第30話

文字数 1,157文字

 フェラーリに乘っている甲とランボルギーニを所有している乙がいたとして、「シンボル」というものに親近性を感ずる丙には、「馬」が好きな人と「牛」に惹きつけられる人がいるのだな、という感慨を抱く傾向が高いであろう。

 数字というものに興味を抱く丁には、排気量や最高時速、値段が幾らか、といったことに心が捉えられる、ことが可能性大であろう。

 事程左様に、同じ物事に触れてもその人の性向によって、見ること感じるものが違い、それが個性と呼ばれている。これを称して、「同じひとつの世界に棲み、それぞれの宇宙を生きている」と表現する。

 殴られてもヨシュアなら、他の部位を殴るよう相手に向けるかもしれない。ファブルなら、相手にわざと自分の硬い部位を殴らせて、その拳とかに怪我を負わせていた。同じ、相手に殴らせるにも、その人によって、その目的・心情があり、行動も違う。

 「あふれそうな気持ち 無理やりかくして 今日もまた 遠くばっかり見ていた」
このフレーズを聴いて、あなたにはあなたの感慨があろう。それを言葉にしてみたら、自身がどんな人間かが垣間見られ、楽しいと想うのでやってみて欲しい。

 「君と語り合った 下らないアレコレ 抱きしめてどうにか生きてるけど」
この言葉を発している彼と彼女はずっと逢えていないのだろう。「下らないアレコレ」は第三者から感じる内容でも、このふたりにはとても楽しい言葉のやり取りであったに違いない。その交わした言葉を彼は大事に感じそれを生きるちからとしているようではあるが、肝心の彼女はどう感じ日日を過ごしているか、それが気になった。

 「魔法のコトバ 二人だけにはわかる 夢見るとか そんな暇もないこの頃 思い出して おかしくてうれしくて また会えるよ 約束しなくても」
コトバとはなにか。人によって違うだろう。言葉に裏の殆どない人、裏しかない人、時や場合、相手によって、目まぐるしく、表裏を変える人、この世には様々な人がいて、だから、生きること、この世界はこんなにもとても楽しい。ひとによっては、嘘を異常に憎む人、嘘を吐かなければ生きていけない人もいることを熟知していて、そのような人の弱さなども慈愛をもって包もうとする人、これまた、色んな人がいる。

 「口から生まれた」と評された中一の時の人間が、20年後には「言葉の魔術師」と嘆息されるかもしれない。生きるということは、変わり続けていくということ。

 「君は何してる? 笑顔が見たいぞ 振りかぶって わがまま空に投げた」
「マイ・マザー・イズ・マイ・マザー」=「わたしの母はわがママです」母に限らず、人間とは我儘なものである。その度合いは人によっても、場合・場面によっても、生きている過程によっても変わりいくものである。だが、「笑顔が見たい」これは真情だろう。
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