第3話 疑念①

文字数 3,720文字

 警察勲章授賞式の夜、制服から私服のジーンズとTシャツに着替えたミカは、マンハッタンのキャナルストリートにあるアイリッシュバーのカウンターでひとり、ブランデーを煽っていた。
 店内の男たちはビール片手に、店の天井からぶら下がったモニターの中で繰り広げられるニューヨーク・ヤンキースと宿敵ボストン・レッドソックスとの八回裏の攻防に夢中になっており、カウンターで一人酒を煽る怪し気な、それも泥酔するまで飲み続けている女に関わろうとする奇特な男がいるはずもなかった。
 授賞式のあと、祝賀会があり、ニューヨーク市警上層部だけではなく、カーター市長をはじめとする多くの上院議員たちと挨拶を交わした。それほど話題性のあった事件であり、行方不明者を生きたまま救出できたことは大きな貢献であった。また、行方不明者とともに三名の遺体、そのほかに遺棄された二名の遺体も発見することができた。遺留品と行方不明者情報を照らし合わせた結果、ミカの予想通りにリベラの夢で見た欠けた照明は、彼女たちの名前の頭文字を指していた。
 祝賀会を終えたあと、チームで祝杯を、という誘いもあったが、ミカは遠慮して馴染みのバーで呑むことにした。
 ミカは市警本部刑事部所属の刑事分隊長の一人であり、四人の部下を率いるリーダーだった。チームはニューヨーク市警でも屈指の検挙率を誇る優秀な部隊だったが、それはドリームダイバーによるところも大きかった。
 ドリームダイバーで犯人の夢に潜入したあとは一定時間捜査が禁止されていたため、通常、四名編成であった分隊は、ミカのチームだけ特例で五名での編成が許されていた。ドリームダイバーによる捜査は極秘事項であり、その全容を知るのは、チームの中でも分隊長補佐であるJJのみだった。
 ただでさえ若い分隊長であるミカは他の分隊から疎まれていたが、説明のない特別待遇に卑猥な陰口を叩く同僚も少なからずいた。
 ミカは市警内に疎外感があり、チームに対しても、ドリームダイバーについて多くを語ることのできない後ろめたさを感じていたため、ひとりでいることを好んだ。
「やっぱり、ここか」
 店内へ入って来たスーツ姿のJJは陽気にステップを踏むように近寄ると、「相棒(バディ)!」と両手を広げてハグを求めてきた。ミカは「はいはい」と仕方なくそれに応じる。ミカとJJは警察学校の同期生であり、二人はその頃からの付き合いになる。JJはミカの隣に座ると、バーテンダーに「同じものを」と頼んだ。
「乾杯」
 JJは手に持ったグラスをミカのグラスに一方的に合わせると一気に酒を煽り、口の中に広がる刺激に顔を歪めた。ミカはグラスを持ったまま呑むでもなく、店内の照明に輝く琥珀色をぼうっと眺めていた。JJはひどく酔ってる様子のミカを見ながら笑顔を消さないように訊いた。
「結構、やってるみたいだな」
「まったく。あんたまで説教?」
 眠たそうに目を細めて絡んでくるミカに対して、JJはすぐに両手を挙げて降参する。それを見て、ミカは視線をグラスへと戻した。
「潜ったあとは大概ここだな。もしかして眠れないのか」
 ミカは答えに詰まる。嘘をついてもよかったが、あまり意味があることに思えなかった。
「お昼寝のし過ぎでね」
 ミカは冗談めかしたつもりだったが、JJの顔がわずかに曇る。皮肉めいた物言いをしてしまったとミカは気まずさを感じた。
「昼からパーティーだったんだ、疲れただろう。今日くらい真っ直ぐ家に帰ってもいいんじゃないか。待ってるんだろ? 愛しの彼が」
 JJはミカを冷やかすように言うが、「まあね」と思うように乗ってこない。JJは笑みを収め、グラスを眺めるミカの横顔に訊いた。
「あいつ……、『人形遣い(パペットマン)』のことか?」
「フンッ、そんな大層な名前つけて。『変質者(パーボマン)』それが奴のファーストネームよ」
 ミカは吐き捨てるように言うと、すぐに視線をグラスに戻して黙り込む。しばし沈黙してからミカはテーブルにグラスを置いた。
「人を楽しんで殺すやつなんて、死んだってなんとも思わないわ」
 ミカが酷い二日酔いの状態で出勤するのをJJは度々確認していた。それは決まって、異常性の高い容疑者の夢に潜入した翌日のことであった。まるで、夢の中で体験したことを熱いシャワーで洗い流すかのように。
 それをJJはミカの作成した報告書で知ることとなるのだが、その内容はあまりに荒唐無稽で、ミカが夢の中でどれほど恐怖を感じていたのか、文面だけでは到底計り知れなかった。
「そうか……」JJはグラスを軽く挙げ、バーテンダーにブランデーを催促する。
「もう終わったことだ」
「そんな簡単に言わないでよ!」
 ブランデーを持ってきたバーテンダーが、語気の強いミカの声に驚き面食らう。JJはグラスを手に取り、視線でバーテンダーに詫びると、ミカの言葉を待った。
「あいつは危険だった。あんな気味の悪いところ、ちょっとでもいたくなかったわ」
 リベラの夢に潜入した時のことを思い出し、ミカは寒気に身をすくめた。
 そして、ミカの頭に、夢の中に現れた黒髪の少年の姿がよぎった。ミカは口にするかどうか決めあぐねて、ようやく口を開いた。
「市警にネズミがいる」
「なんだって?」
 JJは口に運ぼうとしたグラスを止めた。
「あいつがまた来た。それが何よりの証拠よ」
「あいつって、前に言ってた少年(ガキ)か?」
「そう、市警に情報を流している裏切り者がいて、誰かが外からアクセスしてきてるんだわ。だっておかしいじゃない、わたしが潜っているタイミングを図ったようにハッキングしてくるなんて」
「そいつは、お前を攻撃しにきてるのか?」
「わからない。動揺させて楽しんでいるのかもしれない」
 考えていることが図れないような、少年の不気味な笑顔が浮かぶ。
「もしかしたら、あいつ、『ティーチャー』なのかもしれない」
 ミカの言葉に、JJはちょうど口に含んだブランデーを吹きだしそうになる。
「ティーチャー? ティーチャーってあの、世界中のシリアルキラーに殺人をレクチャーしてるっていう奴か?」
 JJは酒で汚れた口元をぬぐうと、大きな声で笑いだす。ミカは眉をひそめてJJを見た。
 シリアルキラーたちはインターネットの水面下で情報交換をしたり、自分が行った殺人を披露し合ったりしていた。幾重にも予防策を張ったそのやり取りから犯人を検挙するのは容易ではなく、インターネット特有の虚栄心によるでまかせも数限りなくあった。
 しかし、その中で『ティーチャー』という名前は多く見られた。実際に会ったという書き込みもあれば、夢で見たというような信じ難いものもあり、その存在は疑わしかった。
「たかがネットの噂だろ? 『ディスマン』じゃあるまいし、そんなの間に受けてどうする」
 JJは二◯◯◯年初頭に流行した、不特定多数の夢の中に現れるというディスマンと呼ばれた男の都市伝説を引き合いに出し、からかうようにミカを笑った。
「奴は存在する、感じるの。じゃなきゃ、なんでイカれた殺人鬼がニューヨークにばかり湧いて出てくるの? ティーチャーが殺人鬼を作っているのよ、ここで。わたしがそれを邪魔するものだから、直接接触してきたんだわ」
 事実、ニューヨークにシリアルキラーは集中していた。世界的に見ても、その統計は異様なほどだった。まるでシリアルキラーたちがニューヨークを目指しているかのように。ミカの真剣さを感じ取ったJJはミカの肩にそっと手を置いた。
「そんな居もしない奴のことは気にするな。お前にはおれがついてるじゃないか。栄誉賞受賞のこのおれ様がな」
 JJがポーズでも取るように指でスーツの襟をつまんでおどけてみせる。それにはミカもたまらず頰を緩めた。
「はあ? 誰のおかげよ、ジョン・ジョーンズ!」
 JJは自己紹介すると決まって自分のことを「JJと呼んでくれ」と締めていた。JJはジョン・ジョーンズという名前の響きを間が抜けていると嫌っており、ありふれたジョンという名前に「ジョン、どこの(ワット)?」と訊かれると、決まって「ただの(ジャスト)ジョン」と答えていたことからついたあだ名が「JJ」であった。同期のミカはそれを知りながらわざとフルネームを呼ぶことでJJを挑発した。
「おい! そのケツ蹴り上げるぞ!」
「あんたにやれんの?」
 ミカはふざけてJJに掴みかかろうとすると、よろけて椅子から落ちそうになる。咄嗟にJJはミカの身体を受け止めた。
「おいおい、大丈夫か? 今夜はこんなもんにしよう。ひとりで帰れるか?」
「うん」とミカはカウンターに手を着いて立ち上がると、そのままゆらゆらと身体を揺らしながらジーンズのポケットに手を突っ込んで何かを探している。その姿に見兼ねて、JJはミカをアパートまで送ることにした。
 店を出ると、外は雨が降っていた。バーの外でJJがタクシーに手を挙げる。ミカは黄色いタクシーに詰め込まれ、隣に乗り込んだJJがミカの住むブルックリンハイツにあるアパートの住所を告げると、タクシーは静かに走りだした。車窓に雨が当たり、ライトアップされたマンハッタンの灯りがぼやけて幻想的だった。
「雨なんか大嫌い」
 酔ったミカは流れる灯りを眺めながらつぶやいた。
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