第二二部「冷たい命」第4話
文字数 8,379文字
雨は少しずつ強くなっていた。
まるで真夏の大雨。
それでもその音の大きさに反して、冷たい雨。
夕闇の冷え込みも相まってか、祭壇の炎の作り出す熱が奪われていくように感じられた。
その空気は本殿内の緊張感を否応もなく高めていく。
萌江 と咲恵 の目の前に〝真実〟があった。
蛭子 神社の初代当主、加藤砂宮 が記した文献。現当主の加藤苑清 によれば清国会 と金櫻 家の真実が記されているという。清国会 の都合に合わせた歴史ではない。本当の歴史がそこにある。
しかし、なぜか萌江 も咲恵 もそれをすぐに手に取ることが出来ずにいた。
二人が、ずっと知りたかったもの。
それは間違いがない。それなのになぜか手を伸ばせない。
知ってしまうことへの恐怖からか、二人は文献に視線を落としたまま動けない。
苑清 が説明を続けた。
「この存在は清国会 では私以外誰も知らぬこと……記したのは我が先祖、加藤砂宮 ……中に書いてありますが、六〇〇年ほど前のことです…………」
──……六〇〇年…………どうして誰も見付けられなかった…………
萌江 はそこに着目していた。
──……その長い年月にも意味があるのか…………
──……誰かの邪魔か……誰かの迷いか…………
「清国会 の発足には、金櫻 家が大きく関わっています…………金櫻 家が無ければ現在の清国会 は存在しなかったでしょう。しかし同時に、金櫻 家は清国会 によって作られたものでもあります」
すると、重い口を開いたのは咲恵 だった。
「金櫻 家とは何なんですか⁉︎ 天照大神 の末裔 と伝えられてきた金櫻 家の血筋って……」
苑清 が言葉を繋げていく。
「私も信じて参りました…………そこには何の疑いも無かった…………ただ自らの立場に酔いしれて、真実を見ることを怠ってきました…………何十年もの長い間……」
「その真実が……偶然に見付かったと…………」
「いえ、偶然ではありません……必然です」
その苑清 の言葉は嘘とは思えないものだった。
覚悟を感じる声だった。
──……この人は……総てを捨てる覚悟でここにいる…………
咲恵 はそう感じていた。
苑清 の小さく震えた声が続く。
「……清国会 に利用された先祖の御霊 に代わって、私は清国会 に一矢報いたいのです……」
苑清 はまっすぐ咲恵 の目を見つめた。
──…………本気なのね…………
咲恵 がそう思った時、そこに声を上げたのは、しばらく黙ったままだった萌江 。
「あなたの復讐なんか興味ないよ……あなたのために私たちが動く義理はない」
その萌江 の意外な言葉に、苑清 は視線を僅かに落として目を細めた。
そして繋がる萌江 の声。
「でもね…………清国会 を許せないのは私たちも同じ…………今の清国会 が作れる世界は明るい未来なんかじゃない…………誰かの悔しさや憎しみを集めるだけで、人を虐 げようとしてるようにしか感じない…………」
いつの間にか、少しだけ萌江 の声は柔らかくなっていた。
その言葉が続く。
「いつからそうなったのかな…………権力って……どうして人を変えてしまうんだろう…………清国会 は何を守ろうとしたのかな…………それはホントに守る価値のあるものだったのかな…………国を憂 いた最初の頃の気持ちなんて……どうせみんな忘れちゃったんだよね…………でも歴史は変えられないよ。総ての時間は〝今〟。総ての過去が総ての〝今〟を作っていく…………そして総ての〝今〟が〝未来〟を構築する…………」
苑清 が小さく顔を上げかけた。
さらに続く萌江 の声。
「────絶対に終わらせるよ…………このままじゃ……自分を許せない…………スズのためにもね…………」
──…………スズ……?
「……スズって…………誰?」
咲恵 が反射的に呟いていた。
萌江 に顔を向けると、当の本人は自覚の無い言葉だったのか、呆然としたまま。
──……スズ…………
そう思った萌江 の耳に入るのは苑清 の声。
「……その名前…………」
その声に咲恵 が顔を振ると、苑清 は萌江 に驚愕の表情を向けて続けた。
「……御存知だったのですか…………やはり真実だった…………」
そして咲恵 が声を張り上げる。
「────教えて!金櫻 家って何なの⁉︎」
時の流れは残酷だ。小さな一瞬で総てが変わる。
過去を遡 れる咲恵 でさえ見れなかった真実。ずっと咲恵 は不思議でならなかった。どうして金櫻 家の最後の末裔 である萌江 の隣にいてもその真実を見ることが出来なかったのか。
今、その真実に近付いた。
──……重要な誰かが…………まだ知らない誰か…………
しかし、咲恵 の問いかけはすでに遅い。
苑清 も逃したくはなかった。
それでも苑清 の返す言葉は、突然の出来事に遮られる。
「──金櫻 家は────」
その時、萌江 の隣で咲恵 の体が動く。
床に倒れる音────。
その音が空気を揺らした。
「────咲恵 ‼︎」
萌江 が叫んで腰を浮かした直後、その向こうに見えるのは白い足袋 の両足。
巫女 服の朱色 の裾 。
萌江 はゆっくりと視線を上げた。
やがてそこに見えたのは、白い巫女 服を大きく血に染めた────咲 の姿。
そして落ち着き払った目。
しかし、そこに生気 は感じられない。
咲 は僅かに怪しげな笑みを浮かべたまま。
萌江 は初めて、咲 に恐怖を感じた。
その咲 が口を開く。
「……苑清 …………大義 であった…………」
──……〝敵〟は、何だ…………
萌江 の頭にそんな言葉が浮かぶ。
多くの考えが過 った。
──……今……信じるべきは…………
もはや苑清 を信じられるのかどうかも分からない。
萌江 は僅かに視線を落とし、咲 の奥に苑清 の姿を見た。
苑清 は唇を噛み締めながら床に視線を落としている。
それを背中で感じたのか、咲 の表情から笑みが消えた。
「……苑清 …………よもや貴様…………」
苑清 の落とした視線の先には一冊の文献。
咲 が足を一歩下げた直後、萌江 の目の前にもう一人の巫女 服の背中。
──……まさか…………
その姿は足を大きく広げ、膝を曲げて姿勢を落としていた。
「…………御世 ……」
萌江 は反射的に口を開いていた。
後ろ姿で分かった。
顔を見なくても分かる。
そう感じた。
八頭鴉 の一件が萌江 の記憶に蘇り、記憶をつつく。
──…………どうして…………?
咲 がさらに一歩後ずさった。
御世 は、両腕を咲 に向けてまっすぐに伸ばし、鞘 の着いたままの短刀を横に握りしめる。
その御世 の低い声が、本殿に響いた。
「……私はこの世の者ではないぞ。御主如 きに勝てるものか……咲 …………」
その瞬間を見逃さなかった。
苑清 が動く。
文献を手で払うと、それは床を伝って萌江 の目の前へ。
萌江 は反射的にそれを手にする。
しかしその直後、苑清 は首を両手で掴むように苦しみ始めた。床に倒れ込み、声も出せずに体を震わせた。
そこに咲 の声。
「苑清 ……貴様には色々と聞かねばならんようだ…………」
その時、萌江 の頭に御世 の声が届いた。
『萌江 様、一気に参道へ────』
それに萌江 は頭の中だけで返していく。
『でも……咲恵 は…………?』
『すでに咲 の作った結界があります。私でも目の前の咲恵 様には触 れられません。さらには本殿を一〇〇名ほどの御陵院 家の従者 が取り囲んでおります。命を狙われているものと……清国会 にとってはもはや萌江 様の御命は必要の無いものとなりました。奴らが欲しているものは〝京子 様〟。確実に萌江 様の御命を〝取り〟に来ます────御早く!』
御世 の姿の先、倒れたままの咲恵 の姿。
『……だって…………咲恵 が…………』
──……残してなんかいけるわけがない…………
御世 が返した。
『私が諦めると御思いですか?』
その言葉に、萌江 は無意識に手にした文献をコートの左脇に忍ばせた。それを服の上から左手で支え、腰を浮かせる。
その姿に、咲 は眉間 に皺 を寄せた。
萌江 には自分の行動が正しいのか判断など出来ないまま。
──……これで、ホントにいいの?
未来が見えなかった。
それを邪魔しているのが誰なのかも分からない。
それでも、萌江 は床を蹴った。
走った先、階段を飛び降りると、振り返らずに参道の石畳をブーツが叩き付ける。
大粒の雨が容赦無く顔を打ち付けた。
その左右から狩衣姿 の群れが押し寄せる。
咲 の目を見たまま一歩だけ後ずさった御世 が、一気に背中を向けて萌江 を追いかけた。
あっという間に帯刀 した男たちの間をすり抜けて前に躍り出ると、片膝を着いて右手を参道の石畳へ。
男たちの前の空間が歪 む。
「────結界とはこういうものだ……咲 ────」
それ以上先に、誰の足も進めない。
「再び命を頂いた〝あの世の者〟を侮 るな」
そして、その歪 みが大きくなる中、御世 の姿が霧 のように消える。
萌江 は闇雲に参道を走り続け、やがて駐車場の咲恵 の車へ。
──……靴を脱ぐなってこういうことか…………
差し込まれたままのキーを回し、エンジンが掛かると同時にアクセルを踏み込む。
タイヤが容赦無く水溜りを弾き飛ばした。
そして、メーターも見ずに走り続ける。
本殿の中では、倒れて意識を失ったままの咲恵 を咲 が見下ろしていた。
「御迎えに上がりました…………金櫻京子 様……」
そして次の瞬間、その咲 の姿が煙のように消える。
それは咲 の作り出した幻。
同時に首の苦しさから解放された苑清 は、息を切らしながらやっと体を起こしていた。
──……加藤 家も……我 の代で終わり…………
もはやそこには恐怖しかない。
逃げられるはずがなかった。清国会 のナンバー2である御陵院 家に弓を引いた。それは清国会 そのものに反旗 を掲 げたようなもの。
──……逃がしておいた息子たちが見付からないことを祈る…………
苑清 が顔を上げると、参道を悠々と歩く二人の影。
血塗 れの姿の咲 と綾芽 。
二人を避けるように、周囲の男たちは距離を取っている。
その二人が本殿に上がると、苑清 は震える手を誤魔化すように正座を正し、深々と頭を下げた。
全身に汗が浮かぶ。
その体の寒さは、冷たい雨が空気を冷やしているだけではない。
──……石は投げました……砂宮 殿…………これで良いのですね…………
そんな苑清 の頭に降りかかる咲 の言葉は、あくまで冷淡だった。
血の匂いを含む、まるで纏 わり付くような声。
「……面白いものよのう苑清 、貴様が裏切るとは…………」
苑清 が何も応えないままに咲 の言葉が続く。
「あの文献に書かれているものは────」
「────金櫻 家の出自 です」
苑清 は咲 の言葉を遮った。
それは通常であれば立場的に有り得ないこと。しかし苑清 はすでに一歩踏み出していた。
──……引き返す気は無い…………御先祖の恨みを晴らす為なら…………
「出自 だと?」
「左様……それは同時に清国会 の出自 …………あれは我が御先祖、加藤砂宮 が書き記した物。例え御陵院 様であろうとも開かずに中身を見ることは出来ぬ物……開けることすら出来ませぬ」
「ほう……面白いことを言う。貴様に託 されたとでも言うのか」
咲 の変わらぬ声色 に、苑清 は意を決して頭を上げた。
顔を上げて咲 の目を見、震えながらも応える。
「金櫻 家の真実は…………清国会 の存在意義を問うもの! 多くの歴史と同じ、真 に辿 られたものではない! 作られた〝神話〟なのです!」
苑清 の言葉が空気を振るわせるが、咲 も綾芽 も顔色一つ変えなかった。
そのまま、咲 が再び口を開く。
「苑清 、貴様はこれまで多くの社 をうまくまとめ上げてきた……礼を言う。大義 であった。本日より蛭子 は〝金櫻京子 様〟が納められる。最後に見ておくがよい……これが真実だ…………」
咲 はそれだけ言うと、咲恵 の横に腰を降ろした。
その姿は自身に満ちていた。まるで何かが解き放たれたかのように力強くもあり、まるでそれは〝脅威〟を体現しているかのようだった。
「さて……綾芽 …………京子 様をお迎えしますよ」
「はい…………母上……」
そう応えた綾芽 は、咲恵 を挟むように咲 の向かいに座る。
二人が仰向けの咲恵 の首筋に目をやるが、そこにはあるはずの〝水の玉〟が無い。
「御世 か…………小娘が……」
咲 がそう呟くと、綾芽 は口角を上げて言葉を繋いだ。
「……京子 様も、ですね」
「どういうことですか綾芽 」
「なに……隠れているだけですよ…………こちらの様子を伺っているものと…………母上、御早く」
京子 が依代 としているはずの咲恵 の中に、京子 の存在が感じられなかった。それでも綾芽 は僅かに感じていた。確信があった。
その綾芽 が咲 の目を見ながら続ける。
「〝迷い〟は〝穢 れ〟を生みます……見透 かされますよ……母上」
そして綾芽 は妖艶 な笑みを浮かべた。
──……見透 かされる? ……何をだ…………
咲 は全身に鳥肌が立つ自分を感じ、同時に過去の感覚が蘇る。
──……私は……恐れているのか………………
それでも咲 は両手を合わせ、指を絡めると、呪禁 を小さく唱え始める。
途端に本殿に重い空気が流れた。
雨の音が、いつの間にか強くなっていた。
参道では苑清 の従者が御陵院 家の従者 の群れに取り囲まれている。
苑清 は床に視線を落としたまま、ただ、唇を噛み締めていた。
☆
綾芽 の力は強大だった。
まだ赤子 の内は本人もコントロールが出来ていないのか、咲 もその能力を計りかねた。しかしすでに言葉を理解していると感じる時も多く、実子 の涼沙 が産まれてからはさらにそれは顕著 になる。
「涼沙 に比べて、綾芽 はあまり泣くことがありませんね」
夕食の時、咲 は向かいに座る夫の祐也 に何気なく言葉を投げていた。
「そうですか? 私には涼沙 と同じに感じていましたが…………」
祐也 はそれほど気にもしていないような返し方。
咲 は違和感を感じながら返した。
「そうでしょうか……やはり綾芽 はどこか不思議な子に感じます」
「涼沙 と同じ私たちの子ではありませんか」
──…………私たちの子?
「しかも咲 さんが最初にお腹を痛めて産んでくれた長女じゃないですか」
──………………え? 何を…………
──……まさか……記憶を操作されてるわけでは…………
咲 の中に小さな恐怖が生まれた。
──…………まだ赤子 だというのに…………
その頃の綾芽 はいわゆる憑依 体質。まだ発声すらも出来ない幼い年齢にも関わらず、憑依 した相手の言葉を話した。しかもそれを自分でコントロールしているように咲 には見えていた。
成長すると、綾芽 は他の能力も開花させていく。
二才になったばかり。
綾芽 は二人の使用人を殺した。
その二人は綾芽 の目の前で首を吊って自殺した。
理由は咲 にも不明なまま。
──……何か、綾芽 の気に触ることでもあったのか…………
一人は綾芽 の体を洗っていた。
一人は綾芽 に粉ミルクを飲ませていた。
お湯が熱かったのか、ミルクの温度が高かったのか、総ては想像するしかない。
しかも二日続けて。
──……よもや……自殺させたのか…………
綾芽 は他人の意識を操作出来るのかもしれないという考えは、咲 の中でしだいに現実味を帯びてくる。咲 は本気で綾芽 の能力の強さを認めざるを得なくなっていた。
──………………いつ自分が操られることになるか…………
──……陽恵 様にだってあの時、世継ぎはいなかった……どうして私に綾芽 を…………
──…………まさか……陽恵 様も恐れていたというのか…………
──……それか………………操られていたのか…………
やがて、陽恵 の長女である恵麻 が産まれる。
そして同じ日、西沙 が産まれた。
綾芽 を入れた三姉妹の年齢は一年違い。
共に成長する過程で、綾芽 はなぜか自分の能力を抑え始めていた。あまり表に出そうとはしなくなっていた。幼くして自らの力に恐怖心を抱くことは可能性としては有り得る。しかし綾芽 からは恐怖心を感じなかった。常に子供とは思えない冷たい表情のまま、その感情を見透 かされまいとしているかのようだった。その強い能力を感じていた咲 にとって、それは実に分かりやすい明確なもの。しかしもちろん涼沙 と西沙 はまだ理解の出来る年齢ではない。どうしてなのか、それが分からないまま三姉妹は成長していく。
成長と共に始まった修行の中で、綾芽 はその能力をひっそりと高めていった。
未来や過去も見える。他人に対しての意識操作も、しだいに相手に気付かれないように出来るようになっていた。
しかし咲 は気が付いていた。
西沙 にだけは、綾芽 の意識操作が効かないことを。
綾芽 も気が付いていた。そしてそれが綾芽 にとっての最初の明確な〝恐怖〟の始まり。
綾芽 、小学六年。
涼沙 、小学五年。
西沙 、小学四年。
すでに綾芽 と涼沙 は修行が始まっていた。とはいえ、まだ小学生の内は荒行 というわけではなく、精神的な集中と知識の集積に重きが置かれている。
そんな時に小学校で事件が起きる。
西沙 は能力の強さから孤立し、虐 めを受けていた。子供にとっては西沙 の力は〝驚愕 〟するものではなく〝脅威 〟でしかない。〝恐れ〟が〝排除〟という概念を生み、それは〝気持ち悪い〟ものへと変化し、虐 めへと広がっていく。
そしてある日、西沙 の目の前で、虐 めていた生徒五人が校舎の二階の窓から飛び降りた。全員が一命を取り留めたが、それでも事 は警察沙汰にまで発展する。
西沙 は「目を見ただけ」と言うが、その五人の行動が西沙 の力によるものであったことは咲 にとっては明らか。西沙 は他人の目を見るだけで意識を操ることが出来ていた。しかし綾芽 のように抑制が出来ているわけではない。
西沙 自身も自分の力に怯え、恐怖した。
その夜、西沙 自ら、母の咲 を祭壇前に呼び出す。
「…………あの五人……私を虐 めてた……あの時も虐 められてた…………死んでしまえばいいと思った………………私は……目を見ただけなの…………そしたら自分で窓を開けて…………」
咲 は西沙 の能力を恐れていた。自分の娘でありながら、その存在の大きさに恐怖した。
──……コントロールが出来ないまま大人になったら…………
窓から飛び降りた五人を救っていたのは、実はその場に居合わせた綾芽 だった。朝から嫌なものを感じていた綾芽 が、それとなく西沙 の行動を監視していたことで出来たこと。
もちろん西沙 はそれを知らない。
すでに綾芽 は自らの能力を理解し、同時にコントロールすることが出来ていた。しかもその多くを抑えていた。まるで隠すかのようなその行動を、咲 だけが見抜いていた。
咲 と西沙 が話し込んでいた頃、綾芽 は涼沙 の部屋にいた。
「西沙 はまともじゃない……いつか必ず私たちにも牙 をむく…………」
その綾芽 の小学生とは思えない穏やかならざる言葉に、涼沙 は反射的に返していた。
「でも西沙 はあの五人にイジメられてたんだよ⁉︎」
「未来が見えた……西沙 は私たちを殺してこの神社を継ごうとする…………」
「そんな姉様…………西沙 は…………」
涼沙 の声は、しだいに小さくなっていく。
その揺れ動く感情に、さらに綾芽 が入り込む。
「涼沙 ……あなたも気付いているはずです…………西沙 は人を傷付けるだけ…………」
それから数日、咲 は西沙 のための祈祷 を続ける中で綾芽 と涼沙 の修行を続けていた。
「西沙 は危険です」
本殿裏の祭壇でその日の修行を終えたばかりの綾芽 が、突然そんなことを口にした。
咲 も口にこそしなかったが、その言葉の意味は理解していた。その咲 は優しく諭 すように返していく。
「綾芽 …………己 が妹にそのような…………」
「あの五人…………私と涼沙 が介入していなければあの場で死んでいました」
救ったのは綾芽 だけ。綾芽 は嘘をついて涼沙 が自分側ということを強調した。
「…………二人が…………救ったと…………」
──…………救ったのか…………綾芽 が操ったのか…………
──……私は…………とんでもない後継を育てたのか…………
そして涼沙 までもが恐怖を言葉にする。
「母上…………私は……西沙 が怖い…………」
涼沙 は、すでに綾芽 に感情をコントロールされていた。
それを僅かに感じた時、咲 は以前より明確に綾芽 を恐れた。
──……一番恐れるべきは…………西沙 ではない…………
──……よもや本当に伝説の産まれ代わりだとでもいうのか…………
そして、それから何年も後、咲 は西沙 を立坂 に預けることになる。
一番の恐怖の対象が綾芽 であることは分かっているはずなのに、なぜか西沙 を遠くに置こうとする自分がいる。
──……まさか…………私も感情を操作されてはいないか…………
やがて、姫神 伝説が御世 が作った創作物だと知った時、咲 は一つの結論に達した。
──……伝説は御世 が作った……だとすれば…………綾芽 を生み出したのは…………
「かなざくらの古屋敷」
〜 第二二部「冷たい命」第5話(第二二部最終話)へつづく 〜
まるで真夏の大雨。
それでもその音の大きさに反して、冷たい雨。
夕闇の冷え込みも相まってか、祭壇の炎の作り出す熱が奪われていくように感じられた。
その空気は本殿内の緊張感を否応もなく高めていく。
しかし、なぜか
二人が、ずっと知りたかったもの。
それは間違いがない。それなのになぜか手を伸ばせない。
知ってしまうことへの恐怖からか、二人は文献に視線を落としたまま動けない。
「この存在は
──……六〇〇年…………どうして誰も見付けられなかった…………
──……その長い年月にも意味があるのか…………
──……誰かの邪魔か……誰かの迷いか…………
「
すると、重い口を開いたのは
「
「私も信じて参りました…………そこには何の疑いも無かった…………ただ自らの立場に酔いしれて、真実を見ることを怠ってきました…………何十年もの長い間……」
「その真実が……偶然に見付かったと…………」
「いえ、偶然ではありません……必然です」
その
覚悟を感じる声だった。
──……この人は……総てを捨てる覚悟でここにいる…………
「……
──…………本気なのね…………
「あなたの復讐なんか興味ないよ……あなたのために私たちが動く義理はない」
その
そして繋がる
「でもね…………
いつの間にか、少しだけ
その言葉が続く。
「いつからそうなったのかな…………権力って……どうして人を変えてしまうんだろう…………
さらに続く
「────絶対に終わらせるよ…………このままじゃ……自分を許せない…………スズのためにもね…………」
──…………スズ……?
「……スズって…………誰?」
──……スズ…………
そう思った
「……その名前…………」
その声に
「……御存知だったのですか…………やはり真実だった…………」
そして
「────教えて!
時の流れは残酷だ。小さな一瞬で総てが変わる。
過去を
今、その真実に近付いた。
──……重要な誰かが…………まだ知らない誰か…………
しかし、
それでも
「──
その時、
床に倒れる音────。
その音が空気を揺らした。
「────
やがてそこに見えたのは、白い
そして落ち着き払った目。
しかし、そこに
その
「……
──……〝敵〟は、何だ…………
多くの考えが
──……今……信じるべきは…………
もはや
それを背中で感じたのか、
「……
──……まさか…………
その姿は足を大きく広げ、膝を曲げて姿勢を落としていた。
「…………
後ろ姿で分かった。
顔を見なくても分かる。
そう感じた。
──…………どうして…………?
その
「……私はこの世の者ではないぞ。
その瞬間を見逃さなかった。
文献を手で払うと、それは床を伝って
しかしその直後、
そこに
「
その時、
『
それに
『でも……
『すでに
『……だって…………
──……残してなんかいけるわけがない…………
『私が諦めると御思いですか?』
その言葉に、
その姿に、
──……これで、ホントにいいの?
未来が見えなかった。
それを邪魔しているのが誰なのかも分からない。
それでも、
走った先、階段を飛び降りると、振り返らずに参道の石畳をブーツが叩き付ける。
大粒の雨が容赦無く顔を打ち付けた。
その左右から
あっという間に
男たちの前の空間が
「────結界とはこういうものだ……
それ以上先に、誰の足も進めない。
「再び命を頂いた〝あの世の者〟を
そして、その
──……靴を脱ぐなってこういうことか…………
差し込まれたままのキーを回し、エンジンが掛かると同時にアクセルを踏み込む。
タイヤが容赦無く水溜りを弾き飛ばした。
そして、メーターも見ずに走り続ける。
本殿の中では、倒れて意識を失ったままの
「御迎えに上がりました…………
そして次の瞬間、その
それは
同時に首の苦しさから解放された
──……
もはやそこには恐怖しかない。
逃げられるはずがなかった。
──……逃がしておいた息子たちが見付からないことを祈る…………
二人を避けるように、周囲の男たちは距離を取っている。
その二人が本殿に上がると、
全身に汗が浮かぶ。
その体の寒さは、冷たい雨が空気を冷やしているだけではない。
──……石は投げました……
そんな
血の匂いを含む、まるで
「……面白いものよのう
「あの文献に書かれているものは────」
「────
それは通常であれば立場的に有り得ないこと。しかし
──……引き返す気は無い…………御先祖の恨みを晴らす為なら…………
「
「左様……それは同時に
「ほう……面白いことを言う。貴様に
顔を上げて
「
そのまま、
「
その姿は自身に満ちていた。まるで何かが解き放たれたかのように力強くもあり、まるでそれは〝脅威〟を体現しているかのようだった。
「さて……
「はい…………母上……」
そう応えた
二人が仰向けの
「
「……
「どういうことですか
「なに……隠れているだけですよ…………こちらの様子を伺っているものと…………母上、御早く」
その
「〝迷い〟は〝
そして
──……
──……私は……恐れているのか………………
それでも
途端に本殿に重い空気が流れた。
雨の音が、いつの間にか強くなっていた。
参道では
☆
まだ
「
夕食の時、
「そうですか? 私には
「そうでしょうか……やはり
「
──…………私たちの子?
「しかも
──………………え? 何を…………
──……まさか……記憶を操作されてるわけでは…………
──…………まだ
その頃の
成長すると、
二才になったばかり。
その二人は
理由は
──……何か、
一人は
一人は
お湯が熱かったのか、ミルクの温度が高かったのか、総ては想像するしかない。
しかも二日続けて。
──……よもや……自殺させたのか…………
──………………いつ自分が操られることになるか…………
──……
──…………まさか……
──……それか………………操られていたのか…………
やがて、
そして同じ日、
共に成長する過程で、
成長と共に始まった修行の中で、
未来や過去も見える。他人に対しての意識操作も、しだいに相手に気付かれないように出来るようになっていた。
しかし
すでに
そんな時に小学校で事件が起きる。
そしてある日、
その夜、
「…………あの五人……私を
──……コントロールが出来ないまま大人になったら…………
窓から飛び降りた五人を救っていたのは、実はその場に居合わせた
もちろん
すでに
「
その
「でも
「未来が見えた……
「そんな姉様…………
その揺れ動く感情に、さらに
「
それから数日、
「
本殿裏の祭壇でその日の修行を終えたばかりの
「
「あの五人…………私と
救ったのは
「…………二人が…………救ったと…………」
──…………救ったのか…………
──……私は…………とんでもない後継を育てたのか…………
そして
「母上…………私は……
それを僅かに感じた時、
──……一番恐れるべきは…………
──……よもや本当に伝説の産まれ代わりだとでもいうのか…………
そして、それから何年も後、
一番の恐怖の対象が
──……まさか…………私も感情を操作されてはいないか…………
やがて、
──……伝説は
「かなざくらの古屋敷」
〜 第二二部「冷たい命」第5話(第二二部最終話)へつづく 〜