第1話 

文字数 1,131文字

 誰もが最低一作だけは、物語を書けるという。それは自伝だと云われている。

 ある男は言った。「誰も有名人でもないあなたの話などは読みたいとは想わない」と。
然り。あなたは有名人かもしれない。だが、それでも、自分はあなたのこれまでの軌跡などにはまったく興味はない。しかし、有名ではない自分の自叙伝をこの世の中に流布し、人々を感激させる。そう決し、画面に向かい、キーを打っている。

 人は基本、何時死ぬるかはわからぬ。生死が運命だとしたら、その命運は如何なるものによって決せられるのだろう。自己の選択か、それとも高次の存在と云われている者が記ししシナリオに由るのか。

 中華の古の偉き人は言った。
「人に高評価されていなくても、(なにも)不服に感じたりはしない。そのような大いなる存在でありたいものだ」と。
 だが、自己を含めて、殆どの人間は他者に出来得れば愛されたいし、それに伴い物質的なる豊かさをも欲している。印度の古代の大聖者はそれに応え、「捨欲」を説いたが、完全にそれを遂行したら、生きていられる者はひとりとしておらぬ。

 「小欲に生きる」など、詰まらぬ。「大いなる欲」を完遂しながら、生きてあればこそ、その魂は光を放ち、闇を照らし、人々をエンライトメントへと眼を開かせることが出来よう。

 疲れたら寝る。これこそが、人生の神髄だ。無理して起きて何事かに取り組むも、喜ばしき達成に至ることは困難である。空腹になったら、食する。そんなことも、此処日の本でも充たすことが出来ぬ人々が相当数いるようである。
 空腹と愛を向けられたいという渇望は相当切実なる感覚である。その苦しさをわかるものは此の日の本に殆どおらぬと云われていたのは一昔も前であり、現今は子ども食堂なるものも次々と篤志家などが創設し、社会への働きかけ・貢献の範を示し、搾取を宗とする構造から横並びの助け合い・相互扶助の麗しき世界へと脱却せんとしつつある。

 自分には妹が二人ほどいるが、下の妹と同い年の同志友人が宣するに、自分は「伝道者」なのだという。自身が果たして「道」なるものに知悉しそれを人に示せるか、は甚だ、心許無いのだが、オラクルによると「シンプルに自己を楽しませている」ことこそが、最大の世界人類への貢献なのだ、と。
 「効率」「能率」のみのみを求むるに非ずして、自身の内より発する「愛」を源として、人を変容させる力強き言の葉、自若たる山の如く、水の如き自在性、囚われなき心にて人と接し、可能なるより多くの存在と至福に憩い、極楽を飛翔する蜻蛉の如くその自らに由る魂の迸るに任せ、自己他者を癒し、寛容たる精神を抱き、愛と信頼が流通する邦・コミュニティを実現する。以上が、余が同志・仲間と共に到達する境涯である。
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