9話 物語の始まり(前編)

文字数 2,814文字

薄茶色の髪が、ハサミでザクザクと豪快に切られている。
足元にパサリ、パサリと髪束が落ちてゆく。
リルは両手で鏡を抱え、青い顔でその作業を見守っていた。
ぐるりと髪を切り終わって、クザンがフーッと息を吐きながら、手の甲で汗を拭うような仕草を見せる。
「これでどうだ!」
泣きそうな顔をしていたリルが、ついにじわりと目に涙を溜める。
「せ……、せっかく今まで……一生懸命、伸ばしてたのに……」
どんよりと落ち込む息子の背を叩いて、クザンが明るく励ました。
「まーまー。髪なんて、ほっときゃいくらでもまた伸びるって」
それから、リルの髪でリルの耳を覆ってみたクザンが、一筋、汗を浮かべる。
「あー……。けど、思ったより……透けるなぁ」
早まった。と、その顔には書かれている。
「お前、髪の色、結構薄いんだなー……」
そんな父の顔を見て、リルが顔を引き攣らせる。
二人を少し離れたところで眺めていたリリーが、そっと声をかけた。
「分かってたけれどね」
「「え」」
二人の声が重なる。
「こうなるって」
リリーはにこにこしながら、夫と息子を見つめていた。
母はどうやら、二人が試行錯誤している様が微笑ましく、分かっていながら黙って見守っていたらしい。
リルは思わず鏡を取り落とした。
「うわーんっ、だったら切る前に言ってよーっ!」
堪えきれず泣き出したリルを、リリーはまだにこにこと眺めていた。

三年。
三年間の間を、ほとんど離れて暮らしていた息子は、鬼の血のせいか見た目は九歳ほどになっていただけだったが、それでも、どこか自分の知らない子になってしまったように感じた。
そんな子が、父に髪を切られて泣いている様は、リリーには今までと何も変わっていない気がして、何となく嬉しく思えていた。




久居は、菰野とフリーの凍結膜が置いてある部屋に居た。
この小屋は、菰野とフリーの姿を隠すように、二人が凍結した膜の周りを囲うように立てられた。
この部屋の隣には、三人分の布団を敷けばいっぱいになる程度の部屋もあり、リル達は今その部屋にいるようだ。

久居は隣の部屋から聞こえるワイワイとした声を耳にしながら、三年の間に伸びた自身の髪を手に取った。
後ろの高い位置で結んだ状態で、なお腰下まで伸びた黒髪を、肩のあたりで切り取る。
(菰野様……)
久居は菰野の顔を見つめる。
いつ見ても、菰野の血に塗れた姿は、久居に激しい後悔と強い決意をもたらした。
久居は切り取った髪を半紙で包むと、紐で束ねて菰野の傍へと捧げる。
(お傍をしばし離れる事を、どうかお許し下さい……)
菰野もフリーも、目を閉じたまま時を止めていた。
そのため久居はもう三年もの間、栗色の瞳を目にしていない。
その瞳に、もう一度映る事だけを、久居はずっと願ってきた。
(必ずや凍結を解除するすべを手に入れて、戻ってまいります)
久居は、目を閉じ、決意を胸に拳を握り締める。

三年の時を経て、久居は十八歳から二十一歳になっていた。
顔立ちはすっかり青年らしくなり、背も多少伸びている。
けれど、菰野は今も、十五歳のままだった。

今も変わらぬ主人に、今も変わらぬ忠誠を誓い、久居はその部屋を後にした。



久居が戸を開けると、クザンが顔を上げる。
「お、久居。今リルの……」
クザンの隣では、リルがべそべそと泣いていた。
「あれ? お前も髪切ったのか」
クザンに言われ、久居はほんの少し俯いて答える。
「ええ、せめて髪だけでもと……、菰野様のお傍へ……」
「えっ」
リルが慌てたように久居を振り返る。
「久居も髪切ったの? じゃあ、ボクとお揃い?」
顔じゅうを涙で濡らしたまま、リルが期待に満ちた顔で尋ねてくる。
「え、ええと……そうですね。髪を切ったという行為はお揃いと言えるかも知れませんね」
その期待を裏切れず、久居は話を合わせた。
「わーいわーいっ! 久居とお揃いになったーっ!」
笑顔を取り戻した少年に、久居は(髪型は全く違いますが……)と心の中だけで付け足す。
どうやら、リルは伸ばしていた髪が切られた事より、それによって久居とお揃いでなくなった事を悲しんでいたらしい。
すっかり機嫌を直した様子のリルに、クザンがホッとしながらフードを被せた。
予告もなしにいきなり頭に布をかけられて、リルが小さく「わぷっ」と言っている。
「やっぱフードかなー」
クザンの言葉に、
「フードは、布越しに角の輪郭が見えるわね……。フード自体も外れやすいし……」
と、リリーがやんわり否定を示す。
「何をなさっているのですか?」
尋ねる久居に、リリーが答える。
「リルの耳と角を隠すための方法を考えているところよ」
答えに礼を告げ、久居は自身の首巻きを解くとリルの頭に巻付けた。
「こういうのはいかがでしょうか」
ターバンのように頭を覆われたリルは、頭のふかふか具合に嬉しそうな顔をしている。
「……行き先がもう少し違ったら良かったかも知れないわね」
やんわりと却下するリリーに、クザンが首巻きを強引にひっぺがしながら尋ねる。
「リリーは何か案無いか?」
「そうねぇ……」
クザンに勢いよく布を引かれる反動で、リルがその場でぐるぐると回っているのを、久居が止めるべきかと焦っている。
そんな三人を、リリーは眩しそうに目を細めて見ていた。
夫と二人きりでは、きっとリルは苦労をしただろう。
夫は良い人ではあったが、何かにつけ力任せで、生活力がまるでない。
その点、久居はよく気の付く性格で、リルも非常に懐いていたし、何より家事の全てを万全に行えた。
きっと、この三人なら、リルも楽しく暮らせたのだろう。と、リリーは長く胸につかえていた罪悪感がじわりと溶けてゆくのを感じていた。
まだぐるぐると余韻に目を回している息子に近寄ると、リリーは手ぬぐいを頭に被せる。
その上から、昨日の晩の差し入れを届けた片手鍋をガポッとかぶせた。
「これでどうかしら」
すっかり目を回して「きゅー……」と、か細く鳴いているリルを余所に、クザンと久居は感嘆の声をあげる。
「「おおー」」
「それなら良さそうだな」
クザンはうんうんと頷きながら、鍋を被った息子を満足げに見下ろした。
「風対策に、布の先に錘があるといいかも知れませんね」
久居の言葉に、リリーが答える。
「そうね、じゃあ鍋の取っ手を外して、錘をつけて……色でも塗っておけばいいかしら」
リリーが作業を請け負おうとしている様子に、久居が申し訳なさそうに尋ねる。
「明日までに間に合いますか?」
かわりにその作業を引き受けようかとしている久居に気付いて、リリーは微笑んで応えた。
「ええ、任せておいて」
可愛い息子のために、この作業を彼女が行いたいと思っている事を、久居はその笑顔から感じ取った。

隣では、クザンがリルの被った鍋をコンコンとつついて、リルに「響くーっ」と嫌がられている。
「じゃあ戻るわね」
リルの頭の鍋を回収しながらリリーが声をかけた。
「はーい」と素直なリルの返事に「よーし、俺らはさっさと寝るぞー」とクザンが二人を見回す。
「はい」と久居も返事をした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リル (リール・アドゥール (reel・adul))  [鬼と妖精のハーフ]


フリーの双子の弟

17歳 6月25日生まれ 身長150cm 体重はかなり軽い

頭のてっぺんにちっちゃなツノ有り

種族の関係上、見た目は10~11歳程度


よく食べてよく寝る、小柄な少年。

外見はひょろっとしているが鬼由来の腕力は人の比ではない。

潜在能力は物凄いものの、まったく制御が出来ない(汗)

逆に言えば、今後一番成長していける子。

久居 (ひさい)


苗字は記憶と共に喪失

21歳 5月生まれ(日は不明)身長170cm 体重は思ったより軽い

髪型のせいか態度からか、老けて見られる事が多い

8歳の冬、海辺に打ち上げられていたところを、菰野とその母に拾われて以降、菰野の傍を片時も離れず菰野の面倒をみながら育つ。

拾われる以前の記憶には部分的に抜けがある。

自分の存在意義を菰野に見出しており、菰野の為なら惜しみなく命も手放す。


過去のトラウマから、首元に触れられると意識を失う体質のため、真夏でも首元に布を巻いている。

幼少時から常に丁寧語で話す癖があり、咄嗟のときも、心の声も全て丁寧語。

クザン(玖斬 閻王)[鬼]

作中ではほとんどカタカナ表記


リルとフリーの父親。外見年齢は38歳。実年齢は76歳。

鬼の中でも特に長命。


獄界より、リルを獄界に連れて行かないことを条件に、

年間300以上の特に面倒な魂送の仕事を押し付けられている。

年中あちこち飛び回っていて超多忙。


駆け落ちしてまで一緒になった妻と共に居られる時間が無さすぎる事や、

子ども達の成長を見守れない事が現状すこぶる不満。

リリー・アドゥール (lily・adul) {妖精}


リルとフリーの母親。37歳。


妖精の村を隠す為、山にぐるりと張られた結界の管理者。

彼女にしか出来ない仕事というのが多く、案外多忙。

結界を扱うその能力は群を抜いている。


村長の娘ではあるが、妖精以外の種族との子を産んでしまったため、村から離れた結界ギリギリの場所に、ポツンと家を建てて家族3人で暮らしている。

子供達の安全の為、夫とは別居しているものの、夫婦仲はすこぶる良好。

空竜(くうりゅう)[自然竜]


リルやカロッサにはくーちゃんと呼ばれている、もふもふの自然竜。

大気を取り込み体の大きさを自由に変えることが出来る、持久力に優れた竜。

大きくなるのにそこそこ時間はかかる。

最大サイズでの最高時速は650km程度。


空竜というのは個人名ではなく、ただの種族名。

カロッサ [妖精]


時の魔術師に拾われてからようやく人らしい生活を知った、元孤児。34歳。


リリーとは同じ師の元で学んだ姉妹弟子。

リリーが初めての年の違い友達で、唯一の親友。


一時期クザンやラスが時の魔術師の家に転がり込んでいたことがある。

時の魔術師に多大な恩を感じており、一生をかけて返したいと思っている。

クリス(偽名?)


四環守護者の生き残り。17歳。

『風』と『雲』の腕輪を扱う事ができる。


村を焼き親兄弟を焼いたラスを恨んでいる。

牛乳(ぎゅうにゅう)[猫]


白い毛並みに青い瞳の猫。

クリスを守っている。……と本猫は思っている。

クリスを恋人のように大事に思っているが、クリスは気付いていない。

名前はクリスが付けた。

ヘンゼル


ラスに利用されている現地の貴族の青年。でもあまり役に立ってない。

本人としては、ラスの方を利用しているつもり。

ラス(ラスカル)[鬼]


四環を狙っている鬼。外見は永遠に14歳。

どうやらカロッサ達と面識があるらしい。

レイ(レイザーランドフェルト=ハイネ・カイン=シュリンクス)[天使]


身長180cm 体重73kg(内、翼10kg)+鎧3kg(アルミ程度の重さの素材)=総重量76kg

空を飛べるように骨は中空構造となっており、人間よりは骨折しやすい。外見年齢22歳。


時の魔術師の警護を担当している天使兵。

カロッサがヨロリと二人きりになった頃から警護担当となり、

毎日姿を見ているうちに、いつの間にかカロッサに惚れていた(初恋)

すぐ赤くなったり青くなったりする事を、自分でも気にしている。


仲間からはレイザーラ、リル達からはレイと呼ばれる。

特技は光魔法。わりと技能派。

色々と有能なのに、いつも不憫。

サンドラン(サンドラングシュッテン)


レイの学生時代からの友達。

緑色の髪にオレンジの瞳。

無邪気で悪戯っぽく笑う、仲間思いの青年。

サラ(サーラリアモン)[天使?]


黒い羽を持つ少女。外見年齢18歳。

父さんのためなら何でもできる。

逆に、父さんの関わらないことは全てどうでもいい。

カエン(火焔)[鬼]


外見年齢は25歳で時間停止中。実年齢は86歳。


クザンより年上の、クザンの甥っ子。

クザンが生まれるまで、閻王の名は自分が継ぐものと思っていた。

(レッコク)烈黒[鬼]


外見年齢27歳ほどの鬼。作中に名前は出てこない。

カエンに仕える鬼のうち、筋骨隆々と背の高い方の、背の高い方。


頭の左右から2本ずつ生えていたツノのうち、左側の2本はヒバナに折られている。

ヒバナ(火端)[鬼]

作中では『変態』と呼ばれることの方が多い。

外見年齢は25歳で時間停止中。実年齢は204歳。


クザンの母に仕えていた従者。

主人の死後、そのままクザンに仕えている。

フリー・アドゥール(free・adul) [妖精と鬼のハーフ]


リルの双子の姉。

14歳 6月25日生まれ 身長155cm 体重は普通 歳のわりに胸がある

背中にトンボのような羽と、頭に触角有


現在菰野と共に凍結中。

菰野 渡会 (こもの わたらい)


地方の藩主の姉の息子。久居の主人。

15歳 10月10日生まれ 身長160cm 体重は見た目より重い 童顔


現在フリーと共に凍結中。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み