第四部「罪の残響」第1話
文字数 11,262文字
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私は
あなたを待っています
☆
蝉 の声が風景に溶け込んでいる頃。
咲恵 も、この季節だけは長い髪を暑苦しく感じる。萌江 のようなストレートでないからだろうか、咲恵 の少しうねった髪質は服や首筋によく絡み付いた。髪の色が僅かに赤みがかっているのもブリーチではない。とはいえその色は嫌いではなかった。
それでも少しだけ、黒くストレートな髪質の萌江 を羨 ましく思うことはある。
肩にかかるくらいの長さ。時々覗く首筋が好きだった。
しかし萌江 からすると、この時期に後ろで髪を束ねた時に見える咲恵 のうなじに色気を感じるという。
だからというわけではないが、今日の咲恵 はポニーテール。もちろん暑いからだが、隙を見て咲恵 の首筋に手を回したがる萌江 に少し鼓動が速くなる。
──……付き合い始めのカップルじゃないんだから…………
そう思いながらも、咲恵 ももちろん嫌ではなかった。
「いつ帰るの?」
珍しく平日のランチタイムを二人で楽しみ、特別目的があるでもなく街中をブラブラとしながら咲恵 が切り出した。
すでに二週間ほどの間、萌江 は咲恵 のマンションに泊まり込んでいた。咲恵 が日曜日に萌江 の家に泊まるのはいつものことだったが、何も理由がなく萌江 が家を空けるのは、萌江 が山の中に逃げるように引っ越して以来のこと。
「んー…………どうしよっかな……」
そう応えた萌江 は、強い日差しから逃げるように、自然と日陰を探しながら歩いていた。日光が遮られた瞬間に瞼 がスッと楽になる。
萌江 のすぐ斜め後ろを歩いていた咲恵 の声が優しく届いた。
「私もだけど、萌江 だってあの家好きでしょ。何かあったの?」
「そういうわけじゃないんだけど…………正直に言っていい? なんかちょっと…………寂しかったからさ…………」
──……お母さんのことか…………
咲恵 はすぐにそう思ったが、それを口にすることは憚 られた。
あの事件以来、咲恵 の中に、萌江 の母親のイメージがあるのは事実だ。もしかしたら萌江 は咲恵 の中に母親を見ているのだろうか。そう思うと、咲恵 も冗談で返す気にもなれない。
咲恵 の見てしまったそのイメージは、あまりにも壮絶だった。
萌江 の母親である京子 の人生は、産まれた家と霊感体質に振り回された一生だった。まるで誰かに操られたような人生。
京子 が自分の意思で生きていたのは、もしかしたら最後の瞬間だけだったのかもしれない。咲恵 はそんなふうにも感じる。
我が子を守るためだけに、死んだ。
萌江 のために自分の命を投げ打った。
相手が何者かも分からない内に。
──……私に…………
「好きなだけいて」
その咲恵 の声に思わず萌江 は振り返る。揺れた肩までの髪から、自分と同じトリートメントの香りがした。
「いいの?」
「ダメな理由を教えてよ…………あ、でも…………あっちは一日置きくらいでいいけど…………」
「毎晩あんなに喜んでるのに」
「喜んでるけど違います」
「じゃ、喜んでるみたいだからもう少しお世話になろっかな」
「お互いもう若くないんだから…………」
咲恵 がそう返した時、目の前の萌江 の足が止まった。
二人が歩いている歩道から、萌江 は道路を挟んだ向かいの歩道を見つめていた。
その視線の先を目で追いながら咲恵 が声をかける。
「どうしたの?」
「うん…………あそこで会ったんだ…………あの女の子…………」
萌江 は視線をそのままに応える。
「女の子? ああ…………」
「そ、私の想像上の女の子」
その話は以前から何度か咲恵 も聞いていた。ただただ、不思議な感じのする話だと咲恵 は思っていた。明らかに幽霊とも違う。
萌江 が続けた。
「無表情で黙って立ったまま、私のことをじっと見てた…………一緒に暮らしてた頃だよね…………あの日は私の帰りが早くて…………でも夜の一一時は回ってた…………そんな時間に、暗い歩道でひとりぼっち…………一〇才くらいの小さな花柄のワンピースの女の子…………少し歩いて振り返ったらもういなかった…………」
「いわゆる幽霊…………とは違うのよね」
「ある意味同じかもよ。私も今みたいな考えになる前は幽霊ってよく見てたけど、考えが変わったら急に見なくなった。つまり……そういうことでしょ。でも、あの子は違う…………と思いたい…………私の願望…………」
「本当に想像なのか…………0.1%なのか…………」
「どうなんだろうね。どう考えても私の想像。でもどこかに、そう思いたくない気持ちがあるんだろうね」
「例え想像でも、会いたいんだよね」
「うん…………産んであげられなかったんじゃなくて、生を受けさせてあげられなかった」
すると、咲恵 が萌江 の左手を握る。
萌江 が続けた。
「……あの時…………声をかけてたら…………どうなってたんだろう…………金縛りの時に出てきてくれた時…………ホントに嬉しかった…………触 れたんだよ…………」
萌江 は右の掌 を見下ろしながらさらに続ける。
「……髪の毛に…………頭に触 ってあげたの…………」
次の瞬間、萌江 の体を咲恵 の両腕が包んでいた。
そして咲恵 は萌江 の感情を吸い取る。
咲恵 の中に入り込むそれは、萌江 そのもの。何の偽りもない。
萌江 は子供を作れない体だった。一度は結婚し、子供を求めたが、自分が妊娠すら出来ない人間である事実を叩きつけられる。同性愛者であることを認めて生きてからも、それは負い目のように萌江 を苦しめた。
そしてそれは、萌江 の目の前に具現化する形で現れる。子供二人のイメージが明確になってしまったことで、それが頭から離れることはない。しかもそのイメージを作ったのは萌江 自身。
ある意味、萌江 は、自分で自分に〝呪い〟をかけていた。
しかも、それは萌江 にも自覚があった。
この世に生を受けていない二人の子供。
想像以外に説明が出来なかった。
〝幽霊は想像で作り出せる〟
そう言い切る萌江 の言葉には、それなりの根拠があったのだ。
萌江 を包み込んだ咲恵 が小さく呟く。
「……ごめん…………暑いよね…………」
「昼間の住宅街で大胆だね…………私はいいけど」
「…………バカ」
「これから帰って店に行く前に…………」
「しないから」
☆
明治元年。あるいは慶応 四年。
その洋館はその頃に建てられた。
少し小高い高台に、林を切り開いて作られた広い敷地。その敷地のためだけに道路も作られ、その街としてはちょっとした公共事業。
元々は明治新政府の相談役として来日していたイギリス政府の要人のために建てられた家だった。今で言う大使館員に当たるだろう。
家族全員での来日。当初予定されていた期間は二年間。
妻の他は子供たちが三人。使用人が一〇人。
しかし当時の流行 り病 は日本人以外にも容赦無く襲いかかり、家族全員が病 で亡くなった。政府は病 の広がりを抑えるためにすぐに火葬し、遺骨をイギリスに送る。
外国事務総監の要職に就いていた井上実美 は外交問題を恐れたが、僅かな遺恨 を残しつつも流行 り病 でもあったことでなんとか事なきを得る。
土地と建物はイギリス政府の所持となっていたが、やがて明治八年、日本政府に売却された。
紀伊呉平太 がその洋館に移りすんだのは明治一〇年。
呉平太 が初代となる紀伊 財閥の中心は造船事業。明治九年にその造船事業を拡大するために本社をこの地に移転したばかり。
それに合わせて紀伊 家も本社近くの洋館に引っ越す。事業の関係で大日本帝国海軍との繋がりがあったため、明治政府から安く買い取ることが出来た。
妻と幼い息子が二人。
最初に体調の不調を訴えたのは次男。
やがて長男も同じ症状を訴え始め、一年と経たない内に病床に伏せる。
やがて妻、そして呉平太 自身も体調を崩す。
息子二人、妻に次いで呉平太 が亡くなったのは明治二五年。
明治政府の指示で、建物と土地は民間の不動産業者に引き渡された。
☆
夜になっても真夏日が収まる気配はない。
その夜、いつものように萌江 は咲恵 と共に店に入り、開店前から呑み始めていた。
場所はカウンターの定位置である一番奥。
他の客と盛り上がれば閉店までいる時もあるが、ほとんどは萌江 が先に咲恵 のマンションに帰り、ご飯を用意して待っている毎日。
咲恵 もそんな毎日を懐かしく感じつつ、同時に楽しくも感じていた。
──……いずれは、帰っちゃうんだろうな…………
そんな一抹の不安を抱きながら、咲恵 はいつしか萌江 の決断を恐れるようになっていた。
──……このままでも…………いいんだよ…………
珍しく開店と同時に来店があった。
平日の早い時間にたまに顔を出すその常連は下の階のゲイバーのマスター。もっとも、本人はママと呼ばれたいらしい。今夜は久しぶりの来店だった。故に、常連とはいえ萌江 とは初めての顔合わせだった。
「オカマとゲイを一緒にしてほしくないわ」
それがゲイバーのマスター、リョウの口癖だった。
「リョウちゃんはどっち?」
すでにだいぶ酔いの回った萌江 がそう言って楽しんでいる。
「私はゲイ。男しか愛せないわ」
「私はレズ。女しか愛せないわ」
「私たち仲良くなれそうね」
「そうね」
──この二人、結構似てるかも
そんなことを思いながら、カウンターの中の咲恵 も楽しんでいた。
リョウはボトルのブランデーを繰り返し口に運びながら口を開く。
「所詮マイノリティーって言われたら反論できないけど」
「生物の子孫繁栄に反してるからね」
応える萌江 はあくまで自分のペースを崩さない。
それにリョウが返していく。
「でも仕方ないじゃない。男にしか興奮できないんだから」
「仕方ないよね。女にしか興奮できないんだから」
「私たち親友になれそうね」
「そうね……リョウちゃんなら咲恵 も嫉妬しないし」
そこに咲恵 。
「私を挟むな」
そしてリョウが声を上げる。
「それより私の悩み聞いてよ」
「オカマでゲイのリョウちゃんの悩み?」
萌江 がからかう。
「私はオカマじゃなくてオカマ寄りのゲイなの。ノンケのオカマだっているんだから一緒にしないで」
「やっぱりオカマじゃん」
「もう! 嫌な子ね! あなたとは絶対に仲良くなれないわ」
「で? 親友でゲイのリョウちゃんの悩みって何よ」
「それがね。この間彼氏と一緒に暮らすために広いマンション借りたのよ。そしたらさ…………お札があったの」
萌江 の口元に笑みが浮かび、リョウの話が続く。
「不動産屋に聞いても事故物件じゃないって言うし家賃だって普通だったんだけど…………なんでお札なんかあるのよ…………ラップ音もするのよ…………」
「そんな所いくらでもあるよ。どうせ古いマンションなんでしょ? 他の部屋にもあるかもね」
「まあ……確かに古いわね」
「仮に事故物件だったとして物々しくお札なんか貼る? ここは事故物件ですってポスター貼ってるようなもんだよ。形式でお祓 いだけしとけばいいじゃん」
「それもそうね…………」
「飲食店の店先の盛り塩と同じ意味合いのお札もあるんだよ。大家さんの中には事故物件じゃなくても空室にお札貼ってる人もいるみたいだね。変な人が入居してこないようにって。内見で勘違いされる可能性があるから、分からないような位置にね。剥がし忘れたんじゃない? どこにあったの?」
「トイレのタンクの裏……自然に剥がれて落ちてきた…………」
「ほら、それじゃ幽霊だって気付かない」
「それに例えばここのテナントビルだって百年前は何があった所なんだろう。千年前なんて更に分からない。元々都市部って昔から人が集まってた所がほとんどでしょ。じゃあ、このビルのある場所で、長い間にどれだけの人が死んだんだろう。人間だけじゃないでしょ。動物だって命がある。宗教なんてものが無かった遥か昔から、色々な場所で生き物が死んできたはず。世界中が事故物件になるじゃん」
そう言ってグラスを空にした萌江 にリョウが返す。
「でもやっぱり最近死んだ人のほうが幽霊になりやすいんじゃないの? 知らないけど」
するとグラスに氷をゆっくりと入れながら萌江 が応える。
「なんで死んでまで寿命があるのよ。あの世がこの世と同じだったら、なんでこんなふざけた世界が必要なの?」
「それも…………そうね……」
「つまりさ、幽霊とか心霊現象って、宗教が生み出したものなんだよ。変だと思わない? もしもリョウちゃんが引っ越す前にそこで自殺とかあったとして、その人が仏教徒って補償ある? 日本人だってキリスト教徒はいっぱいいるんだよ。ホントは十字架のほうが良かったりしてね。結局思い込みでしょ。お札が無ければ不安に思うことも無かった。ラップ音だってただの家鳴 り…………鉄筋コンクリートの建物でも壁や床まで鉄? 違うでしょ。幽霊がキリスト教徒かもしれないから十字架も用意しないとねって話になる。お経もやめなよ。一神教なんて外から入ってきたものだし、あの世を見たこともない人間が作ったものなんだから。日本の霊能力者はみんな仏教と神道 のミックス。その時点でおかしいよ」
すると、ロックグラスのブランデーを飲み干したリョウが静かに返す。
「やっぱりあなたとは仲良くなれそうね」
「オカマ寄りのゲイはちょっと…………」
「差別よ差別! ヘイトスピーチだわ! ヘイトヘイト!」
「友情の始まりね」
そして萌江 は自分のロックグラスにボトルのコニャックを注ぐ。
──……後で萌江 も下に連れていってやるか…………
咲恵 がそんなことを思った時、ドアの鈴が鳴った。
そこに立っていたのは若い女性だった。初めてみる顔。会員制の店では珍しい。
「えっと…………」
咲恵 が口を開いた直後、その女性が素早く応えた。
「すいません。会員制のお店なのは知ってたんですけど…………」
咲恵 はすかさず返す。
「一人? いいわよ。気にしないで」
──……私と萌江 を訪ねてきたの?
咲恵 はすぐにそう感じた。
するとリョウが急に立ち上がる。
「もうこんな時間じゃないの! 私もお店開けるわ! ママ、また来るわ」
そしてカウンターにいつものセット料金のお金を置くと、ゆっくり萌江 に振り返る。
「店で待ってるわ…………じゃあね!」
そして、リョウはドアに足をぶつけながらけたたましく店を後にした。
途端に店内が静かになる。
「嵐のようなオカマだった…………」
萌江 がそう呟いた直後、今度は咲恵 が立ち尽くす女性に顔を向けた。
「座って。最初だから萌江 の隣でいいかな」
そう言った咲恵 は素早くリョウのボトルセットを片付け始めた。無言でダスターを渡された萌江 も黙ってカウンターを拭き始める。慣れたものだった。
その萌江 に咲恵 が声をぶつける。
「この子は〝違う〟から口説いちゃダメよ」
不思議そうな顔をする女性に萌江 が顔を向ける。
──……ん? そういうこと?
「まあ、座ってよ」
そう言う萌江 に、戸惑いながらも女性が返す。
「はい……失礼します…………」
女性が椅子に腰を降ろすと、萌江 が続けた。
「若くて可愛い女の子は大好きなんだけど、怖いお姉さんに怒られちゃうから我慢しようかな」
「はあ…………」
明らかに困惑した表情の女性に、今度は咲恵 が声をかける。
「もしかしたら、誰かの紹介?」
すると女性は分厚いショルダーバッグから名刺を出してそれぞれ渡して口を開く。
「私はフリーでカメラマンをしてる水月杏奈 と言います。まあ、食べていけないのでライターもやってるんですけど…………今書いてる記事のことでご相談がありまして…………実は…………」
そして杏奈 は視線を落として続ける。
「……御陵院 ……西沙 さんにお二人のことを聞きまして…………」
「あら」
思わずそう返した咲恵 に対して、萌江 が小さく呟く。
「…………あいつか……………………」
春先の〝呪われた土地〟の解決以来、事あるごとに西沙 は萌江 に電話をしてきていた。しかもその多くはただの世間話。しかも電話に出ないと何度も掛かってくるので出ないわけにもいかない。ごくたまに仕事上の相談もあることはあった。
「萌江 の愛人の紹介ね。大歓迎よ」
そう言う咲恵 は分かりやすいほどに笑いを堪えていた。
「……あのメンヘラ霊能者め…………」
そう萌江 が呟くと、杏奈 が切り出す。
「私も何度か西沙 さんに取材したことがありまして…………助けていただいたこともあります」
そして、軽く溜息を吐 いた萌江 が返していく。
「ってことは、杏奈 ちゃんはオカルト系のライターでもしてるの?」
「まあ……昔から好きだったのもあるんですけどね…………でも今回のネタは少し変なんですよ。少し前にニュースにもなっていたのでご存知かもしれませんが〝悪魔の館〟って呼ばれてる所です」
「ああー」
萌江 と咲恵 が同時に声を上げた。
それに笑い出す萌江 を無視して、少し恥ずかしがりながら咲恵 が返す。
「あれ…………アレなんじゃなかった? 確か取り壊したって…………」
「今は解体工事が中断されています」
すると萌江 が思い出して声を上げた。
「ああ、白骨遺体が出たってニュースで騒いでたやつだ」
「それです…………でもそれ以来報道はストップしました。続報もありません」
「ホントに続報がないんじゃなくて?」
「それならいいんですが」
「違うの?」
グラスを口に運びながら質問を返す萌江 に対して、杏奈 の返しは早い。
記者独特のものだろう。
「出版社の部局長から、記事を取り下げて欲しいと言われました。しかも今後もこのネタは扱わないと…………」
「へー…………」
「あそこは〝日本で一番古い事故物件〟として有名な心霊スポットだったんですよ。最初は取り壊されるの寂しいなあって思ってましたけど、そんな所から白骨遺体です。しかも大人二人と子供が三人…………もっと話題になっていいと思うんですよねえ…………」
「ところで」
不意に咲恵 が挟まって続けた。
「何か飲む?」
「はい! ビールがいいです!」
「ウチだとバドワイザーかハイネケンかギネスになるけど…………」
「ギネスでお願いします」
「へー、結構好きね」
咲恵 はロングネック瓶の栓を抜いて杏奈 の前へ。その瓶の隣にはピルスナーグラス。
すると萌江 が声を上げる。
「ママ〜私もバド呑みたい」
「はいはい」
咲恵 が萌江 の前にやはりロングネックの瓶を差し出した。
その間に杏奈 はギネスをグラスへ注ぐ。その泡が落ち着くのを待って、萌江 は軽くそのグラスにロングネックの瓶を当てた。
杏奈 は多少照れているかのようにはにかんだ笑顔を浮かべると、ビールを喉の奥に押し込み、大きく息を吐いてから話を続ける。
「警察から情報得るのだってタダじゃないし、色々取材にもお金が掛かってるんですよ。それなのに記事に出来なきゃお金にならないじゃないですか」
あまりお酒に強いわけではないらしい。
愚痴をこぼし始めた杏奈 に、萌江 がそれを制するように返す。
「そもそも、なんで〝悪魔の館〟なの?」
「まあ、昔はああいった古い洋館…………って言うんですか? 珍しかったんでしょうね。山の中の廃墟だといかにもって感じだし。悪魔っぽいじゃないですか。海外のホラー映画みたいだし」
「まあ、純日本家屋だったら悪魔じゃないか……名前なんてそんなもんだよね…………あそこってどんな噂があったの? 事故とか事件とか?」
「ネットで言われてる噂は総てウソでした。よくある心霊スポットのよくある噂ですよ。でも…………人は結構死んでます」
「へえ…………」
杏奈 は使い古されたショルダーバッグを開いた。萌江 も女性にしては大きなバッグだと思ってはいたが、どうやらカメラバッグも兼ねているらしい。何やらゴツいカメラが顔を出している。そしてその脇から紙を取り出すと語り始める。サイズはA4くらいだろうか。あまり綺麗な紙ではない。何度も折り曲げられた跡が見えた。
「建物自体は明治元年に作られてます。最初に暮らしたのはイギリス人家族ですね」
「イギリス人? 外交官みたいな人?」
「大使館員みたいな感じだったようです。でも一年ちょっとで一家全員が病死してます。その後の家族も病死。三番目の家族も病死。四番目は家の主人が家族を殺害してから自殺しています。どうでしょう」
サラリととんでもない洋館の過去を語る杏奈 に、萌江 は即答していた。
「ウソの噂なんか必要ないくらいに死んでるじゃない」
「はい、私も調べてみて驚きました。郷土史研究をしてる大学まで行きましたけど、問題は今回地下から見付かった白骨遺体です。過去に死んだ人たちは死因が記録に残ってます。生前にしても死後にしても、一度は病院に行っていると思われます。家の地下に埋めるわけがありません。ということはそれ以外の死体が地下に眠っていたわけです。廃墟ですから最近の物かとも思ったんですが、かなり古いらしいんですよ。警察からの裏情報ですけどね…………」
「なるほど、それで西沙 ちゃんの所に霊視を頼んだ────ってことかな?」
「はい、それでお二人を勧められました」
「…………あの子も少し分かってきたのかな…………ミステリーとしては面白いけど、オカルトとしてはどうなの?」
「結果次第でしょうか。地下に埋まった死体の謎もそうですし、その死体の呪いみたいなもので屋敷に住んだ人たちが死んだのか……それとも別の理由か…………その答えさえ分かれば自分のブログで発表しようかと思ってます」
「なるほどね。でも、一度警察が入ってるってことは現場は入れないんでしょ?」
「そうですね…………バリケードテープの前までですけど…………」
すると、ビールを呑み、少しだけ考えた萌江 が返した。
「私たちが…………どういう人間か分かってる?」
「はい。西沙 さんから聞いてました。とても興味があります」
「私は99.9%幽霊も呪いも信じていない能力者…………こんな人間はオカルト好きには嫌われるだろうねえ」
「私も心霊現象に関しては前から懐疑的な部分がありました。幽霊を信じてないっていうわけじゃないですけど、色々な霊能力者さんの話を聞いてると、なんか辻褄合わないことが多くて…………でも西沙 さんは何か違うというか…………」
その杏奈 の言葉に、萌江 は小さく首を傾 げて返す。
「そう? 最初会った時は典型的な霊能力者だったけど」
「そうなんですか⁉︎ 考え方とか……他の霊能者とは違う感じですけど……」
杏奈 のその言葉に、萌江 が大きく笑みを浮かべた。
「そりゃあれだ。
そんな萌江 に咲恵 の冷めた声。
「誰よ」
「まあ、それはアレとして…………咲恵 はどう思う?」
萌江 はカウンターの中の咲恵 に顔を向けた。
「そうねえ…………まあ、正直今の時点ではっきり萌江 のことが大好きな西沙 ちゃんからの紹介じゃ断れないよねえ」
笑顔で応える咲恵 を横目で見ながら、萌江 が杏奈 に顔を戻す。
「まあ…………西沙 は別として調べてみてもいいけど、結果は保証しないよ。ミステリーになるかオカルトになるか…………」
「構いません…………お二人の検証結果が知りたいです。お金も…………」
そう言うと杏奈 はショルダーバッグから厚めの封筒を取り出して続ける。
「西沙 さんから頂いた口止め料です…………お二人のことを口外しないようにと…………今回はこれで…………」
萌江 はすぐに掌 で遮り、口を開く。
「あなたの望む結果が出せたらね」
少し驚いた表情の杏奈 に、萌江 は続ける。
「行くのは、いつにする?」
「もう少し調べたい部分があるんで…………次の日曜日の深夜はどうですか? 深夜二三時で」
「分かった。じゃ、今夜はもっと飲むか」
すると、いい感じに酔いの回り始めた杏奈 が声を上げた。
「もう一本お願いします!」
それに便乗する萌江 。
「ママ〜私のボトルってあと何本残ってるの〜?」
応えるのは冷静なトーンになった咲恵 。
「二本しか残ってないわよ」
「早っ! 一〇本もあったのに!」
☆
現場は市街地や住宅街からはかなり距離があった。道路は舗装された物が続いていたが、それでも都市部からはだいぶある。
道中も山道。周りを林に囲まれ、曲がりくねった先にその洋館の跡地はあった。かなり広い敷地の周りには深い林があり、明らかに山の一部を切り開いて作られたことが見て取れる。
道路から敷地にはすんなり入ることが出来た。そして開かれた空間の先には中途半端に取り壊された洋館が姿を現す。解体業者が入ったためか周囲の雑草は多くない。そしてその周囲を警察のバリケードテープが黄色く車のヘッドライトを反射していた。
そのテープのすぐ前で車を停めた咲恵 は、エンジンを切って軽く溜息を吐 いた。
萌江 が無言で助手席を降りると咲恵 も続いて外に出る。元々初めて来る場所、かつ市街地から距離もあることで、どのくらいの時間がかかるか予想が難しかった。
そして咲恵 が最初に口を開く。
「少し早かったね。コーヒーでも飲んで待ってる?」
「うん」
外壁は半分以上も壊されているだろうか。そんな屋敷を眺めていた萌江 は、振り返って返事を返す。咲恵 は車の後部座席に置いていたコンビニの買い物袋から缶コーヒーを二つ取り出すと、萌江 の横に移動して渡した。
二人でコーヒーを飲みながらバリケードテープの向こう側に目を凝らすが、夜の闇のせいで地下室の場所までは分からない。
咲恵 が言葉を繋げた。
「死体が見付かったのって最近だったよね。深夜とは言っても警察って来ないのかな」
「大丈夫じゃないかな」
そう即答した萌江 が続ける。
「あの子は警察にパイプ持ってるね。細いパイプだとは思うけど…………警察の記者クラブなんてフリーの駆け出しが入れるような所じゃないし、お金渡してでも裏から情報を掴んでる。中々大したもんだよ。警察って官僚組織はまだまだ男社会…………紛れ込むならビールも飲めるようじゃないとね。洋酒の並んだ棚への目の配り方でお酒好きかどうかは分かるけど、それほど詳しくはない」
「なるほどね。伊達 にフリーで記者なんかやってないわけか。でも警察のいる時間までチェック出来るのかなあ」
「あの子……結構やり手かもよ…………」
「ってことは、敢えてこの時間を選んだのにも理由があるってこと?」
「多分ね。まさか心霊スポットだからって理由で深夜に呼んだとも思えない」
そう言いながら周囲に懐中電灯を向け続けていた萌江 が何かに気付く。
敷地の周囲は背の高いブロック塀で囲まれていたが、それとは別の小さな突起物が気になる。
「…………井戸?」
小さな萌江 の声に、咲恵 も目を凝らしながら応える。
「っぽいね。何か関係ありそう? 私はまだ見えない…………」
「どうだろう…………ここより高い周囲には工場なんかも無かった。毒物になるものが地下水に染み込む条件も無さそうだけど」
「そっかあ…………でもかなり人が死んでるって割には、そんなに感じるものもないなあ。あまり〝念〟を感じない…………でもなんか変だね。最後の家族の殺人現場は確かに酷いけど…………他はみんな病死…………ん?」
表情を曇らせた咲恵 の顔を、萌江 が覗き込んだ。
「────どうしたの?」
「この仕事…………よくないな…………」
その時、二人の背後から車の音とヘッドライトの光。四輪駆動の軽自動車が咲恵 の車の後ろに停まる。
エンジンを切って降りてきた杏奈 が早速声を上げた。
「すいません! 待たせちゃいました⁉︎」
咲恵 も声をあげて応える。
「大丈夫。早く着いちゃっただけ」
萌江 が杏奈 に振り返った時、助手席からもう一人が降りてくる。
相変わらずの派手なゴスロリ衣装。
「とうとう追いかけてきちゃった」
その咲恵 の言葉を聞いて、萌江 は大きく溜息を吐 いて呟く。
「…………来ちゃったよ……」
そしてそれに続くのは、相変わらず強気な、西沙 の声だった。
「ひ…………久しぶりね」
「かなざくらの古屋敷」
〜 第四部「罪の残響」第2話へつづく 〜
私は
あなたを待っています
☆
それでも少しだけ、黒くストレートな髪質の
肩にかかるくらいの長さ。時々覗く首筋が好きだった。
しかし
だからというわけではないが、今日の
──……付き合い始めのカップルじゃないんだから…………
そう思いながらも、
「いつ帰るの?」
珍しく平日のランチタイムを二人で楽しみ、特別目的があるでもなく街中をブラブラとしながら
すでに二週間ほどの間、
「んー…………どうしよっかな……」
そう応えた
「私もだけど、
「そういうわけじゃないんだけど…………正直に言っていい? なんかちょっと…………寂しかったからさ…………」
──……お母さんのことか…………
あの事件以来、
我が子を守るためだけに、死んだ。
相手が何者かも分からない内に。
──……私に…………
それだけの気持ち
を持つことが出来るのかな…………「好きなだけいて」
その
「いいの?」
「ダメな理由を教えてよ…………あ、でも…………あっちは一日置きくらいでいいけど…………」
「毎晩あんなに喜んでるのに」
「喜んでるけど違います」
「じゃ、喜んでるみたいだからもう少しお世話になろっかな」
「お互いもう若くないんだから…………」
二人が歩いている歩道から、
その視線の先を目で追いながら
「どうしたの?」
「うん…………あそこで会ったんだ…………あの女の子…………」
「女の子? ああ…………」
「そ、私の想像上の女の子」
その話は以前から何度か
「無表情で黙って立ったまま、私のことをじっと見てた…………一緒に暮らしてた頃だよね…………あの日は私の帰りが早くて…………でも夜の一一時は回ってた…………そんな時間に、暗い歩道でひとりぼっち…………一〇才くらいの小さな花柄のワンピースの女の子…………少し歩いて振り返ったらもういなかった…………」
「いわゆる幽霊…………とは違うのよね」
「ある意味同じかもよ。私も今みたいな考えになる前は幽霊ってよく見てたけど、考えが変わったら急に見なくなった。つまり……そういうことでしょ。でも、あの子は違う…………と思いたい…………私の願望…………」
「本当に想像なのか…………0.1%なのか…………」
「どうなんだろうね。どう考えても私の想像。でもどこかに、そう思いたくない気持ちがあるんだろうね」
「例え想像でも、会いたいんだよね」
「うん…………産んであげられなかったんじゃなくて、生を受けさせてあげられなかった」
すると、
「……あの時…………声をかけてたら…………どうなってたんだろう…………金縛りの時に出てきてくれた時…………ホントに嬉しかった…………
「……髪の毛に…………頭に
次の瞬間、
そして
そしてそれは、
ある意味、
しかも、それは
この世に生を受けていない二人の子供。
想像以外に説明が出来なかった。
〝幽霊は想像で作り出せる〟
そう言い切る
「……ごめん…………暑いよね…………」
「昼間の住宅街で大胆だね…………私はいいけど」
「…………バカ」
「これから帰って店に行く前に…………」
「しないから」
☆
明治元年。あるいは
その洋館はその頃に建てられた。
少し小高い高台に、林を切り開いて作られた広い敷地。その敷地のためだけに道路も作られ、その街としてはちょっとした公共事業。
元々は明治新政府の相談役として来日していたイギリス政府の要人のために建てられた家だった。今で言う大使館員に当たるだろう。
家族全員での来日。当初予定されていた期間は二年間。
妻の他は子供たちが三人。使用人が一〇人。
しかし当時の
外国事務総監の要職に就いていた
土地と建物はイギリス政府の所持となっていたが、やがて明治八年、日本政府に売却された。
それに合わせて
妻と幼い息子が二人。
最初に体調の不調を訴えたのは次男。
やがて長男も同じ症状を訴え始め、一年と経たない内に病床に伏せる。
やがて妻、そして
息子二人、妻に次いで
明治政府の指示で、建物と土地は民間の不動産業者に引き渡された。
☆
夜になっても真夏日が収まる気配はない。
その夜、いつものように
場所はカウンターの定位置である一番奥。
他の客と盛り上がれば閉店までいる時もあるが、ほとんどは
──……いずれは、帰っちゃうんだろうな…………
そんな一抹の不安を抱きながら、
──……このままでも…………いいんだよ…………
珍しく開店と同時に来店があった。
平日の早い時間にたまに顔を出すその常連は下の階のゲイバーのマスター。もっとも、本人はママと呼ばれたいらしい。今夜は久しぶりの来店だった。故に、常連とはいえ
「オカマとゲイを一緒にしてほしくないわ」
それがゲイバーのマスター、リョウの口癖だった。
「リョウちゃんはどっち?」
すでにだいぶ酔いの回った
「私はゲイ。男しか愛せないわ」
「私はレズ。女しか愛せないわ」
「私たち仲良くなれそうね」
「そうね」
──この二人、結構似てるかも
そんなことを思いながら、カウンターの中の
リョウはボトルのブランデーを繰り返し口に運びながら口を開く。
「所詮マイノリティーって言われたら反論できないけど」
「生物の子孫繁栄に反してるからね」
応える
それにリョウが返していく。
「でも仕方ないじゃない。男にしか興奮できないんだから」
「仕方ないよね。女にしか興奮できないんだから」
「私たち親友になれそうね」
「そうね……リョウちゃんなら
そこに
「私を挟むな」
そしてリョウが声を上げる。
「それより私の悩み聞いてよ」
「オカマでゲイのリョウちゃんの悩み?」
「私はオカマじゃなくてオカマ寄りのゲイなの。ノンケのオカマだっているんだから一緒にしないで」
「やっぱりオカマじゃん」
「もう! 嫌な子ね! あなたとは絶対に仲良くなれないわ」
「で? 親友でゲイのリョウちゃんの悩みって何よ」
「それがね。この間彼氏と一緒に暮らすために広いマンション借りたのよ。そしたらさ…………お札があったの」
「不動産屋に聞いても事故物件じゃないって言うし家賃だって普通だったんだけど…………なんでお札なんかあるのよ…………ラップ音もするのよ…………」
「そんな所いくらでもあるよ。どうせ古いマンションなんでしょ? 他の部屋にもあるかもね」
「まあ……確かに古いわね」
「仮に事故物件だったとして物々しくお札なんか貼る? ここは事故物件ですってポスター貼ってるようなもんだよ。形式でお
「それもそうね…………」
「飲食店の店先の盛り塩と同じ意味合いのお札もあるんだよ。大家さんの中には事故物件じゃなくても空室にお札貼ってる人もいるみたいだね。変な人が入居してこないようにって。内見で勘違いされる可能性があるから、分からないような位置にね。剥がし忘れたんじゃない? どこにあったの?」
「トイレのタンクの裏……自然に剥がれて落ちてきた…………」
「ほら、それじゃ幽霊だって気付かない」
「それに例えばここのテナントビルだって百年前は何があった所なんだろう。千年前なんて更に分からない。元々都市部って昔から人が集まってた所がほとんどでしょ。じゃあ、このビルのある場所で、長い間にどれだけの人が死んだんだろう。人間だけじゃないでしょ。動物だって命がある。宗教なんてものが無かった遥か昔から、色々な場所で生き物が死んできたはず。世界中が事故物件になるじゃん」
そう言ってグラスを空にした
「でもやっぱり最近死んだ人のほうが幽霊になりやすいんじゃないの? 知らないけど」
するとグラスに氷をゆっくりと入れながら
「なんで死んでまで寿命があるのよ。あの世がこの世と同じだったら、なんでこんなふざけた世界が必要なの?」
「それも…………そうね……」
「つまりさ、幽霊とか心霊現象って、宗教が生み出したものなんだよ。変だと思わない? もしもリョウちゃんが引っ越す前にそこで自殺とかあったとして、その人が仏教徒って補償ある? 日本人だってキリスト教徒はいっぱいいるんだよ。ホントは十字架のほうが良かったりしてね。結局思い込みでしょ。お札が無ければ不安に思うことも無かった。ラップ音だってただの
すると、ロックグラスのブランデーを飲み干したリョウが静かに返す。
「やっぱりあなたとは仲良くなれそうね」
「オカマ寄りのゲイはちょっと…………」
「差別よ差別! ヘイトスピーチだわ! ヘイトヘイト!」
「友情の始まりね」
そして
──……後で
そこに立っていたのは若い女性だった。初めてみる顔。会員制の店では珍しい。
「えっと…………」
「すいません。会員制のお店なのは知ってたんですけど…………」
「一人? いいわよ。気にしないで」
──……私と
するとリョウが急に立ち上がる。
「もうこんな時間じゃないの! 私もお店開けるわ! ママ、また来るわ」
そしてカウンターにいつものセット料金のお金を置くと、ゆっくり
「店で待ってるわ…………じゃあね!」
そして、リョウはドアに足をぶつけながらけたたましく店を後にした。
途端に店内が静かになる。
「嵐のようなオカマだった…………」
「座って。最初だから
そう言った
その
「この子は〝違う〟から口説いちゃダメよ」
不思議そうな顔をする女性に
──……ん? そういうこと?
「まあ、座ってよ」
そう言う
「はい……失礼します…………」
女性が椅子に腰を降ろすと、
「若くて可愛い女の子は大好きなんだけど、怖いお姉さんに怒られちゃうから我慢しようかな」
「はあ…………」
明らかに困惑した表情の女性に、今度は
「もしかしたら、誰かの紹介?」
すると女性は分厚いショルダーバッグから名刺を出してそれぞれ渡して口を開く。
「私はフリーでカメラマンをしてる
そして
「……
「あら」
思わずそう返した
「…………あいつか……………………」
春先の〝呪われた土地〟の解決以来、事あるごとに
「
そう言う
「……あのメンヘラ霊能者め…………」
そう
「私も何度か
そして、軽く溜息を
「ってことは、
「まあ……昔から好きだったのもあるんですけどね…………でも今回のネタは少し変なんですよ。少し前にニュースにもなっていたのでご存知かもしれませんが〝悪魔の館〟って呼ばれてる所です」
「ああー」
それに笑い出す
「あれ…………アレなんじゃなかった? 確か取り壊したって…………」
「今は解体工事が中断されています」
すると
「ああ、白骨遺体が出たってニュースで騒いでたやつだ」
「それです…………でもそれ以来報道はストップしました。続報もありません」
「ホントに続報がないんじゃなくて?」
「それならいいんですが」
「違うの?」
グラスを口に運びながら質問を返す
記者独特のものだろう。
「出版社の部局長から、記事を取り下げて欲しいと言われました。しかも今後もこのネタは扱わないと…………」
「へー…………」
「あそこは〝日本で一番古い事故物件〟として有名な心霊スポットだったんですよ。最初は取り壊されるの寂しいなあって思ってましたけど、そんな所から白骨遺体です。しかも大人二人と子供が三人…………もっと話題になっていいと思うんですよねえ…………」
「ところで」
不意に
「何か飲む?」
「はい! ビールがいいです!」
「ウチだとバドワイザーかハイネケンかギネスになるけど…………」
「ギネスでお願いします」
「へー、結構好きね」
すると
「ママ〜私もバド呑みたい」
「はいはい」
その間に
「警察から情報得るのだってタダじゃないし、色々取材にもお金が掛かってるんですよ。それなのに記事に出来なきゃお金にならないじゃないですか」
あまりお酒に強いわけではないらしい。
愚痴をこぼし始めた
「そもそも、なんで〝悪魔の館〟なの?」
「まあ、昔はああいった古い洋館…………って言うんですか? 珍しかったんでしょうね。山の中の廃墟だといかにもって感じだし。悪魔っぽいじゃないですか。海外のホラー映画みたいだし」
「まあ、純日本家屋だったら悪魔じゃないか……名前なんてそんなもんだよね…………あそこってどんな噂があったの? 事故とか事件とか?」
「ネットで言われてる噂は総てウソでした。よくある心霊スポットのよくある噂ですよ。でも…………人は結構死んでます」
「へえ…………」
「建物自体は明治元年に作られてます。最初に暮らしたのはイギリス人家族ですね」
「イギリス人? 外交官みたいな人?」
「大使館員みたいな感じだったようです。でも一年ちょっとで一家全員が病死してます。その後の家族も病死。三番目の家族も病死。四番目は家の主人が家族を殺害してから自殺しています。どうでしょう」
サラリととんでもない洋館の過去を語る
「ウソの噂なんか必要ないくらいに死んでるじゃない」
「はい、私も調べてみて驚きました。郷土史研究をしてる大学まで行きましたけど、問題は今回地下から見付かった白骨遺体です。過去に死んだ人たちは死因が記録に残ってます。生前にしても死後にしても、一度は病院に行っていると思われます。家の地下に埋めるわけがありません。ということはそれ以外の死体が地下に眠っていたわけです。廃墟ですから最近の物かとも思ったんですが、かなり古いらしいんですよ。警察からの裏情報ですけどね…………」
「なるほど、それで
「はい、それでお二人を勧められました」
「…………あの子も少し分かってきたのかな…………ミステリーとしては面白いけど、オカルトとしてはどうなの?」
「結果次第でしょうか。地下に埋まった死体の謎もそうですし、その死体の呪いみたいなもので屋敷に住んだ人たちが死んだのか……それとも別の理由か…………その答えさえ分かれば自分のブログで発表しようかと思ってます」
「なるほどね。でも、一度警察が入ってるってことは現場は入れないんでしょ?」
「そうですね…………バリケードテープの前までですけど…………」
すると、ビールを呑み、少しだけ考えた
「私たちが…………どういう人間か分かってる?」
「はい。
「私は99.9%幽霊も呪いも信じていない能力者…………こんな人間はオカルト好きには嫌われるだろうねえ」
「私も心霊現象に関しては前から懐疑的な部分がありました。幽霊を信じてないっていうわけじゃないですけど、色々な霊能力者さんの話を聞いてると、なんか辻褄合わないことが多くて…………でも
その
「そう? 最初会った時は典型的な霊能力者だったけど」
「そうなんですか⁉︎ 考え方とか……他の霊能者とは違う感じですけど……」
「そりゃあれだ。
凄い霊能力者
に感化されたんだな」そんな
「誰よ」
「まあ、それはアレとして…………
「そうねえ…………まあ、正直今の時点ではっきり
見える
ものは無いし…………何より笑顔で応える
「まあ…………
「構いません…………お二人の検証結果が知りたいです。お金も…………」
そう言うと
「
「あなたの望む結果が出せたらね」
少し驚いた表情の
「行くのは、いつにする?」
「もう少し調べたい部分があるんで…………次の日曜日の深夜はどうですか? 深夜二三時で」
「分かった。じゃ、今夜はもっと飲むか」
すると、いい感じに酔いの回り始めた
「もう一本お願いします!」
それに便乗する
「ママ〜私のボトルってあと何本残ってるの〜?」
応えるのは冷静なトーンになった
「二本しか残ってないわよ」
「早っ! 一〇本もあったのに!」
☆
現場は市街地や住宅街からはかなり距離があった。道路は舗装された物が続いていたが、それでも都市部からはだいぶある。
道中も山道。周りを林に囲まれ、曲がりくねった先にその洋館の跡地はあった。かなり広い敷地の周りには深い林があり、明らかに山の一部を切り開いて作られたことが見て取れる。
道路から敷地にはすんなり入ることが出来た。そして開かれた空間の先には中途半端に取り壊された洋館が姿を現す。解体業者が入ったためか周囲の雑草は多くない。そしてその周囲を警察のバリケードテープが黄色く車のヘッドライトを反射していた。
そのテープのすぐ前で車を停めた
そして
「少し早かったね。コーヒーでも飲んで待ってる?」
「うん」
外壁は半分以上も壊されているだろうか。そんな屋敷を眺めていた
二人でコーヒーを飲みながらバリケードテープの向こう側に目を凝らすが、夜の闇のせいで地下室の場所までは分からない。
「死体が見付かったのって最近だったよね。深夜とは言っても警察って来ないのかな」
「大丈夫じゃないかな」
そう即答した
「あの子は警察にパイプ持ってるね。細いパイプだとは思うけど…………警察の記者クラブなんてフリーの駆け出しが入れるような所じゃないし、お金渡してでも裏から情報を掴んでる。中々大したもんだよ。警察って官僚組織はまだまだ男社会…………紛れ込むならビールも飲めるようじゃないとね。洋酒の並んだ棚への目の配り方でお酒好きかどうかは分かるけど、それほど詳しくはない」
「なるほどね。
「あの子……結構やり手かもよ…………」
「ってことは、敢えてこの時間を選んだのにも理由があるってこと?」
「多分ね。まさか心霊スポットだからって理由で深夜に呼んだとも思えない」
そう言いながら周囲に懐中電灯を向け続けていた
敷地の周囲は背の高いブロック塀で囲まれていたが、それとは別の小さな突起物が気になる。
「…………井戸?」
小さな
「っぽいね。何か関係ありそう? 私はまだ見えない…………」
「どうだろう…………ここより高い周囲には工場なんかも無かった。毒物になるものが地下水に染み込む条件も無さそうだけど」
「そっかあ…………でもかなり人が死んでるって割には、そんなに感じるものもないなあ。あまり〝念〟を感じない…………でもなんか変だね。最後の家族の殺人現場は確かに酷いけど…………他はみんな病死…………ん?」
表情を曇らせた
「────どうしたの?」
「この仕事…………よくないな…………」
その時、二人の背後から車の音とヘッドライトの光。四輪駆動の軽自動車が
エンジンを切って降りてきた
「すいません! 待たせちゃいました⁉︎」
「大丈夫。早く着いちゃっただけ」
相変わらずの派手なゴスロリ衣装。
「とうとう追いかけてきちゃった」
その
「…………来ちゃったよ……」
そしてそれに続くのは、相変わらず強気な、
「ひ…………久しぶりね」
「かなざくらの古屋敷」
〜 第四部「罪の残響」第2話へつづく 〜