24話 海の記憶(後編)

文字数 2,351文字

海には、できるなら近づきたくなかった。

久居は、本当は海が怖かった。

十三年前、八歳の久居が何一つ持たずに打ち上げられていたのは、知らない土地の、知らない海岸だった。

菰野に拾われた当初は名前くらいしか答えられなかった久居だが、そのうち色々なことを思い出した。
可愛い弟が居た事、両親が優しかった事、幸せな記憶は戻っても、それがなぜ壊れてしまったのかは、いつまで経っても思い出せないままだった。

首に触れられると倒れてしまうのは、大方誰かに首を絞められた事があるんだろう、と城の医師は言っていた。
久居には覚えがなかったし、背中のアザと傷にも、やはり覚えは無かったが、どちらも良いものでないだろう事だけは分かった。

記憶をどれだけ辿っても、気付いた時には、自分は弟と二人だけで路地裏で暮らしていた。
そこで自身の力不足から弟を守り切る事ができなかった事。それを悔やんで悔やんで、海に入った事までしか分からない。

ただ、路地裏で暮らしていた頃から既に、久居は海がとても怖かったし、弟も同様で海には決して近づこうとしなかった。

それでも、なぜか時折無性に恋しくなって、弟と二人で遠くに見える海をずっと眺めることもあった。

海で何があったのか、父と母はなぜ居なくなったのか。
久居は、知りたいと思う気持ちと、知るのが怖い気持ちの全部に気付かないふりをしたまま。ただ菰野様のお命を守り、菰野様の行く末だけを案じて、今まで生きてきた。

……けれど。

菰野様の声が途絶えて三年……。

久居には、いつの間にか、自分と向き合う時間が与えられてしまった。


「ん……」

久居は目を開く、と同時に今まで閉じていたことに驚く。
側には火が焚いてあり、自分は服を着替えている。
足元にはべったりとリルが張り付いたまま、すぃよすぃよと幸せそうな寝息を立てていた。
その少し向こうに空竜も、小型サイズで丸まって寝ている。

すぐ近くで波の音が聞こえる。

(服を着替えさせられても目覚めなかったなんて……。私は、眠っていたというより、昏睡していたようですね)

体に異常がないか確認しながら、ゆっくり体を起こす。
首と頭がズキンと痛んだ。
触れると頭部に出血があったので、治しておく。
覚えはないが、リルによるものかも知れない。彼の輸送は悪気はなくとも決して丁寧ではないので、何処かにガツンとやられても不思議では無かった。

火の番をしていたのはウィルだったが、彼も疲れているのだろう、半分以上眠っているように見える。
その向こうには、ご婦人方が休んでいる。
まだ外は薄暗かったが真夜中ではなさそうだ。今は何時だろうか。

懐に入っていたものは枕元にまとめられていた。
懐中時計を開くと、四時を少し回ったところだった。
一緒に海に浸かってしまったはずだが、無事に動いていることに安堵する。

着ていた服は近くに干されていて、その隣には所々濡れているリルの服とぐっしょり濡れているウィルの下着らしき服が干してあった。
リルの服は、おそらく私が引き上げられた後に触れて濡れたのだろう。

「ウィルさん、ありがとうございます」
久居は、なるべく驚かせないようにそっと声をかけたが、ウィルはビクッと大きく肩を震わせた。
ウィルも、ここしばらくの出来事で気が休まらないのだろう。
「お!? おお、久居くんもう起きたのか、どこか痛いところは無いかい? その、ええと、頭、とか……」
最後の言葉の消え入りそうな様子にちょっと苦笑しながら久居が答える。
「もう治しましたので大丈夫です。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。
 ウィルさんが助けてくださったのですね」
久居の言葉にウィルが心底ホッとする。
「ああ、泳ぎだけは昔から得意でね。リルくんが教えてくれたのですぐ助けられたんだが、久居くんは、ちょっと水を飲んでしまっていて、な……」
ウィルが言いにくそうに視線を彷徨わせ、リルに辿り着く。
「水を吐かせるには、木に逆さに吊って、上げ下げするとか、樽に乗せて転がすのが良いと言われているんだが、なにしろ海の上だったもんで、その、リルくんがな」
「逆さに振ってくれたんですね……」
そのついでに頭をぶつけて首まで痛めたということか。いや、リルの力で振られたのだから、下手に当たっていたら首の骨が折れないとも限らない。
きっと皆慌てて止めたのだろう。
久居は背筋に冷たいものを感じながら、すやすやと眠るリルを振り返った。
「しかしまあ、久居くんも無事に水を吐き出せたし、こうやって目覚めてくれて、本当に良かったよ」
「はい、ありがとうございます」
もう一度、丁寧に感謝を伝えてから、久居が切り出す。
「ここはどこですか?」
「ここは、あのまま真っ直ぐ進んだ先に出てきた島で、おそらく島の形からしてこの島なんじゃないかと思うんだが……」
と、ウィルが地図を差し出してくる。
「なるほど、ここまで進むことができたのですね」
当初予定していた経路から少し外れてはいるが、問題はないだろう。
「私が代わりますので、ウィルさんも少しお休みになってください」
「ああ、……じゃあ、そうさせてもらおう」
少し申し訳なさそうではあったが、ウィルもやはり疲れているのだろう。奥で素直に横になる。

この大きさの島なら、人は住んでいないだろう。人目を避けた明け方の出発でなくても良いかも知れない。

空竜の側に膝をつくと、空竜が顔を上げた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません。今から羽を治しますね。少し……痛むと思います」
空竜は、そう告げる久居の目をジッと見上げて、翼を差し出すと、また目を閉じた。

一度閉じてしまった傷を、もう一度開いて修復するのは、どうしても、それなりに痛い。そして、相応の技術がいる。

この空色の竜に、もう一度美しい翼を……。

久居はゆっくり息を吐くと、指先に神経を集中させた。
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登場人物紹介

リル (リール・アドゥール (reel・adul))  [鬼と妖精のハーフ]


フリーの双子の弟

17歳 6月25日生まれ 身長150cm 体重はかなり軽い

頭のてっぺんにちっちゃなツノ有り

種族の関係上、見た目は10~11歳程度


よく食べてよく寝る、小柄な少年。

外見はひょろっとしているが鬼由来の腕力は人の比ではない。

潜在能力は物凄いものの、まったく制御が出来ない(汗)

逆に言えば、今後一番成長していける子。

久居 (ひさい)


苗字は記憶と共に喪失

21歳 5月生まれ(日は不明)身長170cm 体重は思ったより軽い

髪型のせいか態度からか、老けて見られる事が多い

8歳の冬、海辺に打ち上げられていたところを、菰野とその母に拾われて以降、菰野の傍を片時も離れず菰野の面倒をみながら育つ。

拾われる以前の記憶には部分的に抜けがある。

自分の存在意義を菰野に見出しており、菰野の為なら惜しみなく命も手放す。


過去のトラウマから、首元に触れられると意識を失う体質のため、真夏でも首元に布を巻いている。

幼少時から常に丁寧語で話す癖があり、咄嗟のときも、心の声も全て丁寧語。

クザン(玖斬 閻王)[鬼]

作中ではほとんどカタカナ表記


リルとフリーの父親。外見年齢は38歳。実年齢は76歳。

鬼の中でも特に長命。


獄界より、リルを獄界に連れて行かないことを条件に、

年間300以上の特に面倒な魂送の仕事を押し付けられている。

年中あちこち飛び回っていて超多忙。


駆け落ちしてまで一緒になった妻と共に居られる時間が無さすぎる事や、

子ども達の成長を見守れない事が現状すこぶる不満。

リリー・アドゥール (lily・adul) {妖精}


リルとフリーの母親。37歳。


妖精の村を隠す為、山にぐるりと張られた結界の管理者。

彼女にしか出来ない仕事というのが多く、案外多忙。

結界を扱うその能力は群を抜いている。


村長の娘ではあるが、妖精以外の種族との子を産んでしまったため、村から離れた結界ギリギリの場所に、ポツンと家を建てて家族3人で暮らしている。

子供達の安全の為、夫とは別居しているものの、夫婦仲はすこぶる良好。

空竜(くうりゅう)[自然竜]


リルやカロッサにはくーちゃんと呼ばれている、もふもふの自然竜。

大気を取り込み体の大きさを自由に変えることが出来る、持久力に優れた竜。

大きくなるのにそこそこ時間はかかる。

最大サイズでの最高時速は650km程度。


空竜というのは個人名ではなく、ただの種族名。

カロッサ [妖精]


時の魔術師に拾われてからようやく人らしい生活を知った、元孤児。34歳。


リリーとは同じ師の元で学んだ姉妹弟子。

リリーが初めての年の違い友達で、唯一の親友。


一時期クザンやラスが時の魔術師の家に転がり込んでいたことがある。

時の魔術師に多大な恩を感じており、一生をかけて返したいと思っている。

クリス(偽名?)


四環守護者の生き残り。17歳。

『風』と『雲』の腕輪を扱う事ができる。


村を焼き親兄弟を焼いたラスを恨んでいる。

牛乳(ぎゅうにゅう)[猫]


白い毛並みに青い瞳の猫。

クリスを守っている。……と本猫は思っている。

クリスを恋人のように大事に思っているが、クリスは気付いていない。

名前はクリスが付けた。

ヘンゼル


ラスに利用されている現地の貴族の青年。でもあまり役に立ってない。

本人としては、ラスの方を利用しているつもり。

ラス(ラスカル)[鬼]


四環を狙っている鬼。外見は永遠に14歳。

どうやらカロッサ達と面識があるらしい。

レイ(レイザーランドフェルト=ハイネ・カイン=シュリンクス)[天使]


身長180cm 体重73kg(内、翼10kg)+鎧3kg(アルミ程度の重さの素材)=総重量76kg

空を飛べるように骨は中空構造となっており、人間よりは骨折しやすい。外見年齢22歳。


時の魔術師の警護を担当している天使兵。

カロッサがヨロリと二人きりになった頃から警護担当となり、

毎日姿を見ているうちに、いつの間にかカロッサに惚れていた(初恋)

すぐ赤くなったり青くなったりする事を、自分でも気にしている。


仲間からはレイザーラ、リル達からはレイと呼ばれる。

特技は光魔法。わりと技能派。

色々と有能なのに、いつも不憫。

サンドラン(サンドラングシュッテン)


レイの学生時代からの友達。

緑色の髪にオレンジの瞳。

無邪気で悪戯っぽく笑う、仲間思いの青年。

サラ(サーラリアモン)[天使?]


黒い羽を持つ少女。外見年齢18歳。

父さんのためなら何でもできる。

逆に、父さんの関わらないことは全てどうでもいい。

カエン(火焔)[鬼]


外見年齢は25歳で時間停止中。実年齢は86歳。


クザンより年上の、クザンの甥っ子。

クザンが生まれるまで、閻王の名は自分が継ぐものと思っていた。

(レッコク)烈黒[鬼]


外見年齢27歳ほどの鬼。作中に名前は出てこない。

カエンに仕える鬼のうち、筋骨隆々と背の高い方の、背の高い方。


頭の左右から2本ずつ生えていたツノのうち、左側の2本はヒバナに折られている。

ヒバナ(火端)[鬼]

作中では『変態』と呼ばれることの方が多い。

外見年齢は25歳で時間停止中。実年齢は204歳。


クザンの母に仕えていた従者。

主人の死後、そのままクザンに仕えている。

フリー・アドゥール(free・adul) [妖精と鬼のハーフ]


リルの双子の姉。

14歳 6月25日生まれ 身長155cm 体重は普通 歳のわりに胸がある

背中にトンボのような羽と、頭に触角有


現在菰野と共に凍結中。

菰野 渡会 (こもの わたらい)


地方の藩主の姉の息子。久居の主人。

15歳 10月10日生まれ 身長160cm 体重は見た目より重い 童顔


現在フリーと共に凍結中。

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