第十三部「水の中の女神」第3話
文字数 8,861文字
「…………御世 の血…………」
萌江 が、無意識の内に呟いていた。
いつの間にか、その場に柔らかい風を感じる。
それでもそれは、湖面を削った冷たい風。
しだいにその空気は五人の間を走り抜けていく。
咲恵 が話を続けた。
「地震の前に湖の温度が上がるのは伝説が作られる前からだったはずです。科学的な検証をされたわけではありませんが、おそらく地殻の影響でしょう……マグマとかの話になるでしょうし、私は専門外ですけどね。御世 がそこまで分かっていたかは分かりませんが…………後から付け加えられた話ではないですか?」
「なるほど…………」
そう言った溜息混じりの咲 が続ける。
「雄滝 から流れる川が繋がる雄滝 湖と、そこを守る雄滝 神社ですか…………伝説の前の湖がどんな名前だったのか、確かに記録はありませんでした……雄滝 湖の名前を姫神 湖に変えて……どういうわけか我々の意識まで変え…………つまり、御世 にはそこまでする〝理由〟があったということでしょうか…………?」
「あったんでしょうね」
即答した咲恵 が続ける。
「でも、そこまでは御世 も教えてくれない。というより、御世 の意識操作はまだ続いてるんです…………しかし完全ではありません…………とは言っても私でも総ては見えない…………」
決して怯えてはいない咲恵 の声。
迷いの無いその口調に、誰も何も返せないままに、再び風が強まる。
咲 と恵麻 の長い髪が大きく揺れた。
しかし、まるで何かに包まれたかのように、咲恵 の長い髪は微動だにしない。
その異様な雰囲気に気が付きながらも、萌江 は咲恵 の手を離さない。
やがて、その場の空気を揺らしたのは、それまで話を黙って聞いていた杏奈 だった。
「……雄滝 神社って…………御陵院 神社の分社ってことは…………親戚になるんですよね…………」
誰も返さない。
返す必要もない。
杏奈 が続ける。
「……伝説の真実って…………咲恵 さんだから見えたんですか…………血が繋がってるから…………」
杏奈 が言葉で形にした。
そこに咲 が応えていく。
「……もう黒井 さんも恵元 さんもお分かりですね…………確かに我が御陵院 家と雄滝 神社の滝川 家は親戚…………そしてその血は、恵元 さんの金櫻 家にも繋がっています…………黒井 さんも、〝他人〟ではありません。黒井 さんのお母様は、御世 の〝ひ孫〟に当たる方…………〝滝川 家の人間〟です」
その咲 を、咲恵 は震えた目で見つめ続けていた。
そして、萌江 はそんな咲恵 から目を離せない。
まるで走馬灯のように、萌江 の頭に思い出が浮かんでいた。
運命などという安っぽい言葉で咲恵 との関係を表すつもりはない。それでも萌江 は咲恵 と出会うべくして出会ったと感じていた。あまりにも多くのことを感じ、あまりにも多くのことを二人で経験した。最近になって咲恵 とのことを考え直すようになってさらに気持ちが近付いていた。
咲恵 と出会えて、萌江 は幸せだった。
それ以上の言葉は見付からない。
しかし、今のこの感情が何なのか、萌江 にそれを理解することは難しい。
萌江 からの視線を分かっていたのか、咲恵 が小さく呟く。
「…………良かった…………」
「え?」
反射的に返す萌江 に、そのままの口調で咲恵 が続ける。
「……私は、萌江 と他人じゃなかった…………」
そして、その目から涙が零れる。
その涙の向こうに、柔らかい笑顔が浮かんでいた。
新興宗教の家に産まれ、人生を両親によって翻弄され、現在でもその両親の生死すら分からない。過去の歴史のどんな部分に自分が繋がっているのか、何も見えていない人生。宙に浮いてしまったような生き方を、萌江 が唯一この世に繋ぎ止めてくれた。
しかし、今は地面に足が着いたような感覚がある。
涙が気持ちを揺さぶりながらも、なぜか気持ちは落ち着いていた。
自分の中に、新しく誰かの存在を感じる。
御世 の存在は暖かかった。
──……私は…………いるべくして、ここにいる………………
そして、中にいるのは一人ではない。大勢の存在を感じた。それまで咲恵 が自覚していたのは京子 だけ。
しかし、咲恵 はやっと気が付いた。
──……みんないる…………やっとその〝理由〟が分かった…………
──…………みんな…………萌江 を守ってる…………
──……その中心が…………御世 ………………
咲恵 は、咲 に顔を向けて口を開く。
「……咲 さん。どうしてですか? どうして水晶のことを秘密にしてたんですか? 知っていたのに…………」
強い風がその言葉を遮ろうとするかのように咲恵 の目の前を通り過ぎた。
すると、咲 の隣の恵麻 が一歩だけ後ろに下がる。その口が小さく動くのを咲恵 も萌江 も見逃さなかった。
そして口を開いたのは咲 。
「……まだ……そのお話をするのは…………お早いかと…………」
そこに挟まるのは萌江 。
「────戯言だ」
萌江 は首にかかる〝火の玉〟を掴む。
それは、熱かった────。
「いずれ────」
その咲 の言葉が、萌江 の言葉を遮って続く。
「……お話することになりますよ…………」
すると、動き始めたのは咲 の隣の恵麻 だった。
すぐに咲 が後に続き、二人が萌江 の隣を通り過ぎる。
その瞬間、萌江 は背筋に冷たいものを感じていた。
その隣で咲恵 は動かない。
やがて、咲 と恵麻 の足音が聞こえなくなると、最初に口を開いたのは杏奈 。
「……咲恵 さん…………萌江 さん…………」
しかし、次の言葉が見付からない。
どんな時でも言葉を繰り出せなくては記者として失格。しかしこの時の杏奈 には無理だった。杏奈 から見ても、それはあまりにも予想外な現実。
しかも、多くのことがまだ隠されている。
大事なことは、誰を信じるかだけ。
そして、それは杏奈 の中ですぐに決定付けられた。
「車へ行きましょう……西沙 さんに話を聞くべきです」
杏奈 にはそれしか考えられなかった。
杏奈 のその言葉に、萌江 が顔を向ける。僅かに怯えた横顔が瞬時に引き締まる。
「そうだね…………」
そう言って萌江 は続ける。
「……ごめん。私も冷静じゃなかった」
そしてその言葉を、前を見たままの咲恵 が拾う。
「……だめだよ萌江 …………あなたが一番しっかりしなきゃ…………でも…………〝私たち〟は絶対にあなたを守る…………」
その咲恵 の目からは、大粒の涙が零 れる。
車に戻ると、萌江 はすぐにペットボトルの水を咲恵 に飲ませるが、それでもまだ涙は止まらない。
ルームミラーに心配そうに視線を送りながらも、杏奈 が車を走らせ始めた。
萌江 は咲恵 の肩を抱きながらスマートフォンを取り出すと、電話をかけた相手は西沙 。すぐに出た西沙 の声は落ち着いていた。
『だからやめろって言ったでしょ』
──……やっぱり見えてた…………
「西沙 …………あなたの知ってることを教えて」
『萌江 にも知らないほうがいいことはあるよ…………分かったでしょ……私も咲恵 も、あなたと血が繋がってる』
「……そんなことを聞きたいんじゃない」
その萌江 の低い声が車内に響く。
「金櫻 家って何? 水晶って何なのよ⁉︎」
『よく聞いて萌江 ……それを今私が話したら、あなたは耐えられない』
そこまで聞くと、萌江 は一方的に通話を切った。
そして言葉を続ける。
「ごめんね杏奈 ちゃん…………西沙 の所まで急いでくれる?」
「……はい」
杏奈 もそう応えるしかなかった。
☆
西沙 の事務所に到着した時はすでに二二時を過ぎていた。一階のコンビニですら人影は少ない。
しかし窓を見る限り事務所のある二階の明かりは点いている。
「まだいますよ。行きましょう」
杏奈 はそう言ってビルの横に車を停めてドアを開けた。先に立って階段を登るが、萌江 と咲恵 の二人が気になる。振り返ると萌江 が先になって咲恵 の手を引いていた。
杏奈 が事務所のドアを開ける。
そこで驚いた表情を見せたのは受付の美由紀 だった。
「西沙 さんは⁉︎」
杏奈 のその大きな声に、美由紀 は少しだけ怯えたように応えた。
「……どうしたんですか杏奈 さん…………私は今夜は残ってて欲しいって頼まれて…………」
「西沙 さんはどこ⁉︎」
さらに声を荒げる杏奈 。
受付の椅子に座ったまま、美由紀 は言葉を濁らせる。
というより、言葉が出なかった。
相手が誰であれ、美由紀 は大きな声が嫌いだった。幼少期の経験からだったが、それが威圧感を伴っていれば尚更だ。思考が萎縮してしまう。それを知っていたのは西沙 だけ。
すると、杏奈 の肩に手を乗せた萌江 が割って入った。
「杏奈 ちゃん……怖がってるよ」
「え? あ……ごめん美由紀 ちゃん…………」
我に帰った杏奈 が乗り出していた体を後ろに下げると、萌江 が美由紀 に笑顔を向けて繋げた。
「急にごめん。初めましてだよね。西沙 から話は聞いてた……美由紀 ちゃんだよね」
美由紀 はゆっくりと怯えた目を上げる。
そして、萌江 が続けた。
「私は恵元萌江 …………西沙 とは仕事の関係でちょっとね」
「萌江 ……さん…………あ、西沙 から聞いてました」
美由紀 は少しずつ顔を上げて、表情を取り戻していく。萌江 の後ろで手を繋いだままの咲恵 に視線を送るも、咲恵 は美由紀 とは目を合わせようとはしていない。瞼 が赤くなっているのを見て、美由紀 も何かを察する。
萌江 は柔らかい表情のまま返した。
「それなら良かった。私も西沙 から美由紀 ちゃんのこと聞いてたよ……いつも助けられてるって言ってた」
「そんな……私は西沙 みたいな力はないし…………事務だけで…………」
「西沙 は私と一緒で数字とか苦手そうだもんなあ」
その萌江 の明るい声に、美由紀 の表情が解 れた。
そして萌江 が続ける。
「こんな時間にいきなり押しかけちゃってごめんね。見た感じ西沙 はいないみたいだけど…………もう帰っちゃったかな?」
すると、美由紀 は表情を僅かに曇らせて返した。
「いえ…………一週間くらい前から実家に行ってて……理由も教えてくれなかったし…………今夜は残っててくれって夕方に電話があって…………それで…………」
「一週間? そっか……相変わらず読まれてるなあ」
──……今夜押しかけることまで見えてたか…………
「何か…………あったんですか?」
そう言った美由紀 が不安気な目を萌江 に向けた。
極度に他人との交流が苦手なタイプであることは萌江 にもすぐに分かった。西沙 がしばらく顔を見せないことで不安が大きくなっていたのだろう。出張などでしばらくいない場合でも、今まで理由を言わないことがなかったのは美由紀 の言葉からでも想像がついた。
西沙 がことあるごとに美由紀 を気にかけていたことは萌江 も知っている。よほど大事な片腕なのだろう。
しかし今回に関しては萌江 にも現状が掴めていない。
「私たちもよく分からないんだよねえ…………まあ実家に行ってるなら問題ないよ」
──……今回ばかりは例え実家でも不安だけど…………
その時、いつの間にか外に出ていた杏奈 が忙 しなく現れた。
「美由紀 ちゃんさっきはごめん。これで勘弁して」
そう言うと美由紀 にコンビニのレジ袋を差し出す。
美由紀 が満面の笑みを浮かべる。杏奈 のこういうところが憎めないことを美由紀 も知っていた。
「もう…………許しますよ」
その言葉に杏奈 もやっと笑顔になった。
そして咲恵 の声。
「萌江 ……行こう…………」
咲恵 が萌江 の手を引いていた。
☆
それは風光会 の一件の直後。
咲恵 は御陵院 神社の祭壇の前に横になっていた。
あの直後から意識は無い。
咲 が中心となって祈祷 を続けて三日目。
咲 の後ろでは常に西沙 がサポートを続けていたが、咲恵 が目を覚ます気配はない。
そして呼ばれたのは西沙 の姉────綾芽 と涼沙 。
西沙 が姉二人と仲が悪いことはもちろん咲 は知っていたが、咲 としてはこれ以上は咲恵 の肉体的に危険が及ぶと判断しての決断だった。
久しぶりの姉達の姿に西沙 も表情を強ばらせる。
二人は咲 のすぐ後ろ────西沙 の目の前に座るなり、次女の涼沙 が毒づく。
「いつも威勢がいい割に、こんなトラブルを持ち込むなんて…………」
気性の穏やかな長女の綾芽 に比べ、涼沙 はこと西沙 に関しては攻撃的な一面を見せる。やや気の短い所は咲 もよく嗜 める部分だった。
咲 は西沙 が眉間 に皺 を寄せているのを背中で感じたが、言葉を涼沙 に向けた。
「涼沙 …………今回は御陵院 家の問題でもあります…………言葉を慎みなさい」
「……失礼いたしました」
涼沙 もすぐにそう返すと、深々と頭を下げた。
そこに綾芽 。
「以前に……お会いした方ですね…………母上、何がありました…………?」
祭壇の前に横たわり、胸の上で両手を合わせる咲恵 の姿を肩越しに見ながら、綾芽 が続けた。
「まさか母上…………あの石は〝水の玉〟では…………」
「さすがですね綾芽 …………その通りです…………我が御陵院 家の先祖が金櫻 家の為に手に入れて納めた物…………長らくその所在が不明でした…………」
古くから伝わる水晶の伝承は、すでに二人には修行を終えた時点で伝えてあった。
しかし西沙 だけは家を出る時にすでに説明を受けてる。事の展開次第では西沙 が中心になる可能性を考えての咲 の判断。しかもそれは間違ってはいない。
その水晶の一つ────〝水の玉〟が、目の前の咲恵 の手に絡む。
綾芽 が咲 に質問を返した。
「どうしてこの方が…………御陵院 家と繋がりが…………」
「それを知りたくてここに連れてきたのです。しかしなかなか見せてはくれぬ…………それでも〝理由〟は必ずあります」
そして、四人での祈祷 が始まった。
依代 は西沙 。咲 の判断だった。西沙 は横になる咲恵 の前に移り、背中を丸めたまま両手の指を絡める。その後ろには咲 。更にその後ろに綾芽 と涼沙 。
しばらくして、最初に反応を見せたのは綾芽 だった。
「……一人ではありません…………母上……多過ぎます…………」
綾芽 のその声に続いたのは涼沙 。
「血筋が見えません…………いえ…………滝川 様の御血筋かと…………金櫻 様まで…………」
涼沙 は恐怖を感じた。
──…………あり得ない…………
その時、西沙 の口から零 れた声は、西沙 のものではない。
「…………私は……〝御世 〟…………私は…………〝清国会 〟の意思を継ぐつもりはありません…………」
咲 が顔を上げた。
目を見開き、片膝を上げたかと思うと体を翻 す。
横たわる咲恵 の前に、西沙 と向かい合うように移動したかと思うと、西沙 の頭を右手で掴んだ。
その光景に綾芽 が声を荒げる。
「母上! 惑わされてはなりません!」
その声を無視し、指に力を入れた咲 は低い声を絞り出した。
「……〝清国会 〟……だと…………?」
再び綾芽 が叫ぶ。
「母上!」
しかし、次の咲 の声が本殿の空気を揺らした。
「……母上から聞いていたぞ……〝御世 〟…………貴様の好きになどさせん!」
直後、叫んでいたのは涼沙 だった。
「────母上!黒井 様が────!」
咲恵 がゆっくりと首を上げていた。
その姿に咲 が体を引くと、咲恵 はゆっくりと上半身を起こそうと肘を立てていた。
そこに咲 の声。
「……御世 か…………ここで祓 ってくれるわ!」
しかし、次の瞬間、咲恵 の口から出た声は、あまりにも雰囲気から逸脱する響き。
「〝あなた如きじゃ…………私には勝てないよ〟」
すると、咲 が一歩だけ後ずさった。明らかにその表情が狼狽 える。
咲恵 がその咲 を見上げた。
そしてその口が動く。
「〝我らは〝萌江 様〟を守る者たち…………お前を守る者たちは、どこにいる?〟」
咲恵 は言いながら立ち上がると、目を見開いた。
その姿に、咲 と二人の娘は動けない。
──…………負ける……
涼沙 がそう思った時、咲恵 は西沙 の頭に手を添え、再び口を開いた。
「〝お前の大事な娘は……我らに与することになる…………産まれる前から決まっていたこと…………その為に命を与えた…………〟」
そしてそれは突然。
咲恵 は、西沙 の体に覆い被さるようにして倒れ込む。
同時に西沙 も床に倒れた。
二人とも意識はない。
そのまま、その夜の祈祷 を終えざるを得なかった。
咲 の中に一つの疑問を残したまま。
──…………まさか…………黒井 さんは………………
二人が目を覚ましたのは翌日の朝。
咲恵 には昨夜の記憶は無かったが、西沙 が覚えているかどうかは、咲 でも分からないまま。
そのまま、栄養が枯渇したような咲恵 を西沙 が中心となって看病し、数日後に杏奈 に連絡をして迎えにきてもらうことになる。
それまでの間、咲 は一度も咲恵 に顔を見せることはなかった。
☆
杏奈 の車が御陵院 神社の駐車場に着いた時、時間はすでに深夜。
もうすぐ日付が変わろうとする頃。
先に後部座席から降りた萌江 が呟く。
「嫌な結界…………」
続いて降りた咲恵 も呟く。
「……咲 さんの作った結界ね…………もう気付かれてる」
「だろうね」
萌江 は小さく返した。
その萌江 は運転席の杏奈 に声をかける。
「ごめん……こっから先は何があるか分からないから…………」
すると、杏奈 はすぐに返した。
「──待ってます。西沙 さんをお願いします。お二人にしか出来ないことですから」
──……私は、私の役目を果たせばいいんだ…………
どこかから湧き上がる使命感が、杏奈 を支えていた。
その目は、どこか力強い。何の迷いも無かった。
「……分かった」
萌江 はそれだけ応えると、咲恵 の手を取った。
先に口を開いたのは咲恵 。
「行こう……西沙 が待ってる…………」
そして二人は歩き始める。
大きな鳥居から、結界は始まっていた。
しかし二人の足には迷いがない。
まるで空間を歪ませるような威圧感が広がる中で、参道を歩きながら口を開いたのは咲恵。
「結界なんて気持ちしだい…………催眠術みたいなもの…………見えない壁なんて存在しない」
その咲恵 の声から、不思議なほどに萌江 は安心感を得られた。
まるで誰かに守られているかのような、包まれる感覚。
本殿の入口横には、深夜だと言うのに松明 が炎の中で音を立てる。
二人が本殿前の階段を登ろうとした時、目の前の木戸が音を立てて開かれた。その両側に立っているのは巫女姿の綾芽 と涼沙 。
二人は鋭い目付きで萌江 と咲恵 を見下ろす。
やがて、綾芽 が声を上げた。
「母上、おいでになりました」
そして板間に膝を着く。
反対側で涼沙 も続いて膝を着き、二人同時に頭を下げた。
「好きな感じじゃないな」
萌江 が呟く。
そして二人が木の階段を登ると、広い本殿の奥の祭壇が視界の中へ。
炎の作り出す影が激しく揺らめいていた。
祭壇前の巫女 服の背中は咲 に間違いない。
萌江 と咲恵 は板間の上を進む。
祭壇に近付くにつれ、少しずつ空気の濃さを感じた。
そして、咲 の向こうに横たわる人影。
その人影は巫女 姿に見えた。
萌江 が薄暗い中で目を凝らした時、咲 の声が祭壇に響く。
「お待ちいたしておりました…………」
その声に萌江 と咲恵 が足を止めた。
「総てを知る…………その御覚悟は御有りですか?」
咲 の言葉が続く。
しかし、それに返した咲恵 の言葉は萌江 を驚かせる。
「その前に、西沙 を返しなさい」
──…………西沙 …………
萌江 はそう思いながら、やっと咲 の向こうに横たわる人影の存在を理解した。
間違いない。
それは巫女 服を着て横たわる西沙 の姿。
反射的に萌江 が口を開く。
「咲 さん…………あなたは何をするつもりなの⁉︎」
そして、ゆっくりと咲 が体を回す。
萌江 と咲恵 に正面を向けると、柔らかく、それでも存在感のある口調で応えた。
「もう一週間になりますか…………西沙 はこうして眠らせてあります」
「一週間⁉︎ まさか…………私は何度も電話で────」
「さすがは我が娘…………この状態でも恵元 さんと繋がろうとは………………これは西沙 を守る為です…………ですが、私よりずっと恐ろしい力を持っているようですよ…………」
「……そんなバカなことが…………」
「恵元 さんの0.1%には入りませんか? どうやら西沙 は私たちの計画には反対しているようです。しかも西沙 は誰かに操られています…………それは阻止させていただきます…………」
外からの強い風が本殿の中に入り込み、祭壇の炎を大きく揺らした。
それに合わせるように火の粉が舞う。
一粒一粒が辺りを照らした。
その光に照らされた西沙 の顔が萌江 の視界に入ると、萌江 の中に途端に込み上げるのは〝怒り〟だけ。それは咲 に向けられたものであると同時に、自分自身にも向けられていた。
──……西沙 は……最初から警告してくれていた…………
そして萌江 は、言葉を絞り出していた。
「…………いい加減にしてよ…………だから宗教なんて嫌いなんだ…………よくも目に見えないものをそこまで信じられる…………」
背後から、小さく板間を擦 る音。
その音は萌江 と咲恵 の両側を通り、やがて、綾芽 と涼沙 の二人が咲 の隣に腰を降ろした。
次に声を上げたのは咲恵 。
「……どうしても、西沙 を返さないつもりか…………」
それに、咲 が低い声で応える。
「…………西沙 の存在は勝敗を左右する…………貴様も分かっておろうが…………〝御世 〟…………」
「だからこうして来たのだろう? 私に勝てるのか?」
それはもはや咲恵 の声とは思えなかった。
その咲恵 の言葉に咲 が片膝を立てた直後、咲恵 の手を萌江 が握る。
────────⁉︎
「…………萌江 …………?」
まるで我に帰ったかのような咲恵 のその声に、萌江 は真っ直ぐ咲恵 の目を見ながら口を開く。
「……間違ったところを見ちゃダメだよ……〝御世 〟…………」
その言葉に咲恵 が驚いていると、萌江 は目の前の咲 に視線を戻して続けた。
「咲 さん────私は咲恵 の中に誰がいたって構わない。私が知りたいのは金櫻 家のことだけ…………金櫻 家って何? 分かってることを話して」
そして、咲 も萌江 の目を見ながら。
「……いいでしょう…………お話しします…………」
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十三部「水の中の女神」第4話へつづく 〜
いつの間にか、その場に柔らかい風を感じる。
それでもそれは、湖面を削った冷たい風。
しだいにその空気は五人の間を走り抜けていく。
「地震の前に湖の温度が上がるのは伝説が作られる前からだったはずです。科学的な検証をされたわけではありませんが、おそらく地殻の影響でしょう……マグマとかの話になるでしょうし、私は専門外ですけどね。
「なるほど…………」
そう言った溜息混じりの
「
「あったんでしょうね」
即答した
「でも、そこまでは
決して怯えてはいない
迷いの無いその口調に、誰も何も返せないままに、再び風が強まる。
しかし、まるで何かに包まれたかのように、
その異様な雰囲気に気が付きながらも、
やがて、その場の空気を揺らしたのは、それまで話を黙って聞いていた
「……
誰も返さない。
返す必要もない。
「……伝説の真実って…………
そこに
「……もう
その
そして、
まるで走馬灯のように、
運命などという安っぽい言葉で
それ以上の言葉は見付からない。
しかし、今のこの感情が何なのか、
「…………良かった…………」
「え?」
反射的に返す
「……私は、
そして、その目から涙が零れる。
その涙の向こうに、柔らかい笑顔が浮かんでいた。
新興宗教の家に産まれ、人生を両親によって翻弄され、現在でもその両親の生死すら分からない。過去の歴史のどんな部分に自分が繋がっているのか、何も見えていない人生。宙に浮いてしまったような生き方を、
しかし、今は地面に足が着いたような感覚がある。
涙が気持ちを揺さぶりながらも、なぜか気持ちは落ち着いていた。
自分の中に、新しく誰かの存在を感じる。
──……私は…………いるべくして、ここにいる………………
そして、中にいるのは一人ではない。大勢の存在を感じた。それまで
しかし、
──……みんないる…………やっとその〝理由〟が分かった…………
──…………みんな…………
──……その中心が…………
「……
強い風がその言葉を遮ろうとするかのように
すると、
そして口を開いたのは
「……まだ……そのお話をするのは…………お早いかと…………」
そこに挟まるのは
「────戯言だ」
それは、熱かった────。
「いずれ────」
その
「……お話することになりますよ…………」
すると、動き始めたのは
すぐに
その瞬間、
その隣で
やがて、
「……
しかし、次の言葉が見付からない。
どんな時でも言葉を繰り出せなくては記者として失格。しかしこの時の
しかも、多くのことがまだ隠されている。
大事なことは、誰を信じるかだけ。
そして、それは
「車へ行きましょう……
「そうだね…………」
そう言って
「……ごめん。私も冷静じゃなかった」
そしてその言葉を、前を見たままの
「……だめだよ
その
車に戻ると、
ルームミラーに心配そうに視線を送りながらも、
『だからやめろって言ったでしょ』
──……やっぱり見えてた…………
「
『
「……そんなことを聞きたいんじゃない」
その
「
『よく聞いて
そこまで聞くと、
そして言葉を続ける。
「ごめんね
「……はい」
☆
しかし窓を見る限り事務所のある二階の明かりは点いている。
「まだいますよ。行きましょう」
そこで驚いた表情を見せたのは受付の
「
「……どうしたんですか
「
さらに声を荒げる
受付の椅子に座ったまま、
というより、言葉が出なかった。
相手が誰であれ、
すると、
「
「え? あ……ごめん
我に帰った
「急にごめん。初めましてだよね。
そして、
「私は
「
「それなら良かった。私も
「そんな……私は
「
その
そして
「こんな時間にいきなり押しかけちゃってごめんね。見た感じ
すると、
「いえ…………一週間くらい前から実家に行ってて……理由も教えてくれなかったし…………今夜は残っててくれって夕方に電話があって…………それで…………」
「一週間? そっか……相変わらず読まれてるなあ」
──……今夜押しかけることまで見えてたか…………
「何か…………あったんですか?」
そう言った
極度に他人との交流が苦手なタイプであることは
しかし今回に関しては
「私たちもよく分からないんだよねえ…………まあ実家に行ってるなら問題ないよ」
──……今回ばかりは例え実家でも不安だけど…………
その時、いつの間にか外に出ていた
「
そう言うと
「もう…………許しますよ」
その言葉に
そして
「
☆
それは
あの直後から意識は無い。
そして呼ばれたのは
久しぶりの姉達の姿に
二人は
「いつも威勢がいい割に、こんなトラブルを持ち込むなんて…………」
気性の穏やかな長女の
「
「……失礼いたしました」
そこに
「以前に……お会いした方ですね…………母上、何がありました…………?」
祭壇の前に横たわり、胸の上で両手を合わせる
「まさか母上…………あの石は〝水の玉〟では…………」
「さすがですね
古くから伝わる水晶の伝承は、すでに二人には修行を終えた時点で伝えてあった。
しかし
その水晶の一つ────〝水の玉〟が、目の前の
「どうしてこの方が…………
「それを知りたくてここに連れてきたのです。しかしなかなか見せてはくれぬ…………それでも〝理由〟は必ずあります」
そして、四人での
しばらくして、最初に反応を見せたのは
「……一人ではありません…………母上……多過ぎます…………」
「血筋が見えません…………いえ…………
──…………あり得ない…………
その時、
「…………私は……〝
目を見開き、片膝を上げたかと思うと体を
横たわる
その光景に
「母上! 惑わされてはなりません!」
その声を無視し、指に力を入れた
「……〝
再び
「母上!」
しかし、次の
「……母上から聞いていたぞ……〝
直後、叫んでいたのは
「────母上!
その姿に
そこに
「……
しかし、次の瞬間、
「〝あなた如きじゃ…………私には勝てないよ〟」
すると、
そしてその口が動く。
「〝我らは〝
その姿に、
──…………負ける……
「〝お前の大事な娘は……我らに与することになる…………産まれる前から決まっていたこと…………その為に命を与えた…………〟」
そしてそれは突然。
同時に
二人とも意識はない。
そのまま、その夜の
──…………まさか…………
二人が目を覚ましたのは翌日の朝。
そのまま、栄養が枯渇したような
それまでの間、
☆
もうすぐ日付が変わろうとする頃。
先に後部座席から降りた
「嫌な結界…………」
続いて降りた
「……
「だろうね」
その
「ごめん……こっから先は何があるか分からないから…………」
すると、
「──待ってます。
──……私は、私の役目を果たせばいいんだ…………
どこかから湧き上がる使命感が、
その目は、どこか力強い。何の迷いも無かった。
「……分かった」
先に口を開いたのは
「行こう……
そして二人は歩き始める。
大きな鳥居から、結界は始まっていた。
しかし二人の足には迷いがない。
まるで空間を歪ませるような威圧感が広がる中で、参道を歩きながら口を開いたのは咲恵。
「結界なんて気持ちしだい…………催眠術みたいなもの…………見えない壁なんて存在しない」
その
まるで誰かに守られているかのような、包まれる感覚。
本殿の入口横には、深夜だと言うのに
二人が本殿前の階段を登ろうとした時、目の前の木戸が音を立てて開かれた。その両側に立っているのは巫女姿の
二人は鋭い目付きで
やがて、
「母上、おいでになりました」
そして板間に膝を着く。
反対側で
「好きな感じじゃないな」
そして二人が木の階段を登ると、広い本殿の奥の祭壇が視界の中へ。
炎の作り出す影が激しく揺らめいていた。
祭壇前の
祭壇に近付くにつれ、少しずつ空気の濃さを感じた。
そして、
その人影は
「お待ちいたしておりました…………」
その声に
「総てを知る…………その御覚悟は御有りですか?」
しかし、それに返した
「その前に、
──…………
間違いない。
それは
反射的に
「
そして、ゆっくりと
「もう一週間になりますか…………
「一週間⁉︎ まさか…………私は何度も電話で────」
「さすがは我が娘…………この状態でも
「……そんなバカなことが…………」
「
外からの強い風が本殿の中に入り込み、祭壇の炎を大きく揺らした。
それに合わせるように火の粉が舞う。
一粒一粒が辺りを照らした。
その光に照らされた
──……
そして
「…………いい加減にしてよ…………だから宗教なんて嫌いなんだ…………よくも目に見えないものをそこまで信じられる…………」
背後から、小さく板間を
その音は
次に声を上げたのは
「……どうしても、
それに、
「…………
「だからこうして来たのだろう? 私に勝てるのか?」
それはもはや
その
────────⁉︎
「…………
まるで我に帰ったかのような
「……間違ったところを見ちゃダメだよ……〝
その言葉に
「
そして、
「……いいでしょう…………お話しします…………」
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十三部「水の中の女神」第4話へつづく 〜