第二四部「繭の影」第2話
文字数 7,799文字
『 株式会社 黒猫 』────
それが西沙 の会社の名前。
西沙 が命名した。
名前の由来は、萌江 の家で共に暮らしていた三匹の黒猫から。その三匹はいずれも萌江 の作り出した幻だった。しかし西沙 はそれを認めながらも、決して忘れたくはなかった。忘れる必要もないと思っていた。
誰からも反対はない。
株主は西沙 、立坂 、満田 の三人。
社員は代表取締役の西沙 と、従業員の杏奈 だけ。
もちろん雫 にも声は掛けていたが、本人からの返答は現在保留中。
その〝黒猫 〟が経営するのが〝御陵院 心霊相談所〟。
登記上の会社の住所もここになる。
萌江 や咲恵 には名前が硬すぎると言われたが、その言葉に西沙 は、かつての相談所の頃の美由紀 を思い出していた。
──……美由紀 とも……そんな会話したことあったな…………
なぜか、美由紀 の慣れ親しんだ硬さを残した。
杏奈 はすぐに賛成した。杏奈 がよく出入りしていた思い出の場所でもあり、何より西沙 の中の美由紀 の存在を痛いほどに感じていたからだ。
相談所の場所は以前と同じ場所。繁華街からは少し外れた二階建ての古いテナントビル。一階のコンビニもまだ無事に経営を続けていた。そんなことですら西沙 には嬉しい。しかしそれは一度閉鎖してからも立坂 が契約を切らずに家賃を払い続けていたことで実現したこと。
当然、色々なことを思い出す場所でもある。
美由紀 のことも思い出す。
ビルを見るだけ。
ドアを見るだけ。
ドアを開けるだけ。
それだけで、否応なしに美由紀 のことを思い出す。
嫌ではなかった。
それでいいと思った。
未だに西沙 は、美由紀 の自死に責任を感じていた。
だからこそ、そのことを忘れたくなかった。
総て受け入れるべきだと感じていた。
だからこそ、入り口を入ってすぐの場所に自分と美由紀 の二人で写った写真を飾った。
そこにいて欲しかった。
相談所自体は以前とはだいぶ雰囲気を変えた。以前は入口横にあった受付のカウンターは無い。オフィスの中心に小さなカフェテーブル。そのテーブルを挟んでソファーが二つあるのも変わらないが、やはりその位置と周囲の装飾はだいぶ変化していた。昔の面影は薄い。以前ほどの派手さは落ち着いていた。
──……美由紀 なら、なんて言うかな…………
いつも西沙 はそんなことを思っていた。
この夜も、やはりそれは変わらない。
ソファーの一つには萌江 と西沙 が座り、その向かいには操 が、やはり体を丸めるように項垂れたまま。
萌江 と西沙 の背後には杏奈 。L字に配置されたテーブルのパソコンの前。パソコンの操作に慣れた杏奈 は書記のような業務もこなしていた。
「操 さんもコーヒーで大丈夫?」
西沙 がそう言って小さなキッチンへと向かうが、操 からは何も返ってこない。
代わりに返ってきたのは萌江 の声。
「私はビール」
「あるわけないでしょ」
即答した西沙 に萌江 の返答も早い。
「もう深夜なんですけど」
「残念。ここは仕事場です」
西沙 がコーヒーメーカーにスイッチを入れると途端にコーヒーの香りが室内に広がった。決して広い仕事場ではない。でもそれが西沙 には丁度いい。
やげて全員の前にコーヒーが並んだ。
最初に口を開いたのは西沙 。
「つまり、母親もこの操 さんも子供を産めない体……そして娘の優花 さんも同じになった…………だから何か〝呪い〟のようなものがあるんじゃないか、ってこと」
その西沙 の説明に、隣の萌江 はソファーに体を沈めて返した。
「しかもそれは昔から伝わってきたものだったってことか…………」
「萌江 の見た夢ってどういうことなの?」
「あれは間違いなく御世 の声だった…………誰かを助けろって、それだけ…………でも操 さんを見た時に分かったよ。少なくとも助けるべき人だって思った…………そう感じた」
不思議な夢だった。
目が覚めてから萌江 が覚えていたのは御世 の声だけ。その御世 のメッセージの意味が、萌江 には明確には分からないままだった。
〝 助けて下さい……萌江 様…………
救わなくてはなりません
救わなくてはならない人々が
まだ……………… 〟
間違いなく見せられたと萌江 は感じていた。
それは別の形で夢を見た西沙 も同じ。
「まあ、私も久しぶりに夢で見た……萌江 とは違って操 さんに会う時の光景を見ただけ……だけど…………もしかして萌江 って、それであんなに依頼受けまくってたの?」
「まあね。お金にはなったでしょ」
萌江 はそう切り返して笑顔を見せた。
そして、僅かな振動。
外の階段を登る足音。決して真新しい階段ではない。雨ざらしの錆 だらけの階段。ヒールの音が容赦無く壁を揺らした。
やがて開かれたドアから入ってきたのは、険しい表情の咲恵 だった。
咲恵 はヒールの音を部屋中に響かせながら何も言わずにソファーに近付く。咲恵 の店からは車で一時間以上。街そのものが違う。深夜の長時間運転の疲労があるにも関わらず、その足音は大きい。
そして顔を上げる三人にも構わず、左手に水晶────〝水の玉〟を絡めた。
ソファーの横で膝を曲げ、項垂 れたままの操 の顔に水晶を絡めた左手を当てると、すぐに鋭い目を萌江 に向けた。
「……探してたのは…………この人で間違いないのね?」
萌江 は口元に笑みを浮かべて短く応える。
「そう思うよ」
操 は意識を失ったように力を無くして咲恵 に体を預けた。咲恵 はそのまま操 をソファーに横にし、その顔に左手を重ねたまま。
「雫 さんにはどこまで潜ってもらってるの?」
「それは雫 さんしだいだね。もう三時間以上は行ったままみたいだけど」
その萌江 の言葉を杏奈 が拾う。
「さっき毘沙門天 に電話した時にはまだ帰ってきてませんでした」
毘沙門天 神社は蛇の会が解散してからもある意味では中心とも言えた。雫 が最も過去へ遡 りやすい場所でもあるため、今回のような時にはやはり必要となるからだ。
今回、雫 に過去に遡 ってもらうようにお願いしていたのは萌江 。
咲恵 が大きく溜息を吐 いて返した。
「……また…………深いことになりそうね…………」
その咲恵 の低い声が、室内の空気を重いものに変えた。
一瞬で何かが変わる。
返すのは萌江 。
「だから咲恵 にこんな遠くまで……」
そして咲恵 。
「しかも仕事を途中で切り上げて……」
「西沙 がもっと近くに会社を作ってたら……」
「最近はガソリン代も高いのよねえ……」
その流れを西沙 が崩す。
「そのネタ掘り返すの何度目よ。立坂 さんが解約しないでくれてたんだから……」
眉間 に皺 を寄せる西沙 に、軽く笑みを浮かべた萌江 。
「ま、なんとなくそうなるかなって」
「分かってたならさっさと仕事しなさいよ」
「怖い経営者様ですこと」
そこで、再び空気が変わる。
「…………これ…………」
その、呟きのような咲恵 の言葉が続いた。
「……かなり前から養子が続いて……どういうこと…………どうして…………」
そして、咲恵 の見た〝歴史〟が萌江 と西沙 に流れ込む。
☆
明治五年。
西暦にして一八七二年。
新しい時代の到来と、騒乱から生まれる不安が蔓延していた時代。
武家の多くは階級というものを奪われ、武士から士族 へ。しかしその中で平民を選ぶ武家もあった。前年の廃藩置県 でその流れは加速する。
元々高柳 家は武士ではありながら金で買った武士の立場。大元の本家は機織 り問屋だったこともあり、迷わず平民へと戻った。迷わずとは言っても何代にも渡って大名に仕えた武士という身分。その移行は簡単ではなかっただろう。しかし元々が豪商。地元の地主でもあり、生きていく上での権力は保たれた。
そんな高柳 家にその日訪れていたのは清慈愛 治療院の岡安晃一郎 。
何代にも渡る高柳 家の主治医でもあった。すでに五六を迎えていた岡安 も武家であった頃の高柳 家からの長い付き合い。
この日、岡安 を出迎えたのは当主の妻、フネ。四九才になるフネが半年前に岡安 に相談した内容から、最近はフネと娘のセツとの三人だけで会うことが多かった。
娘のセツは現在二五才。一人娘だった為に婿 養子を迎え入れてすでに七年になるが、未だ妊娠の兆候はない。
それが相談の内容だった。
岡安 は子種 にいいとされる薬を処方し、食べ物等も調べ、あらゆる可能性を試してはいたが一向に跡取りの出来る兆しは見られなかった。
広い座敷の真ん中で、やはり並んで座るフネとセツの表情は重い。
その二人を前に、岡安 も話の切り出し方を慎重に成らざるを得なかった。
「……養子を……御取りになる御つもりは御座いませんか?」
そんな岡安 の唐突とも思える提案だったが、二人ともどこかその選択肢も覚悟はしていた。
「…………養子……ですか……」
反射的に言葉を返したのはセツだった。養子を迎えるとすれば、自分がその母になる。家の跡取りとはいえ一番の責任を課せられる立場。多少の覚悟があったとは言っても、具体的に言葉にされるとそれはやはり重責でしかない。
しかしそれは当主の妻であるフネにとっても同様と言える。
そのフネが口を開いた。
「……しかし先生、養子では我が高柳 家の血筋は途絶えてしまうも同じ事。高柳 家の古くからの仕来たりは以前にも御説明した通りです」
岡安 もそのフネの言葉に少し間を開ける。確かに以前から話は聞いていた。しかし当時の医療技術ではそれに応えるには限界があるのも事実。
「しかし……いや……実は当医院では養子の斡旋 もしておりましてな。こんな世の中です……世間では新しい時代などと浮かれてはおりましてもまだまだ貧しき者も多い…………親を失った子供というのは御国 が思うよりもたくさんおります。そんな子供達を救うことも医者の務めと考えております」
「確かに高柳 家の名前は守れるでしょう……しかし我々が求めているのは名前だけに非ず…………〝血筋〟なのです」
その日、岡安 は何も具体的な提案を返せないまま、高柳 家を後にする。
不妊治療が難しいかどうかではなく、その技術そのものが確立されていない時代。
岡安 はそれからも外国の文献や薬を調べ続けるが、やはり時代の流れは残酷だった。
しかし三ヶ月後、岡安 は一つの医学書に辿り着いた。そして三日程をかけてその外国の書物を読み漁り、一つの可能性に賭け、再び高柳 家を訪れた。
「やはり……養子を御取りになるしかないかと…………」
岡安 は切り出す。
向かい合うフネとセツもすぐには言葉を返せない。気持ちのどこかで諦めのようなものがあったのだろう。
そのフネが小さく。
「……外国からの薬は…………もう無いのですか……?」
それに岡安 はすぐに返す。
「ありません……薬は…………しかし、興味深い学説を手に入れました」
「……それは────」
「血を入れ替えます」
「血を⁉︎」
僅かにフネが前のめりになった。
セツが目を見開く。
岡安 が繋いだ。
「まだ赤ん坊の養子を取り……セツ様の血と入れ替えます。セツ様には輸血をすれば問題ないでしょう」
「そんなことが…………」
思わず返したセツの声が震える。
「可能です。しかし事例は外国で数例のみ。失敗もあると聞いています」
岡安 は失敗という言葉で、総てを語る事を避けた。危険性が高い事を知っていたからだ。血液型が同じであることが最低条件だったが、同じ血液型でも拒絶反応の可能性は極めて高い。
それでも毅然 と説明する岡安 に、フネが小さく呟いた。
「…………しかし……それなら…………」
「はい…………血は絶たれない…………〝全血交換〟をすれば…………」
フネは、ただ高揚していた。
セツは不安を膨らませるだけ。
それから何世代もの間、同じ事が繰り返される事となった。
しかし何故か、必要な時には女の子の養子しか見付からない。
そして婿 養子を迎え入れ続け、養子を迎え入れ続け〝全血交換〟が続けられた。
☆
「…………全血交換…………」
西沙 が呟いていた。
そのままソファーに体を深く沈める。
しばらく静寂が漂った。まるで想像していなかった答え。西沙 も操 に初めて会った時にすら気付かなかった。予想しなかった物理的な医療行為。
しかもそこに〝呪い〟の影を感じていたのは西沙 だけではなかった。
何かは分からなくても、何かを感じたまま。
そして咲恵 も呟く。
「……こんなこと…………ホントなの……?」
「聞いたことがない……ホントに出来るの?杏奈 ────」
西沙 がそう言って杏奈 に顔を向け、続けた。
「ネットで調べられる?」
杏奈 はすぐにパソコンモニターに体を向ける。
「分かった。全血……交換?」
杏奈 は萌江 や西沙 と違って咲恵 と意識の共有を出来るわけではない。咲恵 が見た過去の歴史がどんなものなのか分からないまま、西沙 の呟いた言葉だけが頼りだった。
杏奈 がキーボードを叩く中で、西沙 の隣の萌江 は項垂 れたまま。何かを感じているのか、その表情も窺 い知れない。
その光景に咲恵 が不安を抱いた時、杏奈 の声がした。
「……あくまでネットの情報だけど、正式には全血輸血とか交換輸血とか言うみたい。実際にあることはある。でもよほど大量の失血時とか……新生児の時に先天的な障害の治療を目的としてはあるようだけど…………」
「血筋のためだからって、そこまでする?」
西沙 の当然の問いに、杏奈 が繋げる。
「しかも明治でしょ? あの時代にそんな技術なんて…………裏のネットワークで調べてみるか…………」
西沙 が溜息を吐 いてから一言だけ。
「お願い」
杏奈 には自分にしかない強みがあった。ジャーナリストの世界で長く生き、フリーとしてやってきた中で、いつの間にか情報の人脈が膨れ上がっていた。連絡を密にする知り合いとは違う。お互い必要な時だけに助け合う仲。そのくらいのほうが丁度いい。陽の当たらない世界の住人もいた。情報だけで繋がる関係。お互いにそれ以上の馴れ合いはない。
杏奈 がスマートフォンを触り始めると、やっと萌江 がソファーの上で上半身を上げた。
微かに息が荒い。
すぐに咲恵 が隣に体を寄せる。
「大丈夫?」
萌江 はソファーに背中を深く預けて口を開いた。
「……ごめん……ダイレクトに干渉しすぎたね……」
「何か、見えたの?」
「分からない…………でもあのフネって母親……本当の母親の姉だ。母親と名乗ってただけ…………どうして? どうして母親は死んだの…………?」
「やっぱり何か見えたのね…………」
「そうかもしれない……でも最後まで……やっと見付けたから…………後は娘さんに会うしかなさそうだ…………」
その萌江 の言葉に、咲恵 は西沙 に顔を向ける。
「西沙 ちゃん、少し仮眠を取ったほうがいいね。そろそろ朝だし」
「そうだね、分かった」
西沙 はそう応えると、杏奈 の隣の椅子に移動して背もたれを倒した。
杏奈 はスマートフォンとパソコンに向かい続ける。
操 はソファーで横になったまま。
数時間後。
最初に目を覚ましたのは西沙 だった。
まだ杏奈 はパソコンに向かったまま。
そのモニター横の小さな時計の針は昼を少しだけ回っている。
「……大丈夫? ずっとやってたの?」
「うん……面白い情報仕入れたからさ……」
そう応えた杏奈 が隣の西沙 に柔らかい表情を向けた。
西沙 はすぐに返す。
「少し休んで」
「まとめたらね…………行くんでしょ?高柳 家」
杏奈 がモニターに顔を戻しながら応えると、西沙 はソファーで寄り添って眠っている萌江 と咲恵 に視線を移してから応えた。
「まあね……萌江 が言うんじゃ仕方ないか…………」
「私はもう少し……これをまとめないと……さすがに専門用語が多くて難しくてさ」
そう返す杏奈 に、西沙 は再び顔を戻す。
不安気にその横顔を見つめた。
「いつもごめんね……面倒な仕事ばっかりさせて…………」
「そんなことないよ。これが私の仕事……みんなのためなら頑張れる。西沙 のためなら特にね」
杏奈 はキーボードの手を止めた。
片手を西沙 の首筋に回す。
そして顔を近付けた。
「────ちょっ、ちょっと」
慌てた西沙 は一瞬だけソファーに視線をずらし、すぐに目の前の杏奈 に戻すと続ける。
「……私は……そういうのは…………」
その小さくなる声に、杏奈 が囁 いた。
「キスもダメなの?」
「え?」
「キスだけだよ」
「ホント? それ以上は────」
杏奈 は西沙 の言葉を最後までは聞かない。
西沙 も逃げられないことを悟る。
離れた唇に、お互いが少しだけ寂しさを感じた時、先にその口を開いたのは杏奈 だった。
「……今はね」
「……今は………………って、しないからね…………」
西沙 は慌てて上半身を起こして続けた。
「────萌江 ! 咲恵 ! 起きて! 行くよ!」
さすがの大声に、萌江 と咲恵 が体を起こし始め、西沙 に顔を向ける。
「あれ? どうした? 顔が真っ赤」
半分寝ぼけたような萌江 の言葉に西沙 が再び叫ぶ。
「してないから!」
さらに咲恵 。
「耳まで」
「気のせいだから!」
そしてその騒ぎに、ずっと横になったままの操 も上半身を起こし、不思議そうな顔を向けた。
無意識に口元を手で隠す西沙 とは対照的に、萌江 と咲恵 は操 の姿にすぐに気持ちを切り替えていた。
状況を飲み込めずに呆然とする操 に、最初に声を掛けたのは咲恵 。
「昨日はいきなりだったから……初めまして、ですよね。黒井 と申します。ゆっくり休めました?」
「え? ええ……たぶん…………えっと…………」
頭の整理が出来ていないであろう操 に、なおも咲恵 は畳みかけた。
「高柳 家の過去を見させてもらいました。実は、これから、娘さんに会わせていただきたいんです」
「……優花 に…………?」
「はい。どうしても直接会わなければなりません」
咲恵 はそう言いながら、ソファーの上で萌江 の手を握る。
──……萌江 にしか出来ない…………
──…………萌江 でなければ助けられない…………
──………………そんなこと……分かってる…………けど…………
少し間を開け、操 が口を開いた。
「……みなさんは…………なんなんですか…………」
元々〝呪い〟を退けたくて操 自ら御陵院 神社に赴いた。
しかし具体的に何かを見せられるわけではない。目に見えない形で頭の中を探られるだけ。普通の人間に理解の及ぶものではなかった。
「……高柳 家の過去って…………どうして…………どうして呪われなきゃならないのよ‼︎」
☆
文明 一二年。
西暦にして一四八〇年。
甲斐 の国。
最初の唯独 神社が焼け落ちた。
スズと青洲 の姿が見付からない。
生死も分からないまま。
甲斐 の国を治める武田 家に仕える武将の一人────安達信悦 は焼け落ちた唯独 神社で赤子 を拾い上げた。
「……赤子 に罪はあるまい」
純粋な気持ちだった。
なぜこんな場所に赤子 がいるのかなど考えなかった。
ただ、生存者を見付けることが出来た喜びと、赤子 だけが残されていた現実に胸を痛め、甲冑 を身に付けて刀を持つ自らの責任を感じる。その不条理な現実と向き合った。
信悦 のそんな感情もあり、その赤子 は安達 家に引き取られる事になる。
幼名をウタと名付けられた。
すでに信悦 には世継ぎが三人。
一六年後、ウタは養子であることを知らぬままに嫁に行く。
名は寿嶺 。
嫁いだ先も武家。
そこは、高柳 家だった。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第二四部「繭の影」第3話(第二四部最終話)へつづく 〜
それが
名前の由来は、
誰からも反対はない。
株主は
社員は代表取締役の
もちろん
その〝
登記上の会社の住所もここになる。
──……
なぜか、
相談所の場所は以前と同じ場所。繁華街からは少し外れた二階建ての古いテナントビル。一階のコンビニもまだ無事に経営を続けていた。そんなことですら
当然、色々なことを思い出す場所でもある。
ビルを見るだけ。
ドアを見るだけ。
ドアを開けるだけ。
それだけで、否応なしに
嫌ではなかった。
それでいいと思った。
未だに
だからこそ、そのことを忘れたくなかった。
総て受け入れるべきだと感じていた。
だからこそ、入り口を入ってすぐの場所に自分と
そこにいて欲しかった。
相談所自体は以前とはだいぶ雰囲気を変えた。以前は入口横にあった受付のカウンターは無い。オフィスの中心に小さなカフェテーブル。そのテーブルを挟んでソファーが二つあるのも変わらないが、やはりその位置と周囲の装飾はだいぶ変化していた。昔の面影は薄い。以前ほどの派手さは落ち着いていた。
──……
いつも
この夜も、やはりそれは変わらない。
ソファーの一つには
「
代わりに返ってきたのは
「私はビール」
「あるわけないでしょ」
即答した
「もう深夜なんですけど」
「残念。ここは仕事場です」
やげて全員の前にコーヒーが並んだ。
最初に口を開いたのは
「つまり、母親もこの
その
「しかもそれは昔から伝わってきたものだったってことか…………」
「
「あれは間違いなく
不思議な夢だった。
目が覚めてから
〝 助けて下さい……
救わなくてはなりません
救わなくてはならない人々が
まだ……………… 〟
間違いなく見せられたと
それは別の形で夢を見た
「まあ、私も久しぶりに夢で見た……
「まあね。お金にはなったでしょ」
そして、僅かな振動。
外の階段を登る足音。決して真新しい階段ではない。雨ざらしの
やがて開かれたドアから入ってきたのは、険しい表情の
そして顔を上げる三人にも構わず、左手に水晶────〝水の玉〟を絡めた。
ソファーの横で膝を曲げ、
「……探してたのは…………この人で間違いないのね?」
「そう思うよ」
「
「それは
その
「さっき
今回、
「……また…………深いことになりそうね…………」
その
一瞬で何かが変わる。
返すのは
「だから
そして
「しかも仕事を途中で切り上げて……」
「
「最近はガソリン代も高いのよねえ……」
その流れを
「そのネタ掘り返すの何度目よ。
「ま、なんとなくそうなるかなって」
「分かってたならさっさと仕事しなさいよ」
「怖い経営者様ですこと」
そこで、再び空気が変わる。
「…………これ…………」
その、呟きのような
「……かなり前から養子が続いて……どういうこと…………どうして…………」
そして、
☆
明治五年。
西暦にして一八七二年。
新しい時代の到来と、騒乱から生まれる不安が蔓延していた時代。
武家の多くは階級というものを奪われ、武士から
元々
そんな
何代にも渡る
この日、
娘のセツは現在二五才。一人娘だった為に
それが相談の内容だった。
広い座敷の真ん中で、やはり並んで座るフネとセツの表情は重い。
その二人を前に、
「……養子を……御取りになる御つもりは御座いませんか?」
そんな
「…………養子……ですか……」
反射的に言葉を返したのはセツだった。養子を迎えるとすれば、自分がその母になる。家の跡取りとはいえ一番の責任を課せられる立場。多少の覚悟があったとは言っても、具体的に言葉にされるとそれはやはり重責でしかない。
しかしそれは当主の妻であるフネにとっても同様と言える。
そのフネが口を開いた。
「……しかし先生、養子では我が
「しかし……いや……実は当医院では養子の
「確かに
その日、
不妊治療が難しいかどうかではなく、その技術そのものが確立されていない時代。
しかし三ヶ月後、
「やはり……養子を御取りになるしかないかと…………」
向かい合うフネとセツもすぐには言葉を返せない。気持ちのどこかで諦めのようなものがあったのだろう。
そのフネが小さく。
「……外国からの薬は…………もう無いのですか……?」
それに
「ありません……薬は…………しかし、興味深い学説を手に入れました」
「……それは────」
「血を入れ替えます」
「血を⁉︎」
僅かにフネが前のめりになった。
セツが目を見開く。
「まだ赤ん坊の養子を取り……セツ様の血と入れ替えます。セツ様には輸血をすれば問題ないでしょう」
「そんなことが…………」
思わず返したセツの声が震える。
「可能です。しかし事例は外国で数例のみ。失敗もあると聞いています」
それでも
「…………しかし……それなら…………」
「はい…………血は絶たれない…………〝全血交換〟をすれば…………」
フネは、ただ高揚していた。
セツは不安を膨らませるだけ。
それから何世代もの間、同じ事が繰り返される事となった。
しかし何故か、必要な時には女の子の養子しか見付からない。
そして
☆
「…………全血交換…………」
そのままソファーに体を深く沈める。
しばらく静寂が漂った。まるで想像していなかった答え。
しかもそこに〝呪い〟の影を感じていたのは
何かは分からなくても、何かを感じたまま。
そして
「……こんなこと…………ホントなの……?」
「聞いたことがない……ホントに出来るの?
「ネットで調べられる?」
「分かった。全血……交換?」
その光景に
「……あくまでネットの情報だけど、正式には全血輸血とか交換輸血とか言うみたい。実際にあることはある。でもよほど大量の失血時とか……新生児の時に先天的な障害の治療を目的としてはあるようだけど…………」
「血筋のためだからって、そこまでする?」
「しかも明治でしょ? あの時代にそんな技術なんて…………裏のネットワークで調べてみるか…………」
「お願い」
微かに息が荒い。
すぐに
「大丈夫?」
「……ごめん……ダイレクトに干渉しすぎたね……」
「何か、見えたの?」
「分からない…………でもあのフネって母親……本当の母親の姉だ。母親と名乗ってただけ…………どうして? どうして母親は死んだの…………?」
「やっぱり何か見えたのね…………」
「そうかもしれない……でも最後まで……やっと見付けたから…………後は娘さんに会うしかなさそうだ…………」
その
「
「そうだね、分かった」
数時間後。
最初に目を覚ましたのは
まだ
そのモニター横の小さな時計の針は昼を少しだけ回っている。
「……大丈夫? ずっとやってたの?」
「うん……面白い情報仕入れたからさ……」
そう応えた
「少し休んで」
「まとめたらね…………行くんでしょ?
「まあね……
「私はもう少し……これをまとめないと……さすがに専門用語が多くて難しくてさ」
そう返す
不安気にその横顔を見つめた。
「いつもごめんね……面倒な仕事ばっかりさせて…………」
「そんなことないよ。これが私の仕事……みんなのためなら頑張れる。
片手を
そして顔を近付けた。
「────ちょっ、ちょっと」
慌てた
「……私は……そういうのは…………」
その小さくなる声に、
「キスもダメなの?」
「え?」
「キスだけだよ」
「ホント? それ以上は────」
離れた唇に、お互いが少しだけ寂しさを感じた時、先にその口を開いたのは
「……今はね」
「……今は………………って、しないからね…………」
「────
さすがの大声に、
「あれ? どうした? 顔が真っ赤」
半分寝ぼけたような
「してないから!」
さらに
「耳まで」
「気のせいだから!」
そしてその騒ぎに、ずっと横になったままの
無意識に口元を手で隠す
状況を飲み込めずに呆然とする
「昨日はいきなりだったから……初めまして、ですよね。
「え? ええ……たぶん…………えっと…………」
頭の整理が出来ていないであろう
「
「……
「はい。どうしても直接会わなければなりません」
──……
──…………
──………………そんなこと……分かってる…………けど…………
少し間を開け、
「……みなさんは…………なんなんですか…………」
元々〝呪い〟を退けたくて
しかし具体的に何かを見せられるわけではない。目に見えない形で頭の中を探られるだけ。普通の人間に理解の及ぶものではなかった。
「……
☆
西暦にして一四八〇年。
最初の
スズと
生死も分からないまま。
「……
純粋な気持ちだった。
なぜこんな場所に
ただ、生存者を見付けることが出来た喜びと、
幼名をウタと名付けられた。
すでに
一六年後、ウタは養子であることを知らぬままに嫁に行く。
名は
嫁いだ先も武家。
そこは、
「かなざくらの古屋敷」
〜 第二四部「繭の影」第3話(第二四部最終話)へつづく 〜