第44話

文字数 1,302文字

 矛盾していていい、おらあ、そう、想う。矛盾を嫌ったり、批判する人は多い。おらあにも確かにそんな面はある。でも、今はこうも考える。「寧ろ、矛盾してるからいい」んじゃあねえかって。愛を説く人が実は愛を信じられなかった人だって、だからこそ、それこそ、必死で、愛に溢れる社会を創りたくて活動する。まあ、その社会の構造・仕組・運営してる人々の在り方ってもんが肝要なんだが。

 アメリカ人の半数はまともに書いてることも読めねえし解釈も出来ねえんだと。日本ではその数は3分の1ぐれえらしい。だとすると、世界で読解力がある人は78億の半数として49億、日本人で読解力がある人は5千万として、世界の人口を100人だとしてその中で日本語の読解力がある人は少なくとも1人、もし、ラッキーにもいてくれたとしたらもう1人増えて、2人か。英語やスペイン語が何故、あんなに世界中に話す人が多いか、知ってるかい? 彼等は、キリスト教を広めるため、世界中へ出て行った。表向きはな。その「愛」を語るキリスト教を広めるという大義名分でその国に潜入し、兵力で脅し、時には侵略戦争で植民地を拡大していった。それが実情だ。

 あんたは自分が何人だと感じてる。多分、日本語を話してるなら日本人だと、中国語を話してんなら中国人だ、そう認識してるだろう。言葉っていうもんは、すんげえ大事なもんで、人の意識っていうもんの最大の構成要素だ。彼等は、植民地の人々のその大事な言葉まで奪い、自国語の英語やスペイン語を強制した。その方が、家畜同然という認識しか現地人に抱いていねえ教養ある白人さんには好都合だろうしな。

 人は支配するものか、仲よくやってくものか、棲み分けるものか──。動物は、植物は、細菌は、無生物と云われてるものは……。それぞれの答えがあり、それぞれの正解があり、すべてが間違ってる。それを証明するためにあんたは生き、日日頑張っているんじゃないだろうか。人っていうもんは、自身の人生っていう最大最高の作品で人々を感動・感激させ、その人の生きてく原動力にまでなれたりすることなんじゃあねえだろか。

 失敗続きの人生、失意の人生、素晴らしいじゃあねえかあ! だから、こそ、あんたは人の痛み、辛さ、切なさ、悲しみ、なんてえものが理解出来、ちょっとした親切をされた時にでもすんげえ恵まれてて幸せを感じれるんじゃあねえか。他の人が感じ取れないなんでもねえことの有難さ、尊さに気づき、嬉しさで涙を溢れさせれるんじゃ?

 「生かされてる」「お陰様」なんて、莫迦らしい。「生きてる」「自力」そう考えんのも間違いじゃねえ。どう考えようと自由だ。だったら、こうも考えてみれねえかな、みねえかな。自分は人々を活き活きと「生かしてる」大勢の人たちに「お陰様で」と心底感謝される程の存在になってやろう、って。皆と楽しく生きれてる時が本当の幸せじゃ?

 まあ、どう考えようとどう生きようとあんたの人生、あんたの自由だ。あんたはあんたの感ずる幸せのために生き、死んでいく。ただ、そんだけだ。「どんな時も、どんな時も、迷い探し続ける日日が、答えになる」って言葉があんが、これは真か偽か?
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