第40話

文字数 1,218文字

 「美しい花というものはある。花の美しさというものはない」確か、ひでりんがそんなことを言わはっておりおした。

 この解釈についでだども、「……花」は実在するが、「……美しさ」は実在はせず、ただの概念・観念・印象だ、どあん人は言いだがっだんだべ。んだどもよ、「美しい」つうのは印象というが感覚だべ。つまりはよ「美しい花」=「価値観(印象)+ものの名前」(そう言や、ウンベルト・エーコが書いだ『薔薇の名前』つうのがあってよ、それが映画さなってるんだどもよ、まんつ。おもしぇがら見でみでけで)だよな。そんな「実在はしないもん+実在するもん」が、ふんとぬ、実在するって言えるんだべが。

 「真善美」は印象どが感覚ど云われるもんだべ。「花の美しさ」つうのは「実在するもの名前+感性」ども言えるど考えるんだども、前者どは逆の順序ぬなってるだげだがら、「実在する」てへても、いいんでねが? 

 こどばぬあるもんはよ、実在するもんでも想像すたもんでもよ、じぇんぶ、「存在する」「存在している」って言って、いいんでねが。んでもよ、こまたこどあんだ。そりはよ、「無」つうもんだ。「無」は存在すんのが否が。まあ、こいばよ、考えでみでけで。

 じゃっどん、カツ丼、天丼……。まあ、おいは、ただ、洒落が言いたかっただけでごわす。『マグマ大使』に出ていたのは「ゴア」でごわす──。

 「空と君とのあいだには」って知っちゅう? こん「あいだには」は「常日頃は」ちゅう意味じゃけん。「キム・ヨンチョル、あいちょる? そん席」「あいたはあいを食べゆう」

 まあ、こどば遊びはこんくれえぬすて、小林秀雄のこどばがら、こごまで、けえできたども、はずめぬ、ひでりんのこどばこば想い出すて、明確ぬ内容が掴めでいねがったんだども、そりはよ、けえでるうぢぬ、すぜんとでぎあがってくるんだ。彫刻家が木のながさ像ば見出すようぬよ。こりば、おらあよ、「ロゴスが語ってる。現れてくる」そう言いてえ。おらあが書いでるがもすんねけどもよ、じづは「理・言葉=ロゴス」が自ら、語ってきてるんでねえべが。世界精神とでもいたもんがよ、書いでるんでねえべが。なんてよ──。

「突然の風に吹かれて 夢中で何かを探したね 倒れそうになったら 僕を近くに感じて」嘗て、恩師・中村文郎先生曰く、「自分は此処にいる、というのは力強い(相手を勇気づける)言葉(メッセージ)だ」と。「ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて ここにあなたがいないと思う事が淋しい」『源氏物語』に光の愛人の内の一人が、生霊に憑りつかれ死ぬ(これでいいんだっけ? まあ、興味のある人は読んでみてよ)というエピソードがある。生霊=自分を(が)孤悲しく感じてくれてる人の想い、ではあるまいか。

 あなたにとって、格別な人がその自身の想いのエネルギー体となって、あなたのことを見守ってくれているかもしれない。だから、その人のことが大事なら、言動にご注意を。
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