第二一部「堕ちる命」第1話

文字数 8,453文字

 秋が深い。
 紅葉した葉が落ちていく中、赤く染まった山々。
 そんな山々の中に〝毘沙門天(びしゃもんてん)神社〟はある。
 そこに、連日連夜張り付いていた西沙(せいさ)がいた。
 祈祷(きとう)を続けてすでに五日目。
 だいぶ陽が短くなってくる時期ということもあるが、暗くなっても祈祷(きとう)は続けられていた。
 そこは〝蛇の会〟の拠点として守られている所でもある。西沙(せいさ)の〝幻惑(げんわく)〟の能力が中心となっていた。その能力の高さから、決して清国会(しんこくかい)に見付かることはない。
 それを最大の利点として西沙(せいさ)清国会(しんこくかい)の歴史を探っていた。今まで清国会(しんこくかい)(まも)ってきた裏七福神としての神社を調べてきたが、その残りは〝蛭子(ひるこ)〟と〝大黒天(だいこくてん)〟を残すのみ。
 蛭子(ひるこ)神社は一度行ってはいたが、その牙城(がじょう)はまだ崩していない。おそらくは裏七福神としては頂点に位置すると思われた。
 一番謎の場所はむしろ大黒天(だいこくてん)のほうだった。その場所は立坂(たてさか)のまとめた資料にも詳細は載っていない。分かるのは名前と痕跡だけだ。どうしてもその存在の場所を見付けることが出来なかった。大黒天(だいこくてん)は元々インド・ヒンドゥー教の戦闘を(つかさど)る神。清国会(しんこくかい)がその存在を無視するとも思えない。しかも清国会(しんこくかい)は裏七福神を冠した神社に何かしらの意味を持たせてきた。必ずどこかにあるだろうと蛇の会も考えていた。

 ──……歴史の中に……何かあるはず…………

 西沙(せいさ)はそう考えた。それでも西沙(せいさ)咲恵(さきえ)ほど過去を見ることが出来るわけではない。だからこそ大黒天(だいこくてん)に対象を絞って調べていた。
 そのサポートを鬼郷(おにさと)家の佐平治(さへいじ)結妃(ゆいひ)が支える。二人は祭壇の前から動かない西沙(せいさ)と意識を共有することで、西沙(せいさ)の能力を増幅させることに意識を集中した。
 能力としては佐平治(さへいじ)よりも結妃(ゆいひ)のほうが上。結妃(ゆいひ)は重圧とも言える責任を感じていた。もちろんそこには清国会(しんこくかい)の呪縛から自分たちを解き放ってくれた蛇の会に対する恩義もある。
 しかしさすがに五日目ともなると、結妃(ゆいひ)の目の前の西沙(せいさ)も疲労が隠せなくなっていることが伺えた。額から汗が流れ続ける姿に、結妃(ゆいひ)が口を開く。
西沙(せいさ)様……御身体の負荷が大きくなっております……しばし御休憩を────」
「────まだ…………」
 そう即答した西沙(せいさ)は、僅かに息が荒い。その西沙(せいさ)が続ける。
「……〝邪魔〟をしてるのは……誰だ…………」
 西沙(せいさ)の体調を害しているのは肉体的な疲労だけではなかった。むしろ疲労ではないと言ったほうが正しいだろう。
 明らかに西沙(せいさ)の意識は何かを感じていた。

 ──…………目の前にあるのに………………

 西沙(せいさ)は苛立っていた。初日から気持ちが落ち着かない自分がいた。そして目の前の〝何か〟を掴めないもどかしさ。鬼郷(おにさと)家の二人のサポートがありながら、それでも結果を出せない悔しさ。これほどの屈辱を味わったことはなかった。

 ──……自分の限界なのか…………

 そんな気持ちが悪循環を生んでいるのも事実。
 その西沙(せいさ)の後ろから、佐平治(さへいじ)の小さな声。
「……西沙(せいさ)様…………接触してくる者がいます」
「────こんな時に……」
 西沙(せいさ)がそう呟いた時、三人の控える本殿の空気が変わる。突然別の空間に入り込んだような違和感の中、声が響いた。
『────何をしている……西沙(せいさ)…………』
 それは西沙(せいさ)の姉である涼沙(りょうさ)の声だった。
 それに西沙(せいさ)はすぐに応える。
「……相変わらず…………姉妹揃って私を探してるんだね……お暇なことで……」
『そこがどこなのか、教えるつもりはないのであろう?』
 涼沙(りょうさ)の低い声が空気を震わす。
「そりゃあね……私たちの間柄で聞く必要なんてあるの? お互いまともな体質じゃないんだからさ。自分で調べなさいよ」
 西沙(せいさ)の汗が止まらない。
 結妃(ゆいひ)は意識の〝切断〟をすることも考え始めていた。
『お互い様だ……お前とて我等(われら)の動きを掴めずに苛立っているではないか……元々はヒルコ様の産まれ代わりと言われたお前が情けないものだな……ただの能力者でもあるまいに…………』
「どうだかね…………簡単に他の誰かが成り代われる産まれ代わりになんか興味はないよ。どうせ今は涼沙(りょうさ)辺りに交代かな?」
『お前のことだ……分かっておろうが…………』
「まあね、神話の中の架空の人物の産まれ代わりになりたいなんて…………涼沙(りょうさ)はそんなに〝神様〟になりたいの?」
『もちろんだ…………私はそのために清国会(しんこくかい)にいる…………』
 二人の会話を聞いていた結妃(ゆいひ)の首筋を汗が流れる。

 ──…………切る…………切らなければ………………

 しかしその体はなぜか動かない。まるで両肩を誰かに押さえ付けられているかのように重い。
清国会(しんこくかい)にとっては天照(あまてらす)の直径であるはずの萌江(もえ)が最高神じゃないの? ヒルコはその次?」
『分かったようなことを…………私が天照大神(あまてらすおおみかみ)様に成り代わる。萌江(もえ)様はその気がないのであろう?』
「……どうかな……でも私たちの抵抗は終わらないよ。清国会(しんこくかい)の思想自体が許せないからね。萌江(もえ)のことはどうする気?」

『蛇の会と共に…………私が潰す…………』

「……なら…………私は涼沙(りょうさ)を潰すよ…………」

 途端に空気が変わる。
 まるで広がるように風が流れる。
 そして、結妃(ゆいひ)の肩が軽くなった。





    伝説の始まり
    歴史が回る
    深淵(しんえん)の海の中へ





 この国には誰も知らない島があった。
 外周が僅か一〇キロほどの小さな島。行政に登録されていない島。その島を認知しているのは古くから清国会(しんこくかい)のみ。

 八頭鴉島(やずがらすじま)

 室町時代後期────今からおよそ五〇〇年前。
 密教として組織された〝八頭鴉(やずがらす)〟の八名が、すでに京都御所に入り込んでいた清国会(しんこくかい)によって〝危険な組織〟として無人島に島流しにされたことから島の歴史が始まった。
 現在の人口は百人にも満たない。全員が島の中枢を担う〝大黒天(だいこくてん)神社〟の関係者でもある。
 神社を中心に集落が形成されて多くの民家が建ち並ぶが、その建物は古い物ばかり。長い歴史は島だけで完結してきた。日本本土との交流は一切無い。文化は昔ながらのものが続いていた。
 多くは室町時代の文化を継承したまま。衣服も和装のみ。現在まで電気やガスなどあるはずもない文明を継承してきた。
 密教とはいえ八頭鴉(やずがらす)への信仰から島に渡った者は神職関係者のみならず、多くの一般の庶民もいた。大工、農家、漁師、鍛冶(かじ)屋、料理人。長い歴史の中で神職からそういった職業に鞍替えした者もいる。そうして社会基盤が作られていった。
 現在の島民はもちろん海の外の世界など知る由もない。それでも何不自由なく世代を繋いできた。
 島の信仰も変わらないまま、その中心は大黒天(だいこくてん)神社であり、それに誰も疑問を持つ人間はいなかった。
 〝神〟は大黒天(だいこくてん)のみ。
 その大黒天(だいこくてん)神社の現在の大神主(おおかんぬし)宮津守光歩(みやづのかみこうふ)────五五才。
 現在は神職と同じ意味で用いられる神主(かんぬし)という呼び名は、元々は神職に於ける最高位を表すものだった。しかし島の外との交流が数百年に渡って無かった八頭鴉島(やずがらすじま)では古い呼び名がそのまま使われていた。

 そしてその夜、大黒天(だいこくてん)神社の本殿に集まっていたのは光歩(こうふ)の他、

 内神一位(ないかんいちい)   宮津守宇城(みやづのかみうじょう)────三二才
 内神二位(ないかんにい)   宮津守宇道(みやづのかみうどう)────三一才
 官吏従一位(かんりじゅういちい)  七尾美重季(ななおみしげすえ)────四七才
 官吏従二位(かんりじゅうにい)  高津宮延輝(たかつのみやのぶてる)────四八才
 他、官吏社(かんりしゃ)従者(じゅうしゃ)が六名。

 あくまで一月に一度の定例の会議。
 光歩(こうふ)の長男である宇城(うじょう)大神主(おおかんぬし)の次の位である〝内神一位(ないかんいちい)〟。当然次の大神主(おおかんぬし)を継ぐ立場でもある。それを助けるのが〝内神二位(ないかんにい)〟である次男の宇道(うどう)
 後継を支える立場として官吏(かんり)が常に数名指名されてはいたが、その選考基準の多くは血筋。
「今年は〝菊花伝承(きっかでんしょう)〟の年なれど、未だそのような〝予見(よけん)〟は現れておりません」
 官吏従一位(かんりじゅういちい)である七尾美重季(ななおみしげすえ)の報告に宇城(うじょう)が応えた。
「何ぞ起こるかは伝えられぬのが仕来り…………天変地異でも起きねばよいが……」
 不安を含んだ宇城(うじょう)の言葉に、数名の小さな溜息。
 島には〝菊花伝説(きっかでんせつ)〟と呼ばれる伝承があった。
 丁度一〇〇年毎、島を黄色い菊の花が埋め尽くす時に悲劇が訪れるというもの。
 今年はその年と言われていた。そのため島には常に張り詰めた空気があったのも事実。毎日の菊の花の調査と悲劇の始まりを見逃さないようにと神社での祈祷(きとう)が続いていた。
 神事(しんじ)に於ける〝予見(よけん)〟とは、いわば未来を見通すこと。島ではその予見(よけん)によって多くの事柄が決められ、行動の規範となってきた。
 宇城(うじょう)の隣の宇道(うどう)が微かに口角を上げて口を開く。
宇城(うじょう)の兄様とも思えぬ御言葉……〝予見(よけん)〟をなさればよいではありませぬか」
 嫌な笑みを含んだような物言いはいつものこと。
 父である大神主(おおかんぬし)の跡を継ぐのは長男の宇城(うじょう)。次男の宇道(うどう)は今のままでは大神主(おおかんぬし)になることは出来ない。そのため、次男の宇道(うどう)としては長男を敬うどころか、以前より妬んでいた経緯がある。(こと)あるごとに足を引っ張ろうとしていた。総じて仲が悪いのは神職に就いている者たちなら誰もが知っているほど。
 そこに官吏従二位(かんりじゅうにい)高津宮延輝(たかつのみやのぶてる)が声を上げる。
「恐れながら……先だっての神事(しんじ)にても〝凶有之(きょうこれあり)〟との予見(よけん)。さすれば急がれるのが〝吉〟かと…………」
 高津宮(たかつのみや)家の先祖は代々朝廷の(みかど)に仕えてきた由緒ある血筋。島には最初期にやってきた。そして神職とは違うとはいえ、八頭鴉(やずがらす)の信仰を底上げすることに代々貢献してきた歴史がある。それ以来、官吏(かんり)の名簿から高津宮(たかつのみや)家の名前が無くなったことはない。
 それに乗るのは七尾美重季(ななおみしげすえ)
「私も同じ。大神主(おおかんぬし)様の御力を拝借出来れば造作も無きこと」
 七尾美(ななおみ)家は神職の家系。高津宮(たかつのみや)家よりは少し遅れて島にやってきたとされているが、まだインフラが整備されていなかった頃でもあり、その力が存分に発揮されたとの記載が文献に残っている。
 その重季(しげすえ)の言葉に、祭壇の前で全員に背を向けていた光歩(こうふ)が低い声を発した。
「良い。日取りを……補佐は内神一位(ないかんいちい)
 その言葉に宇城(うじょう)が顔を上げる。
 しかし次男の宇道(うどう)は当然面白くない。
 その宇道(うどう)が思わず口を開く。
「しかしながら一位(いちい)は先だっての神事(しんじ)の際にも最終的な予見(よけん)の出来ぬまま────」
(いな)
 そう言ってすぐに遮った光歩(こうふ)が続ける。
予見(よけん)一位(いちい)で執り行う。もし(けが)れや迷いがあると思しき時は…………〝三宝(さんぽう)〟の御力を借り受けようぞ」
 大黒天(だいこくてん)は戦闘を(つかさど)った神ともされるが、同時に三宝(さんぽう)を守護する神でもあるとされる。
 そして八頭鴉(やずがらす)大黒天(だいこくてん)神社に於ける三宝(さんぽう)は本殿の奥────〝守神(しゅしん)〟と呼ばれる部屋にあった。

 一つは、島で研磨されたとされる〝水晶〟。
 一つは、神の姿を映すとされる〝銅鏡(どうきょう)〟。
 一つは、島を魔物から守るとされる〝即身仏(そくしんぶつ)〟。

 本来即身仏(そくしんぶつ)というのは神道(しんとう)ではなく仏教の考えに則したものではあったが、八頭鴉(やずがらす)には設立当初から仏教の概念が絡んできた歴史もあった。それは設立時の相談役の人物の影響でもあり、同時に八頭鴉(やずがらす)を既存の神道(しんとう)とは違う密教という大きな〝(うつわ)〟にする為に必要なものでもあった。
 その〝三宝(さんぽう)〟はこの島でこの神社が作られた時に納められ、その時以来、その部屋は開けられたことがない。部屋を封印している錠前の鍵ですら専用の木箱に入れられ、その木箱ごと代々宮津守(みやづのかみ)家で受け継がれてきた歴史があった。
 決して誰も中に立ち入ることの許されない〝守神(しゅしん)〟。
 その前には特殊な祭壇が設けられていた。過去にも重要な神事(しんじ)の際のみにその祭壇は使われてきた。光歩(こうふ)はその〝守神(しゅしん)〟を使う可能性を示唆したことになる。

 ──……〝三宝(さんぽう)〟…………〝守神(しゅしん)〟を使うのか…………

 宇道(うどう)光歩(こうふ)の言葉に何も言い返せないまま、その身を硬くした。
 そこに再び光歩(こうふ)の声。
「他の者たちは日取りを決めるように」
 光歩(こうふ)としては、近頃神事(しんじ)で結果を出せずに自信を無くしていた長男の宇城(うじょう)に自信を取り戻して欲しいという気持ちもあった。次男の宇道(うどう)の感情を理解していないわけではない。
 同時にその行動には目を光らせていた。





 八頭鴉島(やずがらすじま)の神社建設に大きく貢献した宮大工(みやだいく)の家系────八重津(やえず)家。
 八重津(やえづ)家の先祖は代々の宮大工(みやだいく)の血筋として島にやってきた。初期の頃という時期的なこともあってか、神社のみならず多くの建物を建てることに貢献してきた。現在は神社関連の(やしろ)の修繕が主な役割。
 その八重津(やえづ)家の娘、佐江沙(さえさ)────一七才。
 美しい娘として島でも有名だった。
 そんな佐江沙(さえさ)が運命的な出会いをしたのは二月(ふたつき)ほど前。
 第三社の補修工事の時だった。工事の棟梁(とうりょう)を務めていた父と大工の者たちに食事を運んだ時。
 たまたま工事の進捗を見にきていた高津宮(たかつのみや)家の長男、延拍(のぶはく)────二三才。
 お互いに一目で()かれ合った。
 そして二人は急速に間柄を深めていく。

 しかしそれは、決して許されることのない恋だった。

 八頭鴉(やずがらす)の世界には厳格な(くらい)が存在した。
 その中でも高津宮(たかつのみや)家は元々が(みかど)に仕えていた由緒ある血筋だったこともあり、八頭鴉(やずがらす)の中でも島に渡った直後からすぐに実質的な二番手の(くらい)である相談役として即位した。島流しとして島に幽閉された初代の八頭鴉(やずがらす)の八人を追いかけるようにして島にやってきた最初の一陣の中の一家族。まだ組織が完全に出来上がっていなかった頃でもあり、高津宮(たかつのみや)家のような存在は歓迎された。
 八重津(やえづ)家も高津宮(たかづのみや)家と一緒に渡った一陣の血筋だったが、元々の生業(なりわい)宮大工(みやだいく)。もちろん神社を作ることには重宝されたが、高津宮(たかつのみや)家とは当初から(くらい)の時点で大きな開きがあった。
 (みかど)に仕えていた血筋と宮大工(みやだいく)の血筋では、例え古くから八頭鴉(やずがらす)に関わっていた血筋同士でも(くらい)が違い過ぎた。
 それでも二人は例え短い時間だけでもと、毎日のように逢瀬(おうせ)を続ける。
 そしてそんな二人の気持ちを、菊花伝説(きっかでんせつ)が押し上げた。
「今年は菊花伝説(きっかでんせつ)の年と言われています……何が起こるのか誰にも分からぬことですが…………」
 何度か逢瀬(おうせ)を重ねていた海沿いの小さな洞窟で、延拍(のぶはく)が不安を口する。
 佐江沙(さえさ)は少し間を開け、いつものようにゆっくりとした口調で返した。
「……私は構いません…………ただ……その時は延拍(のぶはく)様と一緒に居とうございます……」
「私もです佐江沙(さえさ)殿。何があろうと……私は佐江沙(さえさ)殿を見付けます。もしもの時にはこれを…………」
 延拍(のぶはく)はそう言うと、佐江沙(さえさ)の手を取った。
 小さな巾着袋(きんちゃくぶくろ)を取り出すと、その(てのひら)に乗せたのは小さな〝水晶〟────。
 佐江沙(さえさ)が驚いて目を見開く。
「…………これは…………」
 その水晶は洞窟の中に逃げ込んだ陽の光を反射し、呟いた佐江沙(さえさ)の顔を柔らかく照らした。
 延拍(のぶはく)佐江沙(さえさ)の表情を見つめながら話し始める。
「二日程前のことです……夢で……菊花(きっか)の伝承の日に、この水晶が助けてくれると…………目を覚ますと手の中にありました…………」
「……神の御告げ以外にはありません…………しかしこれは延拍(のぶはく)様が────」
 そう言って水晶を差し出しかけた佐江沙(さえさ)の手を、延拍(のぶはく)は両手で包むように押し返した。
「……なりません…………私は命を賭けても佐江沙(さえさ)殿を守ると誓った身…………(おのれ)にも貴女(あなた)にも…………嘘はつきとうない」
 二人は真剣だった。
 そして、まだ誰にも二人の関係は見付かっていない。
 しかしいつまでもこのままではいられないことも、お互い分かっていた。たまにそんな話をすることもある。それでも解決策は導き出せないまま。諦めそうになる気持ちを押し隠すほどに、その気持ちは大きく膨れ上がっていった。
 洞窟の穴の向こうに見える穏やかな波を見ながら、やはり思うのはそのこと。

 ──…………どんな未来になるのだろう………………?

 延拍(のぶはく)との時間を過ごす度に、いつも佐江沙(さえさ)はそう思う。

 ──……でも…………過去も未来も……今も、ここにある………………

 その二人の視界に、突然の人影。
 驚いて身構えた二人の目に映るのは、一〇才程の女の子だった。しかし和装ではない。二人にとっては見たことのない真っ赤なパーカーと黄色いミニスカート。
 呆然とする二人に向かって、その女の子が言葉をかける。
「ずっと、あなたたちを見てきた…………今までは見てることしか出来なかったけど、やっと会いにこれた。これで終わりに出来るよ」
 反射的に佐江沙(さえさ)が返す。
「……終わり…………何を終わらせるのですか……?」
 しかし女の子は笑顔を浮かべるだけ。
 すぐに延拍(のぶはく)が腰を上げて声を張り上げた。
「貴様は()なる者か⁉︎ 菊花(きっか)の使いか⁉︎ 答えろ!」
菊花(きっか)って……あの伝説? ああ……最初に作り出したのはあなたたちだけどね」
 その女の子の言葉に延拍(のぶはく)もすぐに返す。
「……おかしなことを…………」
 延拍(のぶはく)佐江沙(さえさ)に視線を向けると続けた。
佐江沙(さえさ)殿、この者は私が本殿に連れて行きます」
 しかし二人が視線を再び戻した時、女の子の姿は(きり)のように消えていく。





 毘沙門天(びしゃもんえん)神社。
 祈祷(きとう)中に意識を失った(かえで)を、不安気に(しずく)が抱き抱えていた。
 二人は西沙(せいさ)の依頼で昼前に到着したばかりでもあった。
 すでに時間は昼過ぎ。
 祈祷(きとう)の中心になっていた西沙(せいさ)が、祭壇の松明(たいまつ)の前で息を切らす。

 ──………………繋がった…………さすが……(しずく)さん………………
 ──…………あそこか…………

「……あの島…………清国会(しんこくかい)なのですか?」
 その(しずく)の言葉に、額に大粒の汗を浮かべた西沙(せいさ)も疑問を口にした。
清国会(しんこくかい)によって島流しって…………それじゃ清国会(しんこくかい)に恨みを抱いててもいいはず…………」
「……あそこは…………清国会(しんこくかい)に管理されてはいないかも…………」
「…………バカな……! 清国会(しんこくかい)じゃなきゃアクセス出来るはずが────」
「……じゃあどうして────⁉︎」
(かえで)ちゃんの言葉には必ず意味がある…………(かえで)ちゃんは〝今までは〟と言った…………あそこに関わったのは、あの瞬間だけじゃない…………」
 西沙(せいさ)は体が僅かに震えるのを感じた。

 ──……あの二人は誰だ…………過去を、見たい………………

 結妃(ゆいひ)が慌てて西沙(せいさ)に駆け寄る。
 西沙(せいさ)の額にフェイスタオルを当てて汗を拭った。
「……二人を、呼ぶ…………」
 西沙(せいさ)はそう呟くように言うと、(そば)のスマートフォンを手にした。





「────島? なかなか面白い話だね」
 リビングで西沙(せいさ)からの電話を受けた萌江(もえ)はすぐにスピーカーに切り替える。
『……何か……言葉で説明出来ないけど、変なんだ…………』
 その西沙(せいさ)の声に何かを感じたのか、萌江(もえ)の隣に座っていた咲恵(さきえ)がソファーから立ち上がり、ハンドバッグから車のキーを取り出した。
 その咲恵(さきえ)と目を合わせた萌江(もえ)が小さく頷いて立ち上がり、二人の間に西沙(せいさ)の声が挟まる。
『……何かあるよ……あの島…………気持ちがザワついて仕方がない』
 萌江(もえ)はいつものサッチェルバッグを手にすると縁側から外に出た。そして口を開く。
「分かるよ……その感覚…………西沙(せいさ)が感じるなら間違いない。何かあるね。(しずく)さんたちを呼んだのは正解だよ」
 咲恵(さきえ)に続いて萌江(もえ)が車の助手席に乗り込むと、素早く車が動き始めた。
「場所の特定まではまだ難しいんでしょ?」
『うん、ごめん…………それはまだ…………でも(かえで)ちゃんはまだその島にいるみたい……意識を失ったままだし……』
「あの子なら大丈夫だよ。簡単に誰かに悟られるような子じゃないしね。清国会(しんこくかい)にだって簡単には見付からないよ。(しずく)さんもいるしね。だから大丈夫…………今のその場では、西沙(せいさ)が一番の能力者だよ…………あなたなら私は何も心配してない…………だから、もう少しだけ耐えて。もう向かってるから」
『……ごめん……心配かけた…………待ってる』
「うん……頼む」
 萌江(もえ)が通話を切ると、最初に口を開いたのは運転しながらの咲恵(さきえ)
「珍しいね……西沙(せいさ)ちゃんが…………」
「そうだね…………何か…………大きなところに足を踏み入れたかな?」
 そう応える萌江(もえ)の声にも、咲恵(さきえ)は不安のようなものを感じた。
「どうしたの? 萌江(もえ)まで…………あなたは私たちを引っ張ってく立場でしょ。その覚悟はしたはずだよ。しっかりして」
「そうだった……分かってるはずなのにね……ごめん」
 萌江(もえ)はそう返して小さく笑みを浮かべる。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)にしか弱音を吐かないことは、もちろん咲恵(さきえ)しか知らない。咲恵(さきえ)自身はそれでいいと思っていたし、そのことには何の不満もない。しかしこの時の咲恵(さきえ)は、鼓舞させるような強い物言いをしてしまった自分を少し悔いた。

 ──……なんだろう…………私にも余裕がないの…………?

 車を運転しながら、目の前の空気のような〝何か〟が濃くなっていく。

 ──…………なんだ……このザワつき…………西沙(せいさ)ちゃんを困らせるほどの………………

 咲恵(さきえ)の首に下がった〝水の玉〟が熱い。

 車で約三時間────。
 すでに辺りは薄暗くなっていた。
 二人が毘沙門天(びしゃもんてん)神社に到着する。
 車を降り、長い階段の前の鳥居で二人は立ち止まった。
「……濃厚だねえ…………」
 階段の先にある鳥居を見上げながらそう言う萌江(もえ)に、隣の咲恵(さきえ)が応える。
「……〝深い〟ことになりそうね…………」
 そして無意識に、咲恵(さきえ)萌江(もえ)の手を握っていた。




          「かなざくらの古屋敷」
      〜 第二一部「堕ちる命」第2話へつづく 〜
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