第10話

文字数 1,225文字

 「エブリディ・アイ・リスン・トゥ・マイ・ハート、ひとりじゃない。この宇宙(そら)の御胸に抱かれて。……夢を失うより悲しいことは、自分を信じてあげられないこと……わたしたちは誰もひとりじゃない。ありのままでずっと愛されてる」

 以上のことを実感できているのなら、人は孤独に苦しんだりすることもなかろう。しかし、物理的にすぐ側に、愛し合う相手がいて密にコミュニケイトできているのなら、至福の中に憩うていることもできようが、そんな恵まれた境遇にいないのなら、どこかに空虚を抱えたままであろう。孤独はあった方が自己を安定させることができる人は結構いるが、ずっとその孤独を抱えたままで永きを生きて来た人間の寂しさをあなたは実感できるだろうか。まあ、人の抱えているものは正にその人それぞれで、様々な苦しさを感じていることであろう。そのあなたの苦しみがいつか報われることを心から祈っている。

 2005年3月付けの修士論文で「愛を学ぶために孤独があるなら、意味のないことなど起りはしない」この命題が真であるか否か、を解明するのが自分の課題である、と述べた。今なら、それに対して明快に解答できる。「真である」と。

 否、学ぶためであるとともに、実践するため、実感するため、でもある。自身が愛の存在であったと想い出すためでもある。「愛のパラドックスとは共に物理的に隣在しているときより、不在でコミュニケイトも出来ず、ひとり相手を想っている時間が、愛の情(こころ・おもい)を純化する」ということである。

 なにが正しいかではない。大きく間違っていない事の方が重要である。

 正義を振りかざし推進しようと行動することは不義でしかないことが多いことに人は気づいているのだろうか。新世界秩序とやらが実現し、それが人々を自由にさせるのなら、大いに賛成するが、どうやら、それは吾らをますます拘束し、簒奪せんがためのシステムにしか過ぎぬ模様だ。困窮する者はますます困窮させられるものであるようだ。

 もし国家がベーシックインカムの制度を導入したら、喜ぶ人が殆どかもしれないが、留意しておいた方がいいことがある。その体制に人々が安堵し始めたころ、国の指導者はその金額を削り続け、遂には自分たちの意向に背く者には受給を停止するなどと脅し、結局、人々所謂吾々は隷属させられることになるであろう、そう預言してくれている人がいた。

 楽に生きて行けるなら、隷属しても構わない、と、あなたは考えるだろうか。もし、それに不服なら、自分自身で経済的に自立できていることを要される、そうだ。

 生存のためなら如何様な境遇に陥らされても満足、であるなら、そのような生を送って行くがいい。だが、もし、あなたが、単なる生存ではなくして、活き活きと(ビビッドに)生き・生かされ・生かして行きたいのなら、自律して自立し、もし余裕があるなら、他者のためになることも為しながら、より多くの存在と共に幸せになる道を邁進していこう。
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