第八部「記憶の虚構」第3話(第八部最終話)

文字数 8,492文字

 そのビスクドールが作られたのは第一次世界大戦中のオランダ。
 戦後、ポーランドの資産家の元へ渡る。
 第二次世界大戦中に、ユダヤ人だったその資産一家はナチスからの迫害を恐れてイギリスへと亡命する。
 大戦中にその一家はアメリカへ移住。
 ビスクドールはアメリカ国内を転々とする事になるが、やがてとある軍人の娘の元へ。
 戦後に日本国内に作られた米軍駐屯地に配属になったその軍人は、家族を連れて日本へ。
 軍人の娘と共に日本国内に持ち込まれたそのビスクドールは、娘の病死と同時に軍人家族の元を離れ、古美術商〝國安堂(くにやすどう)〟の主人、國澤瑛一(くにやすえいいち)の元へ。
 やがてその人形は、瑞浪(みずなみ)財閥の当主の妻、サトの元へ辿り着く。
 それまで人形に興味のなかったサトだが、まるで取り憑かれたように人形を溺愛した。
 それからは様々な人形を買い集めるようになる。
 それは家の家宝のように扱われていた。
 なぜそれほどそのビスクドールに魅入られたのか、サト本人も分からないまま。
 しかし人形が好きだから多くの人形を集めたのではない。
 他の人形は、一つのビスクドールを〝守るため〟に集められた物だった。





 萌江(もえ)咲恵(さきえ)には、同時に人形の歴史が見えていた。
「………………その子の…………」
 萌江(もえ)の両肩に手を置き、背後から萌江(もえ)に寄りかかる咲恵(さきえ)がそう呟く。

 ──……病死した女の子の…………

 すると、その咲恵(さきえ)の様子に違和感を感じたのか、萌江(もえ)がすぐに返した。
咲恵(さきえ)────しっかりして。その子はもうこの世にはいない。咲恵(さきえ)も分かってるはずだよ。物に宿るのは幽霊なんかじゃない…………〝念〟だけ」
「……ごめん…………」
 咲恵(さきえ)は返しながらも、視線を落とし、萌江(もえ)の背中を見続ける。
 そして続く萌江(もえ)の声。
「この子の念が大量の人形を集めさせた…………でもそんな力があるとは思えない……その念を利用してる〝バケモノ〟がいる…………」
 重々しい感覚が萌江(もえ)の中に入り込む。

 ──…………黒い…………何者…………?

 その形すらも分からない。
 ただ〝何か〟の存在を感じた。

 ──…………異形(いぎょう)の………………

 すぐ(そば)裕子(ゆうこ)は何が起きているのか分からずに動けないまま。
 そして、突然萌江(もえ)が動いた。
 身を乗り出して木箱の中の人形を覗き込むと、その体の下に手を差し入れる。
「……? …………萌江(もえ)?」
 背後から咲恵(さきえ)の声が聞こえる中、萌江(もえ)は何かを取り出す。
 それは、小さく折り畳まれた紙だった。
 いつからそこにあったものか、色()せて硬くなった紙。
 萌江(もえ)は人形の上でゆっくりとそれを開いた。

 〝 october ht32 1989 / her to M 〟

 横から覗き込んだ咲恵(さきえ)が言葉を絞り出していた。
「…………やっぱり…………」
「……呼ばれたね…………どこでも手に負えないわけだ…………」
 応える萌江(もえ)の意識に、ゆっくりと〝何か〟が染み込んでいく。

 ──……面倒なことを…………

 萌江(もえ)は顔を上げずに続けた。
「……裕子(ゆうこ)さん…………祐也(ゆうや)さんを…………本邸で…………咲恵(さきえ)を入れて三人だけで話したい」
 すると我に返った裕子(ゆうこ)が返す。
「は、はい…………すぐに…………」

 本邸の広い部屋が用意された。
 そこには萌江(もえ)咲恵(さきえ)と、向かいに背中を丸めて胡座(あぐら)を描く浴衣姿の四代目当主の祐也(ゆうや)
 直前まで布団にくるまっていたのは浴衣の乱れと折り目の雰囲気で分かった。何日入浴をしていないのか、髪は乱れ、無精髭の長さもバラバラ。
 全体的に薄くなった白髪(はくはつ)見窄(みすぼ)らしく、六〇を過ぎた財閥の当主とは思えない程にげっそりと痩せこけていた。使用人に肩を借りながらフラフラとした足取りで部屋に入ってくるなり、息苦しいのか常に肩で息をしていた。その度に荒い息伝いが部屋に響いた。
 その姿をマジマジと眺めていた萌江(もえ)が正座をしたまま最初に口を開いた。
「お初にお目にかかります。私たちは裕子(ゆうこ)さんに頼まれて、この家の…………というよりあの人形の問題を解決しに来た者です」
 それが聞こえているのか聞こえていないのか、祐也(ゆうや)は顔を上げようともしない。
 萌江(もえ)は人形の下で見付けた紙を、開いたまま祐也(ゆうや)の目の前に差し出した。
 祐也(ゆうや)はその紙に視線を向けると、(まぶた)を大きく開いて見つめ続け、その体が僅かに震え始める。
 萌江(もえ)が続けた。
「……これを…………あの人形の下に隠したのは、あなたですね」
 祐也(ゆうや)は何も応えない。
 ただ、その唇も大きく震えていた。
 まるで何かを分かっているかのように、萌江(もえ)の言葉は続く。
「あなたは、ある人物にこの紙を人形の下に隠すように頼まれた…………私は恵元萌江(えもともえ)…………しかし…………本名は、金櫻(かなざくら)……萌江(もえ)と言います」
 するとその言葉に反応したのか、ゆっくりと、祐也(ゆうや)が顔を上げる。
 その見開かれた目は、萌江(もえ)に向けられた。
 弱々しく、小さく震える目。
 そして、震える唇から言葉が(こぼ)れ落ちる。
「……………………京子(きょうこ)…………」
 その目は潤んでいた。
 萌江(もえ)は、その祐也(ゆうや)の目に確信を持つ。
「……あなたと不倫関係にあった…………金櫻京子(かなざくらきょうこ)の、娘です」
 すると、祐也(ゆうや)は荒い息を大きく吐いてから言葉を紡ぎ始めた。
「…………あいつは…………京子(きょうこ)は…………人間じゃなかった…………〝バケモノ〟だ…………俺を離してくれなかったんだ…………」





 昭和六二年。
 祐也(ゆうや)は通っていたスナックの新人である京子(きょうこ)に惚れ込んでいた。
 元々のお気に入りの女の子にまで嫉妬されるほど。
 家庭はあったが未だ子供はいなかった。不妊治療の結果、祐也(ゆうや)が無精子症であることが分かってから、夫婦の間もギクシャクとしたまま祐也(ゆうや)は夜の街で飲み歩くようになる。
 京子(きょうこ)と体の関係になるのはそれほど時間は掛からなかった。そしてそんな関係が三ヶ月ほどした頃、京子(きょうこ)の言動に祐也(ゆうや)は疑問を持ち始める。
「どうして…………そんなことを知ってるんだ?」
 何気ない会話の中で、なぜか京子(きょうこ)は、知るはずのない財閥の裏事情を話し始めた。
「だって…………見えるんですもの」
 ベッドの上で安アパートの蛍光灯を眺めながら、あっけらかんと京子(きょうこ)は言ってのけた。
 それまでもやけに感が強い女だと感じる時はあった。まるで先に起きることを分かっているかのような行動も多く、それまではそれをミステリアスな魅力として祐也(ゆうや)も捉えていたが、その夜ばかりは恐怖を感じた。
 意味が分からずに何も言い返せない祐也(ゆうや)に対して、京子(きょうこ)は続ける。
「あなたの家庭も総て見えてる…………最初からね…………お母様が次々と人形を購入するからって困ってるんでしょ? 離れの別邸が一つ人形で埋まるくらい…………その管理だけの使用人もいるくらい」
「────調べたのか⁉︎」
「別に…………いちいち他人の家庭を調べるほど暇じゃないから…………でも、全部見えてるの」
「…………ばかな」
「〝人形屋敷〟って呼ばれてるんでしょ? ……私も見てみたいな…………」
「やめてくれ!」
 祐也(ゆうや)はベッドから飛び降りると服を着始めた。しかし指が震えてYシャツのボタンすらかけられずにいると、そこに背後から伸びる京子(きょうこ)の手。
「やめろ!」
 祐也(ゆうや)は反射的にその手を振り解くと、言葉を荒げて続けた。
「……何が目的だ! 恐喝か…………金ならいくらでも────」
「いらない」
 京子(きょうこ)は裸のまま祐也(ゆうや)に近付いた。
 そしてゆっくりと祐也(ゆうや)のYシャツのボタンをかけながら続ける。
「……お母様が…………一番大事にしてる人形…………あるでしょ? 大きな(きり)の箱の、その人形の下に…………これを入れて…………」
 京子(きょうこ)はいつの間に取り出したのか、小さく折られた紙をYシャツのポケットに入れて続けた。
「青いドレスに金髪の…………アンティークドールって言うの? フランス人形? お母様に聞いたら分かるから…………」
 祐也(ゆうや)がその紙を開くが、数字と英語だけが走り書きされただけの内容に意味が分からない。
 笑みを浮かべた京子(きょうこ)の言葉が続く。
「あなたには意味が分かるはずもない…………もしも約束を守ってくれないと…………私とあなたの関係を世間にバラすだけ…………瑞浪(みずなみ)財閥が、四代目で終わるだけ…………」





「……従うしか…………なかったんだ…………」
 祐也(ゆうや)は涙をこぼしながら、震える声で絞り出すように続けた。
「人形を総て処分出来れば…………それで過去も消せると思ってたのに…………どうしてあの人形だけ…………夢に…………京子(きょうこ)が出てくるんだ…………毎晩のように俺の首を絞めて…………」
 その言葉を聞きながら、萌江(もえ)の隣、咲恵(さきえ)の呟きが聞こえる。
「……まだ…………呪いが続いてると…………」
 萌江(もえ)が返す。
「うん…………思い込ませるのが〝呪い〟。それが催眠状態を作り出す…………でも……なんのために…………」
「事実として……確かにあの人形だけが残った…………」
「…………何を見せたいの…………」
「直接聞くしかないか…………」
 そう言った咲恵(さきえ)が腰を浮かして続ける。
「もう祐也(ゆうや)さんは充分ね…………誰か呼んでくる」
 そう言って咲恵(さきえ)は立ち上がると、部屋を出た。
 萌江(もえ)祐也(ゆうや)のすぐ目の前に移動すると、祐也(ゆうや)の目の前に水晶をぶら下げて口を開いた。
「これを見て…………もう呪いは終わり…………総て私が引き受ける」
 言いながら、なぜか萌江(もえ)の目には涙が浮かんでいた。

 ──…………何を……何のために………………

 駆けつけた使用人によって祐也(ゆうや)は自室へ。
 咲恵(さきえ)と二人だけになったところで最初に口を開いたのは萌江(もえ)だった。
「あのメモの意味、分かるでしょ?」
「……萌江(もえ)の……誕生日ね…………しかも〝her to M〟じゃなくて〝Mother〟」
「〝to〟だけ逆さまにして欲しいから〝23th〟が〝ht32〟」
「シャレたお母さんね」
「〝母より〟ってことか……さすが我が母だ…………って言いたいところだけど……」
 萌江(もえ)は声のトーンを落として続ける。
「……他人の人生まで翻弄(ほんろう)するのは、何か違うよ」
「そういうところ…………萌江(もえ)らしくて好き」
 そして二人は裕子(ゆうこ)満田(みつた)が待つ別室へ移動した。
 落ち着かない様子の裕子(ゆうこ)の肩に手を置いて笑顔を浮かべたのは咲恵(さきえ)だった。
「……大丈夫ですよ。今日で終わります」

 ──……この人は純粋に家族のことを心配してる…………
 ──…………体調まで崩して…………

 咲恵(さきえ)萌江(もえ)の隣に腰を降ろすと、その耳元で(ささや)いた。
「もう…………救ってあげて…………」
 その言葉を受けて、萌江(もえ)が口を開いた、
顛末(てんまつ)の説明をさせていただきます。お寺でも神社でも引き取りを断られる〝呪われた人形〟の存在と祐也(ゆうや)さんの悪夢の話のせいで、単純にみんな〝思い込んだ〟んです。思い込むところから〝呪い〟は始まります。(うし)(こく)参りと同じですよ。昔の人たちは今より神社という場所は近い場所だった。つまり、そんな所に人の名前が書かれた(わら)人形が五寸釘で木に打ち付けられていればすぐに見付かるんです。でも大事なのはそこ。名前の書かれた人が誰かに呪われていると村中に広げること、それが(うし)(こく)参りの目的…………呪われている、と相手や周囲に思い込ませる…………思い込ませることが〝呪い〟そのもの……〝呪い〟は人が作るものなんです」
 それを聞いた裕子(ゆうこ)は、まるで力が抜けたように肩を落としていた。
 萌江(もえ)が続ける。
「最初にどこでも引き取り手が無い人形が〝呪われている〟として認知され、次に祐也(ゆうや)さんの夢に人形が出てくるという話が広がる。さぞ使用人の皆さんには恐怖だったことでしょう。だからちょっとした家の壁や床の(きし)みですら人形のせいだと思い込む。それを人の声だと思い込むほどにね……事実さっき伺わせてもらった時にも結構な家鳴(やな)りが聞こえました。それなのにさっきは誰も気にしなかった。先入観があるかどうか……それだけなんです。どんなに立派な木造建築でも家鳴(やな)りはあります。むしろ家鳴(やな)りがあるということは木造建築がその使命を全うしている証拠でもあるんです」
 裕子(ゆうこ)の肩が小さく震え始めた。
「人形は私たちが引き取ります。今夜から祐也(ゆうや)さんが悪夢にうなされることはありませんよ」
 その萌江(もえ)の言葉に、裕子(ゆうこ)は泣き崩れた。
 その背中に手を添えた咲恵(さきえ)が声をかける。
「よくここまで耐えましたね…………」
 萌江(もえ)はスマートフォンを取り出すと、素早く電話をかけた。
「あ……この間はどうも。ちょっと依頼したいことがあるんですけどね」
 相手は西沙(せいさ)の母────(さき)
 萌江(もえ)が軽く説明すると、返答はシンプルだった。
『今夜中に持ってきてください。急いだほうがいい…………こちらも急いで準備します』
 (さき)も何かを感じているような反応。
 萌江(もえ)は冷静なまま。
「助かります。では今夜」
 萌江(もえ)は電話を切ると満田(みつた)に顔を向けた。
「みっちゃん、西沙(せいさ)のいる街までって、これから駅に送ってもらって新幹線に乗るのと、高速使ってみっちゃんにかっ飛ばしてもらうのと、どっちが早いかな」
 しかも口元には笑みが浮かぶ。
 満田(みつた)も何かを理解したように返した。
「チケットを買う時間とちょうどいい時間の新幹線があるか分からない点を考えて…………しかもここからならインターが近い」
「頼める?」
「私のアウディを甘く見てもらっては困るよ」
 そう言って満田(みつた)が口元に笑みを浮かべる。





 満田(みつた)がインターの料金所を抜けた辺りで、咲恵(さきえ)由紀(ゆき)に電話をして店に遅刻する旨を伝えた。
「良かったの?」
 萌江(もえ)のその言葉に、咲恵(さきえ)はすぐに返す。
「……最後まで関わらせて。このままは帰れない…………」
「…………うん」

 ──……私も咲恵(さきえ)の人生を翻弄(ほんろう)してる…………
 ──…………私だって…………母親の〝呪い〟に囚われているのかもしれない…………

 移動の間に萌江(もえ)(さき)に再度電話で詳細を伝えた。
 御陵院(ごりょういん)神社に到着したのは午後七時頃。
 この時期のこの時間はすでに深く暗い。
 (さき)はすでに神社の本殿で準備を整えていた。綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)も後ろに控える。燭台(しょくだい)松明(たいまつ)の灯りが暗い本殿の祭壇前を照らしていた。
 (さき)は目の前に置かれた木箱の蓋を開けなかった。
 それでも、そのまま眉間(みけん)にシワを寄せただけで口を開く。
「電話でも多少は感じていましたが…………大変な物を持ってきましたね…………」
 それに萌江(もえ)は笑顔で応えていた。
「でも、あの家族はもう大丈夫です。あとはこの人形の〝念〟を解放してあげるだけですよ。そういうことは、こちらが専門でしょうから」
「それはそうですが…………京子(きょうこ)さんは…………どうしてこんな…………」
 すると、さすがに萌江(もえ)も笑顔を消して返した。
「なんでしょうね…………それだけが私にも咲恵(さきえ)にも分からなくて…………ただ…………」
 そこに、けたたましい足音。
 息を切らして本殿に入ってきたのは、いつものゴスロリファッションの西沙(せいさ)だった。
 連絡をしていたのは萌江(もえ)。その萌江(もえ)が軽く右手を上げて声を上げる。
「お疲れ」
「お疲れじゃないでしょ。一体どうしたっていうのよ」
 するとそこに、祭壇の横から綾芽(あやめ)の声が響いた。
西沙(せいさ)! ここは本殿です! 走って入るとは何事ですか!」
 しかし西沙(せいさ)も声を張り上げて返す。
「何よ! その本殿から私を追い出したのは誰⁉︎」
「────西沙(せいさ)
 静かな低い声で場の空気を制するように(さき)が続ける。
「…………今は一刻を争います。恵元(えもと)様があなたを呼び出した理由を伺うことのほうが先のはず。綾芽(あやめ)も控えなさい」
 すると、すかさずそこに萌江(もえ)が挟まる。
西沙(せいさ)じゃなきゃダメなんだよね」
「私じゃなきゃダメって…………」
 そしてそう返した西沙(せいさ)は、そのまま体の力を失う。
 まるで分かっていたかのようにその体を支えたのは咲恵(さきえ)だった。
「早いなあ、敏感な体ですこと…………萌江(もえ)────」
 咲恵(さきえ)がそう言いながら西沙(せいさ)の体を床に寝かせると、そこに萌江(もえ)が近付く。
「こうなるだろうと思ったよ…………」
 萌江(もえ)はそういうと首の後ろに手を回してネックレスを外す。そのまま左手の指に巻きつけると、水晶を西沙(せいさ)の額に当てた。
 すると、ゆっくりと西沙(せいさ)が口を開く。
「〝…………どうしたの……?〟」
 その声は、西沙(せいさ)のものではなかった。
「……西沙(せいさ)…………?」
 思わず声を上げたのは(さき)だった。
「初めてですか?」
 そう言った咲恵(さきえ)(さき)に顔を向けて続ける。
「……娘さんは憑依(ひょうい)体質です」
 驚いた表情の(さき)が小さく返した。
「……西沙(せいさ)が…………そうでしたか…………」
 そこに、再び西沙(せいさ)の口から声が漏れる。
「〝……待っていますよ…………萌江(もえ)…………あなたに託しました…………〟」
 すると、軽く息を吐いた萌江(もえ)が水晶を西沙(せいさ)の額から離した。
 西沙(せいさ)の目が開く。
 自分で上半身を起こすと、キョトンとした顔で周囲を見渡す。
 萌江(もえ)が柔らかい声をかける。
「ありがとう西沙(せいさ)…………」
「え?」
 応えた西沙(せいさ)には状況が理解出来ていない。
「……いつも、中途半端なんだね…………」
 そう呟いた萌江(もえ)の背後から聞こえたのは、(さき)の声。
「……あなたは…………何者ですか…………」
 萌江(もえ)は立ち上がって(さき)に顔を向けた。
 そして口を開く。
「私は99.9%幽霊を信じていなければ呪いや(たた)りも信じない能力者。皆さんとは対極にいる人間です。でも…………この世の中に説明の出来ない不思議なことがあるのは理解しています」
「とても、それだけとは…………」
「ただの変わり者ですよ。まあ私たちより、今回は人形をお願いします」
 すると、(さき)は深々と頭を下げて応えた。
「確かにお預かり致しました。お任せください」
 その(さき)の口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
 しかし、その表情は、萌江(もえ)咲恵(さきえ)からは見えなかった。





 帰り道、再び大粒の雪が降り始めた。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)について店に入る。カウンターのいつもの席に座ると最近新しく入れたばかりのボトルを多めにロックグラスに注ぐ。
 まだ他に客はいなかった。もっとも外は大雪。今夜が忙しくなるとも思えない降り方だ。
「あんまり飲み過ぎないでよ」
 咲恵(さきえ)はそう言うも、萌江(もえ)の感情的に飲みたい気分なのも分かってはいた。
 萌江(もえ)も歯切れ悪く返す。
「うん…………今夜泊めてね…………」
「気にする仲じゃないでしょ。猫飼ってからウチに泊まってないんだから久しぶりにいいじゃない」
 そこに混ざるのは、すでに店のNo.2となっている由紀(ゆき)
「え? 萌江(もえ)さんって猫飼ったんですか?」
「うん、と言っても野良猫ね。住み着いちゃって」
 そう言いながら萌江(もえ)はまだ氷の冷たさも広がらないブランデーを喉に流し込む。
「だから最近ここにも顔出さなくなっちゃったんですか? ママが寂しがって大変なんですよ」
 そして当然のように咲恵(さきえ)が挟まる。
由紀(ゆき)ちゃん、やめて」
「土曜日の仕事終わりなんかニコニコしちゃって……次の日に会えると思うとやっぱり嬉しいんでしょうねえ」
「やめなさい」
 そこに応えるのは萌江(もえ)
咲恵(さきえ)は寂しがり屋だからねえ」
 そう言って萌江(もえ)は笑みを浮かべた。
 そして、激しく店のドアが開く。
 咲恵(さきえ)由紀(ゆき)が顔を向けると、そこに立っていたのは杏奈(あんな)だった。
 その顔は険しい。走って来たのか、肩で息をしていた。
 最初に声をかけたのは咲恵(さきえ)
「どうしたの? そんな険しい顔して」
 萌江(もえ)が目だけで杏奈(あんな)に視線を向けた。
 やがて杏奈(あんな)はカウンターの奥のそんな萌江(もえ)の姿を見付けて驚いた表情に変わる。
「え? どうして萌江(もえ)さん…………」
「何よ。私がいちゃ悪いの?」
「いや……だって、最近来てなかったから今日もいないかと…………」
「私だって色々あるの。どうしたのよ? また何か困り事?」
「いえ…………今日はとりあえず咲恵(さきえ)さんに相談しようかと思って来たんですけど…………」
咲恵(さきえ)に? まあ……座んなよ」
 萌江(もえ)はそう言って隣の椅子に杏奈(あんな)を促した。
 杏奈(あんな)が座ると、自然と咲恵(さきえ)がコースターをその目の前に出して口を開く。
「ビール?」
「あ……はい…………お願いします…………」
 杏奈(あんな)咲恵(さきえ)が目の前に置いたロングネックのハイネケンを一口喉に押し込んでから言葉を吐き出した。
「こうなったらもう言っちゃいますけど…………西沙(せいさ)さんの実家って、もう行って来たんですよね?」
 すると萌江(もえ)が応える。
「うん、この間の日曜日と…………実は今日も行ってきた。今はその帰り」
「そうですか…………」
 杏奈(あんな)はそう返すと、大きく息を吐いてから続ける。
「……京子(きょうこ)さんの…………お母さん…………」
 その言葉に、萌江(もえ)は自分のロックグラスに伸ばしていた手を止めた。
 杏奈(あんな)の声が続く。
萌江(もえ)さんにとっては…………お婆さんに当たる人ですが…………」
 すると萌江(もえ)は無意識の内に、顔を窓に向けていた。
 やっとその手がグラスを掴む。
 そして聞こえる杏奈(あんな)の声。
「…………産まれが…………西沙(せいさ)さんの実家でした…………あの神社です…………」
 少し時間を置いて咲恵(さきえ)がゆっくりと萌江(もえ)に視線を送る。
 杏奈(あんな)の言葉を、なぜかまだ咲恵(さきえ)は完全に理解出来ないまま。咲恵(さきえ)の感情が何かを否定しようとしていた。
 そこには鏡のようになったガラスに映る萌江(もえ)の姿。
 口元に、笑みが浮かんでいた。
 その向こうに、大粒の雪が降り続く。




        「かなざくらの古屋敷」
      〜 第八部「記憶の虚構」終 〜
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