第十八部「花と香りと罪」第１話
文字数 9,890文字
そう
幸せだった
一歩
あと一歩前に出れば
もう、楽になれる
☆
夕方の六時頃。
平日の駅のホームは人でごった返していた。
地方の小さな駅とは言っても時間によってはそれなりだ。もっとも、都会ほどいつも混んでいるわけではない。
朝が雨だったせいか、今日の電車の利用者はいつもより多く感じた。
雨は昼過ぎには上がった。
今はホームに入り込む西陽が暑い。
電車の音が小さく空気を振るわせる。
香 の視界の端にライトの明かりが入り込んだ。
──…………一歩だけ、前に出れば………………
その時、香 のジーンズのお尻を誰かが押す。
小さな二つの手。
そして、体が前へ────。
☆
田口香 の両親が離婚したのは、香 が六才の時。
それからは父親に育てられることになる。
母親は浮気を繰り返して家にもほとんど帰らなくなっていた。働くこともせずにたまに帰ってきては父親にお金をせびるような日々。
そんな母親に我慢が出来なくなった父親が強引に離婚。まだ幼かった香 は、後になって父親からそう聞かされた。
父親は実家の八百屋 を引き継いでいたが、離婚直後に経営難で自己破産。
店舗兼住居の実家は売却。
二人で古いアパートに引っ越す。
父親は何度も転職を繰り返した。正社員になどなれないまま、苦しい生活が続く。
それでも香 は公立の高校に通うことが出来た。
そして生活はますます苦しくなった。
香 はいつも塩だけのおにぎりを作って学校に通った。いつもお昼時間はトイレの個室で隠れて過ごす。筆箱 は父親の使っていた古い物。決して高校生が持つような物ではなかった。
お洒落など出来るはずもない。もちろん興味はあった。毎日同級生の薄い化粧を見ながら、自分で自分の気持ちを傷付ける。
友達と呼べる相手は作らなかった。たまに話しかけてくるクラスメートはいる。でもそこまで。深入りはしなかった。やはり家の貧しさに、無意識に劣等感を持っていたからに他ならない。
その日、家に帰ると父親がいた。最近父親は昼間だけの仕事をしていたが、掛け持ちで夜の仕事を見付けたばかり。昼が休みでも夜だけ出勤のこともある。
「今夜も仕事？」
香 は横になってテレビを眺めている父親に声をかけながら、台所でスーパーのレジ袋を開け始める。家事のほとんどは香 が担当していた。父親はそういったことが得意なタイプではなく、事実として香 も父が料理をしているのを見たことはない。せいぜいヤカンでお湯を沸かすくらい。
「ああ……」
そんな父親の低い声が背後から聞こえた。
しかしその背後へ、香 の体が引っ張られる。
驚いた香 の背後から、父親の両手が腹部と胸へ。
「なに⁉︎」
反射的に声を上げた香 が制服のスカートをたくし上げられたかと思うと、下着にかかる父の手を懸命に香 は払おうとするが、その腕力には叶わない。
混乱しつつも理解の行き着く先は一つしかなかった。
「────や……やめて！」
しかし香 が声を出したのはそれが最後だった。
香 を畳に押し倒した父親は、一言も言葉を発しない。
ただ事 に及ぶだけ。
どのくらいの時間だろう。
小さな涙が香 の目から流れ続けたが、気が付いた時は、事 が終わってホッとしただけ。
息の荒いままの父親の声が耳に届く。
「……お前が学校に行けるのは……俺が毎日働いてるからなんだ…………」
香 は無言のままに風呂場に向かう。
制服のままシャワーを出した。
総てを洗い流してしまいたかった。
小さく玄関のドアの音が聞こえる。
父親の舌が這った首筋を念入りに洗った。
濡れた制服を可能な限り絞って外に干すが、すでに空が赤くなる時間。明日までに乾くかは怪しい。
そんな時に、やっと香 の口から言葉が漏れる。
「……明日…………土曜日だ…………」
それから、何度も香 は父親に体を求められ続けた。
そして香 はスーパーでのアルバイトを始めた。家にいる時間を少しでも減らしたかった。
それから時々ではあったが、家に帰らないことが増えた。
金銭的に週に一度だけ。それでもそのためのアルバイト。
最近出来たばかりの二四時間営業の漫画喫茶。唯一落ち着ける場所だった。未成年者かどうかなど調べられもしない。当時はまだ緩かった。嘘の年齢を書けばいいだけ。
それでも父親と顔を合わせる時間が無くなるわけではない。
その度に体を求められたが、香 はまだ逃げ出す方法を知らない。
何度目かの時、香 は無言で避妊具を差し出す。父親も反対はしなかった。
しかし、すでに時遅く。
香 はなるべく遠くの小さな産婦人科で中絶手術を受けた。
高校一年生の終わり頃に一度。三年生に上がった頃に一度。それぞれ別の病院で処置を受ける。どちらの病院でもプライベートなことには踏み込み過ぎず、精神的な部分で香 を気遣ってくれたのが嬉しかった。
父親が気付いていたかは分からない。
もっとも、香 にとってはどうでもいいことでしかない。
三年生。進路を決める時、香 は悩まなかった。
他県の社員寮のある職場から採用をもらい、父親には伝えないまま卒業。
そのまま家を出た。
父親が自分を探したかどうかは分からない。
自分の荷物は二つの鞄だけ。
半導体製造工場だった。
携帯電話を契約し、それから二年でお金を貯め続け、アパートに引っ越す。直後に仕事を辞める。
父親からの追跡が怖かった。
すぐに見付かった次の仕事は飲食店。居酒屋だった。
そして二〇才の時、二才年上の同じ居酒屋従業員────佐藤優作 と付き合い、妊娠する。香 が妊娠に気付くのは早かった。
伝えるべきか悩んだ。
産むべきか悩んだ。
自分に子供を産む資格があるとは思えなかった。
二人も殺してきた。
例え父親が誰でも、自分の子供。
しかも自分でそれを選んだ。
──…………もう……殺したくない……………………
香 は優作 に伝えた。
香 の予想に反し、優作 は喜んだ。
過去も話した。
泣きながら父親のことも話した。
それでも優作 は受け入れた。
籍を入れ、新しいアパートを借りる。
優作 の実家には、二人で相談の上で、父親はすでに亡くなったことにした。
優作 の実家は貧しかったからなのか、結婚式や披露宴をするお金が無いことを香 に謝った。しかし香 からすれば、むしろ自分の側に両親がいないことを説明することに申し訳なさを感じた。
結婚から半年ほどが経ち、無事に子供が産まれる。二度の中絶のことがあったために無事に出産が成功するか心配だったが、香 も優作 も、幸せだった。
娘だった。
しかしそんな幸せも、それから半年ほど。
子供を託児所に預け、香 も働きに出た。スーパーで昼間の短時間だけ。優作 の居酒屋の給料だけではギリギリの生活だった。
パートだけでなく、朝と夜には子供の世話と家事。決して楽ではなかったが、それでもそれを苦しいとは思わなかった。
常に、過去の中絶のことが頭にあった。しかし、だからこそ目の前の娘を精一杯立派に育てようと思った。
──…………もう……苦労はいらない…………
──……これからは……家族で幸せになるだけ…………
そして優作 が家に帰らないことが増える。
居酒屋での仕事は深夜の二時くらいまで。しかし帰ってくるのは昼過ぎ。シャワーだけを浴びて再び仕事へ。毎日ではないが、香 と顔を合わせない日が増えた。
香 は何度かそれを問い詰めたが、その度に優作 の機嫌を損ねるだけ。
香 は、いつの間にか自分が、再び〝我慢〟をしていることに気付く。まるで父親と一緒に暮らしていた頃のようだと感じた。
洗濯機に投げ込まれていた優作 の服からは、嗅いだことのない香水の匂い。
──…………どうして……………………？
☆
気持ちのいい夜だった。
もう夜になっても寒くはない。かと言って真夏の蒸し暑さはもう少し先。
その日の夕方に、ネットで注文していた荷物が届いたばかり。一番楽しみにしていたのは西沙 だ。門の前にトラックが停まると同時に荷物を受け取りに駆け寄ったほど。
四人で夕飯を食べていても、何やら西沙 は落ち着かない。
チラチラと足元に目を配り続けていた。今夜はあまり西沙 のお気に入りの日本酒も進んではいないようだ。
そんな西沙 に、突然立ち上がった萌江 が声をかける。
「よし西沙 。やるか」
途端に西沙 の顔が輝く。
「うん！」
子供のような目をした西沙 は、そう声を上げると立ち上がる。
その手には、足元に置いてあった〝花火セット〟。夏になるとスーパーやコンビニに並ぶようなものだ。ここ一週間ほど街まで行くことの多い杏奈 に探してもらってはいたが、時期的にまだ取り扱っている店が見付からないままにネットで注文し、届いたのが今日。
花火を欲しがったのはもちろん西沙 だったが、萌江 と咲恵 にもその理由はすぐに分かった。聞く必要などなかった。心を読み取る必要もない。
厳格な神社に産まれ、幼い頃から巫女 としての修行を重ね、何より西沙 自身が普通ではなかった。そんな家庭環境の中で、普通の家族の生活など皆無だったことだろう。
以前にも、家族で旅行どころか買い物もしたことがないと言っていたのを二人も覚えていた。
そして最初に西沙 が花火が欲しいと言った時、すぐに反応したのは咲恵 だった。
普通の家庭環境でなかったのは咲恵 も同じだったからだ。新興宗教を立ち上げた両親から神童と持ち上げられ、やがてその両親の嘘に気が付いて自分から逃げ出した。
咲恵 も子供の頃に家族で花火を楽しんだ記憶は無い。ある時、偶然に見かけた家族のそんな微笑ましい光景を萌江 と二人で見た後に、何も言わなくても萌江 は勘付いた。
咲恵 はゴミ袋の中の開いたトマト缶を取り出すと、その中にアロマキャンドルを入れて火を灯す。
「蝋燭 って他にないのよねえ」
萌江 はガーデニング用の小さ目のバケツに玄関横の水道から水を汲む。
杏奈 は折り畳みテーブルをリビングからの明かりに照らされる庭に出すと、そこにロングネック瓶のビールを並べ、残った料理を寄せ集めた大皿が一枚。
「西沙 さん、どれからやります？」
そう言いながら杏奈 が笑顔を西沙 に向ける。
「え？ ……ど……どれ…………」
戸惑いながらそう返す西沙 に、萌江 の声。
「よし、開けちゃいな」
しゃがみ込んだ西沙 が辿々 しく袋を開ける。
上から覗き込む三人も、心なしか目を輝かせていた。
「え……っと……」
西沙 の指は堂々巡り。
「それとか……私は好きだよ」
その咲恵 の声に、やっと西沙 の指が止まる。
「……こ……これ？」
「そうそう、花火って言ったらやっぱりそういうのだよね」
そこに萌江 が挟まる。
「……確かに。よし西沙 、こう持って…………」
萌江 は花火を西沙 の手に持たせると、蝋燭 に誘導する。
「先端に火をつければいいだけだよ」
西沙 は恐る恐る火を灯した。
やがてその火が火薬に点火。同時に激しく火花が飛び出し、光が辺りを回る。
驚いた西沙 が一瞬体を引くが、すぐに満面の笑顔を見せた。
その笑顔を見た萌江 が声を上げる。
「よし！ 始まったよ！ 一〇袋もあるから遠慮はいらないからね！」
全員が思い思いに花火に火を灯す。萌江 は小さな打ち上げタイプを離れた所に設置する。
「あの時も……私よりはしゃいでたなあ」
そう言う咲恵 に太い花火を振り回しながら杏奈 が言葉を返す。
「そう言えば、前に一緒に花火したって言ってましたっけ」
「私も子供の頃にしたことがなくて……そんな話したら萌江 が大量に花火抱えて店に来て……お客さんまで一緒になって深夜にビルの前でさ…………」
そう言って咲恵 が笑う。
杏奈 も笑いながら返した。
「萌江 さんらしいじゃないですか」
「一階の喫茶店のマスターまで参加してたなあ…………楽しかったんだ…………だから……西沙 ちゃんが笑顔になってくれて良かった」
「私はお母さんとだけでした…………父のことは記憶が無くて…………物心がついた頃にはいなかったし…………」
杏奈 の父親は主に海外の戦場を主体とするジャーナリスト。杏奈 が三才の時に海外で行方不明になったまま。杏奈 も父を追いかけてジャーナリストの道を歩んだ。なかなか自分の求める道には進めずにフリーになったが、気持ちのどこかには未だに戦場への憧れを持ったまま。
「お母さんも、お父さんと花火したこと無いって言ってたなあ…………」
そう続けた杏奈 は、僅かに寂しげな声になっていた。
咲恵 も釣られるかのように声のトーンを落として返す。
「萌江 も、義理の両親だけなんだよね…………幸せだったとは言ってるけど…………京子 さんとは…………ね…………」
「そっか…………」
そして、萌江 の側 で小さな打ち上げ花火が音を立てる。
「おお！」
西沙 が声を上げて走り回った。両手からは花火の火の粉が舞う。
火薬の匂いが辺りを包む。
そしてその匂いを、四人の笑顔が消していく。
腰を落とし、線香花火に火を灯した咲恵 に、萌江 がビールを手渡す。咲恵 が笑顔で受け取ると、萌江 も線香花火を手に取る。
「この歳になるとこのくらいがちょうどいいねえ」
そう言いながら火を灯した。
「よく言うわねえ、さっき一番派手なので楽しんでたくせに」
「西沙 が楽しんでくれたら、それでいいじゃん」
二人の笑顔が消えない。
これでいいと、思えた。
すると、両手に二本ずつの花火を持った西沙 が振り返る。
「ねえ！ 花火大会に行きたい！」
☆
明日、娘が一才の誕生日を迎える。
シフトの関係で少し早目にスーパーを後にした香 は、託児所に娘を迎えに行き、アパートに帰った。
出勤直前の優作 がいた。
あからさまに嫌そうな顔をする優作 に、出来るだけ香 は言葉を選ぶ。
──……また、今日も我慢してる…………
「……明日も仕事？」
「ああ……」
優作 の声は小さい。
「私……明日はお休みにしたの。昼間だけでも一緒にいられないかと思って…………」
「なんでだよ」
その低い声に、香 は気持ちの何かが破れそうになる自分を感じた。
それでも声を絞り出す。
「……あの…………明日…………一才の誕生日だから…………」
その声は震えていた。
しかし、それに返す優作 の冷たい声に、何かが崩れていく。
「知らねえよ……そんなの…………」
そして、香 は無意識の内に、一線を越えた。
「────女？」
優作 もまるで呼応するかのように何かが弾ける。
「お前には関係ないだろ」
「どうして？ 浮気相手なら私にも関係あるじゃない」
何かが、どこかが破れた。
まるで洪水のように、言葉が溢れ出す。
「明日は私たちの娘の誕生日なんだよ。それなのに浮気相手の所に行くの？」
空気の変化を察するのだろうか。
ベビーベッドに寝かせた娘が大きく泣き声を上げた。
舌打ちをして玄関に向かう優作 の腕を掴んだ香 が声を上げる。
「どれだけ私が我慢したか分かる？ 最近のあなたは娘を抱こうともしない…………最初は…………最初はあんなに喜んでくれてたのに！」
すると、優作 が腕を振り解き、香 の体がベッドの端に叩き付けられた。
恐怖が蘇った。
目の前で冷たく見下ろす優作 の目が、父親の目と重なる。
隣では娘が泣き続け、香 の神経を刺激した。
初めて香 に暴力を振るったからか、それとも娘の泣き声に神経を刺激されたのか。
優作 も声を荒げる。
「父親の所に帰れよ」
その言葉は、香 の中の何かを壊すには充分だった。
優作 の声が続く。
「お前みたいなのを売女 って言うんだろうな。この赤ん坊だって誰の子供か分かったもんじゃねえ」
──…………どうして…………こうなったんだろう……………………
ほとんど無意識だった。
香 は優作 に掴みかかる。
その首に両手を伸ばすが、やはり力では敵わない。
何度も何度も畳に叩き付けられた。
あの時、父親に抵抗した時のように。
そして、優作 が娘を抱き上げる。
「やめて！」
その香 の甲高い声にまるで応えるかのように、優作 は娘を両手で高く持ち上げた。
娘の泣き声に優作 の声が重なる。
「子供なんか出来るから面倒なことになるんだろうがっ！」
優作 は腕を振り下ろした。
そこは台所の板間。
そこに叩き付けられた娘の声が止まる。
香 の意識が、止まった。
優作 は娘の小さな体に、繰り返し足を食い込ませる。
「……や…………やめ…………て……………………」
香 が涙と共に絞り出す声は、もはや優作 の耳には届かない。
優作 が玄関から外に飛び出した。
香 はゆっくりと娘に近付く。
娘は静かなまま。
そこにすでに鼓動は感じられない。
ゆっくりと抱き上げた。
震える体で救急車を呼ぼうと電話をするが、涙で声が出ない。
「…………娘が…………娘が……………………私の…………娘……………………」
病院に運ばれるが、すでに処置を施せる状態ではなかった。
──…………明日…………誕生日だったのに……………………
そして病院からの連絡で到着した警察に、香 は総てを話す。
何も隠さなかった。
もう、何も守る必要はない。
その夜の内に優作 は逮捕される。
葬儀を行うお金も無い。火葬だけをしたが、優作 の実家の墓に入れる気はなかった。
留置所での最初の優作 との面会で、香 は無言で離婚届と優作 の印鑑を差し出した。すでに香 の名前と印鑑は押してある。
優作 も黙って従うが、最後まで香 と目を合わせることはなかった。
娘の骨壷を抱えたまま、僅かな荷物だけを持ってアパートは解約。売れる家財道具はリサイクルショップに売ったが、小さな物はほとんどが引き取ってもらっただけ。それほどのお金にはならなかった。
鞄は二つ。
少ない洋服の入った物は一つ。
娘の骨壷を大き目の鞄に入れて首から下げた。そして片手で娘を抱くように支えた。
スーパーにも事情を話して辞めた。いられるはずがない。どうせすぐに噂が広がって居づらくなるのが簡単に想像出来る。
行く宛ては無かった。
時間はすでに夕方。
世界が薄暗くなり始める。
空腹感と疲労。
朝からリサイクルショップやアパートの解約。食事も取っていなかった。
財布には一万円ほど。
──……娘だけ死なせるなんて…………
香 は裏路地の喫茶店に入った。
以前から、一度来てみたかった店だった。
中途半端な時間だからか、他に客はいない。
香 は四人掛けのテーブルに座り、隣の席に骨壷の入った鞄を置く。そして軽く撫でるように手を添えた。
コーヒーとチーズケーキを頼んだ。空腹なのに、あまり食が進まない。それでも美味しかった。
──……最後に…………娘と一緒に美味しいものが食べられた……………………
店には初老のマスターとその奥さんと思しき初老の女性だけ。
その女性が、香 の向かいに座った。
「どこに行くの？ そんな鞄持って…………ちょっとお買い物、じゃないでしょ」
「……え…………」
香 の髪はボサボサ。化粧もしていない。
やつれた顔で大きな鞄が二つ。
何も無いと思うほうが不自然だったのだろう。
サバサバとした印象のその女性の言葉は、なぜか香 の気持ちを揺らした。
無意識に零 れる涙は止まらなかった。
総てを話した。
総てを、誰かに聞いて欲しかった。
喫茶店の二階は住居となっていた。香 はその一室に案内される。
その老夫婦には娘がいた。
女性が部屋の窓を開けながら言う。
「そうね……今のあなたと同じくらいの歳だったかしら。もう何年も前になるけど…………病気で亡くしてね。それからは夫婦水入らず…………」
香 には何も返せない。
女性は布団を出しながら続ける。
「ちょうど昼間に干したばかりで良かった。こんな偶然ってあるのね…………部屋は好きに使って。お店には明日から出て貰えばいいから。今夜はゆっくり休みなさい」
それから三年ほど、まるで家族のように香 はそこで暮らすことになる。
喫茶店で働き、給料までもらい、ただただ感謝の日々。
それでもマスターが体を悪くして入院することになると、店を閉めざるを得なかった。
それからは様々な仕事をした。
清掃、コンビニ、夜のスナック。僅かとはいえ、お金も貯められた。
いつしか香 も三〇代半ば。
長く入院していたマスターが亡くなった。それから一年もせずに奥さんが亡くなる。まるで本当の両親のように接してくれた二人を失い、再び香 は一人になった。本当の親子ではなかったが、二人の遺言は香 に残された。遺言通りに住居兼店舗の建物は売却され、そのお金は香 が相続することになっていた。
最後まで感謝しかなかった。
香 はそのお金で、夫婦の墓の隣に小さな墓を建てた。
それは娘の墓石。
やっと香 は、娘を埋葬してあげることが出来た。しかし香 はお寺にお願いして空の骨壷も二つ一緒に埋葬してもらった。この世に産んであげることが出来なかった子供たちの物。
過去を洗いざらい話すと、お寺の善意で、位牌 も三つ用意してもらえた。
これで、やっと三人のお墓参りが出来る。
それから、香 はデイサービスの介護施設で介護員として働きながら、慎 ましく生き続ける。
忙しく働く内に、一〇年以上の時が経っていた。未経験で始めた仕事ではあったが、長く働いてこれたというだけでも職場には恵まれていたのだろう。
そんな頃、施設で不思議なことが起き始める。
いるはずのない子供の姿を見かけるようになった。他の職員に聞いても誰も見ていない。香 だけにしか見えていないようだった。
男の子が一人。女の子が二人。みんな五才か六才といった雰囲気。
自分に霊感があると感じたことはなかった。それでも幽霊というものなのかもしれないと香 も思ったが、恐怖を感じるわけではない。いつも施設の中を走り回っている姿をチラチラと見かけるだけ。
そして、ある時、香 は階段から転げ落ちる。そこは従業員だけが使用する階段。施設の屋上へ洗濯物を干しに行く時にしか使うことはない。
そこで、香 は背中を押されたような気がした。
そのまま体が回転する中で、一瞬だけ、視界にあの子供の姿。
それでも運よく右腕の上腕骨折と肩の打撲だけで済んだ。複雑骨折とまではいかず、全治一ヶ月との診断。
軽い事務仕事なら出来るからと、香 は仕事に出続けた。利用者との関係性を続けたかったというのが一番の理由だった。
しかし、あの時に一瞬見えた子供の幽霊が気になる。
あれからも時々姿を見ていた。
──……あの子たちかもしれない…………
香 にはそう思えてならなかった。
幼くして亡くなった子供は、少し成長した姿で現れるという話を聞いたことがあったからだ。しかも香 にしか見えていない。
──…………恨まれているのかもしれない…………
──……私だけが生き続けて……あの子たちはきっと私を許さないだろう…………
──…………あの子たちに、私は殺されても仕方がない…………
夕方の六時頃。
仕事帰り。
平日の駅のホームは人でごった返していた。
地方の小さな駅とは言っても時間によってはそれなりだ。もっとも、都会ほどいつも混んでいるわけではない。
朝が雨だったせいか、今日の電車の利用者はいつもより多く感じた。
雨は昼過ぎには上がった。
今はホームに入り込む西日が暑い。
電車の音が聞こえる。
香 の視界の端に電車の眩しいライトの明かりが入り込んだ。
──…………私に生きる資格は無い…………一歩だけ、前に出れば…………
その時、香 のジーンズのお尻を誰かが押す。
小さな二つの手。
そして、体が前へ────。
「何してるんだ！」
その大声と同時に、スーツ姿の中年の男性が香 の体を押さえていた。
「危ないじゃないか！ 死ぬとこだったぞ！」
──……あの子たちのところに行きたい…………
生気のないその香 の目に何かを察したのか、男性は駅員に香 を預けた。駅に併設された交番からも警官が駆けつける。
色々と話を聞かれ、厳重に注意をされてその夜は帰された。
──……どうして……まだ生きてるの…………？
アパートに帰ると、ベッド脇の小さな棚には三つの位牌 。
その前で膝を落とした香 は、小さく位牌 に語りかける。
「……呼んでるんだよね…………」
そして、久しぶりに、涙が溢れた。
「……待ってるんだよね…………もう…………そっちに行ってもいいよね…………」
──……私は……あなたたちを助けられなかった…………
──……ねえ…………どうしてここにいないの？ …………お母さん…………
四八才。
人生の岐路で、香 は多くのことを振り返った。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十八部「花と香りと罪」第２話へつづく 〜
幸せだった
一歩
あと一歩前に出れば
もう、楽になれる
☆
夕方の六時頃。
平日の駅のホームは人でごった返していた。
地方の小さな駅とは言っても時間によってはそれなりだ。もっとも、都会ほどいつも混んでいるわけではない。
朝が雨だったせいか、今日の電車の利用者はいつもより多く感じた。
雨は昼過ぎには上がった。
今はホームに入り込む西陽が暑い。
電車の音が小さく空気を振るわせる。
──…………一歩だけ、前に出れば………………
その時、
小さな二つの手。
そして、体が前へ────。
☆
それからは父親に育てられることになる。
母親は浮気を繰り返して家にもほとんど帰らなくなっていた。働くこともせずにたまに帰ってきては父親にお金をせびるような日々。
そんな母親に我慢が出来なくなった父親が強引に離婚。まだ幼かった
父親は実家の
店舗兼住居の実家は売却。
二人で古いアパートに引っ越す。
父親は何度も転職を繰り返した。正社員になどなれないまま、苦しい生活が続く。
それでも
そして生活はますます苦しくなった。
お洒落など出来るはずもない。もちろん興味はあった。毎日同級生の薄い化粧を見ながら、自分で自分の気持ちを傷付ける。
友達と呼べる相手は作らなかった。たまに話しかけてくるクラスメートはいる。でもそこまで。深入りはしなかった。やはり家の貧しさに、無意識に劣等感を持っていたからに他ならない。
その日、家に帰ると父親がいた。最近父親は昼間だけの仕事をしていたが、掛け持ちで夜の仕事を見付けたばかり。昼が休みでも夜だけ出勤のこともある。
「今夜も仕事？」
「ああ……」
そんな父親の低い声が背後から聞こえた。
しかしその背後へ、
驚いた
「なに⁉︎」
反射的に声を上げた
混乱しつつも理解の行き着く先は一つしかなかった。
「────や……やめて！」
しかし
ただ
どのくらいの時間だろう。
小さな涙が
息の荒いままの父親の声が耳に届く。
「……お前が学校に行けるのは……俺が毎日働いてるからなんだ…………」
制服のままシャワーを出した。
総てを洗い流してしまいたかった。
小さく玄関のドアの音が聞こえる。
父親の舌が這った首筋を念入りに洗った。
濡れた制服を可能な限り絞って外に干すが、すでに空が赤くなる時間。明日までに乾くかは怪しい。
そんな時に、やっと
「……明日…………土曜日だ…………」
それから、何度も
そして
それから時々ではあったが、家に帰らないことが増えた。
金銭的に週に一度だけ。それでもそのためのアルバイト。
最近出来たばかりの二四時間営業の漫画喫茶。唯一落ち着ける場所だった。未成年者かどうかなど調べられもしない。当時はまだ緩かった。嘘の年齢を書けばいいだけ。
それでも父親と顔を合わせる時間が無くなるわけではない。
その度に体を求められたが、
何度目かの時、
しかし、すでに時遅く。
高校一年生の終わり頃に一度。三年生に上がった頃に一度。それぞれ別の病院で処置を受ける。どちらの病院でもプライベートなことには踏み込み過ぎず、精神的な部分で
父親が気付いていたかは分からない。
もっとも、
三年生。進路を決める時、
他県の社員寮のある職場から採用をもらい、父親には伝えないまま卒業。
そのまま家を出た。
父親が自分を探したかどうかは分からない。
自分の荷物は二つの鞄だけ。
半導体製造工場だった。
携帯電話を契約し、それから二年でお金を貯め続け、アパートに引っ越す。直後に仕事を辞める。
父親からの追跡が怖かった。
すぐに見付かった次の仕事は飲食店。居酒屋だった。
そして二〇才の時、二才年上の同じ居酒屋従業員────
伝えるべきか悩んだ。
産むべきか悩んだ。
自分に子供を産む資格があるとは思えなかった。
二人も殺してきた。
例え父親が誰でも、自分の子供。
しかも自分でそれを選んだ。
──…………もう……殺したくない……………………
過去も話した。
泣きながら父親のことも話した。
それでも
籍を入れ、新しいアパートを借りる。
結婚から半年ほどが経ち、無事に子供が産まれる。二度の中絶のことがあったために無事に出産が成功するか心配だったが、
娘だった。
しかしそんな幸せも、それから半年ほど。
子供を託児所に預け、
パートだけでなく、朝と夜には子供の世話と家事。決して楽ではなかったが、それでもそれを苦しいとは思わなかった。
常に、過去の中絶のことが頭にあった。しかし、だからこそ目の前の娘を精一杯立派に育てようと思った。
──…………もう……苦労はいらない…………
──……これからは……家族で幸せになるだけ…………
そして
居酒屋での仕事は深夜の二時くらいまで。しかし帰ってくるのは昼過ぎ。シャワーだけを浴びて再び仕事へ。毎日ではないが、
洗濯機に投げ込まれていた
──…………どうして……………………？
☆
気持ちのいい夜だった。
もう夜になっても寒くはない。かと言って真夏の蒸し暑さはもう少し先。
その日の夕方に、ネットで注文していた荷物が届いたばかり。一番楽しみにしていたのは
四人で夕飯を食べていても、何やら
チラチラと足元に目を配り続けていた。今夜はあまり
そんな
「よし
途端に
「うん！」
子供のような目をした
その手には、足元に置いてあった〝花火セット〟。夏になるとスーパーやコンビニに並ぶようなものだ。ここ一週間ほど街まで行くことの多い
花火を欲しがったのはもちろん
厳格な神社に産まれ、幼い頃から
以前にも、家族で旅行どころか買い物もしたことがないと言っていたのを二人も覚えていた。
そして最初に
普通の家庭環境でなかったのは
「
「
そう言いながら
「え？ ……ど……どれ…………」
戸惑いながらそう返す
「よし、開けちゃいな」
しゃがみ込んだ
上から覗き込む三人も、心なしか目を輝かせていた。
「え……っと……」
「それとか……私は好きだよ」
その
「……こ……これ？」
「そうそう、花火って言ったらやっぱりそういうのだよね」
そこに
「……確かに。よし
「先端に火をつければいいだけだよ」
やがてその火が火薬に点火。同時に激しく火花が飛び出し、光が辺りを回る。
驚いた
その笑顔を見た
「よし！ 始まったよ！ 一〇袋もあるから遠慮はいらないからね！」
全員が思い思いに花火に火を灯す。
「あの時も……私よりはしゃいでたなあ」
そう言う
「そう言えば、前に一緒に花火したって言ってましたっけ」
「私も子供の頃にしたことがなくて……そんな話したら
そう言って
「
「一階の喫茶店のマスターまで参加してたなあ…………楽しかったんだ…………だから……
「私はお母さんとだけでした…………父のことは記憶が無くて…………物心がついた頃にはいなかったし…………」
「お母さんも、お父さんと花火したこと無いって言ってたなあ…………」
そう続けた
「
「そっか…………」
そして、
「おお！」
火薬の匂いが辺りを包む。
そしてその匂いを、四人の笑顔が消していく。
腰を落とし、線香花火に火を灯した
「この歳になるとこのくらいがちょうどいいねえ」
そう言いながら火を灯した。
「よく言うわねえ、さっき一番派手なので楽しんでたくせに」
「
二人の笑顔が消えない。
これでいいと、思えた。
すると、両手に二本ずつの花火を持った
「ねえ！ 花火大会に行きたい！」
☆
明日、娘が一才の誕生日を迎える。
シフトの関係で少し早目にスーパーを後にした
出勤直前の
あからさまに嫌そうな顔をする
──……また、今日も我慢してる…………
「……明日も仕事？」
「ああ……」
「私……明日はお休みにしたの。昼間だけでも一緒にいられないかと思って…………」
「なんでだよ」
その低い声に、
それでも声を絞り出す。
「……あの…………明日…………一才の誕生日だから…………」
その声は震えていた。
しかし、それに返す
「知らねえよ……そんなの…………」
そして、
「────女？」
「お前には関係ないだろ」
「どうして？ 浮気相手なら私にも関係あるじゃない」
何かが、どこかが破れた。
まるで洪水のように、言葉が溢れ出す。
「明日は私たちの娘の誕生日なんだよ。それなのに浮気相手の所に行くの？」
空気の変化を察するのだろうか。
ベビーベッドに寝かせた娘が大きく泣き声を上げた。
舌打ちをして玄関に向かう
「どれだけ私が我慢したか分かる？ 最近のあなたは娘を抱こうともしない…………最初は…………最初はあんなに喜んでくれてたのに！」
すると、
恐怖が蘇った。
目の前で冷たく見下ろす
隣では娘が泣き続け、
初めて
「父親の所に帰れよ」
その言葉は、
「お前みたいなのを
──…………どうして…………こうなったんだろう……………………
ほとんど無意識だった。
その首に両手を伸ばすが、やはり力では敵わない。
何度も何度も畳に叩き付けられた。
あの時、父親に抵抗した時のように。
そして、
「やめて！」
その
娘の泣き声に
「子供なんか出来るから面倒なことになるんだろうがっ！」
そこは台所の板間。
そこに叩き付けられた娘の声が止まる。
「……や…………やめ…………て……………………」
娘は静かなまま。
そこにすでに鼓動は感じられない。
ゆっくりと抱き上げた。
震える体で救急車を呼ぼうと電話をするが、涙で声が出ない。
「…………娘が…………娘が……………………私の…………娘……………………」
病院に運ばれるが、すでに処置を施せる状態ではなかった。
──…………明日…………誕生日だったのに……………………
そして病院からの連絡で到着した警察に、
何も隠さなかった。
もう、何も守る必要はない。
その夜の内に
葬儀を行うお金も無い。火葬だけをしたが、
留置所での最初の
娘の骨壷を抱えたまま、僅かな荷物だけを持ってアパートは解約。売れる家財道具はリサイクルショップに売ったが、小さな物はほとんどが引き取ってもらっただけ。それほどのお金にはならなかった。
鞄は二つ。
少ない洋服の入った物は一つ。
娘の骨壷を大き目の鞄に入れて首から下げた。そして片手で娘を抱くように支えた。
スーパーにも事情を話して辞めた。いられるはずがない。どうせすぐに噂が広がって居づらくなるのが簡単に想像出来る。
行く宛ては無かった。
時間はすでに夕方。
世界が薄暗くなり始める。
空腹感と疲労。
朝からリサイクルショップやアパートの解約。食事も取っていなかった。
財布には一万円ほど。
──……娘だけ死なせるなんて…………
以前から、一度来てみたかった店だった。
中途半端な時間だからか、他に客はいない。
コーヒーとチーズケーキを頼んだ。空腹なのに、あまり食が進まない。それでも美味しかった。
──……最後に…………娘と一緒に美味しいものが食べられた……………………
店には初老のマスターとその奥さんと思しき初老の女性だけ。
その女性が、
「どこに行くの？ そんな鞄持って…………ちょっとお買い物、じゃないでしょ」
「……え…………」
やつれた顔で大きな鞄が二つ。
何も無いと思うほうが不自然だったのだろう。
サバサバとした印象のその女性の言葉は、なぜか
無意識に
総てを話した。
総てを、誰かに聞いて欲しかった。
喫茶店の二階は住居となっていた。
その老夫婦には娘がいた。
女性が部屋の窓を開けながら言う。
「そうね……今のあなたと同じくらいの歳だったかしら。もう何年も前になるけど…………病気で亡くしてね。それからは夫婦水入らず…………」
女性は布団を出しながら続ける。
「ちょうど昼間に干したばかりで良かった。こんな偶然ってあるのね…………部屋は好きに使って。お店には明日から出て貰えばいいから。今夜はゆっくり休みなさい」
それから三年ほど、まるで家族のように
喫茶店で働き、給料までもらい、ただただ感謝の日々。
それでもマスターが体を悪くして入院することになると、店を閉めざるを得なかった。
それからは様々な仕事をした。
清掃、コンビニ、夜のスナック。僅かとはいえ、お金も貯められた。
いつしか
長く入院していたマスターが亡くなった。それから一年もせずに奥さんが亡くなる。まるで本当の両親のように接してくれた二人を失い、再び
最後まで感謝しかなかった。
それは娘の墓石。
やっと
過去を洗いざらい話すと、お寺の善意で、
これで、やっと三人のお墓参りが出来る。
それから、
忙しく働く内に、一〇年以上の時が経っていた。未経験で始めた仕事ではあったが、長く働いてこれたというだけでも職場には恵まれていたのだろう。
そんな頃、施設で不思議なことが起き始める。
いるはずのない子供の姿を見かけるようになった。他の職員に聞いても誰も見ていない。
男の子が一人。女の子が二人。みんな五才か六才といった雰囲気。
自分に霊感があると感じたことはなかった。それでも幽霊というものなのかもしれないと
そして、ある時、
そこで、
そのまま体が回転する中で、一瞬だけ、視界にあの子供の姿。
それでも運よく右腕の上腕骨折と肩の打撲だけで済んだ。複雑骨折とまではいかず、全治一ヶ月との診断。
軽い事務仕事なら出来るからと、
しかし、あの時に一瞬見えた子供の幽霊が気になる。
あれからも時々姿を見ていた。
──……あの子たちかもしれない…………
幼くして亡くなった子供は、少し成長した姿で現れるという話を聞いたことがあったからだ。しかも
──…………恨まれているのかもしれない…………
──……私だけが生き続けて……あの子たちはきっと私を許さないだろう…………
──…………あの子たちに、私は殺されても仕方がない…………
夕方の六時頃。
仕事帰り。
平日の駅のホームは人でごった返していた。
地方の小さな駅とは言っても時間によってはそれなりだ。もっとも、都会ほどいつも混んでいるわけではない。
朝が雨だったせいか、今日の電車の利用者はいつもより多く感じた。
雨は昼過ぎには上がった。
今はホームに入り込む西日が暑い。
電車の音が聞こえる。
──…………私に生きる資格は無い…………一歩だけ、前に出れば…………
その時、
小さな二つの手。
そして、体が前へ────。
「何してるんだ！」
その大声と同時に、スーツ姿の中年の男性が
「危ないじゃないか！ 死ぬとこだったぞ！」
──……あの子たちのところに行きたい…………
生気のないその
色々と話を聞かれ、厳重に注意をされてその夜は帰された。
──……どうして……まだ生きてるの…………？
アパートに帰ると、ベッド脇の小さな棚には三つの
その前で膝を落とした
「……呼んでるんだよね…………」
そして、久しぶりに、涙が溢れた。
「……待ってるんだよね…………もう…………そっちに行ってもいいよね…………」
──……私は……あなたたちを助けられなかった…………
──……ねえ…………どうしてここにいないの？ …………お母さん…………
四八才。
人生の岐路で、
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十八部「花と香りと罪」第２話へつづく 〜
