第十三部「水の中の女神」第5話(第十三部最終話)

文字数 7,790文字

 清国会(しんこくかい)の中で唯独(ただひと)神社の認知がされた時、すでに神社はその存在理由を失っていた。
 しかし清国会(しんこくかい)にとって、金櫻(かなざくら)家と水晶は欠かすことが出来ない。
 その存在を持ってして世界の中心になろうとしていた。
 何とかして清国会(しんこくかい)の目的を果たす為、御陵院(ごりょういん)神社から美麗(みれい)の妹────(より)唯独(ただひと)神社に嫁ぐ。後の京子(きょうこ)の母。
 しかし神社が災害でその姿を消した時に、共に命を落としていた。
 唯一の生き残りである京子(きょうこ)は世間に紛れ、清国会(しんこくかい)から逃げ続けた。
 そして(さき)が接触したことで、萌江(もえ)と〝火の玉と水の玉〟の存在を認知したが、再び見失う事になる。

 やがて二〇〇一年、内閣府の発足と共に〝総合統括事務次官〟が密かに作られていた。それは国の中枢にまで入り込んでいた清国会(しんこくかい)が熱望していた組織。時代が変わっても、この国の神道(しんとう)の歴史は受け継がれていた。

 (さき)西沙(せいさ)萌江(もえ)に接触させる。
 そして同時に文献の残されていなかった女神伝説を調べ始める。
 しかし姫神(ひめかみ)湖が雄滝(おだき)湖であるという確証が持てないまま。
 そして杏奈(あんな)に情報を流す。
「またネタ探しですか?」
 久しぶりに西沙(せいさ)の事務所を訪れた(さき)は、杏奈(あんな)の顔を見るなりそう言って溜息を吐いた。
 杏奈(あんな)もバツが悪そうに笑顔を浮かべて応える。
「まあ……そんなとこです」
 杏奈(あんな)の向かいに座る西沙(せいさ)の隣に腰を降ろしながら、(さき)が返した。
「我々も別に常に大きな事件に巡り合っているわけではありませんよ。神社でもほとんどは地鎮祭(じちんさい)とかの儀式的なものです。()(もの)専門と謳ってみてもそれだけで食べていけるわけではありませんからね」
 するとそれに返したのは西沙(せいさ)だった。
「珍しいね。お母さんがそんなマイナス思考的な発言するなんて」
「マイナス思考だなんて…………現実を言ったまでです」
 そして(さき)美由紀(みゆき)の運んできたコーヒーを口に運んで続ける。
「相変わらずコーヒーだけは美味しい所ですね」
「ほらマイナス思考だ」
「違います」
 そして、そんな二人の会話に杏奈(あんな)が挟まった。
「最近はオカルトブームも下火なんですよねえ…………私もネット専用の記事ばっかりだし…………久しぶりに誌面にも載せて欲しいんですけどね」
 返すのは西沙(せいさ)
杏奈(あんな)までマイナス思考はやめてよ。ここのイメージまで悪くなるじゃん」
 それに(さき)が挟まる。
「心霊相談にイメージなんかないでしょ」
「あります。神社と同じ」
「……イメージといえば…………世間から忘れ去られたような寂しい神社が一つありますね」
 その(さき)の言葉に、杏奈(あんな)が目を光らせた。
 (さき)が続ける。
杏奈(あんな)さんは…………女神伝説ってご存知ないかしら…………」
 そして(さき)は伝説を話し始めた。
 話を聞いていた杏奈(あんな)雄滝(おだき)神社に行くことを決めるが、(さき)杏奈(あんな)に提案する。
「文献も残っていないので…………ことの真相を知るのは難しいと思います。もし問題がないようでしたら、恵元(えもと)さんと黒井(くろい)さんに協力してもらったらどうでしょう」
 やがて杏奈(あんな)が帰り、直後に美由紀(みゆき)も退社時間を迎えた。
 事務所には西沙(せいさ)(さき)だけ。
 (さき)が来た理由はもちろん別にあった。
西沙(せいさ)…………今日はこの間の応えを聞きに来ました…………」
 (さき)がそう言って向かいのソファーに移ると、西沙(せいさ)が大きく溜息を吐く。
「さっきの杏奈(あんな)への提案もその一環?」
 西沙(せいさ)の声にいい印象は感じなかったが、(さき)は構わずに応えていた。
「もちろんです。黒井(くろい)さんの出所が分かった今となっては事を急ぎます。〝水の玉〟も手に入ったようなもの…………」
「でもさあ…………あの二人がこっちに協力するとは思えないけど…………」
「そうは言っても……〝血〟には逆らえませんよ…………」
 そのおよそ一ヶ月後、(さき)西沙(せいさ)を神社に呼び出して眠らせた。
 その理由は雄滝(おだき)神社。
 恵麻(えま)の指示だった。
西沙(せいさ)は危険だ。排除しろ…………抵抗が激しいようなら命を取ってもいい。御世(みよ)も動いてる…………あの御二人に会わせてはならない…………」
 恵麻(えま)御世(みよ)を恐れるのも当然だった。
 すでに御世(みよ)の意識操作も崩れかけていた。
 しかし(さき)は、西沙(せいさ)の動きを抑えることしか出来なかった。





 (さき)清国会(しんこくかい)の拠点、中心たる雄滝(おだき)神社にいた。
 西沙(せいさ)の葬儀は明日。
 その前に恵麻(えま)から呼び出されていた。
 広い本殿には恵麻(えま)を含めて滝川(たきがわ)家の全員が集まっていた。
 強い夕陽が差し込む。
 本殿の全員の影が濃い。
 祭壇の前に座る恵麻(えま)の後ろに並んで座るのは恵麻(えま)の妹の陽麻(ひま)、父の麻人(まひと)、母の陽恵(ひえ)
 さらにその後ろ、距離を開けて(さき)が深々と頭を下げていた。
 本殿の高い天井に恵麻(えま)の声が響く。
「娘の西沙(せいさ)は…………」
 頭を下げたまま、すぐに(さき)が返した。
「…………自ら命を断ちました」
「葬儀は…………」
「…………これからです」
「都合が良かったではないか(さき)…………娘の中には〝京子(きょうこ)様〟がいたのだろう? (はら)う手間も省けた。そうではないか」
「はい…………」
 (さき)はそれしか応えられずにいた。
 清国会(しんこくかい)のために動いてきた人生。あの文献を見付けてから、唯独(ただひと)神社と水晶を追い求め、金櫻(かなざくら)家と関わってきた。
 水晶が二つ揃い、咲恵(さきえ)の正体も分かり、まさかの西沙(せいさ)が障壁となった。
 三姉妹の中で一番勘の鋭い娘だった。一番の能力者。間違いなく言えることは、(さき)よりもその力は強かったこと。直接対峙したとすれば(さき)では絶対に敵わなかっただろう。
 (さき)ですら時に恐れ、同時に嫉妬した。
 その西沙(せいさ)はすでにいない。
 理由は(さき)でも分からないまま。
 自分の力を利用されるのを恐れたのか、誰かに操られていたのか、何かを抑え込んだのか…………その西沙(せいさ)の死で、同時に(さき)は引き返せない事を自覚していた。
 最近、西沙(せいさ)と話している中で自分の中に雑念が増えてきていることには気付いていた。恐らくは恵麻(えま)にそれを見透かされていた可能性すらある。
 恵麻(えま)は現在の清国会(しんこくかい)の頂点に君臨する巫女(みこ)
 表向きは父の麻人(まひと)が中心としながら、真のトップは恵麻(えま)
 それはやはり恵麻(えま)の持つ力と、歴代の(かしら)を経由して伝えられる〝神の啓示〟。それが総てだった。事実、恵麻(えま)は総てを見通した。それを唯一妨げるのは御世(みよ)の力だけだった。しかし萌江(もえ)咲恵(さきえ)の力で、ある意味そこから解き放たれた今、恵麻(えま)に恐れるものはない。
 恐れていたとしたら、唯一人。
 西沙(せいさ)だけだった。
 その西沙(せいさ)がいなくなり、後は内閣府を動かして清国会(しんこくかい)を表に出すだけ。
 恵麻(えま)が背中を向けたまま口を開く。
京子(きょうこ)様の母上がお前の家から嫁いだことも長年の計画の一つ…………総ては〝畏敬(いけい)の力〟に対抗するために我らの血を混ぜた…………そして結果的に萌江(もえ)様と咲恵(さきえ)様のお陰で御世(みよ)が隠そうとして作り上げた伝説の真実も分かった。水晶が御二人を選んだことも事実。しかし問題は我々の血を継いだ者の中に未だ反旗(はんき)(ひるがえ)す者がいる。その者たちを大人しくさせるためには、なんとしてもあの御二人の力がいる…………」
 しかし、そこに挟まったのは母の陽恵(ひえ)
「待ちなさい恵麻(えま)…………そこまでの準備はまだ終わってはおりませんよ」
 すると父の麻人(まひと)も口を開いた。
「元々我らは西沙(せいさ)様の力も欲していた……その穴埋めをどうするのか決めなくては…………」
 それに恵麻(えま)は背中で返す。
「父上ともあろう御人(おひと)が情けないことを…………もう一人いるではありませんか…………」
 すると麻人(まひと)は顔を伏せて応えた。
「……しかしまだ…………目覚めてはいない…………」
「目覚めさせたらいいではありませんか…………そのために側に置いておいたのです」
 その恵麻(えま)の言葉に間を置いて返したのは、一番後ろの(さき)だった。
 その声は床に響く。
「……その件は……こちらで…………」
 そしてその直後、小さな異変に最初に気が付いたのは陽麻(ひま)
 陽麻(ひま)は腰を浮かして振り返る。
 頭を下げ続けている(さき)の背中越しに参道が見えた。
 綺麗に敷かれた砂利が夕陽で真っ赤に染まる。
 陽麻(ひま)が呟いていた。
「────なにか…………」
 すぐに(さき)が驚いたように体を上げて声を上げる。
「──まさか────!」
 しかし、続く陽麻(ひま)の声は冷静だった。
「…………姉様…………外に……………………」
 そして立ち上がる。
 すると麻人(まひと)陽恵(ひえ)は、まるで背中を向け続けている恵麻(えま)への道を開けるように両端に移動して腰を降ろした。
 陽麻(ひま)が外に繋がる板間の縁まで歩くと、その横をすり抜けて下駄に足を通したのは(さき)
 その(さき)は砂利を踏み締めて叫んでいた。
「────来てはなりません!」
 その視線の先には、夕日に照らされた人影が二つ。
 そして本殿の奥から恵麻(えま)の声。
「……(さき)…………(わめ)くな……………………」
 そして立ち上がった恵麻(えま)は、体を回して足を進める。
 足袋が板間を()る音さえ本殿に響いた。
 陽麻(ひま)が頭を下げながら腰を落とし、恵麻(えま)に道を開けると、夕陽の色が恵麻(えま)巫女(みこ)服を包む。

 長い参道の先から、砂利を踏み締める音が近付く。

 その姿は、萌江(もえ)咲恵(さきえ)

 恵麻(えま)の口元に笑みが浮かぶ。
 本殿の入口前で下に降りている(さき)が小さく口を開く。
「…………御警戒を……」
 そして、真っ赤な空気を揺らしたのは、萌江(もえ)の声。
「────面白い話だったねえ…………私たちに会いたがってるのはあんたたち?」
 その声が響き渡る。
 その背後には咲恵(さきえ)の鋭い目。
 やがて、ゆっくりと恵麻(えま)が返した。
「……わざわざ御二人でお越し頂けるとは…………お待ちしておりましたよ…………」
 萌江(もえ)は口角を上げて応える。
「…………ウソばっかり……」
 萌江(もえ)は腰の後ろに手を伸ばした。
 その手を外に広げると、そこには真っ赤に光る短刀。
 (さき)が素早く身構える。
 萌江(もえ)が砂利を蹴り付け、その体はあっという間に本殿の前へ。
 そして、萌江(もえ)の体は(さき)に重なる。
 短刀の切先(きっさき)が、(さき)の体を突き抜けていた。
 白い巫女(みこ)服が真っ赤に染まっていく。
 そのすぐ後ろ、本殿の中で、身動き一つしないのは恵麻(えま)だけ。
 残る三人が立ち上がって驚愕の表情を浮かべた直後、萌江(もえ)のすぐ斜め後ろで咲恵(さきえ)が〝水の玉〟を絡めた左手を突き出していた。
 誰も動けない。
 まるで時が止まっていた。
 体の力が抜けていく(さき)の耳元で、萌江(もえ)(ささや)く。

「…………誰かを恨んでも…………何かを見誤るだけ…………気を付けて…………」

 そして、萌江(もえ)咲恵(さきえ)、二人の姿が消えた。

「────え……?」
 思わず陽麻(ひま)が声を漏らす。
 目の前で何が起こったのか、誰も理解が出来ない。
 次の瞬間、その陽麻(ひま)の視線の先で、(さき)が膝を落とした。
 その砂利の小さな音が、やけに大きく聞こえ、やがて風を感じる。
 刃物などどこにも無い。
 (さき)は血の一滴も溢れていない自分の腹部を見下ろしていた。
 そこに背後からの陽麻(ひま)の声。
「…………見せられた…………だけ…………」
 そこに被さるのは恵麻(えま)の声だった。
「…………恐ろしい御人(おひと)だ…………どうしても我らに与する気はないということか…………」
 そして、その背中に麻人(まひと)が声をかける。
恵麻(えま)…………やはりあの御方(おかた)は────」
「────わかっておるわ‼︎」
 振り返って叫ぶ恵麻(えま)は額に血管を浮かべて狂気の表情を露わにする。
 その中、(さき)の呟きは誰の耳にも届かない。
「……………………西沙(せいさ)………………」





 山の中。
 萌江(もえ)の家には咲恵(さきえ)杏奈(あんな)もいた。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)の二人は縁側に腰を降ろし、暗くなり、消えかける夕陽の空を眺めていた。
「ここも…………あの人たちに見付かる?」
 そう静かに聞く咲恵(さきえ)に、萌江(もえ)はゆっくりと応える。
「大丈夫。ここは守られてる…………理由は私も分からないけどね…………」
「……そう…………なら良かった……」
 咲恵(さきえ)はそう返すと、庭でじゃれ合う三匹の猫を眺め、続けた。
「派手に立ち回ったなあ…………あの人たちは黙ってないだろうね…………」
「……うん…………でも……西沙(せいさ)の復讐はしたよ」
 萌江(もえ)はそう応えると、振り返ってソファーに座る杏奈(あんな)に言葉を投げる。
「……これで、いいんだよね」
 杏奈(あんな)はソファーに座ったまま、両手で持ったマグカップのコーヒーを眺めていた。そのまま、口を開くが、表情は硬い。
「……はい…………ありがとうございました…………」
 杏奈(あんな)にとっても、西沙(せいさ)の一件は予想だにしていないことだった。
 何がこの結果を生んだのか、もはや誰にも分からない。しかし清国会(しんこくかい)の人物を恨んでも仕方がないことは誰もが分かっていた。
 誰もが、あまりにも多くのものに翻弄され過ぎた。少し考える時間が欲しかったのは全員が一緒だろう。
 咲恵(さきえ)は立ち上がると、杏奈(あんな)の横に座って声をかけた。
「……西沙(せいさ)ちゃんの事務所にいた女の子は、どうしてるの?」
 すると、やはりまだ気の抜けたような杏奈(あんな)がゆっくりと返す。
美由紀(みゆき)ちゃんですか? どうなんでしょう…………あそこ自体は西沙(せいさ)さんの身許引受人の人が閉めてくれたみたいですけど…………」
「そう……立坂(たてさか)さんね…………それと、私はしばらく店に顔は出さないから。女の子たちには連絡してるし、行ってもいないからね」
「そうなんですか?」
「色々と危険だしね…………それに、萌江(もえ)を一人では置いておけない…………しかもここにいるほうが安心…………杏奈(あんな)ちゃんにはまだ動いてもらうことになるけど…………」
「そうですね。やりますよ」
 杏奈(あんな)はそう応えると、自分の鞄から大き目の茶封筒を取り出す。それはかなり厚い。それをテーブルの上に置いて続けた。
「…………西沙(せいさ)さんから、です…………日付指定で、今日、お二人に見せるように言われてました」
「日付指定で? あの子も手の込んだことするわね」
 咲恵(さきえ)は封筒から中の紙の束を取り出し、その表紙に目をやる。
 そして、口角を上げた。
 そこに、縁側から振り返った萌江(もえ)の声がかかる。
杏奈(あんな)ちゃん……ホントに最後まで付き合うの?」
 それに杏奈(あんな)は迷いなく返した。
「もちろんです……私にやれることは少ないですから…………なんでも…………」
「仕事のキャリア、失うことになるかも」
 杏奈(あんな)萌江(もえ)のその言葉に、少しだけ間を開けて応える。
「…………いいですよ…………西沙(せいさ)さんにはお世話になりました…………このままで終われないのは私も同じですから…………」
 何を捨てるか。そしてそれをどうやって捨てるか、この時の杏奈(あんな)はまだ迷っていた。
 それでも、多くのことを捨てる覚悟に迷いはない。
 その力強い目に、萌江(もえ)は視線を庭に戻して返す。
「迷惑かけてごめん…………私もこのままじゃ終われないんだ…………これが私の0.1%…………」
 まるで小さくなるその声を拾うかのように、三匹の猫が萌江(もえ)の横に飛び乗る。
 猫に手を伸ばした萌江(もえ)は顔を伏せていた。
 その肩が、小さく震える。





 杏奈(あんな)雄滝(おだき)神社への取材を終え、記事をまとめている頃。
 珍しく西沙(せいさ)から呼び出された。
 何か新しいネタかとも思ったが、西沙(せいさ)からわざわざネタを杏奈(あんな)に持ち込むことは少ない。大抵は杏奈(あんな)から西沙(せいさ)を揺さぶってネタが出てくるのを待つ。そんな関係だった。
 しかも呼び出されたのは夜の二一時。
 生活リズムがバラバラの杏奈(あんな)だったが、西沙(せいさ)も負けじと生活リズムは崩れていた。仕事柄、依頼主の側に合わせる必要もあるのだろう。仕方のない部分でもあった。
 そんな二人だったが、夜に西沙(せいさ)から呼び出しがあったのは初めてだった。
 杏奈(あんな)が到着すると、すでに事務所に美由紀(みゆき)の姿はない。よほど緊急のことがない限り、美由紀(みゆき)は定時の一七時には上がる。あえてその美由紀(みゆき)がいない時間を指定してきた時点で、何か深刻な話かとも杏奈(あんな)は少しだけ身構えてもいた。
 しかもその予感は的中する。
「どうだった? 雄滝(おだき)神社」
 西沙(せいさ)は缶コーヒーを杏奈(あんな)の前に出しながらそう聞いてきた。
 杏奈(あんな)は缶コーヒーの栓に指をかけながら応える。
「協力的でしたよ。湖も綺麗でしたし…………春だからかもしれませんけど空気も綺麗だし…………あんな伝説が似合わないくらいですね」
「話してくれたのは……恵麻(えま)?」
 その西沙(せいさ)の雰囲気は何か怯えたような仕草を含んでいた。
 まだこの時の杏奈(あんな)に、そこに疑念を持つ感情はない。
「はい、恵麻(えま)さんって方でした。いずれはあの方が神社を継がれるって聞きましたけど…………」
「神社をね…………」
 西沙(せいさ)杏奈(あんな)の目を見ようとはしない。
 何かを誤魔化している態度だということは杏奈(あんな)にもすぐに分かった。

 ──……言いにくいことでもあるのかな?

 杏奈(あんな)はそんなふうに感じていた。
 神社と一口に言っても、それぞれの関係性は複雑だ。神社同士で敵対するということはないのだろうが、考え方の違いはある。西沙(せいさ)は神社から抜けた身とはいえ、当然その世界には詳しい。
「ねえ杏奈(あんな)…………」
 西沙(せいさ)は急に顔を上げた。
 その目は真剣そのもの。杏奈(あんな)も思わず身を硬くする。
 その西沙(せいさ)が続けた。
「私たちに協力してほしいの…………」
「何言ってるんですか。私で良かったらいつでも────」
「今回は違う…………」
 西沙(せいさ)はそう言って杏奈(あんな)の言葉を遮った。
 杏奈(あんな)が何も返せないまま、その西沙(せいさ)の声が続く。
「もちろん萌江(もえ)咲恵(さきえ)も絡む…………でもそれは決まってること…………一番問題なのは、あなた。でもあなたのネットワークが欲しい。私だけじゃ無理…………それに、今回は私は萌江(もえ)咲恵(さきえ)を助けられないかもしれない…………杏奈(あんな)に助けてもらうしかない…………」
 西沙(せいさ)の畳み掛ける言葉を、杏奈(あんな)は呆然と聞いていた。
 やがて、無意識に声が漏れる。
「…………何が…………あるんですか…………?」
 すると、西沙(せいさ)杏奈(あんな)に鋭い目を向けて口を開いた。
「……何かを……捨てる覚悟はある…………?」
「…………なにか……って…………」
「強要は出来ない。杏奈(あんな)にも杏奈(あんな)の人生がある…………それは理解してる」
「分かりませんよ…………どういうことですか?」
「私は…………この国に牙をむく……………………そうしなければ…………萌江(もえ)咲恵(さきえ)を失う…………」
 まるで理解が追いつかなかった。
 何か、今までとは次元の違いを感じた。

 ──…………私は今…………聞いてはいけない話を聞いてる……………

 そして西沙(せいさ)は、途端に柔らかい表情になって続ける。
「どうして杏奈(あんな)と出会っちゃったかなあ…………こんなことに巻き込みたかったわけじゃないのに…………」
 杏奈(あんな)は初めて、西沙(せいさ)の涙を見た。
「……杏奈(あんな)は何も関係ない…………私たちみたいなおかしな人生に関わる必要なんかないのに…………私が悪いんだ…………私が杏奈(あんな)に関わり過ぎた…………」
 そして、杏奈(あんな)は、気持ちを決める。

 ──……今まで…………色々助けてもらったな…………

「……じゃあ…………私は関わるべきじゃないですね…………」
「うん…………ごめん…………この話は聞かなかったことに────」
「でも…………」
 そう言って西沙(せいさ)の言葉を遮った杏奈(あんな)が続ける。
「……私は萌江(もえ)さんと咲恵(さきえ)さんを守ります…………私にだって出来ることはありますよ…………聞かなかったことにしますので、総て話してください…………それでいいですよね…………」
 杏奈(あんな)の顔には笑みが浮かんでいた。
 西沙(せいさ)杏奈(あんな)のその表情に、反射的に口角を上げ、すぐに目を伏せる。

 ──……後戻りは出来ない…………
 ──…………これはホントに間違ってないの…………?

 そして、無言で西沙(せいさ)が出した紙の束の表紙には、こう書かれていた。

 〝 『 清国会(しんこくかい)についての調査報告書 』──── (へび)の会 〟




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