第十三部「水の中の女神」第4話

文字数 8,025文字

 それがどれだけ昔のことなのか、もはや誰にも分からない。
 すでに記録と言えるものは何も無い
 この国の文献と呼べるもので最も古いものはどれだろうか。
 それが文明と呼ばれる頃か、社会と言える時代なのかも、今となっては分からない頃。

 この国に一つの神社が作られた。
 神の宿る場所。

 人心をまとめる為。
 〝神〟という形の無いものを、権力という〝人〟が形にした。
 文化が社会に変わる。

     〝唯独(ただひと)神社〟

 太陽神でもある天照大神(あまてらすおおみかみ)のいる所とされた。
 その神社を守るのは天照大神(あまてらすおおみかみ)末裔(まつえい)と言われた。

 金櫻(かなざくら)家。
 その出所はどんな文献にも残されてはいない。

 この国の〝神道(しんとう)〟に於ける最初期の神社。
 この国の神社の頂点。

 だが、今となっては最初に作られた場所すら覚えている者はいない。
 広大な土地に広大な建物。
 そこから分社という形で全国に神社が作られていく。
 そして神道(しんとう)が日本という国を形作っていった。
 何度も戦乱の時代を経て、その度に神道(しんとう)の世界は歴史に関わり、歴史を動かしてきた。

 しかしやがて、大陸から一神教が入り込む。
 それでも、いくつもの一神教がこの国で受け入れられていくのには時間が必要だった。
 いずれ、権力者が宗教を盾にし始める。
 古くからの神道(しんとう)と、新しい一神教の争いが始まり、それが終わらないままに、戦乱の世に。

 御陵院(ごりょういん)神社の巫女(みこ)雄滝(おだき)湖の底から水晶を引き上げたのはそんな頃。
 〝火の玉〟と〝水の玉〟。
 文献には〝神からの啓示〟と記されている。

 〝未来に産まれし金櫻(かなざくら)の幼な子に〟
 〝その御子(おこ)天照大神(あまてらすおおみかみ)様の唯一の末裔(まつえい)なり〟
 〝その御子(おこ)の後には誰もおらず〟
 〝その御子(おこ)は世を治める者〟

 しかしその石には、あまりにも強い〝力〟が込められていた。
 何者かがいた。
 しかもそれは間違いなく〝畏敬(いけい)の者〟。
 御陵院(ごりょういん)家はその力を(はら)うことに一〇年余りを費やした。
 やがて総てを(はら)うことが出来ないままに、辛うじてその力を抑え込む。
 金櫻(かなざくら)家に遷納(せんのう)をするが、金櫻(かなざくら)家の力を持ってしても、その〝畏敬(いけい)の力〟は大き過ぎた。
 金櫻(かなざくら)家は苦しめられ続けた。
 やがて金櫻(かなざくら)家はその〝畏敬(いけい)〟から逃げるように全国に神社の遷宮(せんぐう)遷座(せんざ)を繰り返す。
 しかし〝畏敬(いけい)の者〟からは逃げられなかったという。
 いつしか金櫻(かなざくら)家の力は、その財力だけでなく、名前までも削ぎ落とされていた。
 誰にも知られることなく、小さな山中に小さな神社を作り、金櫻(かなざくら)の血を守り続けた。

 すでに、歴史にその名前は無い。
 誰もその存在の意味を知らない。
 やがて〝畏敬(いけい)の者〟が、京子(きょうこ)の前に姿を表すまでは、誰の記憶にも残っていないはずだった。
 しかし京子(きょうこ)が〝畏敬(いけい)の力〟を抑えることで、唯一残った〝血〟。
 〝畏敬(いけい)の者〟は金櫻(かなざくら)家の血筋を断つため、その〝血〟の存在を許すことは出来なかった。
 その〝血〟に子供を産ませないようにしてまで…………。





 祭壇に入り込んだ冷たい風が、火の粉を巻き上げながら高い天井に昇っていった。
 風の音、松明(たいまつ)の音、火の音、一連の音だけが空間を占拠する。
 その中、萌江(もえ)咲恵(さきえ)に対峙する(さき)が深々と頭を下げた。
 やがてその左右に座る綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)も頭を下げると、やっと萌江(もえ)が口を開く。
 叫んだ。
「────やめてよ‼︎」
 そして、頭を下げたままの(さき)の声が板間を揺らした。
「〝金櫻萌江(かなざくらもえ)様〟…………天照大神(あまてらすおおみかみ)様の直系にして唯一の末裔(まつえい)…………貴女(あなた)様の御前(ごぜん)にいられることは私共にとってはこれほど喜ばしいことは御座いません」
「いい加減にしなさいよ‼︎」
 萌江(もえ)は叫びながら足を進めたかと思うと膝を着き、(さき)の両肩を掴んでその体を起こしていた。
 (さき)の目は、すでに感情を感じられない。
「何が天照(あまてらす)だ‼︎ 神話とか神とか────見たことも会ったこともないものにすがって────‼︎ あんたたちが信じてきたものには〝嘘〟が多過ぎるんだ‼︎」
 しかし、なぜか萌江(もえ)の目からは大粒の涙が溢れていた。
 それでも萌江(もえ)は叫び続ける。
「だから御世(みよ)はあんたたちに反対してるんじゃないの⁉︎ どうして御世(みよ)が嘘の伝説を作ってまで歴史を隠そうとしたのよ‼︎」
 その声は、本殿を揺らす。
「答えてよ‼︎ (さき)さんは何も感じないの⁉︎ 何の疑問もないの⁉︎」
 (さき)の表情に、萌江(もえ)は〝心〟を感じることが出来なかった。
 左右の綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)は頭を下げたまま。
 いつの間にか、萌江(もえ)は自分の体が小刻みに震えていたことに気が付いた。それを知られまいとするかのように(さき)の肩から手を離すと顔を伏せる。
 そして、その隙間に入り込むような(さき)の声が空気に溶ける。
「……御自分の身の内を知り…………御使命を知って戸惑われるのも無理はないこと…………」
 立ち上がった(さき)が続けた。
「……問題は御座いません…………総て我らが準備をして参りました…………」
 綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)が体を起こす。
 そして咲恵(さきえ)に顔を向けた(さき)の声。
「さあ……〝咲恵(さきえ)様〟…………貴女(あなた)様も〝水の玉〟に選ばれた大事な御方…………我らと共に萌江(もえ)様をお引き立てして参りましょう」
 直後、本殿のザワつく空気を沈めたのは、咲恵(さきえ)の大きな笑い声だった。
 天井まで揺らすその声に、(さき)が思わず声を漏らす。
咲恵(さきえ)様…………?」

 ──…………御世(みよ)か………どこまでも……………

 (さき)がそう思った時、その両脇の綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)が片膝を立てた。

「くだらない」

 その咲恵(さきえ)の声が、全員の動きを止める。
「……私は萌江(もえ)と一緒に生きていけたらそれだけでいい。分かる? それだけ」

 ──……御世(みよ)じゃないのか…………?

 (さき)がそう思った時、綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)が立ち上がる。
 それでも咲恵(さきえ)が続けた。
萌江(もえ)の言った通りね…………何が天照大神(あまてらすおおみかみ)よ……萌江(もえ)に神の血が流れてるっていうの? どうしてそこまで信じられるの? 冷静に考えたら権力者がそういうことにしたかっただけじゃない…………そんなものを信じて宗教にすがらなきゃ生きていけないなんて…………宗教って何なの? ねえ(さき)さん、教えてよ。宗教ってもっと純粋なもので良かったはず…………この世の総てに神が宿って……そこに感謝してきたものだったんじゃないの? それでいいじゃない。いつの間にか宗教が権力になって…………何が神道(しんとう)よ…………一神教と何が違うのよ…………」
 それに(さき)が返す。
「……萌江(もえ)様の御前(ごぜん)でそのような…………私共はその中で生きて参りました…………人が宗教を作り…………その神々は社会の中で形作られてきました…………感謝という感情だけでは社会は成り立ちません…………神道(しんとう)はその社会の中で新しい形を得たのです…………総てはこの時の為────」
「…………おめでたい人たち…………可哀想に…………」
 その咲恵(さきえ)の言葉に、綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)が一歩だけ前に踏み出す。
 そして、(さき)は腰の後ろに手を入れると、そこから短刀を取り出して素早く(さや)を外した。
 板間に落ちた(さや)が乾いた音を立て、風が止まる。
 しかし咲恵(さきえ)は目の前のその光景にも冷静な表情のまま、綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)に目を配った。
 二人の鋭い目が自分に向けられているのを確認しながら、咲恵(さきえ)は距離を測る。
 直後、(さき)は短刀の刃を自分の首の横に押し付けていた。
 そして口を開く。
「…………私は……萌江(もえ)様の為ならこの命をも捨てる覚悟で生きて参りました…………咲恵(さきえ)様…………水の玉を継承する貴女(あなた)様に協力を拒絶されるとあっては〝滝川(たきがわ)家〟に顔見せが出来ません…………」
滝川(たきがわ)家…………?」
咲恵(さきえ)様…………我らと共に…………萌江(もえ)様を世界の頂点に…………」
「────頂点…………」
 その咲恵(さきえ)の声の直後、その間に割って入ったのは、俯いたままの萌江(もえ)の声だった。
 立ち上がり、(さき)の前にまるで立ち塞がるように口を開く。
「……いい加減にしなさいよ…………」
 その萌江(もえ)の低い声に、(さき)が一歩下がって間合いを取ると、僅かに左右の綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)萌江(もえ)に体を寄せる。
 (さき)の背後には横になったままの西沙(せいさ)
 そして、(さき)の震えた声が空気を揺らす。
「……萌江(もえ)様には……この狂った世界を建て直して頂かなくてはなりません…………それが叶わないならば…………!」

「その萌江(もえ)様本人が嫌だって言ってんでしょうが‼︎」

 叫ぶ萌江(もえ)の視線の先で、(さき)が短刀を持つ両手に力を込めた。
 そして声を絞り出す。
「…………御決断を…………」
 その時、萌江(もえ)の背後から、咲恵(さきえ)の低い声がした。
「……総ての中心は…………(さき)さんじゃないのね…………」
 咲恵(さきえ)はそのまま、左の(てのひら)(さき)に向けた。
 その指に絡む〝水の玉〟が、怪しく炎の光を反射する。
 綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)が一歩後ずさり、(さき)眉間(みけん)(しわ)を寄せて返した。
「…………そんなもの………………」

 その時、(さき)の両手に絡まる〝指〟が、(さき)の手から短刀を取り上げる。

 唖然としながら、(さき)は僅かに視線を後ろへ。
 そして小さく叫んでいた。
「────西沙(せいさ)…………!」
 そこには短刀を手に、(さき)の体を背後から抑える西沙(せいさ)の姿。
 そして、その短刀を、(さき)の喉に押し付けた。
 顎を押し上げられた(さき)は声も出せない。
 そして周囲に広がるのは、西沙(せいさ)の声。

「だから…………やめろって言ったのに」





 〝神の啓示〟によって唯独(ただひと)神社に水晶が納められた直後。
 その唯独(ただひと)神社と金櫻(かなざくら)家を中心とした世界を作ろうとした組織が結成される。
 
      〝清国会(しんこくかい)

 それは結果的に天照大神(あまてらすおおみかみ)を中心とした世界を作ることが目的だった。
 その中心には雄滝(おだき)神社の滝川(たきがわ)家がいた。
 表向きは天皇家の守護として朝廷に入り込む。
 しかしその実際は、天皇を政権の座から引きずり降ろすこと。
 清国会(しんこくかい)金櫻(かなざくら)家こそが天照大神(あまてらすおおみかみ)末裔(まつえい)だと信じていた。
 そして当時から過激な思想の清国会(しんこくかい)に反対する者は内外にいた。

 時は過ぎ、慶応。
 幕末の動乱の時代の中で、清国会(しんこくかい)の拠点は京都にあった。
 当然血生臭い世相に巻き込まれ、京都御所も守れないまま、当時の清国会(しんこくかい)(かしら)────雄滝(おだき)神社代表にして宮司、滝川倉明(たきがわそうめい)が内部抗争の末に暗殺される。
 娘の御世(みよ)滝川(たきがわ)家の後を継ぐが、御世(みよ)清国会(しんこくかい)の思想に対しては以前から反対だった。
 血の流れる正義を掲げながら、そこに本来の神道(しんとう)の神の存在は皆無であるとしか思えなかったからだ。
 明治維新直後、新しく作られたばかりの県からの願いで女神(めがみ)伝説を作り上げ、清国会(しんこくかい)の人間たちの意識を操作。
 しかしそれには〝理由〟だけでなく〝切っ掛け〟が必要だった。
 御世(みよ)が行ったことは、いわゆる外法(げほう)神道(しんとう)の世界では古くから外道(げどう)とされてきた密教とも言えるもの。簡単に行えるものではない。
 それには〝代償〟も伴う。
 それなりの覚悟が必要だった。
 それでも御世(みよ)は、唯独(ただひと)神社、水晶、清国会(しんこくかい)の存在を日本の歴史から抹消する。
 その後に、まるで身を隠すように巫女(みこ)の世界から足を洗って嫁として嫁ぐ。
 雄滝(おだき)神社は一つ若い妹に預けた。

 御世(みよ)が嫁いだのは明治政府の要職に就く佐藤兼正(さとうかねまさ)の長男────すでに財務省の要職についていた満直(みつなお)。元巫女(みこ)としての立ち振る舞いの美しさに、兼正(かねまさ)満直(みつなお)も何の不満もなかった。
 世の中は少しずつ明るい世相へと傾きつつあったが、戦争の機運が無かったわけではない。
 満直(みつなお)も財務省として軍部とのやりとりに奔走していた。家に帰る時間も遅くなり「孫の顔が早く見たい」という兼正(かねまさ)の言葉も最近は聞かなくなっていた。
 それでも結婚から二年後には長男が産まれ、翌年には長女も産まれる。
 佐藤(さとう)家の立派な洋館での贅沢な日々は、御世(みよ)自身にも過去を忘れさせるには充分なものだった。
 しかしそんな頃、その日々に亀裂が生まれ始めた。
 その夜も帰りの遅かった満直(みつなお)は、家に着くなり書斎に御世(みよ)を呼び出した。
「最近の子供たちはどうかな…………」
 夜中に呼び出されることなどそうあることではない。
 よほど緊迫した事情かと思ったところの拍子抜けする質問に、御世(みよ)は少し戸惑いながらも応えた。
「ええ…………毎日元気に育っておりますよ。お医者様にも大変元気な子供たちだとおっしゃっていただきまして…………」
 しかし満直(みつなお)の表情は優れない。
 御世(みよ)が続けた。
「いかがなさいました? 何かお仕事で────」
 満直(みつなお)は鞄から書類の束を取り出すと、御世(みよ)の前のテーブルに出して口を開いた。
「君のお父様は神社の宮司だったね。ご病気で亡くなられたと…………」
 しかし御世(みよ)は返さない。
 口を継ぐんだ。
 満直(みつなお)が続ける。
「……清国会(しんこくかい)とは、なんだ……? 維新前に暗殺された滝川倉明(たきがわそうめい)とは…………君のお父様ではないのか?」
 明治政府はいわゆる倒幕側。敗れたのは幕府側。
 清国会(しんこくかい)は古くからの繋がりで幕府側にいた。暗殺の理由はもちろん幕末の動乱ではない。清国会(しんこくかい)の内部抗争だ。すでに政治結社のような立ち位置になっていた清国会(しんこくかい)は、内外に敵を作り過ぎていた。しかし明治新政府の側から見たら、それは幕府側の内部抗争。
 そして御世(みよ)は、その反政府組織の人間の娘。
 幕府に神道(しんとう)が関わっていたことは当時を生きていた者にとっては周知の事実。そのくらいにこの国には浸透していた歴史がある。
 あくまで暗殺は清国会(しんこくかい)の内部の問題だったとはいえ、清国会(しんこくかい)の存在が歴史から消されてしまった後となっては、新政府側からすればその存在を調べないわけにはいかない。
 そしてそれは、御世(みよ)自身が原因を作ってしまったことでもある。
 清国会(しんこくかい)という政治的結社が維新後も裏で暗躍しているかもしれないとなれば、新政府が黙っているわけがない。

 ──……これが…………代償…………?

 御世(みよ)の身辺調査が始まった。
 このままでは、そこから再び清国会(しんこくかい)の記憶が揺り起こされ、かつての意識操作の対象の者たちの中で野望が再燃しないとも限らない。そのくらいに根の深い存在だった。
 しかし、御世(みよ)の不安は現実のものとなる。

 密かに動いていた女性がいた。
 高峯陵(たかみねりょう)────旧姓は御陵院(ごりょういん)
 明治維新直後に御陵院(ごりょういん)神社から他の神社に嫁いでいた為、御世(みよ)の意識操作を僅かながら逃れていた。しかし同時に、嫁ぎ先の神社は清国会(しんこくかい)とは無関係。問題は無いはずだった。
 しかし嫁ぐ前に御陵院(ごりょういん)家から指示を受けていた。
 (りょう)の嫁いだ理由は清国会(しんこくかい)の、いわば〝保険〟のようなもの。何かあれば(りょう)も動ける立場。事実その頃の清国会(しんこくかい)の周囲の不穏さを考えればあり得る判断だった。
 御世(みよ)の夫に情報を流したのも(りょう)
 清国会(しんこくかい)の存在がどうして消されたのか、(りょう)の辿り着いた答えは御世(みよ)だった。
 清国会(しんこくかい)を立て直さなければならない。
 (りょう)はその為に自分の存在があることを理解していた。

 その日は暑い夜だった。
 佐藤(さとう)家の屋敷が出火したのは深夜を過ぎた頃。
 複数の場所から同時に火の手が上がった。
 炎の熱だけでなく、煙が家族と使用人の避難を阻む。
 満直(みつなお)は消火活動をしに行くと言って寝室を出たまま帰ってこない。
 周囲を黒い煙に囲まれたまま、御世(みよ)は泣き叫ぶ二人の赤子(あかご)を抱え、ベッド脇で床を見つめていた。部屋は三階。窓から逃げられるはずもない。

 ──……これも…………代償…………

 遠くからのガラスの割れる音。
 炎の音。
 悲鳴。

 ──……私は死んでもいい…………でも……………………
 ──…………この子たちは…………絶対に守る……………………

 ──……〝娘〟はいずれ…………〝水の玉〟を継承する〝血〟……………………

 その時、寝室のドアがけたたましく弾け飛ぶ。
 そのドアは御世(みよ)の頭上を飛び、半分だけ開いていたガラスを叩きつけ、大きな音を立てた。
 寝室の入り口に顔を向けた御世(みよ)の目に映るのは、周囲の炎の作り出す風に揺れる巫女(みこ)服。
 そこに立ち塞がるのは(りょう)の姿だった。

 ──……どこの神社から────

 先に口を開いたのは(りょう)
「……お前が御世(みよ)か…………」

 ──…………何者…………?

「私は清国会(しんこくかい)復活の為にここに来た。貴様が捻じ曲げた歴史を戻す為に────」
 そして、その片手に短刀を持ち、ゆっくりと足を進める。

 ──……この子たちだけでも…………

 手の中に〝何か〟があった。
 それは小さく、丸い。

 ──…………〝水の玉〟──────

 御世(みよ)は左の(てのひら)(りょう)に向ける。
 そこには、細い鎖で指に絡まった〝水の玉〟。
 (りょう)は無意識の内に目を見開いて足を止めた。
「────そんな水晶など────‼︎」

 そして、その〝水の玉〟から水が溢れる。

 その水は瞬く間に御世(みよ)の子供たちを包んだ。
「────なんとしても‼︎」
 そう叫んだ(りょう)が、床を蹴る。
 そして体ごと御世(みよ)を壁に押し付け、短刀を何度も御世(みよ)の腹部に突き刺し、叫んでいた。
 二人の赤子(あかご)はその隣で水に包まれたまま。
 やがて、その水の塊は二人の赤子(あかご)を包んだまま、まるで床を溶かすように下の階へ。
 その光景を見た(りょう)は、すでにまともな状態ではなかった。
「この……化け物が‼︎」
 (りょう)は短刀を御世(みよ)の首に突き刺す。

 ──………………幸せになりなさい…………二人とも……………………

 その火事で生き残ったのは、二人の赤子(あかご)のみ。瓦礫の中から無傷で見付かる。
 しかも、その体は濡れていたという。

 翌日、(りょう)清国会(しんこくかい)復活の為に雄滝(おだき)神社に入った。
 嫁いだ神社は佐藤(さとう)家と同じ時間に火事で全焼。生き残ったのは(りょう)だけ。
 しかし(りょう)雄滝(おだき)神社に入った時点で、御世(みよ)の意識操作を受ける。
 亡き御世(みよ)のほうが一枚上手だった。雄滝(おだき)神社の鳥居を跨いだ時、少なからず御世(みよ)の影響を受けた(りょう)の中で、女神(めがみ)伝説は引き継がれる。
 それでも清国会(しんこくかい)のことを雄滝(おだき)神社の滝川(たきがわ)家に伝え、清国会(しんこくかい)は復活する。もちろん自らの実家である御陵院(ごりょういん)神社も巻き込んでいった。元々御陵院(ごりょういん)神社は雄滝(おだき)神社からの分社。しかし(りょう)は表向きはそれを逆にすることを提案した。
 理由は、未だに御世(みよ)の影響を感じるからだった。
 御世(みよ)を欺く為、清国会(しんこくかい)の活動は慎重に行わなければならない。

 ──……あの二人の赤子(あかご)を探さなくては…………

 密かに御世(みよ)の意識操作を受けているとは知らないまま、(りょう)御世(みよ)の二人の子供を恐れた。
 やがて、(りょう)御陵院(ごりょういん)神社で古い文献を見付ける。
 そこには、二つの水晶と唯独(ただひと)神社のことが書かれていた。

 ──…………唯独(ただひと)神社…………?

 ──……あの時の水晶…………なぜ〝水の玉〟が御世(みよ)に……………………





 その声は空気を凍りつかせるには充分だった。
 まるで温度が下がっててしまうかのような西沙(せいさ)の冷たい声。
 そしてその西沙(せいさ)の目は、まっすぐ萌江(もえ)に向けられていた。
「……萌江(もえ)……どうする? 姿の見えない〝畏敬(いけい)の存在〟は、これを望んでる。生贄(いけにえ)が欲しいだけ…………水晶の効果はないよ。この空間は〝畏敬(いけい)の存在〟のもの。私たちの中に、いつもいる…………」
 それに対して萌江(もえ)は、ゆっくりと言葉を選んで応える。
「…………あなたも……私を(あが)めるの? この神社を引き継いで…………」
「私は…………」
 西沙(せいさ)はそう言いながら、ゆっくりと(さき)の喉から刃を離す。

「……私は…………神なんか信じない…………」

 そして西沙(せいさ)の目が変わった。
 萌江(もえ)がどこかで見た目。
 何度も過去の記憶で見た目。
 経験したこともない過去の記憶で会っていた人。

 ──……………………おかあさん……………………

 その口が動く。

「〝……目の前にあるものは運命ではない…………未来です…………よく見ておきなさい萌江(もえ)…………これが私の死に様です…………〟」

 西沙(せいさ)のその首に、短刀の刃が押し当てられた。
 やがて、西沙(せいさ)がその短刀を一気に引く。
 その目の前の(さき)
 その真っ白い巫女(みこ)服が、肩から真っ赤に染まっていく。
 その場の誰も動けないまま、(さき)の背後から、西沙(せいさ)の体が寄りかかる。
 そのまま、支えのないままに床に倒れた西沙(せいさ)の首には、短刀が突き刺さっていた。
 反射的に駆け寄った綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)の動きに合わせるような水音。
 しかしそれは水ではない。
 床に広がる血の音。
「────西沙(せいさ)‼︎」
 (さき)のその叫びは、神社を揺らした。
 何度も何度も、繰り返し揺らし続けた。




             「かなざくらの古屋敷」
    〜 第十三部「水の中の女神」第5話(第十三部最終話)へつづく 〜
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