第二四部「繭の影」第2話

文字数 7,799文字

 『 株式会社 黒猫(くろねこ) 』────

 それが西沙(せいさ)の会社の名前。
 西沙(せいさ)が命名した。
 名前の由来は、萌江(もえ)の家で共に暮らしていた三匹の黒猫から。その三匹はいずれも萌江(もえ)の作り出した幻だった。しかし西沙(せいさ)はそれを認めながらも、決して忘れたくはなかった。忘れる必要もないと思っていた。
 誰からも反対はない。
 株主は西沙(せいさ)立坂(たてさか)満田(みつた)の三人。
 社員は代表取締役の西沙(せいさ)と、従業員の杏奈(あんな)だけ。
 もちろん(しずく)にも声は掛けていたが、本人からの返答は現在保留中。
 その〝黒猫(くろねこ)〟が経営するのが〝御陵院(ごりょういん)心霊相談所〟。
 登記上の会社の住所もここになる。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)には名前が硬すぎると言われたが、その言葉に西沙(せいさ)は、かつての相談所の頃の美由紀(みゆき)を思い出していた。

 ──……美由紀(みゆき)とも……そんな会話したことあったな…………

 なぜか、美由紀(みゆき)の慣れ親しんだ硬さを残した。
 杏奈(あんな)はすぐに賛成した。杏奈(あんな)がよく出入りしていた思い出の場所でもあり、何より西沙(せいさ)の中の美由紀(みゆき)の存在を痛いほどに感じていたからだ。
 相談所の場所は以前と同じ場所。繁華街からは少し外れた二階建ての古いテナントビル。一階のコンビニもまだ無事に経営を続けていた。そんなことですら西沙(せいさ)には嬉しい。しかしそれは一度閉鎖してからも立坂(たてさか)が契約を切らずに家賃を払い続けていたことで実現したこと。
 当然、色々なことを思い出す場所でもある。
 美由紀(みゆき)のことも思い出す。
 ビルを見るだけ。
 ドアを見るだけ。
 ドアを開けるだけ。
 それだけで、否応なしに美由紀(みゆき)のことを思い出す。
 嫌ではなかった。
 それでいいと思った。
 未だに西沙(せいさ)は、美由紀(みゆき)の自死に責任を感じていた。
 だからこそ、そのことを忘れたくなかった。
 総て受け入れるべきだと感じていた。
 だからこそ、入り口を入ってすぐの場所に自分と美由紀(みゆき)の二人で写った写真を飾った。
 そこにいて欲しかった。
 相談所自体は以前とはだいぶ雰囲気を変えた。以前は入口横にあった受付のカウンターは無い。オフィスの中心に小さなカフェテーブル。そのテーブルを挟んでソファーが二つあるのも変わらないが、やはりその位置と周囲の装飾はだいぶ変化していた。昔の面影は薄い。以前ほどの派手さは落ち着いていた。

 ──……美由紀(みゆき)なら、なんて言うかな…………

 いつも西沙(せいさ)はそんなことを思っていた。
 この夜も、やはりそれは変わらない。
 ソファーの一つには萌江(もえ)西沙(せいさ)が座り、その向かいには(みさお)が、やはり体を丸めるように項垂れたまま。
 萌江(もえ)西沙(せいさ)の背後には杏奈(あんな)。L字に配置されたテーブルのパソコンの前。パソコンの操作に慣れた杏奈(あんな)は書記のような業務もこなしていた。
(みさお)さんもコーヒーで大丈夫?」
 西沙(せいさ)がそう言って小さなキッチンへと向かうが、(みさお)からは何も返ってこない。
 代わりに返ってきたのは萌江(もえ)の声。
「私はビール」
「あるわけないでしょ」
 即答した西沙(せいさ)萌江(もえ)の返答も早い。
「もう深夜なんですけど」
「残念。ここは仕事場です」
 西沙(せいさ)がコーヒーメーカーにスイッチを入れると途端にコーヒーの香りが室内に広がった。決して広い仕事場ではない。でもそれが西沙(せいさ)には丁度いい。
 やげて全員の前にコーヒーが並んだ。
 最初に口を開いたのは西沙(せいさ)
「つまり、母親もこの(みさお)さんも子供を産めない体……そして娘の優花(ゆか)さんも同じになった…………だから何か〝呪い〟のようなものがあるんじゃないか、ってこと」
 その西沙(せいさ)の説明に、隣の萌江(もえ)はソファーに体を沈めて返した。
「しかもそれは昔から伝わってきたものだったってことか…………」
萌江(もえ)の見た夢ってどういうことなの?」
「あれは間違いなく御世(みよ)の声だった…………誰かを助けろって、それだけ…………でも(みさお)さんを見た時に分かったよ。少なくとも助けるべき人だって思った…………そう感じた」
 不思議な夢だった。
 目が覚めてから萌江(もえ)が覚えていたのは御世(みよ)の声だけ。その御世(みよ)のメッセージの意味が、萌江(もえ)には明確には分からないままだった。

  〝 助けて下さい……萌江(もえ)様…………
      救わなくてはなりません
        救わなくてはならない人々が
                まだ……………… 〟

 間違いなく見せられたと萌江(もえ)は感じていた。
 それは別の形で夢を見た西沙(せいさ)も同じ。
「まあ、私も久しぶりに夢で見た……萌江(もえ)とは違って(みさお)さんに会う時の光景を見ただけ……だけど…………もしかして萌江(もえ)って、それであんなに依頼受けまくってたの?」
「まあね。お金にはなったでしょ」
 萌江(もえ)はそう切り返して笑顔を見せた。
 そして、僅かな振動。
 外の階段を登る足音。決して真新しい階段ではない。雨ざらしの(さび)だらけの階段。ヒールの音が容赦無く壁を揺らした。
 やがて開かれたドアから入ってきたのは、険しい表情の咲恵(さきえ)だった。
 咲恵(さきえ)はヒールの音を部屋中に響かせながら何も言わずにソファーに近付く。咲恵(さきえ)の店からは車で一時間以上。街そのものが違う。深夜の長時間運転の疲労があるにも関わらず、その足音は大きい。
 そして顔を上げる三人にも構わず、左手に水晶────〝水の玉〟を絡めた。
 ソファーの横で膝を曲げ、項垂(うなだ)れたままの(みさお)の顔に水晶を絡めた左手を当てると、すぐに鋭い目を萌江(もえ)に向けた。
「……探してたのは…………この人で間違いないのね?」
 萌江(もえ)は口元に笑みを浮かべて短く応える。
「そう思うよ」
 (みさお)は意識を失ったように力を無くして咲恵(さきえ)に体を預けた。咲恵(さきえ)はそのまま(みさお)をソファーに横にし、その顔に左手を重ねたまま。
(しずく)さんにはどこまで潜ってもらってるの?」
「それは(しずく)さんしだいだね。もう三時間以上は行ったままみたいだけど」
 その萌江(もえ)の言葉を杏奈(あんな)が拾う。
「さっき毘沙門天(びしゃもんてん)に電話した時にはまだ帰ってきてませんでした」
 毘沙門天(びしゃもんてん)神社は蛇の会が解散してからもある意味では中心とも言えた。(しずく)が最も過去へ(さかのぼ)りやすい場所でもあるため、今回のような時にはやはり必要となるからだ。
 今回、(しずく)に過去に(さかのぼ)ってもらうようにお願いしていたのは萌江(もえ)
 咲恵(さきえ)が大きく溜息を()いて返した。
「……また…………深いことになりそうね…………」
 その咲恵(さきえ)の低い声が、室内の空気を重いものに変えた。
 一瞬で何かが変わる。
 返すのは萌江(もえ)
「だから咲恵(さきえ)にこんな遠くまで……」
 そして咲恵(さきえ)
「しかも仕事を途中で切り上げて……」
西沙(せいさ)がもっと近くに会社を作ってたら……」
「最近はガソリン代も高いのよねえ……」
 その流れを西沙(せいさ)が崩す。
「そのネタ掘り返すの何度目よ。立坂(たてさか)さんが解約しないでくれてたんだから……」
 眉間(みけん)(しわ)を寄せる西沙(せいさ)に、軽く笑みを浮かべた萌江(もえ)
「ま、なんとなくそうなるかなって」
「分かってたならさっさと仕事しなさいよ」
「怖い経営者様ですこと」
 そこで、再び空気が変わる。
「…………これ…………」
 その、呟きのような咲恵(さきえ)の言葉が続いた。
「……かなり前から養子が続いて……どういうこと…………どうして…………」
 そして、咲恵(さきえ)の見た〝歴史〟が萌江(もえ)西沙(さきえ)に流れ込む。





 明治五年。
 西暦にして一八七二年。
 新しい時代の到来と、騒乱から生まれる不安が蔓延していた時代。
 武家の多くは階級というものを奪われ、武士から士族(しぞく)へ。しかしその中で平民を選ぶ武家もあった。前年の廃藩置県(はいはんちけん)でその流れは加速する。
 元々高柳(たかやなぎ)家は武士ではありながら金で買った武士の立場。大元の本家は機織(はたお)り問屋だったこともあり、迷わず平民へと戻った。迷わずとは言っても何代にも渡って大名に仕えた武士という身分。その移行は簡単ではなかっただろう。しかし元々が豪商。地元の地主でもあり、生きていく上での権力は保たれた。
 そんな高柳(たかやなぎ)家にその日訪れていたのは清慈愛(しんじあい)治療院の岡安晃一郎(おかやすこういちろう)
 何代にも渡る高柳(たかやなぎ)家の主治医でもあった。すでに五六を迎えていた岡安(おかやす)も武家であった頃の高柳(たかやなぎ)家からの長い付き合い。
 この日、岡安(おかやす)を出迎えたのは当主の妻、フネ。四九才になるフネが半年前に岡安(おかやす)に相談した内容から、最近はフネと娘のセツとの三人だけで会うことが多かった。
 娘のセツは現在二五才。一人娘だった為に婿(むこ)養子を迎え入れてすでに七年になるが、未だ妊娠の兆候はない。
 それが相談の内容だった。
 岡安(おかやす)子種(こだね)にいいとされる薬を処方し、食べ物等も調べ、あらゆる可能性を試してはいたが一向に跡取りの出来る兆しは見られなかった。
 広い座敷の真ん中で、やはり並んで座るフネとセツの表情は重い。
 その二人を前に、岡安(おかやす)も話の切り出し方を慎重に成らざるを得なかった。
「……養子を……御取りになる御つもりは御座いませんか?」
 そんな岡安(おかやす)の唐突とも思える提案だったが、二人ともどこかその選択肢も覚悟はしていた。
「…………養子……ですか……」
 反射的に言葉を返したのはセツだった。養子を迎えるとすれば、自分がその母になる。家の跡取りとはいえ一番の責任を課せられる立場。多少の覚悟があったとは言っても、具体的に言葉にされるとそれはやはり重責でしかない。
 しかしそれは当主の妻であるフネにとっても同様と言える。
 そのフネが口を開いた。
「……しかし先生、養子では我が高柳(たかやなぎ)家の血筋は途絶えてしまうも同じ事。高柳(たかやなぎ)家の古くからの仕来たりは以前にも御説明した通りです」
 岡安(おかやす)もそのフネの言葉に少し間を開ける。確かに以前から話は聞いていた。しかし当時の医療技術ではそれに応えるには限界があるのも事実。
「しかし……いや……実は当医院では養子の斡旋(あっせん)もしておりましてな。こんな世の中です……世間では新しい時代などと浮かれてはおりましてもまだまだ貧しき者も多い…………親を失った子供というのは御国(おくに)が思うよりもたくさんおります。そんな子供達を救うことも医者の務めと考えております」
「確かに高柳(たかやなぎ)家の名前は守れるでしょう……しかし我々が求めているのは名前だけに非ず…………〝血筋〟なのです」
 その日、岡安(おかやす)は何も具体的な提案を返せないまま、高柳(たかやなぎ)家を後にする。
 不妊治療が難しいかどうかではなく、その技術そのものが確立されていない時代。
 岡安(おかやす)はそれからも外国の文献や薬を調べ続けるが、やはり時代の流れは残酷だった。
 しかし三ヶ月後、岡安(おかやす)は一つの医学書に辿り着いた。そして三日程をかけてその外国の書物を読み漁り、一つの可能性に賭け、再び高柳(たかやなぎ)家を訪れた。
「やはり……養子を御取りになるしかないかと…………」
 岡安(おかやす)は切り出す。
 向かい合うフネとセツもすぐには言葉を返せない。気持ちのどこかで諦めのようなものがあったのだろう。
 そのフネが小さく。
「……外国からの薬は…………もう無いのですか……?」
 それに岡安(おかやす)はすぐに返す。
「ありません……薬は…………しかし、興味深い学説を手に入れました」
「……それは────」
「血を入れ替えます」
「血を⁉︎」
 僅かにフネが前のめりになった。
 セツが目を見開く。
 岡安(おかやす)が繋いだ。
「まだ赤ん坊の養子を取り……セツ様の血と入れ替えます。セツ様には輸血をすれば問題ないでしょう」
「そんなことが…………」
 思わず返したセツの声が震える。
「可能です。しかし事例は外国で数例のみ。失敗もあると聞いています」
 岡安(おかやす)は失敗という言葉で、総てを語る事を避けた。危険性が高い事を知っていたからだ。血液型が同じであることが最低条件だったが、同じ血液型でも拒絶反応の可能性は極めて高い。
 それでも毅然(きぜん)と説明する岡安(おかやす)に、フネが小さく呟いた。
「…………しかし……それなら…………」
「はい…………血は絶たれない…………〝全血交換〟をすれば…………」
 フネは、ただ高揚していた。
 セツは不安を膨らませるだけ。
 それから何世代もの間、同じ事が繰り返される事となった。
 しかし何故か、必要な時には女の子の養子しか見付からない。
 そして婿(むこ)養子を迎え入れ続け、養子を迎え入れ続け〝全血交換〟が続けられた。





「…………全血交換…………」
 西沙(せいさ)が呟いていた。
 そのままソファーに体を深く沈める。
 しばらく静寂が漂った。まるで想像していなかった答え。西沙(せいさ)(みさお)に初めて会った時にすら気付かなかった。予想しなかった物理的な医療行為。
 しかもそこに〝呪い〟の影を感じていたのは西沙(せいさ)だけではなかった。
 何かは分からなくても、何かを感じたまま。
 そして咲恵(さきえ)も呟く。
「……こんなこと…………ホントなの……?」
「聞いたことがない……ホントに出来るの? 杏奈(あんな)────」
 西沙(せいさ)がそう言って杏奈(あんな)に顔を向け、続けた。
「ネットで調べられる?」
 杏奈(あんな)はすぐにパソコンモニターに体を向ける。
「分かった。全血……交換?」
 杏奈(あんな)萌江(もえ)西沙(せいさ)と違って咲恵(さきえ)と意識の共有を出来るわけではない。咲恵(さきえ)が見た過去の歴史がどんなものなのか分からないまま、西沙(せいさ)の呟いた言葉だけが頼りだった。
 杏奈(あんな)がキーボードを叩く中で、西沙(せいさ)の隣の萌江(もえ)項垂(うなだ)れたまま。何かを感じているのか、その表情も(うかが)い知れない。
 その光景に咲恵(さきえ)が不安を抱いた時、杏奈(あんな)の声がした。
「……あくまでネットの情報だけど、正式には全血輸血とか交換輸血とか言うみたい。実際にあることはある。でもよほど大量の失血時とか……新生児の時に先天的な障害の治療を目的としてはあるようだけど…………」
「血筋のためだからって、そこまでする?」
 西沙(せいさ)の当然の問いに、杏奈(あんな)が繋げる。
「しかも明治でしょ? あの時代にそんな技術なんて…………裏のネットワークで調べてみるか…………」
 西沙(せいさ)が溜息を()いてから一言だけ。
「お願い」
 杏奈(あんな)には自分にしかない強みがあった。ジャーナリストの世界で長く生き、フリーとしてやってきた中で、いつの間にか情報の人脈が膨れ上がっていた。連絡を密にする知り合いとは違う。お互い必要な時だけに助け合う仲。そのくらいのほうが丁度いい。陽の当たらない世界の住人もいた。情報だけで繋がる関係。お互いにそれ以上の馴れ合いはない。
 杏奈(あんな)がスマートフォンを触り始めると、やっと萌江(もえ)がソファーの上で上半身を上げた。
 微かに息が荒い。
 すぐに咲恵(さきえ)が隣に体を寄せる。
「大丈夫?」
 萌江(もえ)はソファーに背中を深く預けて口を開いた。
「……ごめん……ダイレクトに干渉しすぎたね……」
「何か、見えたの?」
「分からない…………でもあのフネって母親……本当の母親の姉だ。母親と名乗ってただけ…………どうして? どうして母親は死んだの…………?」
「やっぱり何か見えたのね…………」
「そうかもしれない……でも最後まで……やっと見付けたから…………後は娘さんに会うしかなさそうだ…………」
 その萌江(もえ)の言葉に、咲恵(さきえ)西沙(せいさ)に顔を向ける。
西沙(せいさ)ちゃん、少し仮眠を取ったほうがいいね。そろそろ朝だし」
「そうだね、分かった」
 西沙(せいさ)はそう応えると、杏奈(あんな)の隣の椅子に移動して背もたれを倒した。
 杏奈(あんな)はスマートフォンとパソコンに向かい続ける。
 (みさお)はソファーで横になったまま。

 数時間後。
 最初に目を覚ましたのは西沙(せいさ)だった。
 まだ杏奈(あんな)はパソコンに向かったまま。
 そのモニター横の小さな時計の針は昼を少しだけ回っている。
「……大丈夫? ずっとやってたの?」
「うん……面白い情報仕入れたからさ……」
 そう応えた杏奈(あんな)が隣の西沙(せいさ)に柔らかい表情を向けた。
 西沙(せいさ)はすぐに返す。
「少し休んで」
「まとめたらね…………行くんでしょ? 高柳(たかやなぎ)家」
 杏奈(あんな)がモニターに顔を戻しながら応えると、西沙(せいさ)はソファーで寄り添って眠っている萌江(もえ)咲恵(さきえ)に視線を移してから応えた。
「まあね……萌江(もえ)が言うんじゃ仕方ないか…………」
「私はもう少し……これをまとめないと……さすがに専門用語が多くて難しくてさ」
 そう返す杏奈(あんな)に、西沙(せいさ)は再び顔を戻す。
 不安気にその横顔を見つめた。
「いつもごめんね……面倒な仕事ばっかりさせて…………」
「そんなことないよ。これが私の仕事……みんなのためなら頑張れる。西沙(せいさ)のためなら特にね」
 杏奈(あんな)はキーボードの手を止めた。
 片手を西沙(せいさ)の首筋に回す。
 そして顔を近付けた。
「────ちょっ、ちょっと」
 慌てた西沙(せいさ)は一瞬だけソファーに視線をずらし、すぐに目の前の杏奈(あんな)に戻すと続ける。
「……私は……そういうのは…………」
 その小さくなる声に、杏奈(あんな)(ささや)いた。
「キスもダメなの?」
「え?」
「キスだけだよ」
「ホント? それ以上は────」
 杏奈(あんな)西沙(せいさ)の言葉を最後までは聞かない。
 西沙(せいさ)も逃げられないことを悟る。
 離れた唇に、お互いが少しだけ寂しさを感じた時、先にその口を開いたのは杏奈(あんな)だった。
「……今はね」
「……今は………………って、しないからね…………」
 西沙(せいさ)は慌てて上半身を起こして続けた。
「────萌江(もえ)! 咲恵(さきえ)! 起きて! 行くよ!」
 さすがの大声に、萌江(もえ)咲恵(さきえ)が体を起こし始め、西沙(せいさ)に顔を向ける。
「あれ? どうした? 顔が真っ赤」
 半分寝ぼけたような萌江(もえ)の言葉に西沙(せいさ)が再び叫ぶ。
「してないから!」
 さらに咲恵(さきえ)
「耳まで」
「気のせいだから!」
 そしてその騒ぎに、ずっと横になったままの(みさお)も上半身を起こし、不思議そうな顔を向けた。
 無意識に口元を手で隠す西沙(せいさ)とは対照的に、萌江(もえ)咲恵(さきえ)(みさお)の姿にすぐに気持ちを切り替えていた。
 状況を飲み込めずに呆然とする(みさお)に、最初に声を掛けたのは咲恵(さきえ)
「昨日はいきなりだったから……初めまして、ですよね。黒井(くろい)と申します。ゆっくり休めました?」
「え? ええ……たぶん…………えっと…………」
 頭の整理が出来ていないであろう(みさお)に、なおも咲恵(さきえ)は畳みかけた。
高柳(たかやなぎ)家の過去を見させてもらいました。実は、これから、娘さんに会わせていただきたいんです」
「……優花(ゆか)に…………?」
「はい。どうしても直接会わなければなりません」
 咲恵(さきえ)はそう言いながら、ソファーの上で萌江(もえ)の手を握る。

 ──……萌江(もえ)にしか出来ない…………

 ──…………萌江(もえ)でなければ助けられない…………

 ──………………そんなこと……分かってる…………けど…………

 少し間を開け、(みさお)が口を開いた。
「……みなさんは…………なんなんですか…………」
 元々〝呪い〟を退けたくて(みさお)自ら御陵院(ごりょういん)神社に赴いた。
 しかし具体的に何かを見せられるわけではない。目に見えない形で頭の中を探られるだけ。普通の人間に理解の及ぶものではなかった。
「……高柳(たかやなぎ)家の過去って…………どうして…………どうして呪われなきゃならないのよ‼︎」





 文明(ぶんめい)一二年。
 西暦にして一四八〇年。
 甲斐(かい)の国。
 最初の唯独(ただひと)神社が焼け落ちた。
 スズと青洲(せいしゅう)の姿が見付からない。
 生死も分からないまま。
 甲斐(かい)の国を治める武田(たけだ)家に仕える武将の一人────安達信悦(あだちのぶえつ)は焼け落ちた唯独(ただひと)神社で赤子(あかご)を拾い上げた。
「……赤子(あかご)に罪はあるまい」
 純粋な気持ちだった。
 なぜこんな場所に赤子(あかご)がいるのかなど考えなかった。
 ただ、生存者を見付けることが出来た喜びと、赤子(あかご)だけが残されていた現実に胸を痛め、甲冑(かっちゅう)を身に付けて刀を持つ自らの責任を感じる。その不条理な現実と向き合った。
 信悦(のぶえつ)のそんな感情もあり、その赤子(あかご)安達(あだち)家に引き取られる事になる。
 幼名をウタと名付けられた。
 すでに信悦(のぶえつ)には世継ぎが三人。
 一六年後、ウタは養子であることを知らぬままに嫁に行く。
 名は寿嶺(じゅれい)
 嫁いだ先も武家。
 そこは、高柳(たかやなぎ)家だった。




          「かなざくらの古屋敷」
    〜 第二四部「繭の影」第3話(第二四部最終話)へつづく 〜
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