第38話

文字数 1,256文字

 「美」とはただの好みである。自分は「醜い」とか、モテないとか悩んでるだろうけど。大勢にもてはやされていたとしても、たった一人の人に好意を抱いて貰えない、と悩んで死んでしまう人もいる。大勢に例え、反感を持たれてても、誰か大事な人に大切にされるだけでとても嬉しくて至福に包まれている人もいる。

 「善」も好み。ただ、自分の価値観と似ている、近い、ただ、それだけのこと。正反対の意見や合わない視点、それを人は「悪」と感じてしまう。ただ、それだけのこと。

 「真」はどうだろう? ご自身で考えてみていただきたい。「真」なるものは、あなたが実は知っている。多分、そうだ──。

 この世界は、それを通して、自己を見ている・の現れである・によって(想像することによって)創造されたものである、と、自分はつい最近、直観した。これを「唯自論」とか「主自観」と名づけようと考えているが、その根柢には集合意識とかブラフマン(梵)と云われるものが存在し、すべての存在はそこに於いて繋がっていてひとつである、そうも直観している。よく、「直感」という言葉が最近とみに使用されているが、「観」と「感」は微妙にというか、かなり違う。その違いをあなたなりに検討してみていただきたい。

 道元は記している。「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり」。ネットでの識者の説明によれば、「自己をわするる」とは決して自己を喪失することではない、という。欲望や自己中心的思考に振り回されている自分に目覚め、そのような自分から解放されることをいう、のだそうである。この世界は「唯自」的でありながら、「他己」との協働によって出現・発動・活動している時空である。宇=時間・宙=空間であるらしい。

 「人は皆、鏡だから」という歌のフレーズがあるが、他者を見ているようで、真に見ているものはその鏡に映っている自身の姿である。故に、吾々が鑑と目されるような鏡となり、それを人々に見せることを連ねて行けば、素晴らしい世界・宇宙が実現していく。論理的に進めて行けば、それは自明であろう。しかし、いつも模範的に生きることを意識していると窮屈で、窒息してしまうだろう。だから、自然に、ビリー・ジョエル的に(つまり、「素顔のままで」)振舞うがよい。それによって、合わない人は離れていくでろうし、馬の合う人はあなたに引き寄せられて集まってくるだろう。

 「ボーイ・ミーツ・ガール、出会いこそ、人生の宝探しだね」宝は「他から」であるという。祈りは「意乘り」、幸せは「仕合せ」。「人生楽あれば楽だけ」という名言もあるが、
「人生は苦楽を含んだ楽しいもの」であると感ずるか、「苦しいもの」と感じているかは、あなたの在り方、そのことに偏にかかっている。

 同じ様な経験をして、どのような人間になるか、人格と自己を育ててあげていけるかは、あなたの特性に依るところが大きい。あなたが感謝でいっぱいの仕合せであらんことを。
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