第13話 近代美術館②

文字数 4,456文字

 カラシニコフからは確実に弾丸が発射されていた。そんなことありえない。混乱するミカを兵士は威嚇でさらに二、三発撃ってくる。
「どうする」丸腰でカラシニコフを持った兵士を制しなければならない、それに対して今の状況はあまりに部が悪すぎる。隠れているディスプレイに背を預け床に腰かけて頭を悩ませていると、違和感を感じミカは横を向いた。すると、そこには別のディスプレイの陰でミカと同じ姿で身を隠す夢の中の少年がミカを眺めていた。
「あんたっ……!」
 驚いて大声を上げてしまいそうになるミカを、少年は自分の口に指を当てて止めた。
「なにしてんのよ!」
 ミカは声を殺しながら少年に訊いた。少年は迫りくる恐怖に顔を強張らせながら「へへへ」と強がるように笑う。
 そして、少年は真剣な眼差しでミカの瞳を見つめて頷いた。ミカは動揺しながらも少年に頷き返す。
「ヘイッ!」
 少年はその場で立ち上がり、男に声をかけると一瞬で身をかがめる。その声に男は少年の現れたところに、カラシニコフを乱射した。
 少年が動くのと同時にミカはすでに動きだしていた。少年に気を取られる男に素早く近づく、男がそれに気づいた時には、もうミカの間合いの中だった。
 ミカは素早くカラシニコフの銃身を掴むと照準を逸らし、同時に男の股間を蹴り上げる。反対の手でカラシニコフの銃身を掴み、そこを起点に銃を返して痛みに身を竦める男の顔面に銃身を叩き込んだ。ミカはカラシニコフを両手に掴んだまま、退け反る男のみぞおちを突き放すように力一杯蹴って引き離すと、床に思い切り倒れ込む男に向かって、奪ったカラシニコフを構えた。
 しかし、男は反撃どころか、焦げつくような電子音を立てながら小刻みに痙攣するとそのまま動かなくなり、目の輝きを失った。
 ミカは照準を床に倒れた男に向けたまま、ゆっくりと近づく。よく見ると男の目の中が赤いプラスチックの様なもので覆われていることに気づく。
「なんかロボットみたいだ」
 同じように男に近づいた少年が呟いた。
「というよりもアンドロイド」
 男を見下ろしたまま、ミカがそれに返した。
 男を殴った時の質感は人間そのものだった。鋼鉄のロボットというよりも、半分機械化されたアンドロイドという感覚が近い。
 ミカは床に横たわる兵士よりも、目の前でそれを見ている少年に目がいった。
「ところで、あんたは……」
 言いかけたところで、視界の端に人影が現れ、二人は慌てて身を隠す。ミカと少年はお互いを見合わせてから、物陰よりそっとその方向を確かめた。
 そこには、隣の区画で小銃を携えた兵士が警備でもするように、その区画を歩き回っていた。
「なんか変だな」
 少年が兵士を見ながら言った。それにはミカも同感だった。いくら隣の区画とはいえ、銃声が聴こえればたちまち取り囲まれてしまうはずなのに、兵士は何事もなかったかのように警備を続けている。
「おーい」
 少年は突然立ち上がり、両手を大きく振った。
「何やってんのよ、あんた!」
 ミカはすぐさま少年の服を掴んで無理矢理かがませる。
「大丈夫だよ、ほら」
 少年は楽しそうに笑みを浮かべて兵士を指差した。ミカが確認すると、少年の言ったとおり兵士がこちらに気づく様子はない。
「エリアごとに、敵の数が決まっている?」
 区切られた区画ごとに敵兵がいて、ゲームのようにその区画に入らなければ、戦闘は始まらないのでは、ミカはそう考えた。
 ミカは手に持ったカラシニコフの弾倉を取って残弾数を確認しようとするが、弾倉が外れない。
「なにこれ」ミカはカラシニコフを改めて眺める。質感など実銃にそっくりだが、細かいところが大雑把に感じた。モデルガンほど造り込まれていないのに、実銃として妙に説得力がある。
 ミカは試しにカラシニコフを構えると、区画の外にいる兵士に向かって照準を定める。これがゲームなら恐らく当たることはないが、まず弾丸が出るかどうか。訓練の時と同様に呼吸を整えて照準の先にいる兵士を追う。息を吐き、また半分吸ったところで息を止めた。
 引き金を引くが、やはり手応えがない。さきほど撃たれた箇所に着弾したあとがないところを見ると、どうやらこの銃からは実弾ではなく、特殊なレーザー弾のようなものが発射されているようだった。ザックのプログラミングのせいか、ドリームダイバーのルールが優先されたのか、やはり弾丸は出ない。
「チッ!」ミカは舌打ちをするとカラシニコフを肩から下ろし床に投げ捨てた。弾丸の出ない小銃を打撃用の武器として使うよりも、小銃で両手の塞がった相手を徒手格闘で翻弄する方が有利な気がしたからだ。
「いらないの? じゃあ、貰っちゃおっと」
 少年がミカの捨てたカラシニコフを拾って恰好つけるように構える。
「そんな物持ってたら、真っ先に狙われるわよ」
「あっ、そっか」
 少年はせっかく手に入れたおもちゃを手放すかのように、名残り惜しそうな顔でカラシニコフを見つめる。「えいっ」ミカを真似てそれを床に投げ捨てると、ミカに向かって楽しそうに笑いかけた。
 ミカはそれを複雑な心境で眺めた。この少年といるとどうにも調子が狂う。真剣にシリアルキラーと対峙している自分が馬鹿らしくさえ思えてくる。
「とっとと、先に進むわよ」
 ミカがそう言うと、少年は「了解!」と愛想良く答える。
 ミカは次の区画目指して歩きだす。さきほどの館内マップのおかげか、今いるフロアが五階であることがわかる。そして、下の階に降りるためにはフロアを横断して階段を目指さなければならない。エレベーターは使用不可能であったし、各階も同様に横断しなければ階下へ行けない造りになっていることも理解していた。
 ミカは次の区画の境まで進むと、意を決して足を踏み入れた。すると、異変に気づき、兵士がミカを見た。
 ミカは上下濃いネイビーのスカートスーツ姿で、足元には高すぎないハイヒールを履いていた。髪はうしろでアップし、縁の細い眼鏡をかけている。手には画板とボールペンを持ち、手近な作品の前で足を止めると、その作品を観ながら、何かを手元で書き込んだ。まるで、やり手の画商のような印象だ。
 兵士はミカを警戒するようにその姿を眺めながら近づいてくる。ミカは兵士を見て会釈するように軽く微笑むと作業に戻った。
 兵士はそれでも警戒を解かずにミカのすぐ脇まで近づくと、上から下へミカを凝視する。
 兵士の視線がミカの顔から足元へ下りると、ミカの足元がハイヒールからスニーカーに変わっていることに気づいた。
 次の瞬間、ミカは手に持った画板で思い切り兵士の横面を叩いた。画板が音を立てて砕ける。
 その攻撃に怯んだ兵士の足をうしろから払うと同時に、対角の腕で兵士の胸を強く押した。兵士は後方に大きく反り返ると空中で半回転して顔から床に落ちた。
 兵士はさきほどの兵士と同様に電子音を立てると動かなくなった。ミカはそれを確認すると、すぐに姿勢を低くして次の区画へと進んだ。
 時に物陰に潜んで兵士を待ち伏せし、時に少年が兵士の気を逸らしてミカが背後から兵士を強襲する。一人ずつ兵士を制圧して、四階、三階とフロアを降りていった。
 二階。ミカは物陰から兵士に襲いかかり、背後から兵士の首をチョークスリーパーで締めあげる。兵士が抵抗すると、ミカはそのまま兵士に飛びつき、おぶさる形で兵士の腹の前で足を組み、首と同時に腿で兵士の腹も締めあげる。ミカに床へと引きづり込まれるように兵士はゆっくりと倒れながら意識を失う。電子音を確認すると、ミカは覆いかぶさる兵士を乱暴にどけた。
 ミカは他に兵士がいないか、急いであたりを確認する。すると、視界の端に走って横切る人影に気づき、すぐにそちらを向いた。
「どうしたの?」
 あとからついてきた少年がミカに訊ねてくる。
「確かに今、誰かいた気がした」
 ミカはゆっくりと人影が見えた方向へ足を進める。すると、今度は背後でまた人の気配がした。
ミカはすぐにそちらへと駆けだす。
「あいつかもしれない」
「駄目だ、無闇に動いちゃ」
 青年の静止を振り切りミカは走った。そこは吹き抜けになっていて、一階の様子が見渡せる。ミカは落下防止のフェンスに捕まり、あたりを見回した。
 すると、入口へと駆けている小さな男の子のうしろ姿を確認した。セントラル・パークにいた黒髪の男の子。
 次の瞬間、館内にけたたましく警報音が鳴り響いた。右手を見ると兵士が無線で交信している。
「見つかった!」
 この場から逃げだそうと左方向を見てみると、警報音に駆けつけた兵士が既に道を塞いでいた。背後からも敵が近づく気配を感じる。
 逃げ道を塞がれたミカは一階を見下ろした。左右の兵士がミカに向かってカラシニコフを構えた。もう考えている猶予はない。
 ミカは両手でフェンスを掴むと一気に飛び上がってフェンスを飛び越えた。ミカの背後でカラシニコフの銃声が聴こえる。標的のミカが突然目の前から消え、兵士は同士討ちしてしまう。
 ミカは着地と同時に落下の衝撃を分散するために前転し、その勢いのまま立ち上がり入館口目がけて走った。
 敵の兵士たちがミカの背後で続々と集まってくる。ミカが一瞬振り返ると、兵士たちは固まって隊列を組むと、ミカに対する一斉掃射のために各々銃を構えだしていた。入館口まで五フィート、ミカは慌てて走った。
 入館口の大きなガラス扉の向こうには外の風景が広がっている。この扉をくぐることさえできれば、ミカは扉についた取手に手を伸ばした。同時に背後から無数の銃声が聴こえる。ミカは目をつむりながら、力一杯ドアを押して一気にくぐり抜けた。
 目を開けて、撃たれていないかすぐに確認する。どこからも出血していない、間一髪間に合ったようだ。
 そこでミカは異変に気づいた。美術館のガラスのドアの向こうは良く晴れた日中の景色が広がっていたはずなのに、ドアをくぐった先はまた屋内だった。それも少し暗い印象を受ける。
地下鉄(メトロ)?」
 そこはニューヨークのどこかの地下鉄の駅だった。造りから見て、恐らくマンハッタンのターミナル駅であるグランド・セントラル駅ではないかと思われる。
 いつもは人々が忙しなく行き交っているはずなのに、そこにはまったく人影はない。
「あっ!」黒髪の男の子が走ってホームへと続く階段へ向かい、降りていく。
「待ちなさい!」
 ミカはすぐにそのあとを追って、階段を降りる。駅もそうだが、ホームにも人の気配がない。
ミカはホームに立ち、あたりを見回したがやはり誰もいない。男の子は一体どこへ行ったのか、そう思いながら探し続けていると、電光掲示板の文字が緑から赤に変わる。
 轟音が近づいてくる。ミカは地下鉄がホームに入ってくると、普段そうするように音の方をなんとなしに眺めた。すると、明らかにそれとは違う、見慣れない物が猛スピードでホームに入ってくると、ミカの目の前で停まった。
 M1エイブラムス。名前までは知らなかったが、それが戦車であるというのは一目瞭然だった。
 
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