第十五部「偽りの罪」第2話
文字数 9,704文字
県庁所在地からはだいぶ距離があった。
周囲を山間部に囲まれた町。
閉鎖的な地方都市の印象は拭えない。
新幹線の停まる駅からの距離もあり、これと言った観光資源もない。
地元の人間しか知らない町というのが現実。その歴史のほとんどは町を挙げた裁判のみ。
病気が続き、賠償が続く。
ある一定の世代が生きている内は終わらない問題。
行政も、それを待っていた。
杏奈 の車で到着したのは昼時。
天気は快晴。春が終わり、夏までの間の季節。
過ごしやすい気候のはずだが、この町に涼 やかさは存在しない。
萌江 も西沙 も〝負の念〟のようなものを感じていた。
繁華街とも言えないほどの駅前の小さな商店街。その近くの駐車場に車を停め、三人は昼食の取れる店を探した。
「総てが例のエリアじゃないんでしょ?」
商店街を歩きながら、萌江 がそう言って杏奈 に顔を向ける。
周囲の人通りはまばら。
杏奈 はいつも通り萌江 の斜め後ろを歩きながら応えた。
「場所は決まってますね。確かに広い範囲ですけど、新しい疾患 のエリアはアスベストのエリアより狭いです。地図で見たほうが早いですよ。道路で区分けされてるみたいにクッキリですから」
「道路で区分け? 面白いね…………ここにしよっか」
萌江 は歴史のありそうな定食屋の前で足を止めた。
「こういう店が美味 しいんだよねえ」
そう言って萌江 は入口を開けるが、そこはゴスロリの西沙 には似つかわしくない雰囲気の店。当然のように西沙 は眉間 に皺 を寄せて小さく溜息を吐 いた。
渋々、杏奈 に続いて店に入る。
油の染み付いたような木のテーブル。料理の匂いが蔓延した店内。四人掛けのテーブルが四つと椅子が五つあるだけのカウンター。
昼時であるにも関わらず、他に客はいなかった。
いらっしゃいませの声もないまま、四〇代くらいの女性が水の入ったコップを持って近付く。三人はクリアファイルに入れられただけの手書きのメニューから注文をすると、自然とそれぞれが店内に目を配り始めた。
「そこの紙」
壁に貼られた一枚の小さな紙を見ながら萌江 がそう小さく口を開くと、西沙 と杏奈 が首を回す。そして萌江 が続けた。
「まだまだ根が深そうだね」
それはアスベスト訴訟の追加賠償を求める集会のチラシ。決してポスターのように大きな物ではない。恐らくはA4サイズ。ほとんどが文章だけのモノクロ印刷。
しかも貼られているのはそれほど目立つ場所でもないように見える。
杏奈 が返した。
「地元の弁護士団体が中心になってるみたいですよ。昔から…………賠償の内容までは私も詳しくは分かりませんけど、なんだか終わらせたくなくて無理矢理続けてるみたいで…………」
その言葉を拾うのは萌江 。
「決して間違った思想で始まってるわけじゃないのに、いつの間にか活動すること自体が目的になってる団体ってあるよね…………目的は違ったはずなのに…………」
そこに西沙 が挟まる。
「どうして? 補償を求めてるんじゃないの?」
「その正義を盾にしてる奴らがいるんだよ…………個人では勝てないから組織になって戦ったのに、いつの間にかその組織を食い物にする人間が近付いてきたことにも気が付かない……政治家とか反与党を掲げてる政党とかね。それでも擦り寄って来られると悪い気はしない…………自分たちの正義を疑ってないからね」
「お金?」
「だろうね。支援団体の間でお金が飛び交ってるよ。ホントに苦しんでる犠牲者を無視してね…………その人たちにとっては犠牲者なんかどうでもいい…………活動を続けることが最大の目的…………だから終わらない…………稼げる正義の活動ってのもあるんだよ…………」
「つまり、そこに〝エサ〟を与え続けるわけか…………」
それに返すのは杏奈 。
「でも活動から離れてる町民も増えてるみたいです…………疲れてきてるんじゃないですか。この店も形だけチラシを貼ってる感じですし。断りにくいんでしょうね…………色々と」
そして萌江 が返す。
「まさか〝呪い〟の噂のせいで諦めてるって感じでもないだろうしね…………」
そして三人が店を出るまで、他の客は訪れなかった。
杏奈 が運転しながら説明を続ける中、萌江 は助手席でタブレットの地図を眺める。
車内に杏奈 の声が続く。
「ここの道路みたいですね。右側が新しい疾患 の出てるエリアで、左側は一人も出ていません」
そう言った杏奈 は境界線のようになっている道路を回り始めた。確かにかなり広いエリアだった。広さだけで言えば町の半分ほどの広さになる。
「結構新しい家も多いね」
そう言う萌江 に杏奈 が返した。
「裁判で町民が勝ってから賠償金が出たんですが、そのお金で家を建替えた人たちも多かったみたいですよ。後はリフォームとか……年代的に以前の家は戦後に新しく区画整理をした後で、ほとんどが建売だったみたいなんですよ。もう何十年も経ってますからねえ。裁判がなくても時代的に入れ替わりの時期を過ぎた感じですよね」
すると後部座席の西沙 。
「戦争で焼け野原になったんでしょ? それから新しく区画整理したのに…………それなのにどうして呪いのエリアが道路でクッキリ分かれてるんだろう…………」
「呪いまで道路で区分けされるなんて、おかしな話だね…………」
助手席でそう返した萌江 が続ける。
「どっかでエリア内に入ろうか。空爆の慰霊碑 もあるみたいだし、一応見ておこう」
エリア内のほぼ中心に、その慰霊碑 はあった。
大きな一枚岩で作られた立派な物だったが、その外見は決して管理された印象はない。周囲は雑草だらけ。慰霊碑 の前の花も枯れたまま。民家からは僅かに離れ、その一帯は開けた場所になっていた。慰霊碑 の周りは小さな林のようにもなっており、やけに寂しさが漂う。
雑草は西沙 がスカートの裾 を気にするほどの高さ。
スニーカーの杏奈 ですら歩きにくい。萌江 のハイカットブーツならまだしも、西沙 のローファーでは入るのを躊躇 するほどだった。
「こういう所って…………行政の管理ですよね?」
杏奈 がそう言いながら雑草を掻き分けていく。
萌江 は慰霊碑 の前に着くなり手を合わせた。西沙 と杏奈 もすぐに続く。
慰霊碑 の前にはお墓でいうところの香炉 に当たる四角い石があり、そこがくり抜かれて線香の灰が僅かにあるだけ。石の上には枯れた花束。しかもかなり古い。
「お花くらい持ってくればよかったね」
萌江 はそう言いながら、香炉 の中に手を入れ、中の灰を掻き出した。
すると背後から西沙 の声。その声は微かに震えていた。
「…………空爆って…………いつだったの?」
応えるのは杏奈 。
「……戦争が終わる直前の四月ですから…………日付としては少し前です…………今年はもう過ぎましたね」
その杏奈 も声は小さい。西沙 の質問の意味が予想出来た。
西沙 の震えた声が続く。
「…………慰霊祭 もしてないじゃない…………ここの行政は何やってるのよ…………呪われて当然の土地だよ…………死者の扱いも知らないなんて…………」
例え神道 の世界に生きてきたとはいえ、むしろだからこそ、元々西沙 は死者を冒涜 することが許せない性格だった。自分自身でもそれは自覚していた。幽霊などというものではなく、亡くなった人の〝念〟と関わっていたからだと思っている。慰霊碑 のような物だけでなく、神を祀 った祠 なども大事にしてきた。それは生きた人間の〝念〟が宿る物だからだ。
そして、それは萌江 とも共有する部分でもある。だからこそお互いを認めることが出来ていた。
まして今は美由紀 のこともある。やや過剰になっているのは西沙 自身も、そして萌江 も気付いていた。
美由紀 のお墓を作ってあげたいというのが西沙 の理想だった。身近に骨壷 を置いておきたい気持ちもありながら、やはりしっかりとしたお墓を作ってあげたかった。もちろん好きな所に勝手に作っていいものではない。しっかりとした墓地に納めてあげるべきだと思っていた。美由紀 の名前での埋葬許可証もある。後は埋葬場所を決めるだけ。
しかしそんな西沙 が気が付いた。
目の前の萌江 が両の手を強く握りしめている。
萌江 の気持ちを汲み取ることで、少しだけ西沙 の中に冷静な感情が戻った。
そして、その萌江 の声がする。
「……ここにはもう一度来ることになるよ…………ここのカラクリも暴かなきゃ…………」
☆
霊能者との約束の時間は一四時。
霊能者が長く宿泊しているホテルのロビーだった。
町には駅前に古いビジネスホテルが一つだけ。決して大きくはない。元々はリゾートホテルの誘致も計画された過去があったが、それは計画だけで終わる。そしてそれ以来、計画すら持ち上がってはいない。
少し早目に到着した三人はロビーの喫茶スペースで待った。その喫茶スペースも丸テーブルが三つ並んだだけの規模でしかない。
三人のコーヒーのカップが空になろうという頃、少し遅れて霊能者が現れる。
「あの人だね」
開いたロビーの自動ドアからその姿が見えた途端に、そう萌江 が口を開いた。
五〇代くらいに見える品のいい女性だった。決して派手な服装ではない。落ち着いた印象もあった。
「お待たせしてしまって…………早江 と申します」
そう言って三人の前に腰を降ろしたその女性に威圧的な感じはなかった。むしろ年齢の割にはその印象は明るく、どこか幼い。苗字は使わず、下の名前だけで活動しているとのことだった。
杏奈 は名刺を出して取材の意図を説明していく。
「よろしくお願いします。実は今回は幽霊奇談を記事にしたいわけではないんです。むしろカラクリを知りたくて来ました」
すると早江 は、柔らかい口調で返した。
「そうでしたか……何やらテレビでは面白おかしく〝呪い〟の噂が騒がれているようですね。ですので私も最近は取材はお断りしていました。しかし今回は……どうしてでしょうね…………なんとなく、ですが」
そう言って軽く目を伏せる早江 に、杏奈 は気持ちを早らせながら質問を向けた。
「早速なんですが……心霊現象の報告があるようですね…………それで話題になったのは事実だと思いますけど……」
「はい…………総てのお宅ではないんですが、多くのお宅でお庭に見たことのない女の子が現れるんだそうです。まるで日本人形のような着物を着た女の子で……おかっぱ頭で……いつも鞠 をついていると…………でもすぐに消えてしまうようです。本日伺ったお宅でも同じだそうで、それで遅くなってしまいました。申し訳ありません」
そう言って早江 は深々と頭を下げた。
すると萌江 が西沙 の異変に気付く。顔を伏せ、微かに体を震わせている。やがてその西沙 が声を絞り出す。
「……その子…………藤原 家の子ですね…………最初に犠牲になった子…………庭で倒れてる…………」
西沙 にはその光景が見えていた。
──……エリア内では何も見えなかったのに…………どうして…………
そして、その西沙 の異変に気が付いた早江 が静かに返す。
「……どうやら、お分かりになる方のようですね……その通りです。呪われたエリアは元藤原 家の敷地です。その呪いによって町の皆さんが体調を崩されていることは間違いないかと…………」
しかし、そこで口を開いたのは萌江 だった。
「……どうなんだろう…………言われてる〝藤原 家の呪い〟って……みんな…………誰の呪いのことを言ってるのかな…………」
すると早江 は顔色ひとつ変えずに微笑んで応える。
「どうなんでしょうね…………マスコミの皆さんはその〝呪い〟の意味をどう捉えていらっしゃるのか…………」
「…………早江 さんは…………どう思ってるんですか?」
「さあ……私は〝真実〟を知ってほしいだけですよ…………」
──……真実…………?
──…………〝呪い〟の…………?
☆
三人はそのまま町役場へ向かった。
古い地図を確認するためだった。
杏奈 の名刺と雑誌社の名前を出すと、意外にも職員の対応は早い。何度もマスコミの取材を受けていたからだろう。慣れた感じで、その古い地図はすぐに出してもらえた。
確かに藤原 家の敷地は広かった。
早速現在の地図と重ねてみるが、決して藤原 家はエリアの中心というわけではない。むしろエリアに被っているのは半分程度。
「これじゃミスマッチもいいとこですね。藤原 家の事件と呪いを結びつけるのはちょっと…………しかも早江 さんの話と重ねると、藤原 家の敷地以外でも心霊現象が報告されてることになりますよ」
そう言って杏奈 は写真を撮り、メモを取った。
そして不意に顔を上げ、地図を見続ける萌江 に声をかける。
「どうします? 時間的にそろそろ帰らないと日帰り出来ませんけど…………」
すると、地図に視線を落としたまま、口角を上げた萌江 が応えた。
「今夜は泊まりにしよっか。頃合いの所はさっきのホテルしかなさそうだけど」
「いいんですか? 今日は日曜日ですよ。咲恵 さんが帰ってくる日じゃないですか」
「うーん…………でもこのままじゃ帰れないなあ」
萌江 は体を起こし、ポケットからスマートフォンを取り出すと咲恵 に電話をかけた。
しかし留守録。
「シャワーかな? ────あ、えっとね、今夜泊まりになっちゃった。そんなわけだからよろしく」
「何をよろしくなのよ」
通話を切った萌江 に、西沙 がそう言いながら地図から顔を上げて続ける。
「念のためって着替え持って来たってことは…………最初から分かってたのね」
「なんとなくその可能性もあるかなって」
そう言って萌江 が笑顔を浮かべる。元々咲恵 にはスマートフォンでメッセージを送ってから出発していた。その中でも泊まりの可能性は示唆していた。
しかし西沙 の表情は晴れない。慰霊碑 のことがまだ気持ちに引っかかっていた。
そして再び萌江 。
「で?西沙 は何が見える?」
その萌江 の真剣な声に、西沙 も気持ちを切り替えた。
「うん……見えるよ…………確かに家族全員が死んでる…………使用人が当主を殺したのも事実…………何か恨みがあった…………かなり追い詰められた感じ…………それ以上は分からない…………」
「分かった。残りはホテルで話そう」
そして帰り際。
杏奈 が役場の受付で職員に礼を言っていると、西沙 が強い足音で近付いた。
「戦没者慰霊碑 の管理をしてるのは誰?」
全員の視線が西沙 に集まる中、若い職員が呆然と腰を浮かせた。
西沙 の強い言葉が続く。
「全然管理がされていないってどういうこと?慰霊祭 もしてないじゃない」
すると、立ち上がった若い職員はたどたどしく口を開いた。
「いや……でも…………あの当時を知る方はどなたも……ご存命の方がいらっしゃらなくて…………」
事実だった。空爆で村のほとんどの村民が亡くなり。僅かに生き残った人たちの中にはこの地を離れた者も多い。最後の経験者が亡くなったのはすでに二〇年以上前。
「────だからなんなのよ‼︎」
西沙 の叫びが役場内に響いていた。
「戦争で亡くなった人たちの慰霊碑 なんじゃないの⁉︎ そんなんだからアンタたちは土地に苦しめられるんだ‼︎」
その肩に、萌江 の手が乗った。
震える肩を感じながら萌江 の言葉が西沙 の耳に届く。
「やめよ…………理解出来なかった人になら言ってもいい…………理解出来る可能性があるからね。でも…………」
萌江 は声のトーンを落とした。
「……理解する気のない人間には…………何を言ってもムダ」
その声に、その場が凍りつく。
☆
ホテルのカウンターで受付を済ませたところで、三人は早江 とすれ違う。
声を掛けてきたのは早江 だった。
「あら、お泊まりになるんですか?」
すぐに返したのは笑顔の萌江 。
「ええ、もう少し調べたいことがありまして」
「そうでしたか、私は今夜もお祓 いに出向きます。ごゆっくり」
そして早江 が足早に自動ドアに向かうと、その後ろ姿を見ながら萌江 が杏奈 に囁 いた。
「見てきたほうがいいかもね。記事のネタにもなるし」
「そうですね」
杏奈 はそれだけ言うと、早江 を追いかけて声を掛ける。
萌江 と西沙 はルームサービスを取ることにした。本格的な食事は杏奈 が帰ってからのほうがいいと考えたからだ。
部屋は運よく四人用のファミリールームが取れたので広い。
それぞれシャワーを浴び、ルームサービスの簡素なツマミでお酒に口を付け始める。
「どうして冷酒がないのよ」
そう言う西沙 に萌江 は缶ビールを飲みながら応えた。
「ちょっと時期が早かったかもね。で?西沙 はどうなの? 私は誰かが邪魔してる感じがする」
二人はベッドに腰掛け、その前には窓際から引っ張ってきた小さな丸テーブル。上には小さなサラダとチーズの盛り合わせがあるだけ。
西沙 は日本酒を二合徳利 から大きなコップに注いで返す。冷酒ではないと言っても大吟醸 の辛口 。決して悪い日本酒ではない。
「それでなのかなあ…………エリア内でも見えなかったし…………藤原 家の殺人事件も使用人の存在も嘘じゃないことは分かったけど…………その呪いと現在が繋がらない…………」
「行政の資料の中に当時の建築業者の名前があったよ。調べてみる価値はあると思う」
「それなら────」
「当たり。あの人たちしかいないね」
萌江はスマートフォンで電話を掛けた。
相手は満田 。
そして簡単に経緯を説明する。
「そういうわけだから調べてもらえる?富士芝帝都 建設って会社。今もあるか分からないけどギャラは出すからさ。明日まで」
『明日⁉︎ 仕方ないなあ。データを調べればすぐに出てくるだろうから……何とか出来るか…………分かったらすぐに電話するよ』
「さすが。よろしくー」
その時、部屋のチャイムが鳴った。
「あれ?杏奈 ちゃんもう帰ってきた?」
そう言ってドアに向かう萌江 の背後から西沙 の小さな声。
「…………違うと思う」
萌江 がドアを開けると、そこに立っていたのは大き目の鞄を肩に掛けた咲恵 だった。
そして眉間 に皺 を寄せた咲恵 の声が西沙 にまで届く。
「三人だけで何楽しんでるのよ」
「よく町の名前だけで分かったねえ」
「白々しいわね。ここしか泊まれる場所なんかないじゃない。まったく……分かってたくせに」
咲恵 はそう言って部屋に入るなり西沙 に声を掛けた。
「お疲れさま」
西沙 も軽く手を上げて応える。
咲恵 はベッドの横に鞄を置いて続ける。
「四人部屋なんでしょ? さっき受付で説明してチェックインは済ましてきたから」
西沙 は相変わらずの咲恵 の行動力に驚いた。
西沙 自身、そして萌江 も行動力は高いほうだと思っている。それは多分に性格的なものもあるのだろうが、その西沙 からしても咲恵 は驚嘆 に値 する。
原動力が理由だろうとも思った。
──……咲恵 は萌江 のためなら命を賭けられる…………
──…………私は、どうなんだろう…………
西沙 にとってはもはや、咲恵 は他人ではない。それは血の繋がりだけではなかった。〝仲間〟などという安っぽい言葉でも足りない。
それでありながら咲恵 が隔週とはいえ店に戻れたのは、他でもない西沙 の存在があるからだ。西沙 がいなければ咲恵 があの家から離れることはなかっただろう。少なくとも西沙 はそう考えていた。
「なんだかさ…………」
西沙 が柔らかい口調で続ける。
「驚いたけど嬉しいね」
その西沙 の言葉に、咲恵 もやっと笑顔を浮かべた。
そしてベッドに座る西沙 の隣に腰を降ろした咲恵 が返す。
「で? 今回もあまり面白い話じゃなさそうね」
その咲恵 に缶ビールを渡しながら萌江 。
「ここまでの経緯は夕方に資料を送った通り」
「送ってたの⁉︎」
西沙 が驚いて声を上げる。
そして萌江 。
「咲恵 なら資料見るだけで大体のことは分かるでしょ?」
それに咲恵 は笑みを浮かべて応えた。
「まあね。問題はカラクリっていうより総ての関連でしょ? 呪いとアスベストと謎の疾患 と…………謎の霊能力者…………それらを繋ぐものが何かってことね」
「お見事」
西沙 が小さく呟く。
咲恵 が続けた。
「意外と……バラバラだったりしてね…………それを無理矢理に繋げてる〝何か〟を見付けなきゃって感じかな」
そして杏奈 が戻る。
咲恵 の姿に驚く杏奈 を無視して萌江 は部屋の受話器を手にしてルームサービスを頼んだ。
「で? どうだった?」
萌江 が杏奈 に缶ビールを渡しながら声をかける。
「まあ、なんというか、よくあるお祓 いでした。どの程度の人なのかはそれ以上は私ではちょっと…………」
そこに咲恵 。
「とりあえず、明日そのエリアに連れてってよ。西沙 ちゃんを邪魔するだけの存在がいるなら、どうなるか分からないけどね…………」
その咲恵 の言葉に、西沙 は強い安心感を覚えていた。
☆
翌日。
まだお昼前。
駅前で花束と線香を買った。
そして四人はまっすぐ慰霊碑 に向かう。
エリアに入るが、やはり咲恵 も何も感じなかった。
萌江 は慰霊碑 の前の枯れた花束を、その横の雑草の上にそっと避けた。
そして新しい花束を置くと、杏奈 が車に積んでいたライターで線香に火を点ける。
柔らかい風に乗って、辺りにその香りが漂った。
萌江 はその線香を香炉 の中に入れた。
そして全員が手を合わせる。
もう二度と来ることはないかもしれない。それでも無視は出来なかった。せめて今だけでもこうするべきだと、誰もが思った。
そして、咲恵 はここに来て初めて感じていた。
──…………これは…………なに…………?
「……確かに…………悲劇はあったみたい…………西沙 ちゃんが感じた通り…………」
そう言い始めた咲恵 が声のトーンを落として続ける。
「でも西沙 ちゃんが感じてたのは幽霊なんかじゃない…………その時の実際の光景…………」
それに西沙 が返した。
「多分……………………あれ?」
西沙 は言いながら一歩後ずさっていた。
言葉が続く。
「…………これって…………誰の記憶?」
その様子がおかしいのに全員が気が付く。
西沙 の目が変わった。
空を仰ぐようにして口を開く。
「…………式神 …………女の子…………呪われてる…………」
そこに咲恵 の低い声。
「…………どこだ…………誰だ…………」
そして、萌江 は首の水晶を掴んでいた。
──……焦 ったら負ける…………
そして、その場に声が響く。
突然現れた声。
それは、早江 の声だった。
「……皆さんここで何を…………どうされました⁉︎」
早江 のその声にも不安が籠 る。
萌江 が顔を向けると、早江 の表情は僅かに怯えて見えた。
直後、動いたのは咲恵 。
早江 に足早に近付くと、驚いた表情の早江 の手を取った。
すぐに、咲恵 は立ちくらみを起こしたように膝が折れる。
しかしその体を後ろから支えたのは萌江 。
同時に、二人の水晶が熱を帯びた。
そして萌江 は、咲恵 の体を支えたまま、そのまま西沙 に手を伸ばす。
西沙 はすぐにその手を掴んでいた。
その西沙 が言葉を漏らす。
「……………………御世 ……………………」
そして、総てが繋がった。
☆
安政六年────一八五九年。
雄滝 神社。
滝川 家の長女、御世 は一〇歳になっていた。
御世 はその年、現在で言う結核 である労咳 の診断を受けた。
御世 は長女として雄滝 神社を継ぐ立場にあったが、病気の診断と共に滝川 家はそれを諦めるざるを得なかった。
世の流れと同じく、父である倉明 と母の前世 は元々男子を求めていたが、昨年流産をしたばかり。もはや御世 の一つ年下の末世 に継がせるしかないと判断し、御世 を神社から出す決断をする。
御世 の預けられた所は遥か遠くの古い屋敷。かつて滝川 家に嫁いできたことのある家系に繋がる屋敷だった。
藤原 家。
神社に直接関係する家柄ではなかったが、清国会 を裏で支える豪族の一つ。その屋敷の別邸に預けられることになった。
御世 の身の回りの世話をするための使用人が二人選ばれた。元々雄滝 神社に使用人として入ったばかり。二人の実家にはかなりの金額が送られた。
若い女性が二人。
一六才のイト。
一五才のサエ。
二人共貧しい家の出だった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十五部「偽りの罪」第3話(第十五部最終話)へつづく 〜
周囲を山間部に囲まれた町。
閉鎖的な地方都市の印象は拭えない。
新幹線の停まる駅からの距離もあり、これと言った観光資源もない。
地元の人間しか知らない町というのが現実。その歴史のほとんどは町を挙げた裁判のみ。
病気が続き、賠償が続く。
ある一定の世代が生きている内は終わらない問題。
行政も、それを待っていた。
天気は快晴。春が終わり、夏までの間の季節。
過ごしやすい気候のはずだが、この町に
繁華街とも言えないほどの駅前の小さな商店街。その近くの駐車場に車を停め、三人は昼食の取れる店を探した。
「総てが例のエリアじゃないんでしょ?」
商店街を歩きながら、
周囲の人通りはまばら。
「場所は決まってますね。確かに広い範囲ですけど、新しい
「道路で区分け? 面白いね…………ここにしよっか」
「こういう店が
そう言って
渋々、
油の染み付いたような木のテーブル。料理の匂いが蔓延した店内。四人掛けのテーブルが四つと椅子が五つあるだけのカウンター。
昼時であるにも関わらず、他に客はいなかった。
いらっしゃいませの声もないまま、四〇代くらいの女性が水の入ったコップを持って近付く。三人はクリアファイルに入れられただけの手書きのメニューから注文をすると、自然とそれぞれが店内に目を配り始めた。
「そこの紙」
壁に貼られた一枚の小さな紙を見ながら
「まだまだ根が深そうだね」
それはアスベスト訴訟の追加賠償を求める集会のチラシ。決してポスターのように大きな物ではない。恐らくはA4サイズ。ほとんどが文章だけのモノクロ印刷。
しかも貼られているのはそれほど目立つ場所でもないように見える。
「地元の弁護士団体が中心になってるみたいですよ。昔から…………賠償の内容までは私も詳しくは分かりませんけど、なんだか終わらせたくなくて無理矢理続けてるみたいで…………」
その言葉を拾うのは
「決して間違った思想で始まってるわけじゃないのに、いつの間にか活動すること自体が目的になってる団体ってあるよね…………目的は違ったはずなのに…………」
そこに
「どうして? 補償を求めてるんじゃないの?」
「その正義を盾にしてる奴らがいるんだよ…………個人では勝てないから組織になって戦ったのに、いつの間にかその組織を食い物にする人間が近付いてきたことにも気が付かない……政治家とか反与党を掲げてる政党とかね。それでも擦り寄って来られると悪い気はしない…………自分たちの正義を疑ってないからね」
「お金?」
「だろうね。支援団体の間でお金が飛び交ってるよ。ホントに苦しんでる犠牲者を無視してね…………その人たちにとっては犠牲者なんかどうでもいい…………活動を続けることが最大の目的…………だから終わらない…………稼げる正義の活動ってのもあるんだよ…………」
「つまり、そこに〝エサ〟を与え続けるわけか…………」
それに返すのは
「でも活動から離れてる町民も増えてるみたいです…………疲れてきてるんじゃないですか。この店も形だけチラシを貼ってる感じですし。断りにくいんでしょうね…………色々と」
そして
「まさか〝呪い〟の噂のせいで諦めてるって感じでもないだろうしね…………」
そして三人が店を出るまで、他の客は訪れなかった。
車内に
「ここの道路みたいですね。右側が新しい
そう言った
「結構新しい家も多いね」
そう言う
「裁判で町民が勝ってから賠償金が出たんですが、そのお金で家を建替えた人たちも多かったみたいですよ。後はリフォームとか……年代的に以前の家は戦後に新しく区画整理をした後で、ほとんどが建売だったみたいなんですよ。もう何十年も経ってますからねえ。裁判がなくても時代的に入れ替わりの時期を過ぎた感じですよね」
すると後部座席の
「戦争で焼け野原になったんでしょ? それから新しく区画整理したのに…………それなのにどうして呪いのエリアが道路でクッキリ分かれてるんだろう…………」
「呪いまで道路で区分けされるなんて、おかしな話だね…………」
助手席でそう返した
「どっかでエリア内に入ろうか。空爆の
エリア内のほぼ中心に、その
大きな一枚岩で作られた立派な物だったが、その外見は決して管理された印象はない。周囲は雑草だらけ。
雑草は
スニーカーの
「こういう所って…………行政の管理ですよね?」
「お花くらい持ってくればよかったね」
すると背後から
「…………空爆って…………いつだったの?」
応えるのは
「……戦争が終わる直前の四月ですから…………日付としては少し前です…………今年はもう過ぎましたね」
その
「…………
例え
そして、それは
まして今は
しかしそんな
目の前の
そして、その
「……ここにはもう一度来ることになるよ…………ここのカラクリも暴かなきゃ…………」
☆
霊能者との約束の時間は一四時。
霊能者が長く宿泊しているホテルのロビーだった。
町には駅前に古いビジネスホテルが一つだけ。決して大きくはない。元々はリゾートホテルの誘致も計画された過去があったが、それは計画だけで終わる。そしてそれ以来、計画すら持ち上がってはいない。
少し早目に到着した三人はロビーの喫茶スペースで待った。その喫茶スペースも丸テーブルが三つ並んだだけの規模でしかない。
三人のコーヒーのカップが空になろうという頃、少し遅れて霊能者が現れる。
「あの人だね」
開いたロビーの自動ドアからその姿が見えた途端に、そう
五〇代くらいに見える品のいい女性だった。決して派手な服装ではない。落ち着いた印象もあった。
「お待たせしてしまって…………
そう言って三人の前に腰を降ろしたその女性に威圧的な感じはなかった。むしろ年齢の割にはその印象は明るく、どこか幼い。苗字は使わず、下の名前だけで活動しているとのことだった。
「よろしくお願いします。実は今回は幽霊奇談を記事にしたいわけではないんです。むしろカラクリを知りたくて来ました」
すると
「そうでしたか……何やらテレビでは面白おかしく〝呪い〟の噂が騒がれているようですね。ですので私も最近は取材はお断りしていました。しかし今回は……どうしてでしょうね…………なんとなく、ですが」
そう言って軽く目を伏せる
「早速なんですが……心霊現象の報告があるようですね…………それで話題になったのは事実だと思いますけど……」
「はい…………総てのお宅ではないんですが、多くのお宅でお庭に見たことのない女の子が現れるんだそうです。まるで日本人形のような着物を着た女の子で……おかっぱ頭で……いつも
そう言って
すると
「……その子…………
──……エリア内では何も見えなかったのに…………どうして…………
そして、その
「……どうやら、お分かりになる方のようですね……その通りです。呪われたエリアは元
しかし、そこで口を開いたのは
「……どうなんだろう…………言われてる〝
すると
「どうなんでしょうね…………マスコミの皆さんはその〝呪い〟の意味をどう捉えていらっしゃるのか…………」
「…………
「さあ……私は〝真実〟を知ってほしいだけですよ…………」
──……真実…………?
──…………〝呪い〟の…………?
☆
三人はそのまま町役場へ向かった。
古い地図を確認するためだった。
確かに
早速現在の地図と重ねてみるが、決して
「これじゃミスマッチもいいとこですね。
そう言って
そして不意に顔を上げ、地図を見続ける
「どうします? 時間的にそろそろ帰らないと日帰り出来ませんけど…………」
すると、地図に視線を落としたまま、口角を上げた
「今夜は泊まりにしよっか。頃合いの所はさっきのホテルしかなさそうだけど」
「いいんですか? 今日は日曜日ですよ。
「うーん…………でもこのままじゃ帰れないなあ」
しかし留守録。
「シャワーかな? ────あ、えっとね、今夜泊まりになっちゃった。そんなわけだからよろしく」
「何をよろしくなのよ」
通話を切った
「念のためって着替え持って来たってことは…………最初から分かってたのね」
「なんとなくその可能性もあるかなって」
そう言って
しかし
そして再び
「で?
その
「うん……見えるよ…………確かに家族全員が死んでる…………使用人が当主を殺したのも事実…………何か恨みがあった…………かなり追い詰められた感じ…………それ以上は分からない…………」
「分かった。残りはホテルで話そう」
そして帰り際。
「
全員の視線が
「全然管理がされていないってどういうこと?
すると、立ち上がった若い職員はたどたどしく口を開いた。
「いや……でも…………あの当時を知る方はどなたも……ご存命の方がいらっしゃらなくて…………」
事実だった。空爆で村のほとんどの村民が亡くなり。僅かに生き残った人たちの中にはこの地を離れた者も多い。最後の経験者が亡くなったのはすでに二〇年以上前。
「────だからなんなのよ‼︎」
「戦争で亡くなった人たちの
その肩に、
震える肩を感じながら
「やめよ…………理解出来なかった人になら言ってもいい…………理解出来る可能性があるからね。でも…………」
「……理解する気のない人間には…………何を言ってもムダ」
その声に、その場が凍りつく。
☆
ホテルのカウンターで受付を済ませたところで、三人は
声を掛けてきたのは
「あら、お泊まりになるんですか?」
すぐに返したのは笑顔の
「ええ、もう少し調べたいことがありまして」
「そうでしたか、私は今夜もお
そして
「見てきたほうがいいかもね。記事のネタにもなるし」
「そうですね」
部屋は運よく四人用のファミリールームが取れたので広い。
それぞれシャワーを浴び、ルームサービスの簡素なツマミでお酒に口を付け始める。
「どうして冷酒がないのよ」
そう言う
「ちょっと時期が早かったかもね。で?
二人はベッドに腰掛け、その前には窓際から引っ張ってきた小さな丸テーブル。上には小さなサラダとチーズの盛り合わせがあるだけ。
「それでなのかなあ…………エリア内でも見えなかったし…………
「行政の資料の中に当時の建築業者の名前があったよ。調べてみる価値はあると思う」
「それなら────」
「当たり。あの人たちしかいないね」
萌江はスマートフォンで電話を掛けた。
相手は
そして簡単に経緯を説明する。
「そういうわけだから調べてもらえる?
『明日⁉︎ 仕方ないなあ。データを調べればすぐに出てくるだろうから……何とか出来るか…………分かったらすぐに電話するよ』
「さすが。よろしくー」
その時、部屋のチャイムが鳴った。
「あれ?
そう言ってドアに向かう
「…………違うと思う」
そして
「三人だけで何楽しんでるのよ」
「よく町の名前だけで分かったねえ」
「白々しいわね。ここしか泊まれる場所なんかないじゃない。まったく……分かってたくせに」
「お疲れさま」
「四人部屋なんでしょ? さっき受付で説明してチェックインは済ましてきたから」
原動力が理由だろうとも思った。
──……
──…………私は、どうなんだろう…………
それでありながら
「なんだかさ…………」
「驚いたけど嬉しいね」
その
そしてベッドに座る
「で? 今回もあまり面白い話じゃなさそうね」
その
「ここまでの経緯は夕方に資料を送った通り」
「送ってたの⁉︎」
そして
「
それに
「まあね。問題はカラクリっていうより総ての関連でしょ? 呪いとアスベストと謎の
「お見事」
「意外と……バラバラだったりしてね…………それを無理矢理に繋げてる〝何か〟を見付けなきゃって感じかな」
そして
「で? どうだった?」
「まあ、なんというか、よくあるお
そこに
「とりあえず、明日そのエリアに連れてってよ。
その
☆
翌日。
まだお昼前。
駅前で花束と線香を買った。
そして四人はまっすぐ
エリアに入るが、やはり
そして新しい花束を置くと、
柔らかい風に乗って、辺りにその香りが漂った。
そして全員が手を合わせる。
もう二度と来ることはないかもしれない。それでも無視は出来なかった。せめて今だけでもこうするべきだと、誰もが思った。
そして、
──…………これは…………なに…………?
「……確かに…………悲劇はあったみたい…………
そう言い始めた
「でも
それに
「多分……………………あれ?」
言葉が続く。
「…………これって…………誰の記憶?」
その様子がおかしいのに全員が気が付く。
空を仰ぐようにして口を開く。
「…………
そこに
「…………どこだ…………誰だ…………」
そして、
──……
そして、その場に声が響く。
突然現れた声。
それは、
「……皆さんここで何を…………どうされました⁉︎」
直後、動いたのは
すぐに、
しかしその体を後ろから支えたのは
同時に、二人の水晶が熱を帯びた。
そして
その
「……………………
そして、総てが繋がった。
☆
安政六年────一八五九年。
世の流れと同じく、父である
神社に直接関係する家柄ではなかったが、
若い女性が二人。
一六才のイト。
一五才のサエ。
二人共貧しい家の出だった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十五部「偽りの罪」第3話(第十五部最終話)へつづく 〜