第2話 覚醒①

文字数 3,581文字

「……カ。……ッカ。ミカ!」
 ミカは目を覚ますと、目を見開いて水中から飛び出したように大きく息を吸い込み、すぐさま上半身を起こした。広い部屋、白い処置服、横たわっている処置台、頭と身体中には電極が貼ってある。彼女は一瞬で自分の状況を把握すると、まわりの看護師たちの制止も聞かずに叫んだ。
「JJ!」
 ブランド物のスーツを綺麗に着こなす長身のアフリカ系男性が、彼女の意図を理解した絶妙なタイミングで、透明のアクリルボードとマジックをミカの前に差し出す。
 それを受け取ったミカはわずかな時間も惜しむようにマジックのキャップを取って投げ捨てた。JJと呼ばれた男はあらかじめこうなると知っていたが、気難しい彼女のルーティンをわずかでも乱したくなかった。
 ミカは一心不乱にマジックを動かす。なんらかの場所を示すものを一気に書き切ると、ボードを乱暴に返した。
「彼女はここにいるわ!」
 ミカは一番上に記した住所を指す。JJはそのボードを受け取り確認する。
「了解」
 彼はそれだけ言うと、すぐさまエレベーターへ向かった。
「お疲れさま。気分はどうかな?」
 まだ険しい顔をしたままのミカの元へ、白髪頭に柔らかい印象の眼鏡をかけた白衣姿の初老の男性が近づいてくる。
「ドク。いつも通り、異常なし」
 ミカはまわりのスタッフに装着していた器具を外されながら、自分も駆けていきたい衝動を抑え、恨めしそうにJJが去った方を見つめている。
博士(ドク)』こと、クイン・クエイド博士はそれに気づくと、ミカの衝動を抑えるため、彼女の肩にそっと手を置いた。一定の検査を終えるまで現場での捜査は禁止されていたので、ミカ自身も仕方がないことだとは理解はしていたが、それでも現場に向かいたくて身体がうずく。
 ミカが観念してドクの方へ身体を向けると、ドクはミカの目にライトを当てて瞳孔を診る。ドクが首の聴診器を耳に挿すと、ミカは自分から処置服の前をたくし上げた。ミカの大きくはないが形の綺麗な乳房があらわになる。すぐ隣に立つ女性の看護師に任せてもよいのだが、ミカは面倒臭がってそれを拒んだ。いつものことながら彼女の大胆さにドクはわずかに動揺する。
 ミカは三三歳とまだ若かったが、化粧っ気はなく、現場に多く出るというのに日焼けには無頓着で、肌は浅黒く焼けていた。手軽だからという理由で何カ月か前に短くしたままの髪は首元まで無造作に伸びている。元々、少し癖のある髪であったが、手入れをしないことも手伝い、毛先は乱暴に跳ねていた。
「バイタルは正常」
 ドクは脇に控えていた女性の看護師に伝えると、彼女はタブレットにその状況を素早く打ち込む。ミカはドクに触られた自分の肩を見つめた。
「また、あいつが出てきた」
「例の、少年か……」
 ドクはミカが誰のことを言っているのか、すぐに察しがついた。
「大事なところでプレッシャーをかけてきた。明らかな捜査妨害よ」
「ハッキング? この捜査は極秘なんだがなあ」
 極秘というドクの言葉にミカは眉をひそめた。
「心停止!」
 誰かの声とともに周囲が一気に慌ただしくなる。ミカと同じように処置台に寝ている男のもとへ医師たちは駆けつけると、電気ショックと心臓マッサージで救命処置を施す。部屋の壁に設置された大きなモニターには心電図が記されており、波のない平坦な線は男の心臓が止まっていることを示していた。

 男の名前はロバート・リベラ。若いコールガールを狙った数件の誘拐殺人容疑でニューヨーク市警により逮捕された。
 リベラは自己顕示欲が抑えられず、インターネット上で人形に変えた少女の写真を公開していた。
 そこからニューヨーク市警はそれがリベラによるものであると突き止め逮捕に至ったのだが、リベラの痕跡を追うために市街に設置された防犯カメラの映像を追っていると、その中に捜索願いが出されている家出少女を車に乗せる姿が写っていた。
 逮捕後に取り調べを行うも、リベラは殺害した被害者の遺体の在り処に関して一貫して黙秘した。
 そして、リベラは誘拐した家出少女がまだ生きていることを示唆する供述をするものの、まるで警察を嘲るように、頑なにその行方を話そうとはしなかった。

「またか」
 ドクが救命処置を受けているリベラを眺めながらつぶやく。
「中で何かあったのかい?」
 ドクはリベラの姿を見つめ続けるミカの横顔に訊いた。
「さあ」ミカは返答を拒否するように、そう答えた。ミカの反応にドクもそれ以上訊くことはできなかった。

 ミカはオフィスの席に処置服のまま座り、PCのキーを手慣れた様子で素早く叩く。オフィスと言っても、だだっ広い空間に処置台が並んでいて、そこから少し離れた位置に事務机を配置しただけの簡易的なものに過ぎなかった。
 ミカは画面を睨みつけながら、今しがた体験したことをこと細かにPCに入力していく。最後の格闘の部分を除いて。
「ミカ、今回は一五分を超えてしまった。強制的に引き戻そうともしたんだが、JJが、あと一分だけと言ってね」
 隣の回転椅子に腰かけたドクがミカの横顔に話しかける。
「いい判断だわ」
 ミカはドクの顔を見ずに、キーボードを軽快に叩いた。
 正しいと思えば平気で危険に身を晒し、こうと決めたら頑として譲らない。彼女は優秀であったから、これまで多くの成果を上げてこれたが、その無鉄砲とも言えるミカの捜査の仕方に、多くの人間は危うさを感じた。
「金庫の中に、着せ替え人形と、男物のベルトが入っていた」
 ミカは手を止め、思考するようにその手を顎に持っていく。
「人形遊びか。少女趣味が災いして折檻、もしくは近親者の性的虐待。人形はその慰みかもしれないな」
「あれだけ警戒してるんだから、よっぽど知られたくない過去ってわけね」
 ミカとドクが話している脇から女性スタッフが「警部補(ルテナン)」とミカを警察の階級で呼び、テイクアウトのコーヒーを差しだす。
 ミカが好んで立ち寄るピザ屋のカプチーノ、ラージサイズ。好物の登場に顔をほころばせ、「どうも」と礼もそこそこにカップの蓋を開けると、目を閉じて湯気と香味を大きく吸い込み、「ううん」と快感にうなる。その年相応の女性らしさにドクも頰を緩める。これはドクの厚意であることを彼女は知っていた。
「少年時代にレイプ、もしくは誰かのセックスを盗み見た、それが奴の衝動の源泉みたい。店の看板の文字がいくつか消えてたんだけど、なんだろう」
 プラスチックの蓋にも飲み口は付いていたが、ミカはいつもそれを取り、そのままカップで飲むのを好んだ。蓋をはずしたほうが飲みやすく、あえて蓋をそのままにコーヒーをすするのは、コーヒーをファッションと勘違いしている気取った人間という偏見もあった。
「今回の行方不明者のイニシャル?」
「違う」
 ドクの問いをミカは素早く端的に返す。
「そうでなければ、余罪と関係があるかもしれない」
「あいつ、二人殺して捨てたって言ってた。もしかして、その二人のイニシャルとか?」
「そうかもしれない。JJが戻ったら行方不明者のデータベースで照合してもらおう」
「JJ、早く」
 ミカはカップの縁を噛んだ。ミカが記したのはニューヨーク州市外でもかなりの郊外に位置する土地だった。ヘリで急行してもいくらかかかる。ボードに書いた場所に行方不明の少女がいるとするならば、リベラは都心部にやってきては誘拐を繰り返していたということになる。
「ミカ……」とドクは声をかけてから、言い辛そうに一拍空ける。ミカは画面を睨みつけた視線をそのままドクに向けた。その視線に、ドクはさらにもう一拍空けなければいけなくなる。
「近頃、潜る時間がどんどん長くなっているね」
 ミカは明らかに不服そうな顔をして大きくため息をついた。またドクのお説教かとミカはうんざりする。最近、任務のあとは決まってそうだった。
まったく(シュート)。大丈夫だってば」
 ミカは反抗期の娘が父に対してそうするように、ドクを軽くあしらう。
「今はまだ、というだけかもしれない。潜る時間が長ければ、危険であることは君も充分承知のはずだが」
 そのことは自身が一番理解している、ミカは心の中でそうつぶやいた。ドクも脳波と心電図などの身体所見をモニタリングしているだけで、ミカが体験していることを真の意味で理解できるはずもない。
「ドクがついてるから大丈夫でしょ。頼りにしてる」
 それでも心配するドクをただ邪険にするのも可哀想で、ミカはおどけるようにドクの白衣を指でつつく。
「わたしは外からサポートすることしかできない老いぼれだ」
 ドクはそれを避けるように身をよじる。
「あら、今のままでも充分素敵よ」
「老人をからかうもんじゃない。ただ君が心配なだけなんだ」
「でも他に選択肢はない」
 ミカはドクの言葉を遮るようにつぶやく。
「今はこれしかないし、それをできるのはわたししかいない」
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