第十四部「憎悪の饗宴」第3話

文字数 10,247文字

 翌日。
 遅い時間の雑誌社の広い事務所内で、杏奈(あんな)は分厚いファイルに目を通していた。
 まもなく日付が変わろうとしていたが、もちろん常に誰かが常駐しているような職場だ。数は減ったとはいえ何箇所もデスクライトが灯され、もちろん何かあればすぐに動ける体制は整えているのが常。
 杏奈(あんな)(むさぼ)るように調べているのは〝内閣府〟の資料。歴史が浅いにも関わらずその量は膨大だ。杏奈(あんな)も今まで特別関わったことはなかったが、改めて調べるとその広範囲に細分化された情報の量に驚いた。しかもブラックボックス的な部分も多い。現在のこの国の中枢になる部分だけに、その壁も厚かった。
 杏奈(あんな)は過去の資料の中に清国会(しんこくかい)の痕跡を探していた。
 もう一時間以上ソファーから腰を浮かせてはいない。テーブルにはそれこそ紙の束が山になったまま。簡単には崩せそうもない。
 さらにその隣に新しい書類の山が音を立てて現れ、その影から顔を出したのは編集長の岡崎(おかざき)
 その岡崎(おかざき)が疲れた溜息を()いて口を開いた。
「まだあるぞ……綺麗にまとめてるわけじゃないんだからよ…………」
 杏奈(あんな)は資料に視線を落としたまま忙しなく返す。
「早くデジタル化すれば検索も楽になるって前から言ってるじゃないですか。この業界はアナログ過ぎるんですよ」
「ウチの会社が、だけどな。なんだか若い奴らが頑張ってるようだけどよ……内閣府関係の報道資料なんて人気ないから後回しなんだろ」
 岡崎(おかざき)杏奈(あんな)の向かいのソファーに腰を降ろすと、指に挟んでいた煙草を深く吸い込み、その煙を大きく天井に向けて吐き出した。そして手に持った灰皿に押し付ける。
 杏奈(あんな)は相変わらず顔を上げずに言葉を吐き出す。
「今時タバコの吸える会社って時点でやっぱりアナログですよ」
「煙草までデジタルの時代だってんだろ? 世も末だぜ。俺はハンフリー・ボガートがカサブランカで煙草を吸わなくなるまで電子タバコなんていらねえよ。最近はなんでもCGだのなんだのって……いつからこの国は英語の国になったんだ」
 しかし杏奈(あんな)は応えない。
 次の煙草に表面の(かす)れた古いジッポで火をつけた岡崎(おかざき)が続ける。
「こんな時間まで付き合ってやってるんだから年寄りの愚痴ぐらい付き合えよ」
「遠慮します。ま、父もヘビースモーカーでしたけど」
「そういやそうだったな…………あいつに最後に会った時に、このジッポもらってな…………不思議なもんだよ…………ああ、そういや…………」
 岡崎(おかざき)はそう言うと、体を反り返らせて背後の机に手を伸ばした。
 メモ用紙を何枚か手に、その中から目的の一枚を見付けて続ける。
「ああ、これだこれだ…………これ、お前の知り合いじゃなかったか?」
 そしてそのメモを、杏奈(あんな)が目を落としていた書類の上に滑らした。
 そのメモの上の名前に、杏奈(あんな)の手が止まる。
 岡崎(おかざき)が続けた。
「ウチの記者が昨日の夜中にたまたま現場に居合わせてな。パトカーが何台か集まってたらしいんだが…………知り合いの警官がいたから少しは情報もらえたらしいが、今日になっても警察からの発表が無い……殺人事件ってとこまでは分かってるんだが……なんだか嫌な予感がしてな…………だからウチの新聞のほうでもまだ載せていないネタだ」

 〝佐々岡亮一(ささおかりょういち)

 杏奈(あんな)が知らないわけがない。
 それは昨日電話で話した相手。
 背中に冷たいものが走った。
 思考が止まった杏奈(あんな)の耳に、岡崎(おかざき)の言葉が届く。
「県警の人間だって所までは聞いたらしい。だとしたら発表があってもいいと思うが…………その名前……確かお前の知り合いじゃなかったかと思ってな」
「いえ…………違います…………」
 そう応えた杏奈(あんな)は、決して気持ちを隠せてはいなかった。
 元々若い頃は現場を走り回っていた岡崎(おかざき)がその声の変化に気が付かないわけがない。
水月(みづき)…………お前なにかまずいネタに手を出してるわけじゃないよな…………」
「────まさか……」
「この業界にいる人間だったら内閣府の黒い噂ぐらい聞いたことはあるもんだぜ…………」
 それはもちろん杏奈(あんな)も同じだった。
 杏奈(あんな)はこの日、朝から忙しく動いていた。
 スマートフォンの電話番号を変更し、その足で市役所へ。満田(みつた)立坂(たてさか)の協力で母親の同意を偽装して、戸籍上の縁を切った。
 夜のうちにアパートの必要な荷物をまとめた。廃品業者に家電製品やベッドなどの大きな物を引き取ってもらい、そのままアパートを引き払う。お金は掛かったが、杏奈(あんな)に迷いはなかった。
 そして少ない荷物を車に乗せたまま、夕方からこの雑誌社に(こも)り続ける。
 岡崎(おかざき)の言葉が頭に刺さった。
「急に携帯の番号まで変えて…………何もないと思うほうが不自然だ」
「……一応番号教えましたけど…………しばらく仕事は受けられそうもありません…………」
 そう応える杏奈(あんな)の姿に、不思議と岡崎(おかざき)は問い詰めることをやめた。
 杏奈(あんな)の覚悟を感じたからだ。同じジャーナリストとして、例えそれが自分の理想通りではなかったとしても、むしろだからこそ、杏奈(あんな)の気持ちが分からないわけではない。
 岡崎(おかざき)は書類の山の上に手を置いて返した。
「全部目を通すのは朝までかかるぞ。俺は隣の部屋で寝てるから…………何かあったらいつでも起こせ」
 岡崎(おかざき)は立ち上がりながら煙草を灰皿で揉み消すと、ジャケットのポケットから取り出した缶コーヒーを杏奈(あんな)の目の前に置いて離れていく。
 杏奈(あんな)は改めてメモに視線を移した。

 ──……何かを信じたって…………
 ──…………誰もが幸せになれるわけじゃない…………

 ──……あなたはどうだった? …………亮一(りょういち)……………………





 清国会(しんこくかい)に関連のありそうなページは総て撮影した。
 そのまま萌江(もえ)のアドレスに写真のデータを送る。
 朝日の差し込む雑誌社のソファーで二時間ほど仮眠を取っただけで、杏奈(あんな)萌江(もえ)の家へ車を走らせた。車の一番後ろには大きなボストンバッグが一つと小ぶりな段ボールが二つ。その他にはアウトドア用の道具が元々乗せてあるだけ。決してアウトドアが趣味なわけではない。取材でどこにいくことになるか分からない生活をしているからだ。
 杏奈(あんな)は自分の持ち物がこれだけなのかと思い、不思議と笑みが浮かんだ。
 元々収集癖があるほうでもなく、私物は少ない。

 ──……残ったものはこれだけか…………

 萌江(もえ)の家には昼前には到着しそうだった。
 出発予定は昼過ぎ。

 ──……少し仮眠とらせてもらおうかな…………

 いつもの駐車場で咲恵(さきえ)の車の隣に停車すると、すぐに咲恵(さきえ)の声が庭からかかる。
「お疲れさま」
 その柔らかい笑顔に、杏奈(あんな)の気持ちが(ゆる)む。
 そして車のドアを開けたまま、意識を失っていた。

 目を覚ましたのは数時間後。
 すでに夕方。
 寝室の隣の部屋で杏奈(あんな)は目を覚ました。
 その部屋は寝室をリフォームしてフローリングにした時点で一緒にフローリングにしていた部屋。元々は荷物置き場のように使っていたが、その部屋は最近になって荷物を動かして開けたばかり。
 そして杏奈(あんな)に架けられている布団は明らかに干したての柔らかさ。
 部屋がすでに薄暗くなっていたためか、開け放された(ふすま)のあった場所に見えるのは、ソファーに座った萌江(もえ)咲恵(さきえ)
 呆然と上半身を起こした杏奈(あんな)咲恵(さきえ)が気が付き、顔を向けた。
「もう大丈夫?」
 その声に、咲恵(さきえ)の隣の萌江(もえ)が明るく顔を回す。
「よし、ご飯にするか」
 そう言って立ち上がると、萌江(もえ)はキッチンに歩く。
 咲恵(さきえ)が再び声を掛けた。
「荷物は降ろしておいたよ」
 杏奈(あんな)が横を見ると、部屋の隅に段ボール二つとボストンバッグ。その側にはいつものカメラバッグ。
 杏奈(あんな)はゆっくりと立ち上がりリビングへ。
「……あの……私…………」
 返すのは咲恵(さきえ)
「疲れてたのね…………頑張りすぎちゃったかな…………」
「…………あ……の……………………」
 なぜか、色々な感情が溢れた。
 自然に、それは涙となって(こぼ)れ落ちていく。
 杏奈(あんな)が膝から崩れ落ちた。
 それを咲恵(さきえ)が支える。
 杏奈(あんな)の嗚咽が空気を震わせた。

 ──……大人になって……こんなに泣いたことない…………

 まるで叫ぶかのように、大声を上げて杏奈(あんな)は泣き続けた。
 その体を、咲恵(さきえ)が強く抱きしめる。
 杏奈(あんな)の耳元で、その咲恵(さきえ)の声がした。
「何も言わなくていいよ…………分かってるから…………あなたには感謝しかない……私も萌江(もえ)も…………西沙ちゃんだって…………一生かけて償わせて…………」
 杏奈(あんな)が一日をかけて何をしていたか、もちろん咲恵(さきえ)にはその総てが見えた。そしてそれは萌江(もえ)にも伝えていた。
 そして、二人で出した結論があった。
 少し落ち着いた杏奈(あんな)の耳に、キッチンの萌江(もえ)の声。
「ここにおいでよ。咲恵(さきえ)もいるけどさ…………三人のほうが賑やかだし…………」

 ──……私には…………何もなかったのに…………

 出発は翌日に変更された。





 時間はまだ朝。
 三人が杏奈(あんな)の車に乗り込んだのは九時を回った頃。
 咲恵(さきえ)のスマートフォンが鳴った。
 画面には〝満田(みつた)〟の文字。
 車が動き始めると同時に、咲恵(さきえ)は軽く溜息混じりに指をスライドさせた。
「久しぶり…………ごめんね、みっちゃん…………しばらく依頼は受けられそうになくて…………え?」
 その咲恵(さきえ)の反応に、杏奈(あんな)は反射的に車を停める。
 咲恵(さきえ)の声が続く。
「──どういうこと? そこなら分かるけど…………だって…………」
 その時、状況を理解した萌江(もえ)が小さく呟く。
「いいよ。行き先を変更しよう」
 咲恵(さきえ)萌江(もえ)の横顔に目をやり、その瞳を見てから、無意識に自らの目付きを変えて口を開いた。
「分かった。ここからなら三時間くらいはかかるよ…………うん…………分かった……」
 そして通話を切る。
「えっと…………」
 そう言い掛けた咲恵(さきえ)を、萌江(もえ)が遮った。
「大丈夫……状況は分かった。とりあえず、そこに行かなきゃ話が進まないみたいだね。問題は無いよ。総てのことには必ず〝意味〟がある…………」

 三人が指定された場所は山奥。
 その地元では有名な鉱山跡地。
 広大な敷地の中に、廃墟と化した建物が並ぶエリア。
 そのほとんどは居住のためだったビルだ。一つの都市のような機能がそこには存在していたという。映画館や学校、病院までもがあり、もちろんここで産まれた人間も多いだろう。
 その外れに、二階建ての大きな建物があった。
 建物としては大きいが、高さは二階まで。頃合いのいい心霊スポットとしても有名な場所だ。
 三人が到着した時はちょうどお昼時。
 雑草だらけの元駐車場に満田(みつた)の車を見付け、杏奈(あんな)はそのすぐ隣に車を停めた。
 車を降りて最初に口を開いたのは、満田(みつた)の車を見ながらの萌江(もえ)
「あの山道をこのアウディーで? ご苦労さんだねえ」
 建物は外壁のコンクリートのほとんどが剥き出しだった。窓のガラスもほとんどが残っていないように見える。
 その入口はドアすら外されたまま。あちこちに僅かに残された文字から、辛うじてここが図書館だったことだけが分かった。正面から少し進むと、大きな階段が見えてくる。三人は電話の指示通りに二階に上がった。
 広いホール状になっていた。おそらくかつてはここに大量の本棚が並んでいたのだろう。取り残された本棚らしき残骸がいくつか見える。
 そしてその中央に、満田(みつた)が待っていた。その隣には立坂(たてさか)の姿。元々先輩と後輩の仲とは聞いていたが、二人が揃うのを見たのは萌江(もえ)咲恵(さきえ)にとっては初めてのこと。むしろ杏奈(あんな)のほうが二人とは関係が深い。満田(みつた)とは咲恵(さきえ)の店で。立坂(たてさか)とは西沙(せいさ)の絡みで。
 近付きながら萌江(もえ)が声を上げる。
「みっちゃんからこんな所に呼び出しなんて珍しいじゃない。よっぽど大きな仕事?」
 もちろんそれが仕事でないことは萌江(もえ)も分かっていた。
 そして満田(みつた)が応える。
「ああ……今までで一番デカいよ…………」
「にしても、こんな場所で?」
「ここなら見付からないだろうと思ってね。ここは世間に忘れ去られた場所だよ…………バブルの名残りとも違う…………歴史に放り出されたような場所だ。悪の組織がたむろするには丁度いい所だろ?」
「相変わらず悪い人だよ。正義ヅラするような人より好きだけど」
 そう言って萌江(もえ)が笑みを浮かべると、満田(みつた)の表情も幾分和らいだ。
 すると、満田(みつた)の隣の立坂(たてさか)に顔を向けた咲恵(さきえ)が口を開く。
立坂(たてさか)さんも、お久しぶりです…………西沙(せいさ)ちゃんのことでは…………」
 すると、立坂(たてさか)は少しはにかんだような笑みを浮かべて返した。
「いえ、なに…………そのことなんですけどね…………」
 その言葉に食いついたのは杏奈(あんな)
「何か情報でもあるんですか⁉︎ 教えてください」
 〝私をさがして〟という西沙(せいさ)からのメッセージの意味が分からないままに、杏奈(あんな)は気持ちの焦りを抑えられずにいた。明らかに感情の乱れが感じ取れる声。
 それを抑えるためか、満田(みつた)はゆっくりと声のトーンを落とす。
「まあ……焦らずに聞いてほしい。とりあえずは我々の話からだろうね」
 そして、満田(みつた)が話し始めた。





 立坂(たてさか)が税理士として御陵院(ごりょういん)神社に入ったのは、西沙(せいさ)がまだ高校に入ったばかりの頃。
 御陵院(ごりょういん)神社に税理士が入ったのは立坂(たてさか)で三人目だった。通常通りに前任の税理士から仕事を引き継ぐ。最初に立坂(たてさか)は過去の帳簿に目を通すことから始めたが、すぐに(さき)に疑問をぶつける。
 立坂(たてさか)の事務所に顔を出していた(さき)を奥の部屋に通し、立坂(たてさか)が口を開いた。
「毎年、他の神社に贈られているお金がありますね…………この〝御見舞い金〟というのは…………」
 すると(さき)は顔色ひとつ変えずに返す。
立坂(たてさか)さんは……神社仏閣は初めてでいらっしゃいましたね」
「ええ」
「恐らくは特殊な世界なのでしょう……私たちの世界はこの国の歴史と表裏一体です…………総ての神社には繋がりがあるのですよ……ですから現在は神社庁というものが存在しています。税金の面でも他の企業様とは相違があるようですが…………」
「はあ……まあ、それはそうなんですが…………しかしこの金額の大きさは……このままでは使途不明金と同じです…………」
 立坂(たてさか)としても今回初めて神社を取引先とすることで、改めて古い書籍を何冊か読み漁っていた。確かに特殊な世界だ。一般的な企業とは大きく違う。
「今までの方々は〝特殊なやり方〟があるとおっしゃっていましたが…………」
 その(さき)の言葉に、立坂(たてさか)の目付きが変わる。
 そしてそれは、(さき)に対しての見方を変えた最初の瞬間だった。

 ──……裏帳簿か…………

 同じ頃、高校に入ったばかりの西沙(せいさ)(さき)に祭壇へと呼び出されていた。
 夜。
 すでに遅い時間だった。
 家では基本的に西沙(せいさ)巫女(みこ)服だったが、それは修行の為。学業以外は基本的に修行の時間に当てられていた。プライベートな時間はほとんど存在しない。
 それでもその夜の務めはすでに終わり、西沙(せいさ)も私服に着替えたばかり。相変わらずの派手な服装に(さき)も眉を細めた。
「相変わらず派手ですね…………まあ構いませんが…………」
 二人の姉は西沙(せいさ)に言わせると地味な印象だった。というより西沙(せいさ)だけがなぜか派手なものを好んだのも事実。(さき)も不思議だったが、決して巫女(みこ)の修行に影響が出ているわけではないこともあり、それを個性としか見ていなかった。
「今夜はあなたに、大事な話をしなければなりません…………」
 (さき)はそう切り出すと、向かいに正座する西沙(せいさ)に向かって語り始めた。
「我が御陵院(ごりょういん)家に伝えられる大事な役割についてです…………これは天照大神(あまてらすおおみかみ)様からの使命と心得なさい。我らは()(もと)を陰ながら支えてきた〝清国会(しんこくかい)〟…………その中にあっても、我ら御陵院(ごりょういん)家は中核を成す存在です」
 そして雄滝(おだき)神社の滝川(たきがわ)家の真実。
 水晶の伝承。
 金櫻(かなざくら)家と唯独(ただひと)神社。
 しかしそれらを聞いても、西沙(せいさ)は顔色ひとつ変えない。
 それでも(さき)が続ける。
「もちろんこのことは口外は許されません。すでにあなたの姉の綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)にも伝えていること…………しかし西沙(せいさ)……あなたには特別なことを伝えなくてはなりません…………あなたは普通の〝御子(おこ)〟ではありません…………あなたはイザナギとイザナミの御子(おこ)────〝蛭子(ひるこ)〟の産まれ代わり…………これはあなたが産まれる前から決まっていたこと…………〝運命(さだめ)〟です」
 しかし、西沙(せいさ)に驚いた反応はない。
 そればかりか、自分の目を黙って見つめる西沙(せいさ)の目から、(さき)は目を離せなくなっていた。
 西沙(せいさ)からこんな感覚を感じたのは初めてのこと。
 僅かながら、(さき)西沙(せいさ)に〝恐怖〟を感じていた。
 西沙(せいさ)の口角が僅かに上がる。
 そしてその口が小さく開いた。
「…………私は…………お母さんの子じゃないの?」
 それに、(さき)はすぐには返さない。

 ──…………私は……………………あなたの…………

「そうです…………あなたは…………この国の歴史を動かす運命の御子(おこ)…………」
「そう…………あまり興味ないけど…………勝手にやってよ」
 西沙(せいさ)はそれだけ言うと、立ち上がって祭壇を後にする。
 なぜか、(さき)は取り残された気持ちだった。
 何かが胸の中にこびりつく。

 ──…………なんだ…………このザワつきはなんだ…………

 それから数ヶ月の間、立坂(たてさか)御陵院(ごりょういん)神社のことを調べ続けていた。
 季節はすでに秋。
 清国会(しんこくかい)の存在に辿り着くのは決して難しいことではなかった。もっとも、戦時中の資料まで漁ったのは事実。まるで都市伝説だった。もしくは古いB級映画か。
 しかしその資料の数々が表すのは、国を裏で支えてきた神道(しんとう)のいわば秘密結社。
 最初は立坂(たてさか)も信じられなかった。
 どう考えても子供じみて見えた。
 そして、清国会(しんこくかい)のことを調べているのは立坂(たてさか)だけではなかった。
立坂(たてさか)さんでしょ? 初めまして。御陵院(ごりょういん)家三女の西沙(せいさ)です」
 気さくに話しかけてきた西沙(せいさ)に、立坂(たてさか)も初めは何の警戒心も抱いてはいなかった。しかし突然事務所に訪れたことには驚いていた。立坂(たてさか)はただの税理士。高校生に興味がある世界とも思えない。
 応接室に通された西沙(せいさ)は、すぐに口を開いた。
「少し確認したいことがありまして…………」

 ──……随分と大人びた言い回しをする子だな…………

 立坂(たてさか)の最初の印象だった。
 その西沙(せいさ)が続ける。
清国会(しんこくかい)を調べてるのって、立坂(たてさか)さんですよね」
 後になってみると回りくどい言い回しをしない西沙(せいさ)らしい直球だったが、さすがにこの時の立坂(たてさか)は驚いた。と同時に、向かいのソファーに座ったまま、身構えた。

 ──…………バレたか…………

 しかし、次の西沙(せいさ)の言葉に立坂(たてさか)梯子(はしご)を外される。
「私も調べてるんですよ。色々と…………立坂(たてさか)さんの痕跡があったもので誰かと思って調べたらウチに出入りしてる人だったので来ちゃいました」
「調べてる…………?」
 そう言って僅かに身を乗り出した立坂(たてさか)に、西沙(せいさ)が続けた。
立坂(たてさか)さん…………あちこちに手を伸ばして清国会(しんこくかい)に辿り着いたってことは、神社の帳簿に気になる部分があったからでしょ? 立坂(たてさか)さんが清国会(しんこくかい)の側だったらそんなことするはずがない。どうせ母に〝上手くやってくれ〟とでも言われたんでしょうけど…………私も母から清国会(しんこくかい)のことは聞きました…………でも正直胡散臭(うさんくさ)くて」
 西沙(せいさ)はなぜか笑顔だった。
 その笑顔にどう返していいか分からないままの立坂(たてさか)に、なおも西沙(せいさ)が続ける。
「私は清国会(しんこくかい)を信じていません。まともな組織とは思えないからです。神社に産まれた娘がこんなこと言うとおかしく思うかもしれませんけど…………神様なんて会ったこともないし、古事記とか天照(あまてらす)とか言われても、それがリアルとは思えませんよ」
「まあ…………ええ…………」
「ですので……私は清国会(しんこくかい)を潰します」
 そこには変わらない西沙(せいさ)の笑顔があった。
 西沙(せいさ)(さき)から伝え聞いた〝口外してはいけない話〟を、この時に立坂(たてさか)は総て聞くことになる。
 なぜ西沙(せいさ)がそこまでするのか、この時の立坂(たてさか)には分からなかった。
 そして二人は清国会(しんこくかい)のことをさらに調べ続けた。
 御陵院(ごりょういん)神社の経理を誤魔化しながら。
 もしかしたら立坂(たてさか)は、西沙(せいさ)に魅入られていたのかもしれない。立坂(たてさか)自身も感じる時がある。それでもいつの間にか、西沙(せいさ)がしようとしていることが間違っているとは思えないと考えるようになっていた。
 しかしこうも思う。

 ──……色々な意味で、犯罪だけどな…………

 あくまで裏の活動。決してスピード感のある動きではなかったが、少しずつ清国会(しんこくかい)の実態が分かってきた。
 西沙(せいさ)美由紀(みゆき)に出会ったのはそんな頃だった。
 西沙(せいさ)から見た美由紀(みゆき)は、特別な存在に見えていた。オーラなどという安っぽい表現ではない。しかし西沙(せいさ)は遠くからでもそれを感じていた。
 美由紀(みゆき)の力は間違いなく自分と同等かそれ以上。
 しかし本人に自覚はない。
 目覚めてもいない。
 西沙(せいさ)はしばらく声を掛けるようなことはしなかった。例え強い力を持っていたとしても、本人が自覚していないなら触れないほうがいいと思っていた。そのまま一生を終えられるならそのほうが幸せなのかもしれない。西沙(せいさ)はそうも考えた。
 そして、ただ遠くから見守り続ける。
 しかし、やがて(さき)に見付かる。
 同級生と揉め事を起こした西沙(せいさ)のために学校に呼び出された(さき)は、生徒指導室でも当然のように説教を始めた。
「高校に入ってもこれでは…………私も暇な身ではないのですよ」
 そう言いながらも、こういう時は必ず(さき)が出向いた。それは(さき)西沙(せいさ)の能力の〝質〟を理解していたからに他ならない。
 人を惑わせる〝幻惑(げんわく)〟。何の能力も持ち合わせていない父親では、西沙(せいさ)に丸め込まれることが容易に想像出来た。
 教師になだめられる形で学校を後にしようとした時だった。
西沙(せいさ)……私はこの学校には初めて来ましたが…………どうやら能力者がいるようですね…………」

 ──…………マズい…………

 西沙(せいさ)は反射的に思っていた。
 綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)のものと間違うわけがない。
 それは、この学校で一番の能力者の力に(さき)が気付いたということ。
 そしてその西沙(せいさ)の焦りも、(さき)に気付かれる。
 (さき)はそれまでとは違う柔らかい笑顔を西沙(せいさ)に向けて続けた。
西沙(せいさ)…………一度、神社まで連れて来なさい」
 このままでは、いつか(さき)美由紀(みゆき)に直接接触しないとも限らない。
 西沙(せいさ)は危険を感じながらも美由紀(みゆき)に近付き、そして美由紀(みゆき)を守り続けた。

 ──……絶対に…………清国会(しんこくかい)には利用させない…………

 やがて高校卒業間近、西沙(せいさ)の力が大きなトラブルを起こす。
 そんな時、二人の姉からも神社からの西沙(せいさ)の排除を提案されて困っていた(さき)に、自分を利用することを提案したのは立坂(たてさか)だった。
「私が身元引受人になりましょう…………西沙(せいさ)さんの居場所は私のほうで作ります…………いずれは普通に就職ともいかないでしょうから…………」
 やがて立坂(たてさか)の名義でアパートを契約し、やがて作られた心霊相談所に美由紀(みゆき)が就職することで、結果的に西沙(せいさ)だけではなく立坂(たてさか)美由紀(みゆき)を守り続けた。
 この頃の立坂(たてさか)は、事がしだいに大きくなってきているのを感じていた。
 清国会(しんこくかい)のことを調べるほどに、その大きさに恐怖する。とても対峙出来る組織とは思えない。
 そして立坂(たてさか)は、学生時代の先輩でもある満田(みつた)に相談する。それが正しいことなのか分からないままに、それでも完全に立坂(たてさか)の手に負えるものではなくなっていた。
 やがて、西沙(せいさ)を中心として満田(みつた)立坂(たてさか)が支えることになる組織が出来上がった。

  〝(へび)の会〟

 その組織もまた、世の中の裏で暗躍する組織だった。





 少し間を開けてから、最初に口を開いたのは萌江(もえ)だった。
「みっちゃんに二つ目の裏の顔があったなんてね」
 それに満田(みつた)はあっさりと返す。
「年寄りにも絵になる舞台があったってバチは当たらないだろ。それに、秘密があったほうが人生ってのは面白い」
「さすがに言うねえ」
 そこに咲恵(さきえ)が挟まった。
西沙(せいさ)ちゃんからもらった資料に立坂(たてさか)さんの名前があったのは…………そういうことだったんですね」
 それに立坂(たてさか)が返す。
「お金の流れは人の流れですよ…………表の顔も結構役に立つものです」
「でもどうして私たちの動きまで…………」
「総て西沙(せいさ)さんの予測通りでしたよ。いつ事務所とアパートを引き払うことになるかですら見立て通り…………それに────」
佐々岡(ささおか)って県警の刑事が殺された」
 そう言って立坂(たてさか)を遮ったのは満田(みつた)だった。
 そしてその言葉に、杏奈(あんな)は身を硬くする。無意識に顔を伏せていた。
 満田(みつた)が続ける。
杏奈(あんな)ちゃんの知り合いだろ。この際詳細は省くが……その絡みで追いかけさせてもらったよ。私はどちらかというと人の流れ専門でね。彼は少しばかり入り過ぎたようだ。まさか私たちも内閣府まで絡んでいるとは知らなかったよ…………相手は確かにデカい」
「でも…………」
 杏奈(あんな)は小さくそう返すと、言葉を飲み込む。

 ──…………私は引き返さない……………………
 ──……もう…………西沙(せいさ)さんだけじゃない…………亮一(りょういち)まで奪われた…………

 それを察した萌江(もえ)が言葉を拾う。
「で? お互い〝探しもの〟は一緒ってことでいいのね?」
 それに返すのは満田(みつた)
 しかもその声は力強い。
「そうだ。まずはそこからだろ。そして体制を立て直す」
 その声に、杏奈(あんな)は小さく体を震わせていた。
 そして咲恵(さきえ)が挟まる。
「人数増えちゃったね。車乗れる?」
 そして立坂(たてさか)
「なに…………私と満田(みつた)さんは別行動ですよ…………この歳になると裏方(うらかた)くらいが丁度良くてね。ですので…………西沙(せいさ)さんを……お願いします」
 そして立坂(たてさか)は、深々と頭を下げた。




          「かなざくらの古屋敷」
      〜 第十四部「憎悪の饗宴」第4話へつづく 〜
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