第二四部「繭の影」第1話

文字数 9,188文字

    光が見えた
    光のある時
      そこには必ず影がある
     見間違うな
         影を生み出すのは光
   光を生み出すのは影





 その街では一番の繁華街だろう。
 平日の夜であっても常に人が行き交うような長い通り。
 その広い道路を挟むように、(いびつ)な規則性を持って並ぶビル群。
 時間としては二二時を過ぎた頃。
 街の熱気は季節的な気温の変化だけではない。
 すでに季節は春。
 多くの生き物と同じように、人々もまた動き始めていた。

 テナントビルの七階。
 最上階。
 ワンフロアの広いレストランバーがあった。
 そして明らかにその存在は場違い。
 いわゆるゴシックロリータというファッションは、決してドレスと言われるような物ではない。ヨーロッパのロココスタイルをベースとしたロリータファッションは日本で独自に形成されてきた文化だ。
 その店はドレスコードを意識してもおかしくないような高級感のある店。もちろん客層も決して民度は低くない。
 そんな店だからこそ、余計に西沙(せいさ)のゴスロリファッションは際立って見えた。
 それでも僅かに店の雰囲気を意識したのか、今夜は歩きやすいローファーではない。低めだがヒールのサンダル。ピアスとネックレスの色も、いつもよりは明るい。全体的に黒い印象のゴスロリの中でそのワンポイントは際立った。とは言っても、最近の西沙(せいさ)のセンスが少しだけ変化してきているのは身近な人間たちなら気が付いてはいた。
 その西沙(せいさ)が通り側の大きなガラスへ向かってヒールの音を響かせる。身長が低いせいもあるのか、性格を表すような大股での歩き方は変わらない。それに合わせて両腕も大きく前後に振る。
 西沙(せいさ)が向かう先には、街の灯りを照らし出し、映し出す大きなガラス。天井から床までのそれは、さしずめ透明な壁。もしくは映画館のスクリーン。
 そんな窓際の丸テーブルに一人で座る女性。
 春用の薄手のコートを着たまま。
 座面の高い椅子に座る、萌江(もえ)の姿があった。
 いつもより少し長くなってきた後ろ髪をコートの襟で包んだまま、相変わらず店の雰囲気などお構いなしなのか化粧は薄い。薄暗い店内の間接照明でも分かるほど。ハイネックのグレーのブーツが細い足には不釣り合いなほどに大きく見えた。
 窓の外を見たままの萌江(もえ)に、ヒールの音を止めた西沙(せいさ)の声が向けられる。
「来たよ。準備出来た」
 すると、萌江(もえ)は目の前のロックグラスに手を伸ばして返した。
「…………はいよ」
 グラスを持ち上げると、氷が揺れる音が耳をくすぐる。同時に嗅覚に絡みつくブランデーの香り。
 萌江(もえ)はグラスの中身を一気に飲み干すと、立ち上がった。すでに背中を向けている西沙(せいさ)の背中に着いていく。まだ唇に触れた氷の冷たさを感じながら。
 二人が向かったのは店の奥の個室。
 ここは最近何度か仕事で使用している所だった。
 〝蛇の会〟を解散して、西沙(せいさ)が再び始めたのはやはり〝心霊相談所〟。それでも以前と違うのは株式会社として登記したことだろう。株主は西沙(せいさ)立坂(たてさか)満田(みつた)の三人。それ以外の社員は杏奈(あんな)だけ。咲恵(さきえ)には未だ自分の店があり、相変わらず萌江(もえ)はそのアルバイトという表向きだけの肩書きなのは変わらない。
 現在は一連の裏の手続きは立坂(たてさか)が一手に引き受けていた。
 西沙(せいさ)の相談所は以前と同じ場所に再び作られることになる。それは立坂(たてさか)がビルとの契約を続けていてくれたお陰だった。
 このレストランバーも立坂(たてさか)の税理士事務所の顧客。
 そして今夜ここを選んだのは地理的な理由。
 こんな店を、西沙(せいさ)たちは何ヵ所か押さえていた。
 曇りガラスになった個室のドアを開けると、そこには木目のテーブルが二つと、その向こうにテーブルを半分だけ囲むように設置されたソファーが並ぶ。ディナールームというよりはパーティールーム。
 すぐに萌江(もえ)の目に入ってきたのは、そのソファーに座り、大きく項垂(うなだ)れた女性の姿。膝の上で組んだ筋張った両手が僅かに震えていた。上品ではあったが決して派手な服ではない。その素材や色からも年齢が年配の女性であることが伺えるが、如実なのは白髪混じりの髪の毛だろう。明らかに分かる中途半端な白髪染め。僅かに手入れをしていた後も見えるが、ここ最近はあまり手間を掛けている感じではない。
 その横に座る杏奈(あんな)が顔を上げて口を開いた。
「お疲れ様です。こちらの方が────」
 杏奈(あんな)もやはり店の雰囲気に合うような服装ではない。相変わらずの動きやすいボーイッシュスタイル。それでも最近はボディラインの分かりやすい服装になってきたように萌江(もえ)は感じていた。
 その杏奈(あんな)の声を、隣の震える声が遮る。
「────やめて…………やめて…………もういいから…………」
 明らかに涙の混じるその声の女性を、萌江(もえ)は黙って見下ろしていた。

 ──…………みつけた…………

 その萌江の背後で、西沙(せいさ)が静かにドアを閉める。
 女性の隣に座っていた杏奈(あんな)は、ソファーの上で腰をスライドさせて場所を開けた。女性はそのことにすら気付いていない様子のまま体を震わせ続ける。
「…………私が…………私が悪いの……」

 ──……やっと見付けたよ…………御世(みよ)………………

 誰から見ても、女性はまともな状態ではない。
 萌江(もえ)は女性の左側に腰を降ろしていた。同時に首のネックレスを外し、左手に絡める。そこにはチェーンに下がった萌江(もえ)の持つ水晶────〝火の玉〟。
杏奈(あんな)ちゃん、(しずく)さんは? もう(さかのぼ)ってる?」
 その萌江(もえ)の言葉に、まるで分かっていたように杏奈(あんな)は即答した。
「はい、先に」
「分かった…………」

 ──…………いけるか…………

「……私が…………」
 女性が呟いた時、萌江(もえ)は下を向いたままの女性の顔に(すく)い上げるように左手を当て、その頭を強引に押し上げた。そして右手で後頭部を支える。
「……顔くらい上げてよ……あなたのことを教えて」
 少し強めにも感じる口調の萌江(もえ)はそう言って目を閉じた。
 女性の体はもう震えていない。顔は萌江(もえ)の左手で覆われたまま。両手は力なくソファーの上に流れる。まるで意識を失ったかのように力を失っていた。
 萌江(もえ)の反対側に西沙(せいさ)が座る。女性の右手を左手で、右手は女性のお腹へ。
 口を開いたのは萌江(もえ)
「……うん、聞いてた通りだね。私と同じ…………」
「……完全に自己催眠だ」
 西沙(せいさ)の低い声が返る。
 逆に萌江(もえ)は声のトーンを僅かに上げた。
「そ、悪霊か呪いの(たぐい)だと思ってる……最悪だ……」
「でも……嫌だな…………何か……」
 西沙(せいさ)が言葉を(にご)すと、萌江(もえ)毅然(きぜん)と返す。
「そうだね。隠れてる部分がある…………西沙(せいさ)ならどこを突く?」
「娘」
「────だね。西沙(せいさ)、この人はウチで預かろう。(さき)さんに伝えて」
 萌江(もえ)は強い目を西沙(せいさ)に向けた。
 西沙(せいさ)も強く視線を返す。
「分かった」





 室町幕府の時代。
 文明(ぶんめい)一三年。
 西暦にして一四八一年。

 〝金櫻鈴京(かなざくられいきょう)〟────スズと、青洲(せいしゅう)が姿を消して二年。
 二人には三つ子がいた。

 一人は楠維(くすつな)
 一人は世妃(よひ)
 一人は羽妃(うひ)

 (よわい)は一二。
 楠維(くすつな)世妃(よひ)夫婦(めおと)として清国会(しんこくかい)の頂点────雄滝(おだき)神社の滝川(たきがわ)の性を引き継ぐ。
 羽妃(うひ)は唯一、御陵院(ごりょういん)家の養子となった。
 それは総て、スズ────〝金櫻鈴京(かなざくられいきょう)〟の指示。
 清国会(しんこくかい)の中で〝神〟と言われた鈴京(れいきょう)の指示に、当然誰も疑問など持たなかった。持つことも許されなかった。
 清国会(しんこくかい)の二番手である御陵院(ごりょういん)神社は〝神〟である〝金櫻(かなざくら)家の血〟を手に入れた。
 御陵院(ごりょういん)神社の当主である麻紀世(まきよ)は、実質的に清国会(しんこくかい)を手に入れたと言ってもいいだろう。
 それでも雄滝(おだき)神社を継いだ楠維(くすつな)世妃(よひ)はまだ幼い。成人するまではと御陵院(ごりょういん)家が雄滝(おだき)神社を管理していた。
 〝金櫻(かなざくら)家の血〟を巡って謀反(むほん)を働いた恵比寿(えびす)神社の清国会(しんこくかい)に対する反発は依然激しく、世の中の騒乱が落ち着いていた時代にあっても清国会(しんこくかい)内部では各地で小競り合いが続いていた。まして金櫻鈴京(かなざくられいきょう)が姿を消したという噂が広まると、その内乱に拍車が掛かる。どの神社も権力を欲していた。
 雄滝(おだき)神社は元々従者(じゅうしゃ)と言っても身の回りの世話をする程度の者達しかいなかった。その為、雄滝(おだき)神社の警護は御陵院(ごりょういん)神社から帯刀(たいとう)した従者(じゅうしゃ)が常に十名程張り付くことになる。
 そんな中にあっても、麻紀世(まきよ)は翌年には養子の羽妃(うひ)婿(むこ)を取ろうと考えていた。もはや御陵院(ごりょういん)家の血などどうでもよかった。早くに次の〝金櫻(かなざくら)家の血〟が欲しかった。御陵院(ごりょういん)家が金櫻(かなざくら)家の血で満たされれば、いずれ御陵院(ごりょういん)家は〝神〟になれると考えた。
 そして今は、まだ保険のようなもの。
 しかし、そんな御陵院(ごりょういん)家の衰退(すいたい)を狙って恵比寿(えびす)神社も動いていた。

 その日、御陵院(ごりょういん)神社に出入りの薬問屋────粕谷隆法(かすやりゅうほう)が訪れる。すでに地元では一番の薬問屋。その勢力は藩からも信頼を得ている程。これまでも御陵院(ごりょういん)神社へは定期的に訪れていた。
此度(こたび)は珍しき薬を明朝(みんちょう)より仕入れました(ゆえ)、是非見て頂きたく…………」
 粕谷(かすや)麻紀世(まきよ)の前に小さな(つぼ)を差し出す。それは明らかに大陸の装飾が施された物。
明朝(みんちょう)からと……何に効く薬だ⁉︎」
 少し前のめりになる麻紀世(まきよ)に対し、粕谷(かすや)は冷静を装って声色を落として応えた。
「滋養強壮に良く…………子種(こだね)を多く残せるという逸品とか…………」
 麻紀世(まきよ)は迷わなかった。
 言われた通りに食後にその薬を羽妃(うひ)に飲ませ、薬の半分は雄滝(おだき)神社に送った。
 しかしそれから二月もした頃から羽妃(うひ)は体力を失い始め、しだいに床から起き上がるのも難しくなっていく。
 麻紀世(まきよ)は毎日祭壇に向かった。
 祈り続けた。
 〝金櫻(かなざくら)家の血〟を失う事は、自らの〝力〟と〝未来〟を失う事。
 しかもまだ婿(むこ)ですら迎え入れてはいない。
 やがて楠維(くすつな)世妃(よひ)も体調を崩していく。
 そんな頃、粕谷(かすや)の悪い噂が聞こえ始めてきた。
 そしてその粕谷(かすや)が、夜、御陵院(ごりょういん)神社に呼び出される。
「……最近……恵比寿(えびす)に出入りしているようだな…………」
 麻紀世(まきよ)のその低い声に、微かに粕谷(かすや)は体を後ろに下げていた。
 不安気に座布団の端に目をやりながら、いつの間にか言葉が泳ぐ。
「……よもやそのような……御陵院(ごりょういん)様と……恵比寿(えびす)遠藤(えんどう)様との御噂は聞いておりました(ゆえ)…………」
 麻紀世(まきよ)の耳に届いていた悪い噂。
 それはかつて清国会(しんこくかい)に対して謀反(むほん)を起こした恵比寿(えびす)神社の遠藤(えんどう)家に、粕谷(かすや)が出入りしているというものだった。
「噂? 諸大名同士の(いくさ)でもあるまいに……粕谷(かすや)……なぜ御主(おぬし)が知っている…………」
 清国会(しんこくかい)の内部事情は決して表に出ているものではない。
 恵比寿(えびす)神社の当主である遠藤重富(えんどうしげとみ)とて、外部に内輪の揉め事を漏らすような事はしないはず。
 麻紀世(まきよ)の声が空気を震わせた。
「…………買われたか…………隆法(りゅうほう)…………」
 何も返さない粕谷(かすや)に、麻紀世(まきよ)は背中を向けたまま。
「……いつから(ふところ)に刃物を忍ばせるようになった……?」
 その声に、粕谷(かすや)は僅かに右手を動かす。
 麻紀世(まきよ)は祭壇に目を向けたまま。
 そこには横にして置かれた刀。
 その(さや)を左手で握ると同時に、右手で()を握っていた。
 燭台(しょくだい)松明(たいまつ)の灯りが刀の(つば)に反射する。
 体を(ひるがえ)した直後────麻紀世(まきよ)粕谷(かすや)に切りつけていた。
 反射的に上げた腕を切られた粕谷(かすや)は後ろに倒れながら血を飛び散らせる。
 その粕谷(かすや)の首筋に、麻紀世(まきよ)は迷う事なく刀の切先(きっさき)を突き刺していた。
「…………重富(しげとみ)…………」
 麻紀世(まきよ)は言葉を絞り出すと、何度も粕谷(かすや)の体に刀を突き刺す。
 やがて鮮血に染まった麻紀世(まきよ)の元に、一人の従者(じゅうしゃ)が駆け寄った。
 それは雄滝(おだき)神社に行かせていた従者(じゅうしゃ)の一人。その従者(じゅうしゃ)は息を切らせながらも当然目の前の光景に驚く。
「……麻紀世(まきよ)様…………」
「────何用だっ‼︎」
 麻紀世(まきよ)の声が空気を止める。
 従者(じゅうしゃ)は震える声を隠せないまま。
「…………楠維(くすつな)様と…………世妃(よひ)様が…………」
 それは、雄滝(おだき)神社の楠維(くすつな)世妃(よひ)の死亡を告げるもの。
 翌日、羽妃(うひ)も亡くなる。
 麻紀世(まきよ)は〝神の血〟を失った。
 恵比寿(えびす)神社の遠藤(えんどう)家への恨みを募らせながらも、清国会(しんこくかい)が〝金櫻(かなざくら)家の血〟を失った事実が知れる事を恐れた。
 雄滝(おだき)神社と御陵院(ごりょういん)神社に同じ位の年齢の子供を養子とし、三人の死亡を隠蔽。三人共、情報の漏洩(ろうえい)を恐れた麻紀世(まきよ)が貧しい家に大金を払っての強引な養子だった。
 一度は死んだとの噂が流れた直後だけあって、その新たな噂はますます金櫻(かなざくら)家の血筋の神格化を高めた。
 そして麻紀世(まきよ)清国会(しんこくかい)を存続させる為、自らの権力を真実にするため、密かに〝金櫻(かなざくら)家の血〟を探し続けた。





 まだ年が明けてすぐ。
 それでも二月の終わり。
 すでに周囲に雪は無い。
 日中ともなると春の香りを感じるような頃。
 この日、西沙(せいさ)が来たのもそんな陽の高い時間だった。
 御陵院(ごりょういん)神社には、定期的に西沙(せいさ)が訪れていた。清国会(しんこくかい)の状況の進捗確認と、萌江(もえ)たちとの情報共有のため。
 本殿、準祭壇前。
 そこは本殿内の正面にある本祭壇の裏。二番手の祭壇と言っても決して小さい物ではない。
 元々が()(もの)専門という神社の特色のためか、その相談内容は多岐に渡る。祭壇によっても向き不向きというものがあるため、現在のような特殊な構造になっていた。
「内閣府の整理は終わりました。三月の年度末には〝裏七福神〟は正式に解体されます」
 そう言って西沙(せいさ)に向けられた(さき)の表情は、晴れ晴れとしつつも疲労が見え隠れする。
「非公式な部署なのにこういう時は正式な手続きを踏むんだね。仕方ないか」
 そう応えた西沙(せいさ)も疲れた表情をしていた。
 年末から年明けにかけての〝蛇の会〟の解体と株式会社の設立。新しい相談所の開設。しかも相談所の仕事は想像以上に多忙を極めていた。
「内閣府的には正式な部署でしかありませんよ。世間に公表するかしないかは私たちしだいでしたから…………」
 応えた(さき)の顔には寂しさも見える。
 清国会(しんこくかい)のため、金櫻(かなざくら)家のために国を動かし、内閣府を作り、その中に組織された専門の部署────総合統括事務次官。〝裏七福神〟と呼ばれた職員を含め、(さき)は自分で作ったその部署を自らの手で解体した。
「……反発は無かったの?」
 その西沙(せいさ)の問いに、(さき)は小さく息を吐いてから応える。
「淡々としたものでした……行政らしいと言えばそれまでですが、職員各自の移動先もそれなりの所です。不満は無いものと考えています」
 すると、その言葉に繋げたのは(さき)の隣の涼沙(りょうさ)だった。
(しずく)さんがどうするか心配してたんだけどね……」
 それに西沙(せいさ)が応える。
「まあ、現実問題として生活のこともあるしさ。だから(しずく)さんはウチで責任を持つよ。せっかく株式会社に登記までしたんだしさ。まだ社員になるかどうかは迷ってるみたいだけど……」
立坂(たてさか)さんならお金の流れはどうとでも出来るか」
 すぐにそう返した涼沙(りょうさ)の言葉を(すく)うのは(さき)
「それに関しては私に口を挟む権利はありません。立坂(たてさか)さんにはここのお金に関しても上手く整理して頂きました…………これで西沙(せいさ)も晴れて元の家業に復帰ですね」
 それに西沙(せいさ)は笑みを浮かべて返した。
「まあね。それもこれも立坂(たてさか)さんと満田(みつた)さんのお陰だよ。前の相談所の場所を押さえててくれたのは驚いたけど」
「依頼はもう来ているんですか?」
「うん、もう何件か……どんな小さな依頼でも断るなって萌江(もえ)が言うからさ」
萌江(もえ)様が……?」
「結局はいつも幽霊の仕業なんかじゃないし呪いも(たた)りも存在しないような依頼ばっかりなんだけどさ。大口の客でもないのに…………」
 いかにも経営者のような口振り。
 その西沙(せいさ)の疑問に挟まったのは涼沙(りょうさ)だった。
「そんなに稼いで……まさか唯独(ただひと)神社に鳥居でも作る気かな」
「それは確かに〝まさか〟だね」
萌江(もえ)様が〝形のある物〟に固執するとも思えないけどね」
「それもそうだ」
 すると、足音が聞こえた。
 三人が同じタイミングで顔を向ける。
 (さき)の夫であり、涼沙(りょうさ)西沙(せいさ)の父でもある祐也(ゆうや)が珍しく祭壇前に顔を出した。
「予約のお客様が来たよ。例の緊急の…………」
 その祐也(ゆうや)の言葉に、すぐに(さき)が返す。
「分かりました。本祭壇にお願いします」
 立ち上がった(さき)西沙(せいさ)を見下ろして続けた。
西沙(せいさ)、せっかくです。付き合っていきなさい」
「? んー……そうだね」
 西沙(せいさ)のその返答に、(さき)は微かに口角を上げる。
 西沙(せいさ)も口元に笑みを浮かべた。
 理由が分からないままに、(さき)西沙(せいさ)を引き止める。
 西沙(せいさ)も分からないままにそれに応えた。

 ──……まあ、何かあるんだろうね…………

 この時、西沙(せいさ)が感じたのはその程度だった。
 本殿内で一番大きな祭壇、本祭壇に三人が移動する。
 そこには座布団に正座する年配の女性。座布団に正座したまま背中を丸めて視線を落とし、体を小刻みに震わせていた。

 ──……あれ? …………この人…………

 そう思った西沙(せいさ)の頭に、なぜか萌江(もえ)の顔が浮かぶ。

 ──…………どこかで、会った?

 (さき)が祭壇を背に腰を下ろす。その隣に涼沙(りょうさ)が続く。
 西沙(せいさ)は女性の斜め後ろ。だいぶ距離を空けて座った。
 日差しの高い時間。
 風は無かった。
 本殿の板戸を開け放しているにも関わらず外の音は聞こえない。
 静かだった。
 小さく衣擦(きぬず)れの音だけ。
 その空気を最初に揺らしたのは(さき)だった。
 (さき)は両手を床に着き、深々と頭を下げ、言った。
御陵院(ごりょういん)神社を治めております……(さき)と申します。隣は娘の涼沙(りょうさ)……後ろにおりますのは末娘の西沙(せいさ)です」
 涼沙(りょうさ)も頭を下げる。
 (さき)が頭を戻すと、続けて頭を上げた涼沙(りょうさ)(さき)の言葉を繋ぐ。
「……高柳操(たかやなぎみさお)様ですね。御電話で簡単に御話は伺いましたが、今一度御相談の内容を御伺いしてもよろしいでしょうか」
 (さき)涼沙(りょうさ)も落ち着いて見えた。
 しかしなぜか西沙(せいさ)は落ち着かない。妙な胸騒ぎがしだいに大きくなってくるのを感じていた。

 ──……この光景…………見た…………

 その女性────高柳操(たかやなぎみさお)は、小さく、ゆっくりとした口調で応え始める。
「…………その……娘の……娘の優花(ゆか)のことなんですが……結婚して五年になります。もう三〇になりますが…………未だに子供が出来ません…………」
 (さき)涼沙(りょうさ)も余計に口を挟んだりはしない。ただ子供が出来にくいというだけならここには来ないことが分かっているからだ。しかもここは()(もの)専門の神社。
 何かがあると判断するのも自然なこと。
 (みさお)が続けた。
「病院でも免疫異常の可能性が高いとは言われましたが正確な原因は分からないと…………実は……そのことで…………古くからの呪いのようなものではないかと思いまして…………」
「そう思われるには何か…………」
 すかさず返したのは涼沙(りょうさ)
 (みさお)もすぐに応えた。
「私も同じなんです…………優花(ゆか)は養子です。私も子供を産めませんでした……遺伝の可能性も一つの病院では言われましたが……しかし……私の母も子供を産めない体なんです…………」
 少しだけ、涼沙(りょうさ)が間を開ける。
「……つまり…………」
「私も養子なんです」
 (みさお)のその言葉に、涼沙(りょうさ)は言葉を詰まらせた。
 その隣で(さき)が小さく息を吐くが、それに気が付かないままに(みさお)が続ける。
「私も知りませんでした……優花(ゆか)のことを母に相談したら話してくれました…………母は自分がどうなのかは聞いたことがないそうですが…………ただ…………」
 (みさお)が唾を飲み込む音が響く。
 そしてその声が続いた。
「……高柳(たかやなぎ)家に言い伝えられてることがあるそうで…………高柳(たかやなぎ)家は、呪われているそうなのです…………」
 それに涼沙(りょうさ)が小さく。
「呪いですか……それは…………」
 次の言葉に繋げられないままに、(みさお)
高柳(たかやなぎ)家は元々武家だったそうなんですが……それ以上は教えてもらえませんでした…………」
 すると、やっと(さき)が口を開いた。
「なるほど……そうでしたか…………」
 (さき)は軽く顔を上げるように西沙(せいさ)に目を向け、続ける。
西沙(せいさ)、あなたは何か」
「一つ確認なんだけど」
 西沙(せいさ)はまるで待っていたかのようにすぐに返した。
 そして、すでに何かを見ていた。
高柳(たかやなぎ)家はすでに血が絶たれてるってことなんでしょ? みんな養子なのに不思議とみんな妊娠出来ない……しかも〝呪い〟の話が昔から伝わっていた……でもすでに血が絶たれてるなら、どうして? 血が呪われていたとしたら、すでにその血は存在しないはず。誰が何を呪ってるっていうの?」
 (みさお)は顔を上げない。
 ずっと視線を下げたまま、誰の顔も見ようとはしない。
 それでも構わずに西沙(せいさ)が続けた。
「今、不妊に悩む人が増えてるのは知ってる。というより、病院で正式に不妊治療を受ける人が増えたって結果でもあるんだよね。実際の数がいきなり爆発的に増えたわけじゃない。数字として統計に上乗せされるかどうかだけだよ。男性が原因の不妊が増えたってのも同じ。昔は男性に原因があるなんて誰も考えなかった時代があっただけ。いざ調べてみたら結構な割合だった……とは言っても、すでに分かってるだけで三世代か……しかも、もしかしたら次も養子になるかもしれない…………」
 少し感情が際立ったことは西沙(せいさ)自身気が付いていた。
 萌江(もえ)のことがあったからだ。萌江(もえ)の体も子供を作ることが出来ない。しかもそれが原因で一度結婚生活に失敗した過去は、咲恵(さきえ)だけでなく西沙(せいさ)杏奈(あんな)も聞いていた。
 なぜか(みさお)の話を聞く前に萌江(もえ)の顔が頭に浮かんでいた。しかし萌江(もえ)を関わらせることには確かに抵抗があった。

 ──……でも…………これは萌江(もえ)じゃなきゃダメだ…………

 (はた)から見ると追い詰めるような相変わらずの西沙(せいさ)の口調。しかし(さき)涼沙(りょうさ)も顔色一つ変えなかった。西沙(せいさ)の行動や言動には必ず意味があると信じていたからだ。
 (みさお)が両手で顔を覆う。
 その両手から声が漏れた。
「…………やめて……お願い……あの子は何も悪くない…………優花(ゆか)は何も悪くない…………」
 嗚咽(おえつ)を含んだ泣き声が響く。
 西沙(せいさ)が立ち上がった。
 ゆっくりと歩き、(みさお)の隣で膝を着くと、その背中に手をかける。
「呪いでも……そうじゃなくても、そんなこと…………どうだっていい」
 西沙(せいさ)のその言葉に、(みさお)が僅かに頭を上げた。
 その(みさお)に、西沙(せいさ)の声が降り注ぐ。
「娘さんを救いたいのね。分かった」
 西沙(せいさ)は目の前の(さき)に顔を向けた。
「この光景、昨日の夢で見た。言葉も全部覚えてる」
 (さき)が口元に笑みを浮かべ、西沙(せいさ)の強い目が言葉を繋ぐ。
「〝これは……萌江(もえ)咲恵(さきえ)の案件だ〟」
 西沙(せいさ)のその言葉に、(さき)が声を張った。
西沙(せいさ)、これは御陵院(ごりょういん)神社から〝御陵院(ごりょういん)心霊相談所〟への正式な依頼です。お金なら幾らでも払います。高柳(たかやなぎ)様を……お願いします」





   助けて下さい……萌江(もえ)様…………
     救わなくてはなりません
       救わなくてはならない人々が
               まだ………………




 およそ三ヶ月前。
 年が明けたばかりの頃。
 その夢の声は、御世(みよ)
 しかし目覚めの嫌な印象ではなかった。
 少なくとも、萌江(もえ)はそう感じていた。




          「かなざくらの古屋敷」
      〜 第二四部「繭の影」第2話へつづく 〜
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