第15話

文字数 1,083文字

 ある識者が、吾々は「経済」と「人間関係」を学ぶために生きている、のだとおっしゃっていた。「経世済民」=世を治め、民の苦しみを救うこと。「慈悲」=「慈」愉しみを与えること「悲」苦しみを除くこと。つまり、済民とは「悲」であるようだ。

 人間関係とは煎じ詰めれば、「愛」の問題であろう。「経済」も「人間関係」も結局、「愛」に関する課題である、と言えそうだ。

 「お前はもう既に死んでいる」という台詞で有名な『北斗の拳』も、格闘のストーリーに見えて、根本は「愛」の物語であるように感じられる。「愛はIより出でてIより愛し」

 「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。高野悦子の言葉である。「私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。(中略)テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする」彼女は、テレビや新聞などのメディアが洗脳装置であることに気づいていた。

 「私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい」彼女はこう記しているが、筆者は彼女こそ、そのような人間で既にあったであろう、そう感じている。

 真言(マントラ)とは、人格と言葉の一致によって効力を発する、そのような預観があった。言葉が成ると書いて「誠」、「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」という言述もある。つまり、言葉を発するものが如何なる(人格の)存在であるかによって、人の心が動くか如何かが決せられる。

 人格とは「生き様」「言動」「人への接し方」によって察せられる。「至誠」とは「赤心」つまり、「純なる愛の情(こころ)」のことである。

 「宣誓とは破るためにある」そう嘯く赤心の志もいれば、「宣誓したからには守るのが当然だ」と真顔で言う不実な輩もいる。つまり、表面と内面は正反対の場合も多い。

 「裏切られた」と想い感じているあなたは「自分の期待する心」、つまり、自分自身に裏切られたのだ。何らかの、欲心に突き動かされた結果が裏切りの正体だ。

 別に「欲」が悪い訳ではない。吾らは「欲があるからこそ生き、大欲を抱けば抱くほど世界人民は幸福に出来る」可能性が高まる、のではないだろうか。

 生きることはバランスだ。悪いとされていることと善いと賞賛されることを絶妙な配分・配合で日々、実現していることを「人生の錬金術」と呼ぼう。錬金術とは化学反応のことであり、異質・異種のものを混合することにより、新たな価値を創造することを指す。
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