第二二部「冷たい命」第4話

文字数 8,379文字

 雨は少しずつ強くなっていた。
 まるで真夏の大雨。
 それでもその音の大きさに反して、冷たい雨。
 夕闇の冷え込みも相まってか、祭壇の炎の作り出す熱が奪われていくように感じられた。
 その空気は本殿内の緊張感を否応もなく高めていく。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)の目の前に〝真実〟があった。
 蛭子(ひるこ)神社の初代当主、加藤砂宮(かとうさきゅう)が記した文献。現当主の加藤苑清(かとうえんせい)によれば清国会(しんこくかい)金櫻(かなざくら)家の真実が記されているという。清国会(しんこくかい)の都合に合わせた歴史ではない。本当の歴史がそこにある。
 しかし、なぜか萌江(もえ)咲恵(さきえ)もそれをすぐに手に取ることが出来ずにいた。
 二人が、ずっと知りたかったもの。
 それは間違いがない。それなのになぜか手を伸ばせない。
 知ってしまうことへの恐怖からか、二人は文献に視線を落としたまま動けない。
 苑清(えんせい)が説明を続けた。
「この存在は清国会(しんこくかい)では私以外誰も知らぬこと……記したのは我が先祖、加藤砂宮(かとうさきゅう)……中に書いてありますが、六〇〇年ほど前のことです…………」

 ──……六〇〇年…………どうして誰も見付けられなかった…………

 萌江(もえ)はそこに着目していた。

 ──……その長い年月にも意味があるのか…………

 ──……誰かの邪魔か……誰かの迷いか…………

清国会(しんこくかい)の発足には、金櫻(かなざくら)家が大きく関わっています…………金櫻(かなざくら)家が無ければ現在の清国会(しんこくかい)は存在しなかったでしょう。しかし同時に、金櫻(かなざくら)家は清国会(しんこくかい)によって作られたものでもあります」
 すると、重い口を開いたのは咲恵(さきえ)だった。
金櫻(かなざくら)家とは何なんですか⁉︎ 天照大神(あまてらすおおみかみ)末裔(まつえい)と伝えられてきた金櫻(かなざくら)家の血筋って……」
 苑清(えんせい)が言葉を繋げていく。
「私も信じて参りました…………そこには何の疑いも無かった…………ただ自らの立場に酔いしれて、真実を見ることを怠ってきました…………何十年もの長い間……」
「その真実が……偶然に見付かったと…………」
「いえ、偶然ではありません……必然です」
 その苑清(えんせい)の言葉は嘘とは思えないものだった。
 覚悟を感じる声だった。

 ──……この人は……総てを捨てる覚悟でここにいる…………

 咲恵(さきえ)はそう感じていた。
 苑清(えんせい)の小さく震えた声が続く。
「……清国会(しんこくかい)に利用された先祖の御霊(みたま)に代わって、私は清国会(しんこくかい)に一矢報いたいのです……」
 苑清(えんせい)はまっすぐ咲恵(さきえ)の目を見つめた。

 ──…………本気なのね…………

 咲恵(さきえ)がそう思った時、そこに声を上げたのは、しばらく黙ったままだった萌江(もえ)
「あなたの復讐なんか興味ないよ……あなたのために私たちが動く義理はない」
 その萌江(もえ)の意外な言葉に、苑清(えんせい)は視線を僅かに落として目を細めた。
 そして繋がる萌江(もえ)の声。
「でもね…………清国会(しんこくかい)を許せないのは私たちも同じ…………今の清国会(しんこくかい)が作れる世界は明るい未来なんかじゃない…………誰かの悔しさや憎しみを集めるだけで、人を(しいた)げようとしてるようにしか感じない…………」
 いつの間にか、少しだけ萌江(もえ)の声は柔らかくなっていた。
 その言葉が続く。
「いつからそうなったのかな…………権力って……どうして人を変えてしまうんだろう…………清国会(しんこくかい)は何を守ろうとしたのかな…………それはホントに守る価値のあるものだったのかな…………国を(うれ)いた最初の頃の気持ちなんて……どうせみんな忘れちゃったんだよね…………でも歴史は変えられないよ。総ての時間は〝今〟。総ての過去が総ての〝今〟を作っていく…………そして総ての〝今〟が〝未来〟を構築する…………」
 苑清(えんせい)が小さく顔を上げかけた。
 さらに続く萌江(もえ)の声。
「────絶対に終わらせるよ…………このままじゃ……自分を許せない…………スズのためにもね…………」

 ──…………スズ……?

「……スズって…………誰?」
 咲恵(さきえ)が反射的に呟いていた。
 萌江(もえ)に顔を向けると、当の本人は自覚の無い言葉だったのか、呆然としたまま。

 ──……スズ…………

 そう思った萌江(もえ)の耳に入るのは苑清(えんせい)の声。
「……その名前…………」
 その声に咲恵(さきえ)が顔を振ると、苑清(えんせい)萌江(もえ)に驚愕の表情を向けて続けた。
「……御存知だったのですか…………やはり真実だった…………」
 そして咲恵(さきえ)が声を張り上げる。
「────教えて! 金櫻(かなざくら)家って何なの⁉︎」
 時の流れは残酷だ。小さな一瞬で総てが変わる。
 過去を(さかのぼ)れる咲恵(さきえ)でさえ見れなかった真実。ずっと咲恵(さきえ)は不思議でならなかった。どうして金櫻(かなざくら)家の最後の末裔(まつえい)である萌江(もえ)の隣にいてもその真実を見ることが出来なかったのか。
 今、その真実に近付いた。

 ──……重要な誰かが…………まだ知らない誰か…………

 しかし、咲恵(さきえ)の問いかけはすでに遅い。
 苑清(えんせい)も逃したくはなかった。
 それでも苑清(えんせい)の返す言葉は、突然の出来事に遮られる。
「──金櫻(かなざくら)家は────」
 その時、萌江(もえ)の隣で咲恵(さきえ)の体が動く。
 床に倒れる音────。
 その音が空気を揺らした。
「────咲恵(さきえ)‼︎」
 萌江(もえ)が叫んで腰を浮かした直後、その向こうに見えるのは白い足袋(たび)の両足。
 巫女(みこ)服の朱色(しゅいろ)(すそ)
 萌江(もえ)はゆっくりと視線を上げた。
 やがてそこに見えたのは、白い巫女(みこ)服を大きく血に染めた────(さき)の姿。
 そして落ち着き払った目。
 しかし、そこに生気(せいき)は感じられない。
 (さき)は僅かに怪しげな笑みを浮かべたまま。
 萌江(もえ)は初めて、(さき)に恐怖を感じた。
 その(さき)が口を開く。
「……苑清(えんせい)…………大義(たいぎ)であった…………」

 ──……〝敵〟は、何だ…………

 萌江(もえ)の頭にそんな言葉が浮かぶ。
 多くの考えが(よぎ)った。

 ──……今……信じるべきは…………

 もはや苑清(えんせい)を信じられるのかどうかも分からない。
 萌江(もえ)は僅かに視線を落とし、(さき)の奥に苑清(えんせい)の姿を見た。
 苑清(えんせい)は唇を噛み締めながら床に視線を落としている。
 それを背中で感じたのか、(さき)の表情から笑みが消えた。
「……苑清(えんせい)…………よもや貴様…………」
 苑清(えんせい)の落とした視線の先には一冊の文献。
 (さき)が足を一歩下げた直後、萌江(もえ)の目の前にもう一人の巫女(みこ)服の背中。

 ──……まさか…………

 その姿は足を大きく広げ、膝を曲げて姿勢を落としていた。
「…………御世(みよ)……」
 萌江(もえ)は反射的に口を開いていた。
 後ろ姿で分かった。
 顔を見なくても分かる。
 そう感じた。
 八頭鴉(やずがらす)の一件が萌江(もえ)の記憶に蘇り、記憶をつつく。

 ──…………どうして…………?

 (さき)がさらに一歩後ずさった。
 御世(みよ)は、両腕を(さき)に向けてまっすぐに伸ばし、(さや)の着いたままの短刀を横に握りしめる。
 その御世(みよ)の低い声が、本殿に響いた。
「……私はこの世の者ではないぞ。御主如(おぬしごと)きに勝てるものか……(さき)…………」
 その瞬間を見逃さなかった。
 苑清(えんせい)が動く。
 文献を手で払うと、それは床を伝って萌江(もえ)の目の前へ。
 萌江(もえ)は反射的にそれを手にする。
 しかしその直後、苑清(えんせい)は首を両手で掴むように苦しみ始めた。床に倒れ込み、声も出せずに体を震わせた。
 そこに(さき)の声。
苑清(えんせい)……貴様には色々と聞かねばならんようだ…………」
 その時、萌江(もえ)の頭に御世(みよ)の声が届いた。
萌江(もえ)様、一気に参道へ────』
 それに萌江(もえ)は頭の中だけで返していく。
『でも……咲恵(さきえ)は…………?』
『すでに(さき)の作った結界があります。私でも目の前の咲恵(さきえ)様には()れられません。さらには本殿を一〇〇名ほどの御陵院(ごりょういん)家の従者(じゅうしゃ)が取り囲んでおります。命を狙われているものと……清国会(しんこくかい)にとってはもはや萌江(もえ)様の御命は必要の無いものとなりました。奴らが欲しているものは〝京子(きょうこ)様〟。確実に萌江(もえ)様の御命を〝取り〟に来ます────御早く!』
 御世(みよ)の姿の先、倒れたままの咲恵(さきえ)の姿。
『……だって…………咲恵(さきえ)が…………』

 ──……残してなんかいけるわけがない…………

 御世(みよ)が返した。
『私が諦めると御思いですか?』
 その言葉に、萌江(もえ)は無意識に手にした文献をコートの左脇に忍ばせた。それを服の上から左手で支え、腰を浮かせる。
 その姿に、(さき)眉間(みけん)(しわ)を寄せた。
 萌江(もえ)には自分の行動が正しいのか判断など出来ないまま。

 ──……これで、ホントにいいの?

 未来が見えなかった。
 それを邪魔しているのが誰なのかも分からない。
 それでも、萌江(もえ)は床を蹴った。
 走った先、階段を飛び降りると、振り返らずに参道の石畳をブーツが叩き付ける。
 大粒の雨が容赦無く顔を打ち付けた。
 その左右から狩衣姿(かりぎぬすがた)の群れが押し寄せる。
 (さき)の目を見たまま一歩だけ後ずさった御世(みよ)が、一気に背中を向けて萌江(もえ)を追いかけた。
 あっという間に帯刀(たいとう)した男たちの間をすり抜けて前に躍り出ると、片膝を着いて右手を参道の石畳へ。
 男たちの前の空間が(ゆが)む。
「────結界とはこういうものだ……(さき)────」
 それ以上先に、誰の足も進めない。
「再び命を頂いた〝あの世の者〟を(あなど)るな」
 そして、その(ゆが)みが大きくなる中、御世(みよ)の姿が(きり)のように消える。
 萌江(もえ)は闇雲に参道を走り続け、やがて駐車場の咲恵(さきえ)の車へ。

 ──……靴を脱ぐなってこういうことか…………

 差し込まれたままのキーを回し、エンジンが掛かると同時にアクセルを踏み込む。
 タイヤが容赦無く水溜りを弾き飛ばした。
 そして、メーターも見ずに走り続ける。

 本殿の中では、倒れて意識を失ったままの咲恵(さきえ)(さき)が見下ろしていた。
「御迎えに上がりました…………金櫻京子(かなざくらきょうこ)様……」
 そして次の瞬間、その(さき)の姿が煙のように消える。
 それは(さき)の作り出した幻。
 同時に首の苦しさから解放された苑清(えんせい)は、息を切らしながらやっと体を起こしていた。

 ──……加藤(かとう)家も……(われ)の代で終わり…………

 もはやそこには恐怖しかない。
 逃げられるはずがなかった。清国会(しんこくかい)のナンバー2である御陵院(ごりょういん)家に弓を引いた。それは清国会(しんこくかい)そのものに反旗(はんき)(かか)げたようなもの。

 ──……逃がしておいた息子たちが見付からないことを祈る…………

 苑清(えんせい)が顔を上げると、参道を悠々と歩く二人の影。
 血塗(ちまみ)れの姿の(さき)綾芽(あやめ)
 二人を避けるように、周囲の男たちは距離を取っている。
 その二人が本殿に上がると、苑清(えんせい)は震える手を誤魔化すように正座を正し、深々と頭を下げた。
 全身に汗が浮かぶ。
 その体の寒さは、冷たい雨が空気を冷やしているだけではない。

 ──……石は投げました……砂宮(さきゅう)殿…………これで良いのですね…………

 そんな苑清(えんせい)の頭に降りかかる(さき)の言葉は、あくまで冷淡だった。
 血の匂いを含む、まるで(まと)わり付くような声。
「……面白いものよのう苑清(えんせい)、貴様が裏切るとは…………」
 苑清(えんせい)が何も応えないままに(さき)の言葉が続く。
「あの文献に書かれているものは────」
「────金櫻(かなざくら)家の出自(しゅつじ)です」
 苑清(えんせい)(さき)の言葉を遮った。
 それは通常であれば立場的に有り得ないこと。しかし苑清(えんせい)はすでに一歩踏み出していた。

 ──……引き返す気は無い…………御先祖の恨みを晴らす為なら…………

出自(しゅつじ)だと?」
「左様……それは同時に清国会(しんこくかい)出自(しゅつじ)…………あれは我が御先祖、加藤砂宮(かとうさきゅう)が書き記した物。例え御陵院(ごりょういん)様であろうとも開かずに中身を見ることは出来ぬ物……開けることすら出来ませぬ」
「ほう……面白いことを言う。貴様に(たく)されたとでも言うのか」
 (さき)の変わらぬ声色(こわいろ)に、苑清(えんせい)は意を決して頭を上げた。
 顔を上げて(さき)の目を見、震えながらも応える。
金櫻(かなざくら)家の真実は…………清国会(しんこくかい)の存在意義を問うもの! 多くの歴史と同じ、(しん)辿(たど)られたものではない! 作られた〝神話〟なのです!」
 苑清(えんせい)の言葉が空気を振るわせるが、(さき)綾芽(あやめ)も顔色一つ変えなかった。
 そのまま、(さき)が再び口を開く。
苑清(えんせい)、貴様はこれまで多くの(やしろ)をうまくまとめ上げてきた……礼を言う。大義(たいぎ)であった。本日より蛭子(ひるこ)は〝金櫻京子(かなざくらきょうこ)様〟が納められる。最後に見ておくがよい……これが真実だ…………」
 (さき)はそれだけ言うと、咲恵(さきえ)の横に腰を降ろした。
 その姿は自身に満ちていた。まるで何かが解き放たれたかのように力強くもあり、まるでそれは〝脅威〟を体現しているかのようだった。
「さて……綾芽(あやめ)…………京子(きょうこ)様をお迎えしますよ」
「はい…………母上……」
 そう応えた綾芽(あやめ)は、咲恵(さきえ)を挟むように(さき)の向かいに座る。
 二人が仰向けの咲恵(さきえ)の首筋に目をやるが、そこにはあるはずの〝水の玉〟が無い。
御世(みよ)か…………小娘が……」
 (さき)がそう呟くと、綾芽(あやめ)は口角を上げて言葉を繋いだ。
「……京子(きょうこ)様も、ですね」
「どういうことですか綾芽(あやめ)
「なに……隠れているだけですよ…………こちらの様子を伺っているものと…………母上、御早く」
 京子(きょうこ)依代(よりしろ)としているはずの咲恵(さきえ)の中に、京子(きょうこ)の存在が感じられなかった。それでも綾芽(あやめ)は僅かに感じていた。確信があった。
 その綾芽(あやめ)(さき)の目を見ながら続ける。
「〝迷い〟は〝(けが)れ〟を生みます……見透(みす)かされますよ……母上」
 そして綾芽(あやめ)妖艶(ようえん)な笑みを浮かべた。

 ──……見透(みす)かされる? ……何をだ…………

 (さき)は全身に鳥肌が立つ自分を感じ、同時に過去の感覚が蘇る。

 ──……私は……恐れているのか………………

 それでも(さき)は両手を合わせ、指を絡めると、呪禁(じゅごん)を小さく唱え始める。
 途端に本殿に重い空気が流れた。
 雨の音が、いつの間にか強くなっていた。
 参道では苑清(えんせい)の従者が御陵院(ごりょういん)家の従者(じゅうしゃ)の群れに取り囲まれている。
 苑清(えんせい)は床に視線を落としたまま、ただ、唇を噛み締めていた。





 綾芽(あやめ)の力は強大だった。
 まだ赤子(あかご)の内は本人もコントロールが出来ていないのか、(さき)もその能力を計りかねた。しかしすでに言葉を理解していると感じる時も多く、実子(じっし)涼沙(りょうさ)が産まれてからはさらにそれは顕著(けんちょ)になる。
涼沙(りょうさ)に比べて、綾芽(あやめ)はあまり泣くことがありませんね」
 夕食の時、(さき)は向かいに座る夫の祐也(ゆうや)に何気なく言葉を投げていた。
「そうですか? 私には涼沙(りょうさ)と同じに感じていましたが…………」
 祐也(ゆうや)はそれほど気にもしていないような返し方。
 (さき)は違和感を感じながら返した。
「そうでしょうか……やはり綾芽(あやめ)はどこか不思議な子に感じます」
涼沙(りょうさ)と同じ私たちの子ではありませんか」

 ──…………私たちの子?

「しかも(さき)さんが最初にお腹を痛めて産んでくれた長女じゃないですか」

 ──………………え? 何を…………
 
 ──……まさか……記憶を操作されてるわけでは…………

 (さき)の中に小さな恐怖が生まれた。

 ──…………まだ赤子(あかご)だというのに…………

 その頃の綾芽(あやめ)はいわゆる憑依(ひょうい)体質。まだ発声すらも出来ない幼い年齢にも関わらず、憑依(ひょうい)した相手の言葉を話した。しかもそれを自分でコントロールしているように(さき)には見えていた。
 成長すると、綾芽(あやめ)は他の能力も開花させていく。
 二才になったばかり。
 綾芽(あやめ)は二人の使用人を殺した。
 その二人は綾芽(あやめ)の目の前で首を吊って自殺した。
 理由は(さき)にも不明なまま。

 ──……何か、綾芽(あやめ)の気に触ることでもあったのか…………

 一人は綾芽(あやめ)の体を洗っていた。
 一人は綾芽(あやめ)に粉ミルクを飲ませていた。
 お湯が熱かったのか、ミルクの温度が高かったのか、総ては想像するしかない。
 しかも二日続けて。

 ──……よもや……自殺させたのか…………

 綾芽(あやめ)は他人の意識を操作出来るのかもしれないという考えは、(さき)の中でしだいに現実味を帯びてくる。(さき)は本気で綾芽(あやめ)の能力の強さを認めざるを得なくなっていた。

 ──………………いつ自分が操られることになるか…………

 ──……陽恵(ひえ)様にだってあの時、世継ぎはいなかった……どうして私に綾芽(あやめ)を…………

 ──…………まさか……陽恵(ひえ)様も恐れていたというのか…………
 ──……それか………………操られていたのか…………

 やがて、陽恵(ひえ)の長女である恵麻(えま)が産まれる。
 そして同じ日、西沙(せいさ)が産まれた。
 綾芽(あやめ)を入れた三姉妹の年齢は一年違い。
 共に成長する過程で、綾芽(あやめ)はなぜか自分の能力を抑え始めていた。あまり表に出そうとはしなくなっていた。幼くして自らの力に恐怖心を抱くことは可能性としては有り得る。しかし綾芽(あやめ)からは恐怖心を感じなかった。常に子供とは思えない冷たい表情のまま、その感情を見透(みす)かされまいとしているかのようだった。その強い能力を感じていた(さき)にとって、それは実に分かりやすい明確なもの。しかしもちろん涼沙(りょうさ)西沙(せいさ)はまだ理解の出来る年齢ではない。どうしてなのか、それが分からないまま三姉妹は成長していく。
 成長と共に始まった修行の中で、綾芽(あやめ)はその能力をひっそりと高めていった。
 未来や過去も見える。他人に対しての意識操作も、しだいに相手に気付かれないように出来るようになっていた。
 しかし(さき)は気が付いていた。
 西沙(せいさ)にだけは、綾芽(あやめ)の意識操作が効かないことを。
 綾芽(あやめ)も気が付いていた。そしてそれが綾芽(あやめ)にとっての最初の明確な〝恐怖〟の始まり。

 綾芽(あやめ)、小学六年。
 涼沙(りょうさ)、小学五年。
 西沙(せいさ)、小学四年。
 すでに綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)は修行が始まっていた。とはいえ、まだ小学生の内は荒行(あらぎょう)というわけではなく、精神的な集中と知識の集積に重きが置かれている。
 そんな時に小学校で事件が起きる。
 西沙(せいさ)は能力の強さから孤立し、(いじ)めを受けていた。子供にとっては西沙(せいさ)の力は〝驚愕(きょうがく)〟するものではなく〝脅威(きょうい)〟でしかない。〝恐れ〟が〝排除〟という概念を生み、それは〝気持ち悪い〟ものへと変化し、(いじ)めへと広がっていく。
 そしてある日、西沙(せいさ)の目の前で、(いじ)めていた生徒五人が校舎の二階の窓から飛び降りた。全員が一命を取り留めたが、それでも(こと)は警察沙汰にまで発展する。
 西沙(せいさ)は「目を見ただけ」と言うが、その五人の行動が西沙(せいさ)の力によるものであったことは(さき)にとっては明らか。西沙(せいさ)は他人の目を見るだけで意識を操ることが出来ていた。しかし綾芽(あやめ)のように抑制が出来ているわけではない。
 西沙(せいさ)自身も自分の力に怯え、恐怖した。
 その夜、西沙(せいさ)自ら、母の(さき)を祭壇前に呼び出す。
「…………あの五人……私を(いじ)めてた……あの時も(いじ)められてた…………死んでしまえばいいと思った………………私は……目を見ただけなの…………そしたら自分で窓を開けて…………」
 (さき)西沙(せいさ)の能力を恐れていた。自分の娘でありながら、その存在の大きさに恐怖した。

 ──……コントロールが出来ないまま大人になったら…………

 窓から飛び降りた五人を救っていたのは、実はその場に居合わせた綾芽(あやめ)だった。朝から嫌なものを感じていた綾芽(あやめ)が、それとなく西沙(せいさ)の行動を監視していたことで出来たこと。
 もちろん西沙(せいさ)はそれを知らない。
 すでに綾芽(あやめ)は自らの能力を理解し、同時にコントロールすることが出来ていた。しかもその多くを抑えていた。まるで隠すかのようなその行動を、(さき)だけが見抜いていた。

 (さき)西沙(せいさ)が話し込んでいた頃、綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)の部屋にいた。
西沙(せいさ)はまともじゃない……いつか必ず私たちにも(きば)をむく…………」
 その綾芽(あやめ)の小学生とは思えない穏やかならざる言葉に、涼沙(りょうさ)は反射的に返していた。
「でも西沙(せいさ)はあの五人にイジメられてたんだよ⁉︎」
「未来が見えた……西沙(せいさ)は私たちを殺してこの神社を継ごうとする…………」
「そんな姉様…………西沙(せいさ)は…………」
 涼沙(りょうさ)の声は、しだいに小さくなっていく。
 その揺れ動く感情に、さらに綾芽(あやめ)が入り込む。
涼沙(りょうさ)……あなたも気付いているはずです…………西沙(せいさ)は人を傷付けるだけ…………」

 それから数日、(さき)西沙(せいさ)のための祈祷(きとう)を続ける中で綾芽(あやめ)涼沙(りょうさ)の修行を続けていた。
西沙(せいさ)は危険です」
 本殿裏の祭壇でその日の修行を終えたばかりの綾芽(あやめ)が、突然そんなことを口にした。
 (さき)も口にこそしなかったが、その言葉の意味は理解していた。その(さき)は優しく(さと)すように返していく。
綾芽(あやめ)…………(おの)が妹にそのような…………」
「あの五人…………私と涼沙(りょうさ)が介入していなければあの場で死んでいました」
 救ったのは綾芽(あやめ)だけ。綾芽(あやめ)は嘘をついて涼沙(りょうさ)が自分側ということを強調した。
「…………二人が…………救ったと…………」

 ──…………救ったのか…………綾芽(あやめ)が操ったのか…………

 ──……私は…………とんでもない後継を育てたのか…………

 そして涼沙(りょうさ)までもが恐怖を言葉にする。
「母上…………私は……西沙(せいさ)が怖い…………」
 涼沙(りょうさ)は、すでに綾芽(あやめ)に感情をコントロールされていた。
 それを僅かに感じた時、(さき)は以前より明確に綾芽(あやめ)を恐れた。

 ──……一番恐れるべきは…………西沙(せいさ)ではない…………

 ──……よもや本当に伝説の産まれ代わりだとでもいうのか…………

 そして、それから何年も後、(さき)西沙(せいさ)立坂(たてさか)に預けることになる。
 一番の恐怖の対象が綾芽(あやめ)であることは分かっているはずなのに、なぜか西沙(せいさ)を遠くに置こうとする自分がいる。

 ──……まさか…………私も感情を操作されてはいないか…………

 やがて、姫神(ひめかみ)伝説が御世(みよ)が作った創作物だと知った時、(さき)は一つの結論に達した。

 ──……伝説は御世(みよ)が作った……だとすれば…………綾芽(あやめ)を生み出したのは…………




            「かなざくらの古屋敷」
    〜 第二二部「冷たい命」第5話(第二二部最終話)へつづく 〜
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