第29話

文字数 1,269文字

 あの阪神タイガースのユニフォームでさえ、縦縞なのに、日常で自他が邪(よこしま)か正しいか、善か悪かとジャッジし、自己の生を常に善正であるように振舞い、他の悪邪な人々のことを気にして、彼(女)らの罰せられることを期待して、生きていることは、楽しいだろうか。あなたがそういったことに、楽しさを感じておられるのなら、その様に生きているあなたの幸福を祈念している。だが、もし、あなたが目覚め、そのような生の拘束から脱し、自らに由って生きて、自分オリジナルな幸せのために日日、活動をなさっているなら、同じように感じ考えている他者と繋がり、新たな世界へ同道しよう。

 「善悪」「正邪」の観念・概念も他者から教育という名の洗脳によって、あなたが抱かされた幻影、そうは捉えられないだろうか。ジョン・ロックは、吾々はタブラサ(白紙)な存在としてこの世界に生まれ来、観念や概念は所謂書き込まれる(た)ものである、と主張している。まあ、このロック的見解も、洗脳だろう、そうあなたに言われたら、その通り、と明確にこたえよう。吾々人間存在は、幻影の中を生きている、とも言えそうだ。

 「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢」
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
 「ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」
最初は太閤の辞世の歌である。天下人になった彼でも、自らの人生も夢の中で夢を見ていたような(儚い)ものである、という感慨が窺える。次の菊大夫の文章もこの世界の無常を、最後の朝臣の歌は苦しみ生きて来た自身を振り返り、これからの自らの人生への希望や期待といった心の強かさが感じられる。

 吾々がこの世を去る時、去った後のことを想像し、知人にどう想われていたいか、というようなワークをすることの重要性を説く本などがあるが、自分に限っては、そのようなことをする必要性は感じておらず、「この世に自分が存在した何の痕跡も残さず、消えていけたら、とてもスマート」だ、と言ったら、上の妹も同じ様なことを考えていたという。

 今、自分が専一に求め想索しているのは直近の幸せである。過去世や来世などはわからぬし、現在のところ知りたいとも感じない。大事なのは大切な人との幸福、より多くの人や存在との交歓である。手にした砂が指間から零れ落ちるように過ぎ行く今の中で「永遠」を感ずること、これを「至福」というのだろう。

 惹きつけられる力・心情、惹きつける形容しがたきもの(『エヴァンゲリオン』では、「恋をするようプログラミングされている」とか云われていた)、これを日本語の最初の二つ文字所謂「愛」と表現されている。五十音の最後を「をん」であるとするなら、人生やあらゆるものは「愛」に始まり、「恩」で終わる。

 人は自由意志と決定論の間(あわい・はざま)を行ったり来たりして、自らが幸せだと感ずる地点に自らを置き、矛盾を抱えながら生きて行く中で自らを理会しいく存在である。
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