第一部「妖艶の宴」第3話(第一部最終話)
文字数 12,731文字
物心がついた頃には、すでに両親はいない。
しかも、誰もそのことを説明しようとはしないし、そもそも
そして五才の
二人は一目見て
暗い過去を感じさせない明るさとその笑顔に、二人には
二人が真剣に考えた結果だった。
環境の変化に最初は戸惑いを見せていた
来年には小学校に通う歳。二人ともその準備が楽しくて仕方がない。
二人の間で、
小学校に通い始めた
友達も出来た。
小学校二年の夏。
夏休みがもうすぐ始まろうかという頃だった。
「ただいまー!」
いつもの
今日も無事に帰ってきてくれた安堵感で玄関に出てみると、すぐに
「友達連れてきたよ、お母さん」
「友達?」
「うん。ゆずちゃん」
「ゆずちゃん?」
──……どこ?
「ドールハウス見せる約束したんだ。いい?」
「ん……うん。いいよ…………でも……」
「入っていいって、ゆずちゃん」
──…………え?
「じゃ、部屋に行くね」
「お母さん、わたしオレンジジュース! ゆずちゃんは?」
背後に語りかけている。
「ゆずちゃんもオレンジジュースでいいって! いこ!」
二階からドアを開ける音。続く
「どうぞ」
──…………なに……?
「イマジナリーフレンドってやつじゃないのかな?」
リビングのソファーで食後のウィスキーを飲んでいる
「最近聞くようになった言葉だから俺もそんなに詳しくないけど、子供は空想上の友達を作るらしいんだ」
「でも…………」
隣で湯気の上がる紅茶のマグカップを口に運びながら、そう言った
「
「どういう理由で友達を想像するのか……そこまでは分からないからなあ」
「なんだか……幽霊でも見てるんじゃないかと思って…………」
「まさか」
そう言って
「ホントだってば……結構怖かったんだよ。子供の頃って見やすいって言うし……一応オレンジジュースは二つ持ってったけど…………」
「二つとも飲んでた?」
「うん…………だから益々怖くて」
「
「帰り?」
「うん。まさか幽霊が律儀にドア開けて帰ったとも思えないし」
「お見送りまではしなかったけど…………
「まさか」
「聞いた。私、聞いてる…………」
「
「ああ…………そっか」
「考えすぎちゃダメだよ。あんまり頻繁にその〝ゆずちゃん〟が来るなら、
「うん…………そうだね…………」
翌日、
その翌日も。
そして
「
すると
「あ、そうだよね。ごめんなさい。聞いてみるね」
「ゆずちゃんのお家ってどこなの? …………そうなんだ…………そっか…………」
そして
「ゆずちゃんってね、お家に帰れなくなっちゃったんだって。今はちがうお家みたい」
「そ……そう…………あ、ごめんね……上がってもらって」
──……どういうこと?
次の日曜日、三人は駅のホームにいた。
夏休みに入って、ゆずちゃんも数日来ていない。
今日はお盆休み三日目。
毎年の事と諦める
その度に二人は、
ホームにアナウンスが流れる。
すると
「もうすぐ電車来るから前に出ちゃだめよ。危ないからね」
「うん!」
そう応えた
そして口を開いた。
「だめだよ。前に出たらあぶないよ。…………──だめ‼︎」
──…………え?
数十秒後、三人の目の前に電車がやってくる寸前。
人影が線路に向けて浮かんでいた。
反射的に
同時に聞こえる悲鳴。
パニックが起きた。
──……大丈夫…………
震えながらそう思った
しかし、
誰よりも早く。
人影が浮くより早く。
──…………まさか…………見えてたの…………?
体を震わせながら落ち着かない
それから数時間、二人にはかなり長く感じたが、疲れ果てたのか
リビングの時計を見ると夜の九時を回っていた。改めて
急にやってきた疲れに、
そこに
「もう大丈夫だと思う…………寝息が聞こえたから…………」
「ごめん……疲れたよね。実家からも
そこに
「神社でいいのかな…………」
「え?」
冷蔵庫の取っ手に指をかけたまま、
「お寺? 分かんないよ…………どこに連れて行けばいいの⁉︎」
「落ち着こう
「あの子…………おかしいよ…………普通じゃないよ……私たちより早くあの子は見てた…………」
「そんなことないよ……
「最近変なこと言い出すの…………遠くを見るような目で…………
大丈夫だよ
…………もうすぐ出れるから
…………もうすぐだよ
…………って…………怖いよ…………」翌日から、二人は神社やお寺でお祓いをしてくれる所を調べ始めた。幸いにもお盆休みはまだある。
やっと見付けた神社で説明をし、お
それでも何も変わらない。
見えない友達と会話をし、不思議な言動を繰り返し、深夜に家中を徘徊する。玄関や窓の鍵を開けて外に出ようとし始めたため、二人は交代で見張るしかなかった。
休日の度に神社やお寺を回る。
遠くても足を運んだ。
蛇が
落武者が
お
生活は
平日の日中は家には
おかしな言動で学校で騒ぎになったこともあった。汚い言葉でクラスメートを
とても
目付きまでも鋭く見えた。
学校でも孤立し、激しいイジメが始まる。
それでも小学校を卒業したが、中学校に通うようになっても状況は変わらない。相変わらずの神社通い。
そのまま三年。イジメが続く。
高校は少し離れた所を選んだ。
少しは落ち着いたかに見えた。
そんな頃、買い物から帰った
「どうしたの?
震える足のまま近付いた
「うん…………そう…………そうだよ…………ああ、そうなんだ…………大変だよね…………私が何かしてあげられたらいいんだけど…………ごめんね…………
ゆずちゃん
」それでも、なんとか無事に高校を卒業する。恐怖に震えることは何度かあったが、その頻度は確実に減っていた。
決して多くはなかったが、
それでも神社通いは定期的に行われた。
しかしその度に家計は擦り減っていく。
それでも二人は
唯一合格できたのは他県の大学。家から離れて一人暮らし。二人にも不安はあったが、環境の変化も必要かもしれないと判断する。
もしかしたら、二人も少し解放されたかったのかもしれない。
そして大学二年。
無事に成人式を終え、
そんなある日、
それは、
☆
「それで、
開店前。
カウンターに座った
辿々しく
「う、うん…………まあ」
「店は私以外にもいます。今すぐ
「いや…………でも
「
そう言って
「分かった。ごめん。行ってくる」
──…………
また、私は逃げたんだ
…………──……ごめん、
☆
「お願いです…………その人形に触ることは…………固く止められています…………」
山道を和服のまま走ってきたのか、息を切らせた
その
「イトさんの指示?」
「…………はい」
「誰かが着けてきてるのは気付いてた。私の後でこの別邸に入ってきたこともね。使用人にやらせずにわざわざ
「〝呪われた人形〟です…………触ると気が触れて…………やがて死んでしまうと…………」
「笑わせないで。この人形は呪われてなんかいない。呪われてるのは…………」
「…………
あなたたち
だ…………」そして小さく呟く。
「ごめんね」
決して大きな物ではない。小ぶりなサイズだ。それでも重さはそれなりにある。
「結構重いね」
「ま、待って下さい! なんてことを…………」
「この家の人に言われたくない…………でも……
養子
って……あなたもさっき知ったんでしょ? こっそり聞いてたみたいだけど、感じた…………」その動揺は隠せていなかった。
「はっきりさせなきゃいけないことが……まだまだある…………さ、行くよ」
それは青いゴム手袋。しかも半分以上が裏返しにされたまま。
それを見た
──……なるほどね…………
後ろをついてくるだけの
「
大丈夫だよ
…………もう少しだからね
…………もう少しだけ
…………」やがて、本邸に戻った
数名の使用人が
イトはまるで
あたふたと慌てる背後の使用人を無視し、
そしてイトの目の前に仏壇を立てて置くと、迷わず口を開いた。
「
ゴム手袋をしないと触れない人形
ってどういうこと?」イトが小さく呟く。
「…………おやおや…………これはこれは…………」
僅かに気持ちの揺らぎはあった。
それは
しかし同時に、どこか諦めのような印象を感じたのも事実。
──…………崩す……繋げてみせる…………
そう思った
「────〝ユズ〟はどこ⁉︎ どこなの⁉︎ 教えなさい‼︎」
その声に、まるで時間が止まったような空気が流れた。
張り詰める。
それをイトが崩す。
「…………その名前…………どちらで…………」
「ここまで知られたくはなかった? 舐めないでよ。私は99.9%幽霊も呪いも信じてはいない────だからこそ辿り着ける答えがあるんだ!」
そして、イトはゆっくりと語り出した。
「……この人形を買ったのは……確かに五代目の
「……姉…………」
「警察にも裏切られ、妹の恨みを晴らすためには呪い殺すしかないと思ったのでしょう…………」
「これを呪いの人形にしたのは、あんたたちでしょ…………」
しだいに小さくなった
「いかにも…………この人形に込められたものは呪いではありません…………アヘンです」
「だからゴム手袋…………」
「あの時代、どんなに法律で禁止されていても、アヘンを手に入れることは難しくはなかったと聞いております…………そういう時代だったのでしょう…………人形の着物に染み込んだアヘンは
私が呪いを完成させるために
…………」凄みすら感じさせるイトの声が、少し間を空けて続く。
「……私は、カヤの孫…………」
そのイトの背後から、鳴き声。
イトの言葉が続く。
「アヘンと言えども風化いたします…………効力が弱まっていると判断した私は、人形の着物の端を小さく切って煎じました…………それを事あるごとに滋養に良いからとお茶に混ぜました。二人の娘を
「……自分の…………娘まで…………」
「着物を切る時に、私はあるものを見つけてしまったのですよ…………」
イトはそう言うと、仏壇の扉を開けた。
そして、そのまま手を伸ばす。
「お母様!」
背後からの
両腕で抱き締めると、まるで自分の子供を
そして
そこには手書きの文字。
『 明治四十四年七月三日 誕 ユズ カヤ 』
「この人形の着物は…………私の祖母のカヤが、ユズの三才の誕生日に送ろうと思っていた着物…………」
「…………ユズって…………」
──……まさか…………
「
「…………娘…………」
呟くように言葉を発した
「ウタと共に
「…………この家は…………腐ってる…………」
──…………ゆず………………
「確かに…………
「お母様…………」
「……私です…………私が
イトの
何かを言いかけたのか、その小さな唇が僅かに動いた。
しかし返すのは、呟くような
「…………あなた…………誰なの?」
その
「…………
震えた声の
「お母様が、呪いだからお
すると
そして口を開いた。
「
「埋めるって…………どちらに…………」
「別邸────イトさん、ユズはどこに埋まってるの?」
「……分かりません…………ウタは蔵の裏の
「分かった…………私が探す」
☆
義理の両親は、山の中の高い橋から飛び降りていた。
実家は義父と義母の実家がそれぞれ協力して売却していた。自殺は家の中ではなかったのでそれなりの金額で売れたようだった。そして養子である
仕事を見付けるのに時間がかかっていた
やっと見つけたのは居酒屋での厨房の仕事。時給は決して高くなかったが、ホールスタッフよりも働ける時間が長いことを理由に厨房を選んだ。元々サバサバとした男勝りな性格だったせいか、職人の世界は馬が合った。
しかし多くの会社がそうであったように、当時のいわゆる客商売の世界の労働環境は長時間労働が当たり前の世界。一二時間程度働き続けるのは当たり前の毎日。アパートで過ごす時間は多くなかった。
休日は固定されていなかったが、大体週に二日は取れていた。
一日中家で過ごす日もあれば、逆に外を歩き回ることもある。
中途半端に大学生活を終わらせてしまったせいか、友達はいなかった。それでもそれほど寂しいと思ったことはない。一人のほうが楽だと思うようになっていた。むしろ人と関わることを避けていたようなところがある。
職場の従業員とも職場だけの付き合い。店の外で会うことはなかった。従業員同士での飲み会なども、いつも適当にはぐらかす。自然と誘われることも少なくなるが、
その日も特別目的を決めていたわけではなかったが、街中をブラブラとして時間を潰していた。
やがて、最近通うようになったアクセサリーショップが目に入った。
それほど
そういう
──寄ってこうかな…………
そんなことを思っていた時だった。
ショップのガラスの向こう──店内に幼い女の子が見えた。
しかも見覚えがある。
──……どこかで会った…………?
しかもその女の子は、
──……ゆず…………ちゃん…………?
いつの間にか、
そのまま店内に視線を配る。
しかし誰もいない。小さな店内。全体はすぐに見渡せる。
やがて、店の女店主が声をかけてきた。
「いらっしゃい…………お久しぶりね。どうしたの? 不思議そうな顔して」
まだ二〇代とは思われたが、
「今、女の子いなかった?」
「やめてよ、事故物件じゃないんだから…………しばらく誰も来てないよ。暇だから何か買ってってよ」
──……やっぱり…………
そっち
…………?「久しぶりに……そうだね…………」
そして、一つのアクセサリーが目に入った。
それは小さな水晶。透明ではあるが、僅かに黒い。暗い、という表現のほうが正しい印象だった。
値札を見ると名前が書かれていた。
「〝火の玉〟?」
「ああ、それ? 珍しいでしょ? 純日本産。日本生まれの水晶なんだって」
すると
「五千五百円⁉︎ そんなにするの⁉︎」
「アクセサリーで出回るのは珍しい石なんだよ。しかも天然物でその値段は安いほうだよ。チェーンが千五百円で合わせて七千円でどう? 税込で」
「高い」
「まけないよ。気に入ったんでしょ」
「んー……ちょっとね」
「なんかそういうのってあるよね…………真面目な話、呼ばれたのかもよ」
「そんなものかねえ」
その水晶を購入した翌週、そのショップはなぜか無くなっていた。
☆
別邸の裏、蔵の更に裏、そこは背の高い雑草に囲まれ、手入れがされていないのがすぐに分かった。
そして
中には何も入っていなかった。
途端に左手に電気が走った。
──水晶が反応してる…………ここなの…………?
「隣って…………」
声を漏らし、
そこには、大き目の石があった。周りの草を掻き分けると、僅かに土が盛り上がり、その上にいくつかの石。墓石の代わりだったのだろうか、どことなく立てていた石が倒れてしまったようにも見える。そのためか、石には
そして
「……ここが…………」
「……うん…………ウタさんはここに眠ってる……総ての始まり…………でも殺された使用人はここじゃない…………もっと山の奥……近くには埋めたくなかったのね…………」
すると
その
「どうして墓石みたいにして置いたんだろうね…………分からないようにもっと山奥に埋めてもいいのに…………」
そして、また水晶が反応する。
「そこ…………」
そこには、まるで流木のような曲がりくねった古木が地面に突き立てられていた。
「最初に…………
ユズを埋めた
…………」そう語る
「ユズを埋めた
背後の
構わずに続く
「例え僅かでも…………仏心はあった…………どんなに許されないような人間でもね…………それだけは覚えておいて…………」
周りの使用人たちが、なんの指示もないまま、スーツのまま、地面に膝をついて雑草を抜き始めた。そして、一人がスコップを持って
「こちらで……よろしいですか?」
使用人は、古木の隣を指差していた。
「……お願いします……仏壇を…………横にして…………埋めてあげてください…………」
「かしこまりました」
すると、今度は蔵のほうから別の使用人の声が響く。
「────奥様!
使用人が全員振り返る。
救急を呼べば、アヘンがバレるだろう。
座り込む
「…………ありがとうございました…………大変……お世話になりました…………」
──……そう…………そういうことね…………
そして振り返り、小さく呟く。
「……遅くなっちゃったね…………お待たせ…………ゆず…………」
本邸まで降りる。
見慣れた車が見えた。
そしてその横には見慣れた
そして声。
「
途端に
「どうしたの? お店潰れちゃった?」
「心配して迎えに来たんでしょ⁉︎ どうなったの? さっき聞いたら裏山に行ったって聞いて…………これから追いかけるとこだったんだけど…………」
「うん…………もう解決したよ…………呪いは終わり」
「終わりって…………」
「車で説明するよ。帰ろ」
すると、二人に一人の使用人が近付いてきた。
そして、大きなジェラルミンケースを渡す。
その使用人からは一言だけ。
「大奥様から……〝お気持ち〟……ということでした…………」
サイドミラーに、深々と頭を下げる使用人の姿が映っていた。
☆
「その物語は……私も想像してなかったよ…………」
運転しながらの
「うん。呪いじゃなかった…………言うならば、恨みの連鎖かな…………」
──……歴史は終わらない…………続いていくだけ…………ここにはまだ残ってる…………
そんなことを思った
「どうなるんだろうね…………あの家…………」
「……私たちの仕事はここまで…………あの人たちの人生は…………後は、あの人たちが決めるだけ…………」
「…………うん…………そうだね」
不思議と、寂しさが募った。
自分たちが立ち入ることの出来る限界を感じる。
しかし、
「一つだけ解決しなかったのは…………」
そう言った
「……事の発端になった
「ただの偶然かもしれないけど…………
「────あるんだよ…………」
はっきりと応えた
「…………やっぱり呪いなのかも」
「……不思議な経験だったね」
「…………うん…………そうだね」
リアルに考えたら、そのほうがしっくりとくる。
それなのに、なぜか、ユズに導かれたような気がしてならない自分がいる。
答えは出ないだろうとも
そしてその
「ところで、今夜はどこに帰るの?」
「そんな物持って私の部屋はやだよ。山の家に帰るからね」
「そうだね。これってどうやって開け────あ、開いた」
そしてすぐに
横から
「マジで?」
「
「あなたの好きなネット通販で見たらいいでしょ。って言うより家でしょ家」
「家もネットで買えるの?」
「だからネット通販で調べなさいよ」
「一緒に選んでよ」
「お店があるし」
「今日はもう間に合わないから泊まりね」
「へいへい」
──……
それでも
「かなざくらの古屋敷」
〜 第一部「妖艶の宴」終 〜