第32話

文字数 1,342文字

 人は変わり得るという、受け手によっては希望や失望を感じさせる、本質がある。アルバートは「結婚において、女性は男性に変わって欲しいと希望し、男性は女性に何時までも変わらないでいることを期待して、誓いを交わす傾向がある」というようなことを言っている。流石、「相対性理論」で世界に対する新たな認識を齎した男である。これこそ、もうひとつの、相対「性」理論ではあるまいか。アインシュタインのこの言述に基づくと、この人間の本質が発動された時、女性の多くは希望が叶い、男性は残念ながら、失望する人多数であるように感じられる。

 昨日、コミックスの『エヴァンゲリオン』全巻を読了した。ゲンドウが何故、あのような言動をしていたのかが、とても理解できた。六分儀としての大学時代のユイに出逢うまでの彼は「人の愛し方も、人からの愛され方もわからなかった」と告白している。筆者同様、ひょっとしたら、これを読んでくださっているあなたご自身もそういう存在である、と認識しているのでは、と想像し、この文を記している次第である。ということは、ユイと結ばれた男であるゲンドウは彼女によって変えられた、ということが明らかである。ユイは彼の笑顔が「とても可愛い」と嬉しそうに言っていた。孤独な彼のそんなところに気づいたというか、そう感じた唯一の存在であったようである。多分、彼の彼女に変わって欲しくないと期待していた彼女の大切な性向は概ね変わらなかった、彼には変わったようには見えなかった、と筆者は想像する。幸せなカップルよのう──。

 劇場版四部作とコミックスの大きく違うところは、マリが登場してこないことである。マリファンには「あんまりだ」と嘆息している人が殆どであろう、と想像するが、コミックスはかなり前に出版され、劇場版はつい最近、完結したことを考えれば致し方ない。

 映画の中では、アスカが余りにも可哀想に感じられたが、コミックスでは、幸せになれそうな予感のするラストでとても嬉しく感じた。四部作でもコミックスでも彼女がとても悲しい生い立ちで、三人の少女の中では一番不幸せな人生を送ったように感じられ、彼女に一番感情移入していた。アスカの至福は、明日か、明後日か、どのくらい後か。まあ、シンジを信じて、生きていければ、明るい日は必ずや訪れるだろう。

 ミサトの生き方はとてもカッコよく感じた。リツコにはどこか陰が感じられたが、さもありなん、と納得できた。でも、とても、気の毒で、加持という恋人がいたミサトの方がとても幸せだっただろう、と感ずる。冬月も碇に対する嫉妬・怒りの心情ゆえ、真実を告げず、ずっと黙していたことがあった。「好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る」という、女(性)は海のような存在ゆえ、学生時代のシンジの母親やリツコの母の先生だった冬月とも入り組んだ関係があったように感じられる。

 コミックスを読んだおかげで、次のような数式を想索できた。「悲しみ×妬み×切なさ=寂しさ=愛」古に岩崎宏美なる歌姫曰く「寂しかったから、あなたを愛し、寂しかったから、あなたを憎んだ」だが、「寂しかったから、あなたにさよならを」告げる前に、暫し、よーく熟考してみることをお勧めする。もし、本心に「愛」が些かでも残ってるなら。
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