第45話

文字数 1,063文字

 原因論にも目的論にも基づかない、そんなものを創りたい。そう考えた。例えば、フロイトは過去の出来事などをトラウマとして今の状態を説明する原因論的心理学、アドラーはトラウマなんていうのは今のままが楽だから過去のせいにしてるだけと説明する目的論的心理学らしい。これに対して、第二の巨頭とでも目されるユングは……。よーはわからんが、集合意識とか面白い世界観を持った人、そんなイメージだ。

 面楽世界観=原因論にも目的論にも基づかず、自身の都合の良いように節操なく様々なものの見方をすること。ご都合主義、折衷主義、道具主義などと言えるかもしれない。

 兎に角、自分がまず幸せだと感ずるものの観方をすること、これよりすべてを始めよう。人は人を幸せにするために生きているのであり、その幸せとする一人目はまず自身である。自己犠牲であろうが何であろうが、「犠牲」は悲惨・悲壮である。生きるのに真剣さは清々しいが深刻さは重苦しい。生きるのに寛容さも肝要である。

 整合性、合理性、無矛盾性などはすべて無視しよう、もし、あなたの幸せの少しでも妨げになるのなら。非整合で、不合理で、矛盾しているからこそ、人は幸せになれる(幸せでいれる)のかもしれない。

 囚われを捨てよ。大事なものを抱きしめつつ。

 時には、最も大切なものを手放したればこそ、すべてを得れるのかもしれぬ。

 相違工夫=相違いがあればこそ、仲よくやっていくには工夫が要される、のでは?

 「死合」とは「殺し合い」である。このような特殊な世界に生きているにも関わらず、その自覚無き者は即刻、立ち去るがいい。

 「努力が実る」程、嬉しきことはないだろう。それが永年の切に願い欲し続けたものであればある程に。その止め処なき溢れて涸れることなき熱きものは、その者が如何に心を込め、如何なる心持にて、そのことに取り組んだかを物語っているであろう。

 「八方塞」の状況なら、眼を転ずるがよい。上方や下方はまだ充分残されているだろう。

 「純(粋)なる魂」とは、「不純なるものごとに接しなかった者」には非ずして、「汚濁に触れつつも自らの純(粋)性」を保ち続け、なお一層、純化した存在のことをいう。

 「オセロゲーム」で一箇所に何気なく白石を置いた時、盤上のすべての石が真っ白になった、あのことをもし奇跡というのなら、あれは紛れもなく、人為の奇跡である。勿論、仕込みでもない限り、すべての奇跡は無為自然的なものごとをも含んでいる。意図せずして成し遂げ、出来した不可思議な出来事・現象、こそ、「奇跡」と呼ばるるに相応しい。
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