第17話

文字数 1,172文字

「現在している人たちに原罪はある」だろうか。おらあ、宣言する。「そんなもんはねえ!」

 聖書は神の書かれたもの、だと言う。「神から遣わされた者」たちが書いたものだと。所謂、今風に言えば「チャネラー」とか「メッセンジャー」とか云われてるもんだろう。

 だが、それらのミディアムには各各ティストというものがあり、その個性に応じて、表現に於いて「純度」とか「高度」がばらばらだ。あと、後世の何者かによって、恣意的に添削された部分もあるだろう。そして、それには正確・正当な解釈なんていうもんがあるという。解釈なんて自由でいいんじゃ? でも、自由に解釈されちゃあ、困る者、都合の悪いもんたちがある、ということを容易に想像できんものなんかねえ……。

 「正統な解釈」から外れたら、地獄に落ちる? 復活できねえ? そんな脅しが怖くて従順に生きて、あんた幸せかい? あんたが死んだ後のことを心配して、無理を重ねて忍従の日々を生きて、誰が得をしてる? それを、よーくよく考えてみねえ!

 おらあ、生まれながらにして罪人なんかじゃねえ。生きてきて、悪いことなら、して来たし・しているし・これからもしてくだろう。でも、それでいいじゃねえか!

 それ以上の福徳を人々・世界に齎したら。あんた、来世の為に今を苦しんで生きて行くのかい? おらあ、そんなん真っ平ご免だ。現在してんのはより多くの人々・存在と至福の世界に憩い、楽しむため。苦しみ・悲しみに呻吟しながらも、交歓していたい。

 なんで、皆、前人に教えられたことを疑いもせず、受け入れ、その狭い監獄の中で身を縮こませ生きてんだ? 書かれている通りにこの世界は進んで来て、これからもその通りに進んでいく。そんな世界が安心なんだろなあ。

 可能世界論を提唱したのは、ゴットリープ・ライプニッツだった。現在、マルチバース論とかパラレルワールドとか云われてるもんの原型だ。ヨシュアは三日後に復活しただとか、本当は死んだのは双子の弟イスキリで、日本で死んだとか、色んな伝承がある。だが、マルチバースが実相なら、すべての矛盾することは、それぞれの宇宙での事実だったということで矛盾は解消される。矛盾しているのは当然と理会できる。

 黙示録から外れた世界・黙示録に書かれていない至福でいっぱいのおらあたちの世界はそれぞれがリーダーで一人ひとりが提供者だ。誰も支配しなくても・されなくても、貪ることも虐げられることもない、平常の世。

 幸せになるんなら、今。生きているのは此処。個個であり全であり、恐怖による支配・愛により支配したり・されたりすることもない。「愛」の名のもと、他者を支配せんとする者はこれからも出現してくるだろう。支配するための「愛」を欲している者は、未だ、幸福を経験したことのなき者だろう。おらあ、経験してねえが、想像の力で記した。
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