第36話

文字数 1,347文字

 ガイウスが自分の憧れというかロール・オーバーする人物である。まあ、日本なら、小林秀雄もいい男に感じられるので、モテただろうと勝手に想像している。ところが、自分はモテるにはモテるが、それは本当に荷物ぐらいなもので、頭にくるくらいモテもしねえ、まったく……。まあ、これほど、金も稼いでねえのに、好き勝手なことが出来る境遇にはとても感謝している。全然、満足はしてねえけど。アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクション、ってホントのところどういう意味ていうか、訳すのが適当なんだろ。多分、こんな状態、とっても感謝してるが不満足極まりない、こんな生きている現場の率直な感慨、感じをいうんだろうな──

 ユリウスがどんな男だったか、興味が湧いたら、本を読むなり、今なら、検索なんて便利なものですぐに色々出てきてくれる。ホント、便利な世の中だ。「便利しぎると不便」と父は言っていた(もっとも、まだ、生きている、はずだ。元気でいてくれてるといいけど。会いにいきたいな。今度、本送って、電話かけるか)。今の子供たちって、辞書って引けるのかな? テクノロジーの発達は紙の辞書なんてものも、ある意味、必要じゃあないもんにした。でも、皆、ネットにはすべてがある、そう想ってるかもしんねえが、一冊の辞書に到底およばねえこと、ところばっかだ。あらゆるものがあるように見えるが、すべてがあるんじゃねえ。ネットでは見つけれないことを、あんたはひょっとしたら、一冊の文庫本、人との会話、散歩や運動、仕事やその他、人との関わり、様々な存在との関係性の中なんかで見つけられるだろう。それが、所謂、生きてること、人生なんだ。

 ばかだなあ。おかしくて、泣けてくる。なに、自分の書いてるこんな文に感激してんだ。まあ、幸せだってことだろ。自文自賛、ていうか、自文自激?

 『ガリア戦記』読んでみたくなったけど、羅甸語で書かれたものの凄い名文らしいけど、石井先生の希臘語と羅甸語、選択したけど、奪格とか格が独逸語とも比べ物なんねえくらいべらぼうにあって、難しくて、夏休に入る前の授業ん時、「具合が悪くなりましたので」って言い訳して、教室から出て、結局、そのまんま、放りだしたっけ。羅甸語で読むのは難しすぎて読めねえし、日本語で読んで、果たして名文だってわかんのかな。訳した人がとっても秀でた人ならそれも可能なんだろうけど。

 別にもてはやされてえんじゃねえ。まあ、少しはそれもあるか。「先生」なんて、絶対、呼ばれたくねえ。「先生と呼ばれて喜ぶバカじゃなし」っていう言葉、どんくらいの人が知ってんのかな。ゴルフ場に行っても嫌われんのは、所謂、「先生」って云われてる人種らしい。まあ、こんなこと言うのも、世話になっていながらあれだけど、おらあのかかりつけの精神科医の先生も、「患者ファーストじゃなくて自分ファーストだもんな」まったく、小せえ頃から、彼ら頭よすぎて、いっつも自分が正しかったから、死ぬまで自分のすること考えが正しいんだろ。まあ、しゃあねえか、こっちが合わせてきゃいいか。

 「カエサルのものはカエサルに」この言葉の意味をご存知だろうか。同じ文を読みながらも人によって捉えるものは違う。「檄文を発する」そういう気概でいつも記している。
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