄を始める。
みっしーは未だみかんを食っている。
五分くらい経ち、ちはるが居間に戻ってくる。
「こら、みっしー」
と、みかんを取り上げる。
「あ、そういえば、ですよ」
みっしーは今更気づいたように言う。「今日はバイト、ないのですか」
「ケバブ屋、今日はお休みなんだー」
「そうですか。ボクも街の徘徊はしないです。ゆっくりしたいところなのですが、ちはるは着替えてどこかに行くのですか?」
そこへ皿洗いを終えた理科が戻ってくる。
「ほら、あんたも行くのよ」
「なにがですか? ボクは理科なんかに用はないです。ちはると家でまったりデートするですよ?」
「なにバカ言ってるの。私のバイト探し、過多萩に詳しいあんたがいなきゃめんどくさいじゃないの!」
「え~、バイト探しですか? ちはるも、行くのですか、この野獣と?」
「うん」
「ほら、行くわよ」
「理科。ボクがいつも理科と一緒に行動して、ギャルゲーの日常パートの掛け合い漫才みたいなのをしてばかりだと思うのはやめるですよ。ボクはついて行かないです。ちはるを野獣と二人にさせるのは心配ですが、今日は都合が悪いのです」
「あー、またわけわからんコト言って……。まあいいわ、こいつはほっといて、行こ、ちはる」
「うん」
理科は玄関に向かう。理科が靴を履いている時、ちはるはみっしーに耳打ちする。
「ありがとね、みっしー」
「ん? なんのコトですか?」
「私とお姉ちゃんの姉妹水入らずなんて、久しぶりなんだ。成人式の前の日以来なの」
「そ、そうですか……」
そうして理科とちはるは理科のバイト探しに出て行く。
「……まさかめざましテレビの『今日の星座占いカウントダウン』の結果が悪かったから外に出たくなかったなんて、言えないですよね」
みっしーはそう言って、二人を見送ったのであった。
二月一日。天気はくもりだった。
トイレで喀血した理科は、痛みと動悸を落ち着けるために、十分以上の時間を要した。その間にちはるが来てしまったらどうしよう、とバレるのを心配していたが、ラッキーなコトにちはるはトイレまで来なかった。
深呼吸。
理科は、何事もなかった風を装って、トイレから出る。
ちはるは湯飲みで三杯目の珈琲を飲んでいる。みっしーはテレビを観ながら、みかんを食べている。
「遅かったですねー、理科」
理科が遅かった理由は知っているであろうに、平生のまま、みっしーは言い捨てた。興味ないと言わんばかりに。理科はその考慮が嬉しかったのであった。
みっしーはテレビを観ながら、思考する。思考するコトは、理科についてだ。みっしーの横では、その理科が画布を立てかけている。どうやらこれから、金太フェスに向けてコンクール用の絵を描くらしい。
もしもですよ、もしもこの世界が『予定説』であった場合、ボクのもくろみは成功するコトは万が一にもありません。予定説、つまり、「全てが生まれる前から決まっている世界」。神に救われたいとか、審判の時に神の世界に入りたいと願って、入れるように信心深く生きていくとしましょう。でも、それで救われるとしたら、それは果たして救われるように生きたから救われたのか、それとも最初から救われるコトが決まっているから救われたのか。別にそういう生き方をした場合、その問いにたいした意味はありませんが、でも、です。今回のように、ボクが理科の「死」に介入した場合、どうか。ボクがどんなに「天国」に連れていこうとしても、ダメなのじゃないか。なぜなら、十王庁は理科をこっちに引き渡せ、と言っているのですから。たぶん、理科の運命は、十王庁に魂が持っていかれるコトです。それをねじ曲げるコトは可能か、はたまた否か。予定説で理科が救われるとしたら、それはボクが介入するのがもはや生まれる前からの前提であった場合のみです。そんな都合の良い話があるわけないです。そうしたら、賭けるのは、この世界が予定説じゃない、という可能性です。「神はサイコロを振らない」のか、それとも「神はサイコロを振る」のか。アインシュタインの予想を裏切った答えを、望むしかないですね。
今は否定されていますが、いわゆる『ラプラスの魔物』というのがあるです。ラプラスの魔物というのは、機械論的・決定論的自然観にもとづく仮想の超人間的知性のコトです。自然界を貫く法則を全部知ってて、自然の全構成要素について初期条件と束縛条件を完全なカタチで識別して、自然界のあらゆる現象を計算・予測できる存在だとかいう。古典力学の成功を背景にラプラスっていう人が言及した、そんな話。……と、まあ、辞書的な意味ではそういうものです。つまりは「自然界の全てを知ってて計算出来れば、これから来る未来を全て間違えないで予測出来る」という、そんな存在のコトです。神ならどうか。その上に、全ての存在の思考パターンも読み取れて、ならば「サイコロを振らない神」なら、カルバンよろしく『予定説』の完成です。
果たして、そんな存在が神だとしたら、ボクはどう立ち向かって理科を助けようと言うのでしょう……。
と、みっしーが考えているとその横で、珍しくペインティングナイフを絵描きの道具にして画布の前で「う~ん、やっぱ構図が……」とか言ってうなってる理科がいた。
みっしーはそんな理科を見ていたら腹が立ってきたのであった。
「う~ん」
「理科、進んでますか?」
みっしー、満面の笑顔。
「いや、全く。どうしていいかわかんなくて」
みっしーはにししし、と口元を緩めてから、
「こうです!!」
と、みかんの皮をつぶしてその飛沫を画布に浴びせる。
「あ~ッッッ、なにすんの、いきなり!」
「更にこうです!」
アクリル絵の具のつけてあるパレットからみっしーは、絵の具を手の指ですくい取り、腕を振りかぶってその絵の具の塊を画布に浴びせまくった。そのスプラッシュが画布に存在感を持ち、とどまった。
理科は髪の毛をボリボリ掻いて困った様子。
「もう、めちゃくちゃじゃな……、んん? 待てよ?」
髪の毛を掻くのを止めた理科は、目を点にして、めちゃくちゃにされた画布をのぞき込む。
「あ、これは確か……」
と一人で興奮した理科は、自分の部屋にダッシュ。ぱせりんのレッスンを受けた時に渡されたプリントを漁る。
一方、みっしーは気が済んだので、手を洗いに洗面所に向かう。
「あった!」
理科は見つけたプリントを天井に向かって高く掲げた。
そこには、
『アクションペインティング』
と、描かれていたのであった。
☆
めざましテレビが終わった八時。ちはるは腰を上げる。
「お姉ちゃん、わたし着替えてくるね」
「あいよ」
理科は食器を流しに持って行き、洗浄を始める。
みっしーは未だみかんを食っている。
五分くらい経ち、ちはるが居間に戻ってくる。
「こら、みっしー」
と、みかんを取り上げる。
「あ、そういえば、ですよ」
みっしーは今更気づいたように言う。「今日はバイト、ないのですか」
「ケバブ屋、今日はお休みなんだー」
「そうですか。ボクも街の徘徊はしないです。ゆっくりしたいところなのですが、ちはるは着替えてどこかに行くのですか?」
そこへ皿洗いを終えた理科が戻ってくる。
「ほら、あんたも行くのよ」
「なにがですか? ボクは理科なんかに用はないです。ちはると家でまったりデートするですよ?」
「なにバカ言ってるの。私のバイト探し、過多萩に詳しいあんたがいなきゃめんどくさいじゃないの!」
「え~、バイト探しですか? ちはるも、行くのですか、この野獣と?」
「うん」
「ほら、行くわよ」
「理科。ボクがいつも理科と一緒に行動して、ギャルゲーの日常パートの掛け合い漫才みたいなのをしてばかりだと思うのはやめるですよ。ボクはついて行かないです。ちはるを野獣と二人にさせるのは心配ですが、今日は都合が悪いのです」
「あー、またわけわからんコト言って……。まあいいわ、こいつはほっといて、行こ、ちはる」
「うん」
理科は玄関に向かう。理科が靴を履いている時、ちはるはみっしーに耳打ちする。
「ありがとね、みっしー」
「ん? なんのコトですか?」
「私とお姉ちゃんの姉妹水入らずなんて、久しぶりなんだ。成人式の前の日以来なの」
「そ、そうですか……」
そうして理科とちはるは理科のバイト探しに出て行く。
「……まさかめざましテレビの『今日の星座占いカウントダウン』の結果が悪かったから外に出たくなかったなんて、言えないですよね」
みっしーはそう言って、二人を見送ったのであった。
二月一日。天気はくもりだった。