第42話

文字数 1,277文字

 ある女の夢を見た。懐かしい、昔、優しくしてくれた、今生きていられているのは、その女性のお陰も大きい。女性、男性を問わず、様々な人によくして貰っている。そのことに大いなる恩を感じ、報いたいという想いもある。「なぜ、生きているのか」を知っている、掴んでいる人はこの世界にどれくらいいるのだろう。「生きて行かなければならない」そう人はよく言うが、彼に言わせるなら、「生きることは義務ではなく、希望、意志によるものである」勿論、希望と失望、意志と無気力は常にセットだ。

 希望の女は失望の人生の源になる場合もあるだろう。意志を以てやったことが不首尾に終わると気無気力状態に陥ることも多いだろう。時には、自身を壊し、この世界から退場を企てようとした者も少なくはないだろう。そんな時、「セ・ラ・ヴィ」と呟く。

 夜明け前が一番暗く寒いという。朝焼けは雨、という言葉も聴く。雨を厭う人は多いが、その中で楽しそうに踊る人もいる。そういう人が人々の心に灯を齎し、静かに優しく、穏やかに着実に世界を変えて行ける、のかもしれない。

 なぜ、世界を変えたいのか。自身を含め、人の悲惨、嘆き、窮状を実感しているから。その苦しさ、葛藤、強い痛みを和らげ、共に幸せでありたい、ただそれだけ。

 勿論、自身が自分が想い描いたような正直で勇気ある人間ではなかったことを彼は知っている。だから、いつかそのような以前の状況に巻き込まれたら、今度は正直で勇気ある行動をしたい、と考えている。が、また、同様に自身は振舞うのかもしれない。そんな時、深刻になるのではなく、大笑いして「ケ・セラ・セラ」と囁こう。

 「善悪」の世界は捨てた。「好嫌」の観点から、世界を切り分けよう、そう考えている。自身を「善」と認じている者は「悪(者)」を如何様に扱ってもよい、と考えがちだ。その言動の方を「悪」という方が適切であろう。この世界には無数の違いがあるだけ。善悪の観点は客観的であるようで実は極めて主観的だ。「好嫌」は極めて個人的であるようで誠に普遍に近い。善と好は極めて関係性が深く、悪と嫌は極めて近い。だが、言葉にはそれから派生するイメージがあって、「善悪」という概念は人々に不寛容、敵愾心、攻撃性を齎すことが多い。幾ら血も涙もない者だからといって、その者に、それこそ、血も涙も溢れるほどに出させる酷いことをすることをあなたは好むであろうか、それとも嫌いか。

 人が何某かの行動をするにはその人なりの動機とか意図と呼ばれるものがある。多くの人はそう考え(てい)るらしいが、なぜ、そんな宗教に人々は囚われ疑いもしないのだろう。自分にはそんな時、語られる理由などと言われるものは、その人自身を正当化、擁護するための後付けにしか感じられない。結局、「したいからそうした」のではなかろうか。

 この世界には無意識のうちに受け入れられている、多くの人が疑いもしない物事が余りにも多い。自分は、そんなことに多大な不可思議を感ずる。だから、そんな人々・世界に大いなる好奇心を抱いて生きていられることについて嬉しさでいっぱいである。


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