第27話

文字数 1,174文字

 父は献体を望み、吾ら三兄妹もかなり前に、その意志を尊重し、書類にサイン済みである。息子である自分は自身としては切り刻まれるのはぞっとして嫌で、死後肉体は動物にでも食べて欲しいと心から感じている。火葬はとても熱そうで苦しそうでして欲しくない。

 臓器を他者に使ってほしいと感じている人も相当数いるようであるが、今もこれからも自分は動物の肉を食べ続けていくであろうから、そのお返しでもないが、食物連鎖の循環の中での一個の存在として、食べてもらうのがとても自然と感じている。。

 死んだらいつまでも家族や他者に覚えていて欲しいとか、想い出して欲しいという想いもなく、忘れ去っていただいて、まったくいい。だが、残るとしたら、この世界になにか存在した証として、役立てて欲しいものがあるとしたら、それは「言の葉」である。

 その人が生きる勇気や思わず大笑いして心を軽くさせたり、感動して大泣きしてしまうような、そんな言葉が残ってくれたら、とっても嬉しい。名も知らず、誰が言った言葉かかも世界中の人が一人も知らなくてもいい。童謡や笑い話のように多くの人に膾炙した言葉、それさえが人々の生活を豊かにし続けていってくたら、これ以上なく幸せだ。

 言葉、それが、自分の愛だ。憎しみ、妬み、恐れ、罵倒、様々な想いがその中に含まれているだろうが、それらすべての情(こころ、おもい)を含めての愛の現(表)れである。

 つい昨日、久しぶりに町の馴染みの食堂を訪れ、カツ丼を堪能しながら、4年以上、見ることをやめていたテレビを見た。ある夫婦の実話を再現していた。

 少し前までの自分なら、そんな物語に触れても、感動もせず、感激もするもんかと心のどこかで抵抗するものがあっただろう。自分には関係のない、縁のないものとして、自分の心を防御していたに違いない。

 しかし、今の自分は、そんなお話にもとても感激して、心が動き、生きる素晴らしさに感謝の念が湧き出してくる。なぜ、そのような自分に変わったのか、変われたのか、それはわからない。「人間とは変わり得るという本質を有した存在」である。

 本質とは、その者の持つ、不変の性質、である、と定義されている。その変わらぬものであるはずの性質の本性が人間存在に於いては変わり得る、ものであるところに、人というものの矛盾や複雑さ、様々な悲喜劇の源がある。

 「生きることは素晴らしい」そういう感慨を抱けるようになるには、様々な怒り、悲しみ、惨めさ、無力さ、不幸などに呻吟し、苦しみ抜いて来て、ぼろぼろに傷つき、生き続けて来れたから、そういうことに気づいている人、気づけている人も多いだろう。大きな快に堪能していられるのは想像も絶する苦を体験し続けてそれに耐え、克服できたから。幸福とは不幸をその中に含んでのことであり、あなたの今のその苦しみに意味を与えよう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み