第43話

文字数 1,121文字

 待ち惚ける。なんの約束もなく、なんの保証も、なんの確証も、なんの意思表示も……。それでも、待つのか? 待つ意義があるのか? はんかくせえ──。

 もう、待つのはやめよう。今決めた。自分の人生だ。他人に握られて堪るか。もう、充分待った。もう、いいだろう。人生は有限だ。時はただの概念で実在はしないが、だからこそ、人にとっては最も価値あるものだ。

 「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」
そんな言葉もあるが、「さよなら」は「左様なら」「然あらば」だ。

 もう、これ以上の忍耐、苦しみは必要じゃない、さよなら、しよう。再び、そんなものに会うこともないように。歓び、嬉しさでいっぱいの人生を経験するため、自分は存在し、活動している。自分のやりたいように生き、死するのみ。

 金がないとなにも出来ない世の中が不便だ。地獄の沙汰も金次第、とは、よく言ったもんだ。食べ物も得られず、必要なもの・サービスを享けれるのも金という通行手形が必須だ。「必要に応じて取る」誰かが言った言葉だ。貪るのではなく、他の多くの人が容認してくれるのなら、そんな生活が出来たら、誰にとっても幸せだろう。

 栄光・名声・富。この三つの内で一番、今の自分が欲しいもんは富だ。栄光や名声と言ったもんは、謂わば飾りに過ぎねえ。それで、腹を満たすことも、物やサービスを受けることも出来ねえ。まあ、富があったところで、肝心の物がねえと、飲食もなんも出来ねえ。皆、肝心なことを忘れているんじゃあねえんだろうか。本当に大事なものは物だってこと、そして、それより、大切なものは人の在り方、心、想い、ってもんだってことを。

 どんな物質的に貧しい社会でも人々の温かな想いやりといったもんが溢れていれば、そこに棲めている人は幸せに違いねえ。物質が溢れていても人の心が極寒なら、そんな社会は餓死する人もいっぱい出るだろうし、生きる気力も湧かねえだろう。

 皆、金を求め、金を得ようとしている。それは、決して間違いじゃねえ。現在の社会状況は金万能の世界だから。金が神様の社会だから。でも、その根柢には、それより大事な物があり、一番大切な人の在り方、温かな心、想いやり、って云われてるもんだ。

 「今日は」というのは、嘗ては「太陽」という意味だったらしい。「こんにちは、お元気ですか?」とは、「今日も太陽さんと一緒に明るく元気に生きていますか?」という確認の挨拶だったらしい。

 何故、人の在り方、心、想いが一番大切か、わからねえ、って。わかんねえなら、わかんねえでいいよ。あんたはあんたが大切だと感じるもの想うことに従って生きて行きゃいいだろう。人は所詮、自分の考えの中でしか生きていけねえ、もんな。
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