第22話

文字数 1,326文字

 「釣った魚に餌をやらない」とはよく聴く話である。そうするとその魚は飢え死にしてしまう訳であり、それが嫌なら、その魚は別の水槽を求めたり、川や海へ逃げ自由を求めるようになるだろう。それは真っ当なことではあるまいか。釣った魚だからこそ、最高・最大の愛を向け、喜ぶ餌やよい水、環境を整えてあげた方が幸せでは? その魚があなたにとって本当に大事な存在なら、誰に促されずとも自ずとそうしているであろうし、その魚もあなたをとても有難い存在に感じ、釣られたこと・水槽という狭い空間にもこれ以上ない自由を感じ、あなたを愛し、心から感謝するだろう。もし、わざと釣られたとしても。

 スコーピオン・デス・ロック、所謂、「蠍固め」を本気で「悟り固め」だと聴き違いをしていた。魚所謂ピーシーズ、蟹=癌(キャンサー)と蠍の3つは西洋占星術に於いて、同じ、お「水の星座」である。魚と蟹の共通項は水棲ということであり、蟹と蠍は同じ甲殻類である。蠍と魚の共通項は何だろう? 暫し想索したが、想い浮かばなかった。蠍はその尾の毒針で様々な生物を射止める生物である。そう言えば、鉄砲魚というのがあって、その口からの水鉄砲で虫とかを射止める魚がいた。「蠍と魚のウロボロス」これが、新時代のシンボルだと預観があった。蠍は毒ならぬ「甘~い言葉」で魚を虜にし、魚は砂漠に生きる乾ききった蠍に水を与え、そのユニットが人々・世界に至福を齎す核となる。

 砂漠に棲む蠍が何故、「水」の星座であるかはわからない。そう言えば、本々、鷲座であったということを先程知った。「水のルージュ、不思議なイマージュ」未来を心配しても得られる物事は多くはないだろう。それよりも、勇気をもって一歩を踏み出そう。

 人はいつ死ぬかは誰もわからぬ。だから、今すぐ幸せになろう。それへの最短の道筋は考え・心の構えを変えることにより、感じ方を変えることが有効だ。「そんなことで幸せになれるなら、苦労はない」人はそう云うだろう。確かに、そんな容易なことが実は大変難しいことであるのかもしれない。だが、毎日、不満を抱え生きて行く? それが日常なら、幾ら未だ来たらざるものが現に在るものとなることは難しかろう。

 「希望はあなたを捨てません。あなたが希望を捨てたのです」誰が最初に云った言葉かは知らないが、至言のように感ずる。

 「のぞみこいねがふ」(望み希ふ)「人恋ふは悲しきものと平城山に」悲し=「愛し」「恋をして別れを知り 想うことはこれが最後のハート・ブレイク」恋愛の悲しさは物理的な相手の不在(感)にあるのかも知れない。触れ合っていられている今に感謝できていないカップルがあまりにも世界には多く、本当は恵まれていて幸せなはずなのに、それに気づけていない。だから、この世には不幸せに感じている人が余りにも多いのだろう。 

 男もそうだろうが、女性が最も求め・渇望しているもの。それは「愛されているという実感」ではあるまいか。だから、水槽の中の魚を煮るも焼くも自由だと感じているのなら、その人は誠に哀れな存在である。「嗚呼吾=哀れ」「悲し=愛し(相手を余りにも強く想う自身の切実に切ない想い・心情」これが「(恋)愛」という物事の本質であろう。
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