第14話

文字数 1,265文字

 個としての自立・独立も大切かもしれない。自他ともに他者に対して、自分が感じている程、温かくも冷たくも接せれない・接していないし、遇されもしないだろう。だが、自他を信頼することから始めるか、疑い・信頼しないで端から接するかによって、自分の世界はまったく違ったものとして現れてくる。何故なら「人は皆鏡だから」

 寄りかかれるなら寄りかかってもいい。他者が寄りかかってきても余裕がある程、大いなる存在でいられたら、その者は偉大なる魂と呼ばれるだろう。人は寄り添い合って生きている。その時、抱いている心情・自他への想い、それを「愛」という。

 日本語の特性は「主語がない・特定できない」ということであると言われている。「春はあけぼの」この有名な文に於いて、主語も述語も隠されている。「(わたしは)春はあけぼの(が風情があって好きだ)」例えば、このように、本当の意味は現れてくるであろう。

 『源氏物語』に於いても、主語は記載されておらず、その敬語のつらなりによって、主語や目的語が類推されるという。世界的に見ても、このような奇怪で驚愕な言語は類をみないであろう。「愛している」この動詞のみの一文の主語は「世界精神」とでもいうものなのかもしれない。何となれば、吾々は表層では個個の存在であるが、深層・奥に根元に迫り行けば行くほど、「ひとつのもの」であるだろうからである。

 ある見知らぬひとり喘いでいる人に懇切に接したことを切っ掛けとして、苦しみの中に沈んでいた人生が歓びでいっぱいのものに豹変することがある、という話をよく聞く。その理由を「神」に問いかけると、「あなたは喘ぎ苦しむわたしに本当に親切にしてくれたから」と答え、「わたしにはそんなことをした覚えがありません」と応ずると、「あの見知らぬ人物が神の正体であった」ということを知る、という挿話を聞かれたことがおありだろうか。神とは、特定の人物ではなく、あなたでもあり、わたしでもあり、彼でも彼女でもあり、つまり、存在しているすべてのもののことである。

 早く成功や幸せを手にしたいのなら、インスタントに瞬く間に他者にそれを実現して貰うことを期待し実行するより、着実に自身のやりたいことをやって楽しく活動して行く方がいいだろう。一瞬の間に急成長したものごとは衰退するのも奈落に落ちる如くであると言われている。ゆっくりと為しえたものはゆっくりと衰える傾向にあるらしい。

 幾ら実績があるからと言って、その人物が誠に信用するに価するかどうかは雰囲気というか人相を見るのがいいのかもしれない。経歴が凄い人だから信用するより現在の表情などから感じ取ったものの方が信頼に足るだろう。

 人と人の間には、相性というものがある。わたしにとってよいひとでもあなたにとってはあまりよいひととはいえないこともある。彼女にとっては話易くて面白い人でも、彼にとってはつき合いづらく苦手なタイプかもしれない。人と人の間を人間といい、それを「倫理」という。「倫」とは「なかま・とも」をも意味し、「理」とは「ことわり」である。
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