第四部「罪の残響」第2話
文字数 9,552文字
その洋館は明治二五年から空き家のままだった。
そして佐江咲平吉 がその洋館に移り住んだのは明治三二年。
平吉 は大日本帝国陸軍の陸軍大佐だった。
当地への転属を機に、かつての日清戦争での功績を評価され、空き家となっていた洋館を与えられる。
家族は妻、帝国陸軍に入ったばかりの長男と陸軍学校へ通う次男。他は使用人が一〇人。
最初に体調不良を訴え始めたのは使用人だった。次々と暇を与えて国元へ返し、その都度新しい使用人を入れるが、なぜか入れ替わりは激しかった。
妻が寝込むようになり、次男も体調不良を訴え始めたのは明治三七年。
しかしその年には、平吉 と長男は日露 戦争へ赴くことになる。
二人は翌年無事に帰国するが、直後に妻と次男は病院で次々と命を落としていった。
使用人が次々と減っていく中、平吉 が体調不良を訴えたのは年号が大正に変わった頃。
程なく長男も体調を崩し、大正三年、二人も病院で亡くなる。
再び民間の不動産業者が土地と建物を買い取るが、資産価値の割には決して高くはない金額でしかなかった。
☆
「ひ…………久しぶりね…………萌江 」
西沙 はそう言いながらも、その視線は僅かに萌江からズレている。
「まあ…………しょっちゅう電話で話してるしね」
呆れ顔で応える萌江 に、なぜか西沙 は近付かない。
すると咲恵 が萌江 の耳元で囁 く。
「西沙 ちゃんってあれ? 面と向かうと話せないタイプ?」
「……そんな感じみたいだね…………」
萌江 は大きく溜息を吐 いて続けた。
「で? なんでこんな所にいるのよ…………あそこからって新幹線でも結構かかるよ」
「し…………心配だから来たんでしょ!」
「でも杏奈 ちゃんに紹介したじゃん」
「だって…………私じゃ…………多分、手に負えない…………」
「珍しく弱気じゃない」
すると、西沙 は萌江 の目に視線を合わせ、大股で歩み寄る。
萌江 の目の前で見上げて声を上げた。
「何も感じないの⁉︎ 嫌な予感がするんだってば! 紹介した時は萌江 に会いに行く口実が出来るってだけ思ってたけど急に感じたんだってば!」
そして、すぐ横から咲恵 の声。
「やっぱり口実が欲しかったか…………」
「あ」
「電話であんな会話してるくらいだからねえ」
「なんで咲恵 が知ってるのよ!」
「だって萌江 がスピーカーにしちゃうんだもん」
そう言って咲恵 は萌江 に笑顔を向けた。
その萌江 が声を上げる。
「スピーカー問題よりさあ、どうしてあなたは心霊スポットにゴスロリファッションで来ちゃうのよ」
「仕方ないでしょ! 駅からそのまま杏奈 の車でここに来たんだから!」
「仕方ないなあ…………とにかくだ」
そう言って西沙 に背中を向けた萌江 が無理矢理に話題を戻す。
「あんまり時間無いんでしょ?杏奈 ちゃん」
すると、突然話を振られた杏奈 が慌てて返した。
「そ、そうですね…………実は朝には警備の警官が戻るそうでして…………」
「やっぱりか…………こんな山の中で警備を続けるってことは、それなりの理由がありそうだ。何かを感じてるのは咲恵 と西沙 ちゃんだけじゃないしね」
「……スピーカーはやめて」
背後の声に、萌江 はゆっくりと振り返った。
「分かった…………その代わり…………今回の解決に全面協力して…………私のこれでも────」
萌江 は左手を広げて上げる。そこには指にチェーンを巻いた水晶が下がっている。
その萌江 が続けた。
「────分からないことがあるみたい。西沙 ちゃんの力も必要になる…………私に抱かれたいなら協力して」
「いや、抱かれたいわけじゃない」
「断るのが早い」
「そっちは別に…………」
「まあいい…………杏奈 ちゃん、黄色いテープの中って入っちゃダメなの?」
すると、杏奈 がゆっくりと何かを確認するかのように応えた。
「ま、まあ……普通は……ダメだと……思いますけど…………」
「じゃあ私は普通じゃないから入るわ」
萌江 はあっさりとバリケードテープを跨 いだ。
「まあ、そうなるよねえ」
そう言った咲恵 もテープを跨 ぎ、進み始めた萌江 に続いた。
「もう、凄い人たちだなあ……あ、西沙 さん、テープ切らないようにお願いしますね」
そして杏奈 も鞄から懐中電灯を取り出してテープを跨 ぐ。
取り残された西沙 もテープを跨 ごうとするが、身長の低さが仇 になった。
「んんーーー」
どこにもぶつけようのないもどかしさ。
何事も無かったかのようにテープの下をくぐった西沙 は、すぐに三人を追いかけていた。
壁がほとんど取り除かれているとは言っても、建物がかなり大きかったであろうことだけは分かる。
四人で足元を照らしながらゆっくり進んだ。足元には瓦礫 が散乱していてかなり歩きにくい。洋館と言っても時代的に床の木材もかなり弱っている。
「元々さあ」
口火を切ったのは萌江 だった。
「どうして今更取り壊そうとしたの?」
応えるのは杏奈 。
「ここら辺の山を削って大きな道路を通したいらしくて……つまりはバイパス開拓の公共事業ですね。行政がここの所有者を探すのも大変だったみたいですよ。あちこちの不動産屋を書類だけで渡り歩いてたみたいで、やっと見つけた時には不動産屋ですら存在を忘れるくらいに書類の中に埋もれてたそうです」
「こんな山の中だしねえ……昔ならいざ知らず、住みたがるのは変わり者だけだよねえ」
咲恵 が呟くと萌江 がすぐに返した。
「変わり者で悪うございました」
「私は変わり者が好きなので」
「だよねえ」
杏奈 の説明が続く。
「道路工事と並行してここの解体が進んでいたようなんですが、偶然床が崩れて地下室が見付かったそうでして」
「それがここ?」
そう言って足を止めたのは萌江 だった。他の三人も釣られて足を止めた。
床の木材が大きく剥がされているが、それほど大きな地下室でもないようだ。深さは二メートルも無いように見える。しかも手彫りなのか、土が剥き出しのまま。
「地下室って言うより、地下空間って感じね」
そう続けた萌江 の左手の水晶が熱い。
その萌江 は懐中電灯で穴のあちこちを照らす。
すぐ横では杏奈 がカメラを取り出していた。
萌江 が口を開く。
「写真は出来るだけ詳細にお願い。もうここに来れるチャンスは無いしね」
「……分かりました。発見から今日まで雨が降らなかったんで助かりましたね」
応えた杏奈 がシャッターを推し続ける。素人目に見ても扱い慣れた印象だった。手の動きも早い。
萌江 は口を開き続けた。
「何か箱みたいな物を置いてたね、あそこ」
穴の一部を指差して続ける。そこには四角い物を置いていたかのように跡がついていた。
「ということは…………この地下は遺体を隠すために掘られた空間じゃない。杏奈 ちゃん、お願いしてた白骨遺体の情報は?」
杏奈 はシャッターを切り続けながら応える。
「警察からの裏情報なんですけど…………身に付けてた衣服からの予測だと、日本人じゃないだろうと見てるみたいです。服の年代測定は明治維新前後。遺体は男性が一人、女性が一人、子供が三人…………ここで暮らしてたイギリス人家族と一致します。でも公式にはみんな病死なんです。しかも遺骨は火葬してイギリスに送られています」
「…………ウソ」
呟いたのは咲恵 だった。
そして続ける。
「……ああ…………分かったかも…………」
そこに萌江 が刺さる。
「遺体がイギリス人家族だとしたら、その後に暮らした人たちは地下の存在すら知らなかった可能性が高いよね。でも元々何かに使われてた空間なのにその入り口は隠されてた…………イギリス人家族が使っていた秘密の空間…………何かを隠してたか…………」
「────西沙 ちゃん!」
咲恵 が叫ぶ。
次の瞬間には倒れかけた西沙 の体を支えていた。西沙 は力なく咲恵 の体に捕まりながらも、まだ意識はある。その西沙 が呟く。
「……大丈夫…………あまり知られたくないみたい…………入りかけたけど躊躇 した…………」
そして呆然とする杏奈 が口を開く。
「どうしたんですか…………西沙 さん…………」
その声は僅かに恐怖で震える。杏奈 にとっては始めて見る西沙 の姿だった。
それに応えたのは咲恵 。
「大丈夫…………この子は憑依 体質だから…………」
そこに萌江 の呟きが聞こえる。
「…………誰だ…………見えない…………何を守ってるの…………?」
そして、その萌江 が突然走り出した。
「咲恵 ! 西沙 を頼むよ! 杏奈 ちゃん来て!」
「は、はい!」
あたふたとしながらも杏奈 が萌江 を追いかける。
建物のエリアから外に出た二人は、井戸の前にいた。
井戸には蓋がされていたが、組み上げ用の機械は壊れて倒れたまま。
「ねえ杏奈 ちゃん、何か小さな袋とか持ってない?」
「袋ですか? 待ってくださいね」
杏奈 は膝をつくとショルダーバッグを開いて手を入れた。
「これで大丈夫ですか?」
杏奈 はSDカードを何枚も入れた小さなジッパー付きのビニール袋を取り出して続けた。
「雨で濡れると困るんでいつもこうして持ち歩いてるんですよ」
杏奈 は袋のチャックを開けると中身をバッグの中に入れて萌江 に渡す。
「どうぞ」
「ごめんね。助かる」
萌江 は汲み上げ用の機械に近付くと、膝をついて蛇口に手を近付けた。
そして手を止める。
──……触 れない…………
近くの石を拾うと、蛇口にこびり着いた水垢 を削り始めた。それをビニール袋に入れるとチャックを閉める。
そして小さく息を吐いた。
「ありがとう杏奈 ちゃん……戻ろう…………西沙 が気になる…………」
「はい…………」
二人が戻ると、完全に西沙 は意識を失っていた。
その光景に、杏奈 が不安気に寄り添う。
咲恵 が横になる西沙 を支えていた。
「ごめん……私が無理に
そう言った咲恵 が顔を上げて続ける。
「一人……
それにすぐに萌江 が応えた。
「うん…………私も感じてた…………」
すると────西沙 が口を開く。
しかもそれは聞いたことのない男の声。
「〝…………許せなかった………井上 様になんと…………報告すれば……………〟」
そして低いうめき声。
杏奈 はその光景に震えながら膝を落としている。
萌江 は西沙 の額に左手の水晶を当て、しばらくし、その萌江 が口を開いた。
「咲恵 、西沙 を起こせる? もう行こう……多分、分かった…………」
「…………うん」
咲恵 が西沙 の頭に手を乗せると、西沙 の体が小さく動き、その目が開く。
一瞬だけ驚いたような顔をするが、すぐにその表情は本来の西沙 の顔に。
そして萌江 の顔を見上げて一言。
「…………分かった?」
そして西沙 の左目からだけ、涙が一筋落ちた。
「うん。行こう。やっぱり西沙 のおかげで助かったよ」
そう言った萌江 は、西沙 に優しい顔を向けた。
☆
西沙 と杏奈 は駅前のホテルへ。
萌江 と咲恵 も一度咲恵 のマンションに戻る。
帰るなり萌江 は冷蔵庫を開けた。中から缶ビールを取り出すと咲恵 に声をかける。
「呑む?」
「うん……私も付き合おうかな…………」
時間はすでに早朝の四時近く。夜形の生活スタイルとはいえ、いつもならアルコールを呑み始める時間ではない。
それでも咲恵 も呑みたい気分だった。リビングのソファーに深々と腰を降ろし、大きく息を吐く。
缶ビールを両手に持った萌江 が隣に、沈み込むようにソファーに座り込むと、妙な安心感が咲恵 を包んだ。
お互いにビールの一口目を喉に押し込むと、やっと言葉が溢れ出す。
最初は咲恵 だった。
「まずいね…………どうする?」
「……そうだね…………でも説明しないと…………杏奈 ちゃんも納得出来ないんじゃないかな」
「確かにね…………でも今回は手を引くでしょ?」
「…………引くしかないよ…………最終的に杏奈 ちゃんに頼んだ分析結果が出てもそれは変わらない…………」
「私たちなりに結果を出したら終わり…………今回はそれでいいよね…………」
「うん…………杏奈 ちゃんにもらった資料見ながら私がまとめておくよ」
そして萌江 は咲恵 に顔を向けて続ける。
「明日…………送ってもらっても大丈夫? 手間かけさせるけど…………」
「いいよ…………戻っちゃうんだね…………あの…………」
咲恵 も萌江 に顔を向け、そして小さく続ける。
「…………もう一日……」
そして、唐突に笑顔を作った咲恵 が繋げた。
「ごめん…………冗談」
「ごめんね…………集中したいからさ…………一週間後にあの家で…………」
萌江 はビールを一気に呑み干した。
そして、咲恵 の手に自分の指を絡める。
☆
「はー」
咲恵 の大き目の溜息に合わせるように、次いでロックグラス片手のリョウが溜息を吐 いて言葉を吐いた。
「辛気臭いわねえ。前のスタイルに戻っただけじゃないの」
カウンターの中で再び溜息を吐 く咲恵 の口が応える。
「……そうだけど」
「顔に寂しいって書いてあるわよ」
「…………そうだけど」
「久しぶりに何日も一緒にいたから、前の状態に戻ったら寂しくて仕方ないんでしょ?」
「………………そうだけど」
「なんで一緒に暮らさないのよ」
「……色々あったのよ…………」
まだ早い時間だというのに、珍しく咲恵 もウィスキーを舐めていた。
「元々週に一回はその……山の中? にママが通ってたんでしょ? よっぽどだわそれ」
「何がよ」
「クールなつもりでいるのかもしれないけど追いかけてるじゃない」
「私が? 私はちょっと寂しいなってだけで追いかけてるわけじゃ…………」
「あの子と一ヶ月会えないとしたら…………耐えられる?」
「一ヶ月…………?」
「ずっと、とかって質問は極論だと思うからしたくないけど、どうよ」
「……一ヶ月は…………」
「そうでしょ? そんなに会わなかったら体が疼 いて仕方ないでしょ」
「そうね…………」
「ムラムラするでしょ?」
「……そうね…………」
「我慢出来なくて深夜でも車走らせて会いに行きそうよね」
「…………たぶん…………」
「それを素直に伝えたらいいのに」
「……あー……うん…………」
「…………それが出来たら苦労しないか」
「……ごめん…………色々と普通じゃないのよ私たちって……」
「え⁉︎ なにか……特殊な性癖とか…………」
「いや……ちがうちがう」
「男同士も色々あるけど女同士も色々あるのね…………分かるわ……大変よね」
「いや…………ええー…………」
直後、店のドアがけたたましく開く。
荒い呼吸でそこに立っていたのは杏奈 だった。
「どうしたの?」
その咲恵 の声に、大きく息を飲み込んだ杏奈 の口が開く。
「……西沙 さんが…………」
さらにその直後、杏奈 の背後から現れたのは由紀 。
「きゃー杏奈 ちゃん! また来てくれたんだー嬉しい…………ってあれ?」
いつの間にかカウンターから出てきた咲恵 が杏奈 の手をとって一言だけ。
「由紀 ちゃん、ごめん…………店お願い」
「え?」
咲恵 と杏奈 がけたたましく階段を駆け降りる音が聞こえ、店のドアがゆっくりと閉まった。
由紀 とリョウは呆然と顔を見合わせる。
そして口を開いたのはリョウ。
「……そういうことなのね…………」
「どういうこと⁉︎」
「咲恵 は萌江 に会えない寂しさをあの子で埋めてるのよ」
「……ええー…………会いに行けばいいだけでは…………」
杏奈 の車に乗り込んだ咲恵 は、駅前に向かう道中で説明を聞いていた。
「この間みたいな感じだと思うんですけど変になっちゃったみたいで…………」
「ってことは、まだ意識はあるのね」
「萌江 さんに何度も電話したらしいんですけど出ないから私に電話してきて咲恵 さんじゃなきゃ対処出来ないって言って」
「遠回りしすぎでしょ」
やがて到着すると、ホテルのドアを開けた西沙 の顔色には生気 がない。
小さな冷や汗の粒が額にいくつも浮かんでいた。
咲恵 は素早く中に入ると、バスローブ姿の西沙 を抱えるようにベッドに移動した。
そのまま西沙 はベッドに腰掛けたまま、項垂 れたまま肩で息をする。
そして咲恵 は立ち尽くす杏奈 に声をかけた。
「ごめん……冷蔵庫にペットボトルのお水とかないかな」
「はい!」
素早く杏奈 はペットボトルを咲恵 に渡し、咲恵 は蓋を回した。
杏奈 はまだこういう光景を見慣れているわけではない。明らかにいつもとは違う西沙 の姿に、どうすることも出来ない恐怖を感じていた。いつも強気な態度の西沙 がまるで子供のように咲恵 に体を預けている。
西沙 に水を飲ませている咲恵 を見ながら、オカルトライターとしての経験があるはずの杏奈 でも言葉が出ない。
──……すごい…………
「ゆっくり飲んで……大丈夫? 少し落ち着いたね」
咲恵 はそう声をかけながら、決して急ごうとはしない。
しかし西沙 が伝えたがっているのが杏奈 にも分かった。
「…………また……入ってこようとして…………」
その西沙 の声はか細い。
咲恵 は優しく西沙 の背中に手を置いたまま返していく。
「……ゆっくりでいいよ…………この間の人かな…………」
「たぶん…………入ろうとするんだけどやめて…………また入ろうとしてやめて…………何度も繰り返すから……気持ち悪くて…………」
「…………んー……そっか…………」
その時、ベッド脇に置かれていた西沙 のスマートフォンの着信音が鳴り響く。
画面には〝萌江 〟の名前。
西沙 が画面に指を触れるよりも早く、咲恵 の指が触れていた。
「あ、ごめん、私」
そう言った咲恵 は素早くスピーカーモードに。
『は?咲恵 ⁉︎ なんで⁉︎』
「杏奈 ちゃんが教えてくれたの。西沙 ちゃんが大変だからって────」
「なんで電話に出ないのよ!」
叫んでいたのは西沙 だった。
『シャワー浴びてたんでしょ。三〇分の間に四一回もかけないでよね』
そこに挟まったのは咲恵 だった。
「まあまあ、西沙 ちゃんもそれだけ苦しかったってことだよ」
『そもそもこの間とは違う人じゃん』
その萌江 の声に、咲恵 と西沙 は顔を見合わせた。
『二人がかりで気が付かないってどういうことよ⁉︎ この間の人と関係のありそうな人だけど…………同じように、知って欲しい気持ちと秘密にしたい気持ちがせめぎ合ってる…………でも完全に別人。さらに相関図は複雑になるねえ…………とりあえず、今回の仕事は相手が大き過ぎる。二人とももう少し気持ちを引き締めて。そのくらいなら二人で押さえ込めるはずだよ。じゃ、私はこれからお酒を飲んで資料の整理に入るので、あとよろしく』
あっさりと電話が切れた。
その光景に杏奈 は思っていた。
──……すごい…………
☆
伊澄十郎 は地元ではかなり大きな地主として有名だった。
その十郎 が洋館の建物と土地を買い求めたのは大正十二年のこと。
長男夫婦に子供が産まれたことを機に、十郎 はその洋館を長男家族に進呈する。
街中からは少々距離があったが、それほどの立派な洋館は日本国内でも早々ある物ではない。伊澄 家を継ぐ者としては恥ずかしくない御屋敷だった。
しかし、異変は住み始めてすぐに起きた。
長男の重信 の様子がおかしいという使用人からの報を受けて十郎 が屋敷に向かうと、屋敷の中で一番広いリビングのソファーに腰掛けた重信 が、頭を項垂 れたまま動かない。
「重信 、どうしたというのだ。お前がおかしいと電話をもらったが────」
十郎 がそう言ってソファーの重信 に近付く。
そして十郎 の耳に、小さな声が届いた。
重信 は床を見つめたまま、何かをブツブツと呟いている。
十郎 はその姿に足を止め、狼狽 えた。
「────なんだ…………どうしたんだ重信 …………」
そこに背後からの声。
「お義父 様…………」
重信 の妻、スミだった。少し前から体調を壊して病床に伏せっていた。そのスミが使用人の肩を借りて立っている。そして続ける。
「……すいません…………私がこんな体なばかりに重信 さんが…………」
「スミ……一体何があったのだ……?」
十郎 はそう言うとスミに近付く。
すると、スミが叫んだ。
「私に近付いてはなりません!」
十郎 は再び足を止めて困惑の表情を浮かべる。
その十郎 にさらにスミの声。
「私に近付くことを許しているのは、この…………」
スミは自分の体を支える使用人に軽く顔を向けて続けた。
「…………イヨリだけです…………イヨリも近頃、体調を崩しております…………お義父 様……この家は呪われているんです…………」
「何をバカなことを────!」
そう十郎 が声を上げた直後、背後で重信 の声がする。
「……………………許せなかった…………許せなかっただけなのに…………」
重信 は肩を震わせ、その声までを震わせた。
「…………井上 様に…………なんと報告すれば……………………この国は…………これからなのに……………………」
十郎 はそれから何年もの間、何十人もの医者に二人を診させたが、原因が分からないままに病状は悪化の一途を辿る。それは時代が昭和に変わっても同じだった。
そして、二人の間の息子、十郎 にとっては初めての孫も寝込むようになる。
やがて昭和一三年。
重信 は最初に一九歳になる息子を刺し殺した。
深夜、使用人もすでに三人しか残っていなかったその屋敷では、重信 が深夜に徘徊しても気が付く者もいない。
すでに精神までも病んでいた息子は叫び声すら上げなかった。
妻のスミも同じ。
スミはもはや自我を持っていたとも思えないような廃人の姿。胸から流れる血と共に、抵抗もなく床に命を流した。
物音に気付いて起きてきた使用人を惨殺した重信 は、自らの喉に包丁を刺して絶命する。
息子家族がいなくなり、屋敷が無人となっても、しばらく所有は十郎 のままだった。
十郎 は何年も調べ続けていた。
それは息子家族を苦しめた病のことだけではなく、屋敷の歴史そのもの。十郎 は〝呪い〟の原因を調べていた。
やがて伊澄 家の蔵の中から古い手紙を見付ける。手紙と言っても郵送された物ではない。誰に宛てて書かれた物なのかも分からなかったが、手紙を書いたのは〝大隈武揚 〟。伊澄 家の親戚筋に当たるが、大隈 家は一家離散したと聞いていた。しかもその理由は分からないまま。伊澄 家としても関わりは持たないようになっていた。
その手紙を見付けた使用人は、数世代に渡って伊澄 家で使用人として仕えていた者だったが、同時に大隈 家の血筋の者でもある。元々大隅 家を哀れに思った先々代が血筋の者を使用人として召し抱えたということだった。
その手紙の内容の大半は、大隅武揚 が秘書官として仕えていた明治新政府の外国事務総監、井上実美 に対する懺悔 が大半だった。それと同時に、懺悔 するに至る真実に十郎 は驚いた。
そこには一家が取り潰しとなる理由が記されており、その真実に、十郎 は血の気が引く思いがした。いつの間にか体が怒りで震える。
「……呪いの家か…………」
十郎 は告発しようと新聞社に駆け込むが、戦争の気運が高まる不穏な時代。
やがて告発は政府によって揉み消され、国家権力による監視が始まる。
もちろん告発内容を口外することは許されない。
一族に箝口令 が言い渡された。
それを理由に土地と建物は強引に徴収され始めた。
やがて洋館の土地と建物も政府に徴収される。
戦時中に、戦争を理由に伊澄 家の土地は次々と政府に徴収され続け、財産のほとんどを失う。
戦後、土地と建物は競売にかけられて地元の不動産業者へ。
時代の大きなうねりの中で、その土地と建物は忘れられていった。
そして、そこで暮らそうとする者は、誰もいなかった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第四部「罪の残響」第3話(第四部最終話)へつづく 〜
そして
当地への転属を機に、かつての日清戦争での功績を評価され、空き家となっていた洋館を与えられる。
家族は妻、帝国陸軍に入ったばかりの長男と陸軍学校へ通う次男。他は使用人が一〇人。
最初に体調不良を訴え始めたのは使用人だった。次々と暇を与えて国元へ返し、その都度新しい使用人を入れるが、なぜか入れ替わりは激しかった。
妻が寝込むようになり、次男も体調不良を訴え始めたのは明治三七年。
しかしその年には、
二人は翌年無事に帰国するが、直後に妻と次男は病院で次々と命を落としていった。
使用人が次々と減っていく中、
程なく長男も体調を崩し、大正三年、二人も病院で亡くなる。
再び民間の不動産業者が土地と建物を買い取るが、資産価値の割には決して高くはない金額でしかなかった。
☆
「ひ…………久しぶりね…………
「まあ…………しょっちゅう電話で話してるしね」
呆れ顔で応える
すると
「
「……そんな感じみたいだね…………」
「で? なんでこんな所にいるのよ…………あそこからって新幹線でも結構かかるよ」
「し…………心配だから来たんでしょ!」
「でも
「だって…………私じゃ…………多分、手に負えない…………」
「珍しく弱気じゃない」
すると、
「何も感じないの⁉︎ 嫌な予感がするんだってば! 紹介した時は
そして、すぐ横から
「やっぱり口実が欲しかったか…………」
「あ」
「電話であんな会話してるくらいだからねえ」
「なんで
「だって
そう言って
その
「スピーカー問題よりさあ、どうしてあなたは心霊スポットにゴスロリファッションで来ちゃうのよ」
「仕方ないでしょ! 駅からそのまま
「仕方ないなあ…………とにかくだ」
そう言って
「あんまり時間無いんでしょ?
すると、突然話を振られた
「そ、そうですね…………実は朝には警備の警官が戻るそうでして…………」
「やっぱりか…………こんな山の中で警備を続けるってことは、それなりの理由がありそうだ。何かを感じてるのは
「……スピーカーはやめて」
背後の声に、
「分かった…………その代わり…………今回の解決に全面協力して…………私のこれでも────」
その
「────分からないことがあるみたい。
「いや、抱かれたいわけじゃない」
「断るのが早い」
「そっちは別に…………」
「まあいい…………
すると、
「ま、まあ……普通は……ダメだと……思いますけど…………」
「じゃあ私は普通じゃないから入るわ」
「まあ、そうなるよねえ」
そう言った
「もう、凄い人たちだなあ……あ、
そして
取り残された
「んんーーー」
どこにもぶつけようのないもどかしさ。
何事も無かったかのようにテープの下をくぐった
壁がほとんど取り除かれているとは言っても、建物がかなり大きかったであろうことだけは分かる。
四人で足元を照らしながらゆっくり進んだ。足元には
「元々さあ」
口火を切ったのは
「どうして今更取り壊そうとしたの?」
応えるのは
「ここら辺の山を削って大きな道路を通したいらしくて……つまりはバイパス開拓の公共事業ですね。行政がここの所有者を探すのも大変だったみたいですよ。あちこちの不動産屋を書類だけで渡り歩いてたみたいで、やっと見つけた時には不動産屋ですら存在を忘れるくらいに書類の中に埋もれてたそうです」
「こんな山の中だしねえ……昔ならいざ知らず、住みたがるのは変わり者だけだよねえ」
「変わり者で悪うございました」
「私は変わり者が好きなので」
「だよねえ」
「道路工事と並行してここの解体が進んでいたようなんですが、偶然床が崩れて地下室が見付かったそうでして」
「それがここ?」
そう言って足を止めたのは
床の木材が大きく剥がされているが、それほど大きな地下室でもないようだ。深さは二メートルも無いように見える。しかも手彫りなのか、土が剥き出しのまま。
「地下室って言うより、地下空間って感じね」
そう続けた
その
すぐ横では
「写真は出来るだけ詳細にお願い。もうここに来れるチャンスは無いしね」
「……分かりました。発見から今日まで雨が降らなかったんで助かりましたね」
応えた
「何か箱みたいな物を置いてたね、あそこ」
穴の一部を指差して続ける。そこには四角い物を置いていたかのように跡がついていた。
「ということは…………この地下は遺体を隠すために掘られた空間じゃない。
「警察からの裏情報なんですけど…………身に付けてた衣服からの予測だと、日本人じゃないだろうと見てるみたいです。服の年代測定は明治維新前後。遺体は男性が一人、女性が一人、子供が三人…………ここで暮らしてたイギリス人家族と一致します。でも公式にはみんな病死なんです。しかも遺骨は火葬してイギリスに送られています」
「…………ウソ」
呟いたのは
そして続ける。
「……ああ…………分かったかも…………」
そこに
「遺体がイギリス人家族だとしたら、その後に暮らした人たちは地下の存在すら知らなかった可能性が高いよね。でも元々何かに使われてた空間なのにその入り口は隠されてた…………イギリス人家族が使っていた秘密の空間…………何かを隠してたか…………」
「────
次の瞬間には倒れかけた
「……大丈夫…………あまり知られたくないみたい…………入りかけたけど
そして呆然とする
「どうしたんですか…………
その声は僅かに恐怖で震える。
それに応えたのは
「大丈夫…………この子は
そこに
「…………誰だ…………見えない…………何を守ってるの…………?」
そして、その
「
「は、はい!」
あたふたとしながらも
建物のエリアから外に出た二人は、井戸の前にいた。
井戸には蓋がされていたが、組み上げ用の機械は壊れて倒れたまま。
「ねえ
「袋ですか? 待ってくださいね」
「これで大丈夫ですか?」
「雨で濡れると困るんでいつもこうして持ち歩いてるんですよ」
「どうぞ」
「ごめんね。助かる」
そして手を止める。
──……
近くの石を拾うと、蛇口にこびり着いた
そして小さく息を吐いた。
「ありがとう
「はい…………」
二人が戻ると、完全に
その光景に、
「ごめん……私が無理に
降ろさせた
…………〝この人〟はアクセスしたがってる…………」そう言った
「一人……
見えない人
がいるの…………何かを守ってる…………見られたくないみたい…………」それにすぐに
「うん…………私も感じてた…………」
すると────
しかもそれは聞いたことのない男の声。
「〝…………許せなかった………
そして低いうめき声。
「
「…………うん」
一瞬だけ驚いたような顔をするが、すぐにその表情は本来の
そして
「…………分かった?」
そして
「うん。行こう。やっぱり
そう言った
☆
帰るなり
「呑む?」
「うん……私も付き合おうかな…………」
時間はすでに早朝の四時近く。夜形の生活スタイルとはいえ、いつもならアルコールを呑み始める時間ではない。
それでも
缶ビールを両手に持った
お互いにビールの一口目を喉に押し込むと、やっと言葉が溢れ出す。
最初は
「まずいね…………どうする?」
「……そうだね…………でも説明しないと…………
「確かにね…………でも今回は手を引くでしょ?」
「…………引くしかないよ…………最終的に
解決はない
…………もちろん不確定な部分はあるから憶測で埋めるしかない部分はあるけど…………もちろん「私たちなりに結果を出したら終わり…………今回はそれでいいよね…………」
「うん…………
そして
「明日…………送ってもらっても大丈夫? 手間かけさせるけど…………」
「いいよ…………戻っちゃうんだね…………あの…………」
「…………もう一日……」
そして、唐突に笑顔を作った
「ごめん…………冗談」
「ごめんね…………集中したいからさ…………一週間後にあの家で…………」
そして、
☆
「はー」
「辛気臭いわねえ。前のスタイルに戻っただけじゃないの」
カウンターの中で再び溜息を
「……そうだけど」
「顔に寂しいって書いてあるわよ」
「…………そうだけど」
「久しぶりに何日も一緒にいたから、前の状態に戻ったら寂しくて仕方ないんでしょ?」
「………………そうだけど」
「なんで一緒に暮らさないのよ」
「……色々あったのよ…………」
まだ早い時間だというのに、珍しく
「元々週に一回はその……山の中? にママが通ってたんでしょ? よっぽどだわそれ」
「何がよ」
「クールなつもりでいるのかもしれないけど追いかけてるじゃない」
「私が? 私はちょっと寂しいなってだけで追いかけてるわけじゃ…………」
「あの子と一ヶ月会えないとしたら…………耐えられる?」
「一ヶ月…………?」
「ずっと、とかって質問は極論だと思うからしたくないけど、どうよ」
「……一ヶ月は…………」
「そうでしょ? そんなに会わなかったら体が
「そうね…………」
「ムラムラするでしょ?」
「……そうね…………」
「我慢出来なくて深夜でも車走らせて会いに行きそうよね」
「…………たぶん…………」
「それを素直に伝えたらいいのに」
「……あー……うん…………」
「…………それが出来たら苦労しないか」
「……ごめん…………色々と普通じゃないのよ私たちって……」
「え⁉︎ なにか……特殊な性癖とか…………」
「いや……ちがうちがう」
「男同士も色々あるけど女同士も色々あるのね…………分かるわ……大変よね」
「いや…………ええー…………」
直後、店のドアがけたたましく開く。
荒い呼吸でそこに立っていたのは
「どうしたの?」
その
「……
さらにその直後、
「きゃー
いつの間にかカウンターから出てきた
「
「え?」
そして口を開いたのはリョウ。
「……そういうことなのね…………」
「どういうこと⁉︎」
「
「……ええー…………会いに行けばいいだけでは…………」
「この間みたいな感じだと思うんですけど変になっちゃったみたいで…………」
「ってことは、まだ意識はあるのね」
「
「遠回りしすぎでしょ」
やがて到着すると、ホテルのドアを開けた
小さな冷や汗の粒が額にいくつも浮かんでいた。
そのまま
そして
「ごめん……冷蔵庫にペットボトルのお水とかないかな」
「はい!」
素早く
──……すごい…………
「ゆっくり飲んで……大丈夫? 少し落ち着いたね」
しかし
「…………また……入ってこようとして…………」
その
「……ゆっくりでいいよ…………この間の人かな…………」
「たぶん…………入ろうとするんだけどやめて…………また入ろうとしてやめて…………何度も繰り返すから……気持ち悪くて…………」
「…………んー……そっか…………」
その時、ベッド脇に置かれていた
画面には〝
「あ、ごめん、私」
そう言った
『は?
「
「なんで電話に出ないのよ!」
叫んでいたのは
『シャワー浴びてたんでしょ。三〇分の間に四一回もかけないでよね』
そこに挟まったのは
「まあまあ、
『そもそもこの間とは違う人じゃん』
その
『二人がかりで気が付かないってどういうことよ⁉︎ この間の人と関係のありそうな人だけど…………同じように、知って欲しい気持ちと秘密にしたい気持ちがせめぎ合ってる…………でも完全に別人。さらに相関図は複雑になるねえ…………とりあえず、今回の仕事は相手が大き過ぎる。二人とももう少し気持ちを引き締めて。そのくらいなら二人で押さえ込めるはずだよ。じゃ、私はこれからお酒を飲んで資料の整理に入るので、あとよろしく』
あっさりと電話が切れた。
その光景に
──……すごい…………
☆
その
長男夫婦に子供が産まれたことを機に、
街中からは少々距離があったが、それほどの立派な洋館は日本国内でも早々ある物ではない。
しかし、異変は住み始めてすぐに起きた。
長男の
「
そして
「────なんだ…………どうしたんだ
そこに背後からの声。
「お
「……すいません…………私がこんな体なばかりに
「スミ……一体何があったのだ……?」
すると、スミが叫んだ。
「私に近付いてはなりません!」
その
「私に近付くことを許しているのは、この…………」
スミは自分の体を支える使用人に軽く顔を向けて続けた。
「…………イヨリだけです…………イヨリも近頃、体調を崩しております…………お
「何をバカなことを────!」
そう
「……………………許せなかった…………許せなかっただけなのに…………」
「…………
そして、二人の間の息子、
やがて昭和一三年。
深夜、使用人もすでに三人しか残っていなかったその屋敷では、
すでに精神までも病んでいた息子は叫び声すら上げなかった。
妻のスミも同じ。
スミはもはや自我を持っていたとも思えないような廃人の姿。胸から流れる血と共に、抵抗もなく床に命を流した。
物音に気付いて起きてきた使用人を惨殺した
息子家族がいなくなり、屋敷が無人となっても、しばらく所有は
それは息子家族を苦しめた病のことだけではなく、屋敷の歴史そのもの。
やがて
その手紙を見付けた使用人は、数世代に渡って
その手紙の内容の大半は、
そこには一家が取り潰しとなる理由が記されており、その真実に、
「……呪いの家か…………」
やがて告発は政府によって揉み消され、国家権力による監視が始まる。
もちろん告発内容を口外することは許されない。
一族に
それを理由に土地と建物は強引に徴収され始めた。
やがて洋館の土地と建物も政府に徴収される。
戦時中に、戦争を理由に
戦後、土地と建物は競売にかけられて地元の不動産業者へ。
時代の大きなうねりの中で、その土地と建物は忘れられていった。
そして、そこで暮らそうとする者は、誰もいなかった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第四部「罪の残響」第3話(第四部最終話)へつづく 〜