第18話

文字数 1,118文字

 「哲学に初心者も上級者もない」自分はその若い男性にそう告げた。

 フィロソフィーとは「知を愛する」という意味である。故に、「愛知」県出身とかお住まいの方に「哲学者」は多い(ただの類推なので、お時間とご興味のある方は、統計でもおとりになって、真実をご教示いただければ幸甚です)。

 それを西周という人が「希哲学」(哲智即ち明らかな智を希う)と訳したことから、「希」がいつしかとれて「哲学」と呼ばれるようになった。

 あるSNSでの小グループで、若いお医者さんや東大生さんなど、心から他者の幸福を考え話し合う活動をなさっている。そんな人・場があること・加えて戴けたことが本当に嬉しい。

 以前から、「学歴や経歴によって人の価値が決せられるものではない」と考え・想い・感じていたはずであるが、若く前途有望な人々のグループであることを知った時、「マジ、ビビっている」自分がいた。

 「知を愛すること」に初心者とか中級者、高級車(所謂ハイ・ラグジュアリー・カーね)などあるだろうか。おらあ、ねえと想うんだども──。

 確かに過去の哲学者や哲学史・知識に関して詳しい者とそうでない者はいる。だが、「哲学とは(思考)することである」ということが真であるなら、ヌーボーも玄人もない。

 学生時代、研究者として生きて行くことに憧れて、他の旧帝大の大学院に進学しようと努力していた。大学一年の夏休み、京都・奈良へ北東北の県都から確か鈍行で旅をした。斑鳩とかも殆ど歩いて巡り、法隆寺で柿を食べた記憶がある(今では夢の中での出来事のようである)。なんか天啓のようなものを受け、高校時代の女友達と帰宅して数日後会う約束で県都に列車で出かけ、偶然、原付に乘った彼女に声をかけられた。

 「やはりこうなる運命にあったのか」心の中でそう感じ、彼女の眼鏡をアスファルトの道路に叩きつけ、彼女は泣きながらスクーターを押して歩いて行った。自分は駅まで走って行って、パラレルワールドの実在を感じ、プラットホームでパンツだけを残し、衣服を線路に投げ捨てた。駅員さんに服を拾い上げるよう言われて、言に従い、一応、夏休みは終わり、9月の前期試験を終え、結局、病院に入院することになり、後に成績表を渡されたら、最も好きで得意なはずの一般教養の哲学と心理学の2つが「良」であとはすべて「優」だった。その当時、流行っていた「一風堂」は「優優優、誘惑の摩天楼、言う謂う云う、夢が花咲く」とか歌っていた。当時、『北斗の拳』が雑誌で人気だった。

 何故、以上の述懐をしたのかはわからない。多分、「動かざる山を動かし」「疾き風を凪らせ」「徐かなる林を騒めかせ」「侵掠することなき火ですべてを暖め」たいが為だろう。
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