第33話

文字数 1,389文字

 「叡智はHから」洒落ではない、真理である。ジークムントがその精神分析学という「哲学」(これは、新たに提出された人間観である、と感ずるが故、「心理学」というより、この方が適切であると考える)を樹立した時、いと強き非難・批判をうけた由であるが、人の生きる力の源泉は「性的フォース」である。「愛」なる情(おもい・こころ)も、すべてはセクシュアリティより湧き出る。出光も出性である。

 古にアラン・ドロンなる、本朝でいともてはやされし仏国の俳優ありき。彼の者、イスパニア国のパブロなる本朝にてはレストランなるグループと同名の画家の宅を訪ぬ。その者の邸には若く艶やかなる女性多数侍り。その内のひとりの女性曰く、「ピカソと主を比ぶるに彼に如くはなし」と、アランには見向きもせず。若き俳優、「ドロン」と消えたき想いす、と逸話あり。老いたりと雖も、巨匠なる画家の性の力果てなし。パブロはいと秀でし絵描にして、葡萄酒の瓶の商標に自らの絵を載せ、売り込むなど、営業にも秀でし者なり。

 故に秀でし画家、音楽家、舞踏家などの芸術家、武芸者、アスリート、仕事人、なべて男、女に限らず、スキップ・ビート(桑田の圭祐なる者の歌いし曲参聴のこと)なり。而して、唯一の例外あり。余の如き、「哲学者」なる愚かなる者なり。この愚者は、純粋に感じ、思考し、自説を述べるのみ。つまり、これを読みたる人の感ずるが如く、秀でていぬと感ずるならば、素より、叡智もなし。故に、断じて、下心などある由もなし。ただ、浮ついた心、風情のみありて、あちらへ声かけ、こちらへ「寂しい熱帯魚」(わかるかな? わかんねえだろな) などをするのみにて、手もにぎることなどもなし。故に、純粋に生き、純粋に話し、純粋に愛のみあり、強いて言うなれば純粋に欲望するのみ。純粋なる欲望は「性的フォース」と称するより、「存在の根柢より来たりしパワー」と名づくるが然るべし。

 古代希臘のアリストテレスが完成させた論理学は、「君を抱いていいの、好きになってもいいの」(つまり、勿論「オフコース」の『YES、NO』ね)の二項だけの、現在のコンピュータと同じ、「0と1」の連なりからなるものである。それに比し、古代印度に成立した論理学は、同じ、「今なんて言ったの、他の事考えて、君のことぼんやり、見てた」の同じ、二項対立を源としながらも、「Y」「N」「YN」「×Y×N」つまり、「1」だけが成立している、「0」だけが成立している、「1と0と両方」が成立している、両方とも「成立していない」の四項対立を敷衍させたものである。うーむ、印度人、恐るべし。

 量子コンピュータなるものが如何なるものか筆者には未だ把握できてはいないのだが、人間に於ける論理など、二項だけから敷衍されるような単純なものではないであろう、というのが純粋な愚者なる純愛しかない男の感慨である。

 チャゲアスは「僕はこの瞳で嘘をつく」つけるのかもしれないが、嘘をつけない正直この上ない(ひょっとしたら、下もない?)筆者には、嘘をつけるなら、「言葉」でのみである。水戸黄門の悪代官の台詞の如く、「体は嘘をつけぬ」ものかもしれぬが、あなたは如何だろう? 自分に限っては、浮気などは絶対ない、と言い切れる。なぜなら、その時、眼の前にいる人を心から愛する、から。えっ、浮気より悪い、って。ひょっとして、君……。
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