第15話 君の幸運②
文字数 5,403文字
午後八時、タイムリミットまで四時間。
市警本部の地下駐車場で、ミカの愛車のマスタングのエンジンをエリオットが始動させた。
「やっぱり最高ですね! 警部補の車、一度でいいから乗ってみたかったんですよ。本当にいいんですか?」
ヴィンテージのマスタングを目の前に興奮するエリオットにミカは無言で頷いた。
JJはマスタングに近づくと、ミカのためにドアを開ける。
「乗るまで見届けるってわけね」
ミカは心の中で呟いた。仕方なく助手席のシートを倒して後部座席に潜り込む。それを確認するとJJはドアを閉め、運転手席側に立つエリオットのところへ回る。
「頼んだぞ、エリー」
そう言うとエリオットの肩を叩く。JJはミカを気にしてからエリオットの耳元に顔を近づけ、何かを言伝る。
ミカは疲れて後部座席に身体を預けているような素振りをしながら、その二人の様子を盗み見ていた。
エリオットはお調子者でチームのムードメーカーだったが、ここぞという時は瞬時に切り替えることのできる男だとミカは知っていた。JJが耳打ちした時に見せたエリオットの真顔、十中八九、JJから何か密命を受けているとわかった。
「では、警部補、行きましょう」
エリオットは笑顔で運転手席に乗り込んだ。
「よろしく」
ミカは僅かに緊張していた。
マスタングに揺られながら、ミカはザックの夢に潜入した時のことを思い返していた。セントラル・パークにいた黒髪の男の子。もしかしてあの子はザックなのでは。
夢の中とはいえ、身長や体格を自由を変えることはできない。人は毎日、鏡の前に立ち、知らないうちに自分を認識している。自分は自分であるということは不変であり、それを偽ることはできない。だから、容姿を変えることはできないし、ましてや、少年時代の姿に投影させることなど不可能なはずだった。もしかしたら、昏睡状態にあることが関係しているのかもしれない、ミカは考えを巡らせた。
昏睡していることで雑念のようなものは消え、ある種、純真な状態のザックになっているのかもしれない。そうでもなければ、動物、銃、戦車など、男の子が喜ぶようなものを用意して、ゲーム対決を望むなどという子供地味たことをしてくるだろうかと。
なんにしても、一刻も早く夢の中でザックに接触し爆弾の在り処を聞きださなければならない。そう思っていると、マスタングはゆっくり路肩に停車した。
雰囲気で目的地である自分のアパートの前ではないことに気づく、窓から外を覗くと、そこはミカが好んで立ち寄るパパのピザ屋の前だった。
「どうゆうこと……?」
窓際のカウンター席で、アダムがピザを頬張っている。
「着いたよ」
運転手席から聞こえる声は明らかにエリオットのものと違う、しかし、その声には聞き覚えがあった。ミカはその声に恐怖した。運転手の男が振り返る。そこに座っていたのはエリオットではなくザックだった。
突然目の前に現れた敵に、ミカは驚愕し身体が竦んで動けない。
「まさか!」
ミカは窓の外を見た。アダムがマスタングに乗るミカに気づいたように笑顔で手を振っている。
アダムに気を取られているあいだにザックが運転席からミカに向かって顔を出した。
「ボンッ!」
「わあああっ!」
ミカは大声で叫んだ。
「警部補! 大丈夫ですか?」
運転席にはエリオットが座り、急に大声を上げたミカに驚いている。
「着きましたよ」
ミカが窓の外を確認すると、そこは間違いなくミカの住むアパートの前の通りだった。
「悪い夢でも見てたんですか」
エリオットがミカを落ち着かせるように声をかけてくる。
「眠っていた?」
少しも眠くなかったはずなのに、ミカは自分がいつ眠りに落ちたのかがわからないでいた。
エリオットにエスコートされながら、ミカはアパートの部屋に着く。
「こんばんは、お邪魔しまーす」
エリオットは部屋を見回した。
「あれ? 彼氏さん、いないんですか?」
「まだ仕事じゃない。大きな事件のあとは大抵遅いから」
ミカは寝室に進みながら言った。
「へえ、そうですか」
エリオットはそう言いながら、なんの気なしに机にある手紙や雑誌を物色する。すると、電話のランプが点滅していて留守番電話が録音されていることに気づく。
「警部補、メッセージみたいですけど」
「いいわよ、押して」
「いいんですか? 押しますよ」
寝室のミカから返答がない。何度も同じことを確認されることが嫌いなミカだから、エリオットは構わずに点滅するボタンを押した。電話から発色音が流れる。
「もしもし、アダムだ」
アダムからのメッセージに「あっ、彼氏さん」とエリオットは呟いた。
「ボマー事件解決おめでとう。こっちもそれで慌ただしくてね。今夜は会社に泊まることになりそうだ……」
アダムのメッセージが流れ続けている。
「警部補、なんか腹減っちゃって……」
エリオットが言い出し辛そうに寝室のミカに訊いた。
「冷蔵庫の中に何かあるでしょ。勝手に食べて」
「すみません」許可を得てエリオットは早速キッチンに向かって冷蔵庫を開いた。
「おっ、食べ残しのピザ発見」
エリオットはピザの箱を取り出すと、冷えたピザを頬張りながらリビングへ戻る。アダムのメッセージはまだ続いている。
「ところで、昼間、会社でフランクに会った。何かの点検だと言っていたけど、なぜ君の部下のフランクが来ていたんだろう」
エリオットは電話を見つめながらピザを口に運ぶ。ミカは寝室のクローゼットから服を取り出し着替えていた。
「もしかして……、まだ事件は解決してないのかな」
アダムの緊張が声から伝わってくる。
「言えるわけないでしょ」
エリオットは口の中にピザを入れたまま、電話に向かっていった。
「……言えるわけないか」
アダムの言葉に会話をしているような恰好になり、エリオットは驚いてピザを飲み下す。
「全部終わったら、いつものレストランでゆっくりお祝いしよう。無事を祈ってる」
アダムが不安を振り払おうと明るく振る舞っているのがわかる。ミカの負担にならないようにしようとしているとも。
「いい人だな」
アダムのメッセージを聞き終えて、エリオットはしみじみと呟いた。すると発信音が鳴り、すぐに次のメッセージが再生される。
「もしもし、お母さんだけど……」
なんだか酷くくたびれた女性の声。
「あなた、今年も帰ってこないつもり。もうそろそろあの子……」
そこまで再生されると、ミカが血相を変えて寝室から駆け寄り、そのままボタンを押してメッセージを停止させた。
「すみません」エリオットは目の前でボタンを押したままの形で固まっているミカの迫力に謝らずにはいられなかった。
「プライベートなことだから」
ミカは自分でもよくわからない言い訳で取り繕うと、電話から離れた。
「まあ、ゆっくりしてて」
ミカにそう言われてもと、エリオットは恐る恐るソファーに座りテレビを点けた。どのチャンネルもボマー関連のものばかりで、エリオットはミカを気にしながら無言でチャンネルを回し続ける。ようやくシットコムの再放送を放映している局に当たり、それを見て笑いながらピザを食べた。
ミカはそのエリオットの様子を伺いながら、キッチンに進んで、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに注いで一口飲んだ。
グラスを手にリビングに戻り、アダムと食事を摂るテーブルの席に座る。テーブルにはスクラブルというボードゲームが開かれたままでいた。
スクラブルは昔から広く愛されるボードゲーム。アルファベットの駒で単語を作り、それをボード上に並べて点数を競う。アルファベットごとに配点があり、ボードの特定のマスに並べれば、その単語の点数は二倍、三倍と増える。ミカも小さい頃、家族と共にこのボードゲームを囲んだ。アダムと二人でゲームを楽しむこともあったが、アダムは言葉を生業にしている記者だったので、時折、記事の言葉選びにこのスクラブルを使うことがあった。
ミカは駒を手に取り、「ザック・ジンガーノ」「爆弾」など、爆弾の在り方のヒントを探して並べた。「ニューヨーク」「マンハッタン」、並べてみたところでヒントになりそうなものは見つからない。こんなことをしてても仕方がない、一旦、頭を切り替えようとした時、ミカはあることを思い出した。
「僕は君の幸運 さ」
「フォーチュン……」
ミカは駒をFORTUNEと並べた。
「フォー……」
それをFORとTUNEに分ける。
「音楽のために」これでは意味が繋がらない。ミカは駒を見ながら考え込む。
「フォー?」
Uの駒をOとRの間へ。空いたUの位置に末尾のEを入れた。ミカはそうしながら懐かしさに駆られていた。スクラブルとしてではなく、この暗号遊びに。
FOURとTEN。四と十。合計で四点と十点の単語を作れば、フォーチュンが伝えたかったことが、彼がなぜフォーチュンと名乗ったのかがわかるはずだ。
四点と十点の組み合わせで、GET MILK(牛乳を飲む)など取るに足らない文はすぐに思いついたが、それがヒントであるはずもなかった。
ミカは一枚で十点のZの駒を指で手前に引き、その前に四点の単語を並べる。BOMB Z(ジンガーノの爆弾)。だからどうしたのだとミカは頭を抱える。
U ARE ASSHOLE(ケツの穴野郎)と並べると、ミカは馬鹿馬鹿しくなり、その文を崩してすべての駒を混ぜ合わせた。すると、Zのように、一枚で四点のYの駒が目に止まる。
ミカは胸が高鳴った。このYとともに使う合計十点の言葉に心当たりがあったからだ。震える指で駒を並べ、そのうしろにYの駒を動かす。並んだ文字にミカは驚愕した。
MIKEとY。「マイク」もしくは「マイキー」
「はは……」
ミカは小さく笑った。
「そうか、そういうことか」
ミカはある仮定を立てた。しかし、それは確信と言っていいほどの自信があった。今すぐそれを確かめる必要がある。
ソファーでテレビを観て笑っているエリオットを横目で見た。一刻も早く、この場を離れなければ。
ミカはおもむろに立ち、寝室からガウンを取ると、バスルームに向かった。
エリオットもそれを横目で見る。バスルームのドアが閉まったのを確認すると、スーツの内ポケットから携帯を取り出し、ドアをチラチラと確認しながらメールを打つ。送信し終わると、すぐに携帯をポケットに戻した。
ミカはバスルームに入ると、蓋の閉じた便座に座りあたりを見回し頭を悩ませた。どうやってここから脱出するかと。
「俺か? 俺に話しかけてるのか?」
テレビに飽きたエリオットが玄関脇の姿見の前で、スーツのポケットに手を突っ込み、ロバート・デ・ニーロを真似て恰好つけていた。
「エリー、エリー」
バスルームからミカの声が聞こえ、エリオットは「はい」と返事をしながら慌ててポケットから手を出した。
「ちょっと、来てー」
バスルームに近づくとシャワーの音がする。エリオットはドアに顔を近づけた。
「どうしました?」
「なんか、力入らなくて、服脱ぐの手伝ってくれないかな?」
いつも冷静に指示を飛ばすミカの落ち着いたものとは違い、なんだか甘い声色にエリオットは動揺した。
「入っても、大丈夫ですか?」
エリオットはドアの前で緊張した。これまで一度もミカを女として見たことなどなかったはずなのに、急に意識してしまう。
「いいよ」
エリオットは生唾を飲み込んだ。
「警部補は確かにいい女 だが、お前の上司だぞ。落ち着け、俺!」
エリオットは声を殺して自分に言い聞かせた。
「入ります!」
ドアを開けると一気に蒸気が溢れ出てくる。バスルームは蒸気で充満していて、その中にうっすらとガウン姿のミカが見えた。
「ちょっと! あっち向いてて!」
ミカの声に、エリオットは慌てて壁の方を向く。すでにミカは少し服を脱いでいるのだと想像してしまう。
「すみません!」
エリオットはミカに背を向け、姿勢を正す。
「そのまま、そのままね」
エリオットは背中に感じるミカの声に翻弄されていたが、それに混じったわずかな殺気を感じ取り振り返った。しかし、もうすでにミカが手に持った空の花瓶が自分の頭に振り下ろされる最中だった。
鈍い音を立て、エリオットは気を失った。ミカはエリオットが気絶していることを確認すると、すぐにガウンを脱ぐとバスルームから出て、ジャケットを羽織りマスタングの鍵を手にアパートをあとにした。
午後九時、タイムリミットまで三時間。
ミカのマスタングがニューヨーク市警本部庁舎の駐車場へと入る。警備員は先ほど出たばかりのマスタングが戻ってきたことに僅かに驚いていたが、随分忙しくしているなと思う程度であった。
ミカはエレベーターに乗り込むと、二、一、二とフロアのボタンを押した。
ドリームダイバーのフロアでエレベーターのドアが開く、フロアは一繋ぎだったので、ミカの姿は確認できたはずだったが、皆、忙しく動き回っていてミカの登場に気づかない。厳密にはミカを見た者もいたが、その違和感の無さに素通りしていた。
ミカはエレベーター横に備えつけられた消火器を手に取る。それでエレベーターの呼び出しボタンを叩きだした。物騒な音に皆一様に手を止め、ミカの方向を見た。
ボタンを完全に破壊したことを確認すると、ミカは消火器を放り、消火器が床に転がる甲高い音がフロアに鳴り響いた。
市警本部の地下駐車場で、ミカの愛車のマスタングのエンジンをエリオットが始動させた。
「やっぱり最高ですね! 警部補の車、一度でいいから乗ってみたかったんですよ。本当にいいんですか?」
ヴィンテージのマスタングを目の前に興奮するエリオットにミカは無言で頷いた。
JJはマスタングに近づくと、ミカのためにドアを開ける。
「乗るまで見届けるってわけね」
ミカは心の中で呟いた。仕方なく助手席のシートを倒して後部座席に潜り込む。それを確認するとJJはドアを閉め、運転手席側に立つエリオットのところへ回る。
「頼んだぞ、エリー」
そう言うとエリオットの肩を叩く。JJはミカを気にしてからエリオットの耳元に顔を近づけ、何かを言伝る。
ミカは疲れて後部座席に身体を預けているような素振りをしながら、その二人の様子を盗み見ていた。
エリオットはお調子者でチームのムードメーカーだったが、ここぞという時は瞬時に切り替えることのできる男だとミカは知っていた。JJが耳打ちした時に見せたエリオットの真顔、十中八九、JJから何か密命を受けているとわかった。
「では、警部補、行きましょう」
エリオットは笑顔で運転手席に乗り込んだ。
「よろしく」
ミカは僅かに緊張していた。
マスタングに揺られながら、ミカはザックの夢に潜入した時のことを思い返していた。セントラル・パークにいた黒髪の男の子。もしかしてあの子はザックなのでは。
夢の中とはいえ、身長や体格を自由を変えることはできない。人は毎日、鏡の前に立ち、知らないうちに自分を認識している。自分は自分であるということは不変であり、それを偽ることはできない。だから、容姿を変えることはできないし、ましてや、少年時代の姿に投影させることなど不可能なはずだった。もしかしたら、昏睡状態にあることが関係しているのかもしれない、ミカは考えを巡らせた。
昏睡していることで雑念のようなものは消え、ある種、純真な状態のザックになっているのかもしれない。そうでもなければ、動物、銃、戦車など、男の子が喜ぶようなものを用意して、ゲーム対決を望むなどという子供地味たことをしてくるだろうかと。
なんにしても、一刻も早く夢の中でザックに接触し爆弾の在り処を聞きださなければならない。そう思っていると、マスタングはゆっくり路肩に停車した。
雰囲気で目的地である自分のアパートの前ではないことに気づく、窓から外を覗くと、そこはミカが好んで立ち寄るパパのピザ屋の前だった。
「どうゆうこと……?」
窓際のカウンター席で、アダムがピザを頬張っている。
「着いたよ」
運転手席から聞こえる声は明らかにエリオットのものと違う、しかし、その声には聞き覚えがあった。ミカはその声に恐怖した。運転手の男が振り返る。そこに座っていたのはエリオットではなくザックだった。
突然目の前に現れた敵に、ミカは驚愕し身体が竦んで動けない。
「まさか!」
ミカは窓の外を見た。アダムがマスタングに乗るミカに気づいたように笑顔で手を振っている。
アダムに気を取られているあいだにザックが運転席からミカに向かって顔を出した。
「ボンッ!」
「わあああっ!」
ミカは大声で叫んだ。
「警部補! 大丈夫ですか?」
運転席にはエリオットが座り、急に大声を上げたミカに驚いている。
「着きましたよ」
ミカが窓の外を確認すると、そこは間違いなくミカの住むアパートの前の通りだった。
「悪い夢でも見てたんですか」
エリオットがミカを落ち着かせるように声をかけてくる。
「眠っていた?」
少しも眠くなかったはずなのに、ミカは自分がいつ眠りに落ちたのかがわからないでいた。
エリオットにエスコートされながら、ミカはアパートの部屋に着く。
「こんばんは、お邪魔しまーす」
エリオットは部屋を見回した。
「あれ? 彼氏さん、いないんですか?」
「まだ仕事じゃない。大きな事件のあとは大抵遅いから」
ミカは寝室に進みながら言った。
「へえ、そうですか」
エリオットはそう言いながら、なんの気なしに机にある手紙や雑誌を物色する。すると、電話のランプが点滅していて留守番電話が録音されていることに気づく。
「警部補、メッセージみたいですけど」
「いいわよ、押して」
「いいんですか? 押しますよ」
寝室のミカから返答がない。何度も同じことを確認されることが嫌いなミカだから、エリオットは構わずに点滅するボタンを押した。電話から発色音が流れる。
「もしもし、アダムだ」
アダムからのメッセージに「あっ、彼氏さん」とエリオットは呟いた。
「ボマー事件解決おめでとう。こっちもそれで慌ただしくてね。今夜は会社に泊まることになりそうだ……」
アダムのメッセージが流れ続けている。
「警部補、なんか腹減っちゃって……」
エリオットが言い出し辛そうに寝室のミカに訊いた。
「冷蔵庫の中に何かあるでしょ。勝手に食べて」
「すみません」許可を得てエリオットは早速キッチンに向かって冷蔵庫を開いた。
「おっ、食べ残しのピザ発見」
エリオットはピザの箱を取り出すと、冷えたピザを頬張りながらリビングへ戻る。アダムのメッセージはまだ続いている。
「ところで、昼間、会社でフランクに会った。何かの点検だと言っていたけど、なぜ君の部下のフランクが来ていたんだろう」
エリオットは電話を見つめながらピザを口に運ぶ。ミカは寝室のクローゼットから服を取り出し着替えていた。
「もしかして……、まだ事件は解決してないのかな」
アダムの緊張が声から伝わってくる。
「言えるわけないでしょ」
エリオットは口の中にピザを入れたまま、電話に向かっていった。
「……言えるわけないか」
アダムの言葉に会話をしているような恰好になり、エリオットは驚いてピザを飲み下す。
「全部終わったら、いつものレストランでゆっくりお祝いしよう。無事を祈ってる」
アダムが不安を振り払おうと明るく振る舞っているのがわかる。ミカの負担にならないようにしようとしているとも。
「いい人だな」
アダムのメッセージを聞き終えて、エリオットはしみじみと呟いた。すると発信音が鳴り、すぐに次のメッセージが再生される。
「もしもし、お母さんだけど……」
なんだか酷くくたびれた女性の声。
「あなた、今年も帰ってこないつもり。もうそろそろあの子……」
そこまで再生されると、ミカが血相を変えて寝室から駆け寄り、そのままボタンを押してメッセージを停止させた。
「すみません」エリオットは目の前でボタンを押したままの形で固まっているミカの迫力に謝らずにはいられなかった。
「プライベートなことだから」
ミカは自分でもよくわからない言い訳で取り繕うと、電話から離れた。
「まあ、ゆっくりしてて」
ミカにそう言われてもと、エリオットは恐る恐るソファーに座りテレビを点けた。どのチャンネルもボマー関連のものばかりで、エリオットはミカを気にしながら無言でチャンネルを回し続ける。ようやくシットコムの再放送を放映している局に当たり、それを見て笑いながらピザを食べた。
ミカはそのエリオットの様子を伺いながら、キッチンに進んで、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに注いで一口飲んだ。
グラスを手にリビングに戻り、アダムと食事を摂るテーブルの席に座る。テーブルにはスクラブルというボードゲームが開かれたままでいた。
スクラブルは昔から広く愛されるボードゲーム。アルファベットの駒で単語を作り、それをボード上に並べて点数を競う。アルファベットごとに配点があり、ボードの特定のマスに並べれば、その単語の点数は二倍、三倍と増える。ミカも小さい頃、家族と共にこのボードゲームを囲んだ。アダムと二人でゲームを楽しむこともあったが、アダムは言葉を生業にしている記者だったので、時折、記事の言葉選びにこのスクラブルを使うことがあった。
ミカは駒を手に取り、「ザック・ジンガーノ」「爆弾」など、爆弾の在り方のヒントを探して並べた。「ニューヨーク」「マンハッタン」、並べてみたところでヒントになりそうなものは見つからない。こんなことをしてても仕方がない、一旦、頭を切り替えようとした時、ミカはあることを思い出した。
「僕は君の
「フォーチュン……」
ミカは駒をFORTUNEと並べた。
「フォー……」
それをFORとTUNEに分ける。
「音楽のために」これでは意味が繋がらない。ミカは駒を見ながら考え込む。
「フォー?」
Uの駒をOとRの間へ。空いたUの位置に末尾のEを入れた。ミカはそうしながら懐かしさに駆られていた。スクラブルとしてではなく、この暗号遊びに。
FOURとTEN。四と十。合計で四点と十点の単語を作れば、フォーチュンが伝えたかったことが、彼がなぜフォーチュンと名乗ったのかがわかるはずだ。
四点と十点の組み合わせで、GET MILK(牛乳を飲む)など取るに足らない文はすぐに思いついたが、それがヒントであるはずもなかった。
ミカは一枚で十点のZの駒を指で手前に引き、その前に四点の単語を並べる。BOMB Z(ジンガーノの爆弾)。だからどうしたのだとミカは頭を抱える。
U ARE ASSHOLE(ケツの穴野郎)と並べると、ミカは馬鹿馬鹿しくなり、その文を崩してすべての駒を混ぜ合わせた。すると、Zのように、一枚で四点のYの駒が目に止まる。
ミカは胸が高鳴った。このYとともに使う合計十点の言葉に心当たりがあったからだ。震える指で駒を並べ、そのうしろにYの駒を動かす。並んだ文字にミカは驚愕した。
MIKEとY。「マイク」もしくは「マイキー」
「はは……」
ミカは小さく笑った。
「そうか、そういうことか」
ミカはある仮定を立てた。しかし、それは確信と言っていいほどの自信があった。今すぐそれを確かめる必要がある。
ソファーでテレビを観て笑っているエリオットを横目で見た。一刻も早く、この場を離れなければ。
ミカはおもむろに立ち、寝室からガウンを取ると、バスルームに向かった。
エリオットもそれを横目で見る。バスルームのドアが閉まったのを確認すると、スーツの内ポケットから携帯を取り出し、ドアをチラチラと確認しながらメールを打つ。送信し終わると、すぐに携帯をポケットに戻した。
ミカはバスルームに入ると、蓋の閉じた便座に座りあたりを見回し頭を悩ませた。どうやってここから脱出するかと。
「俺か? 俺に話しかけてるのか?」
テレビに飽きたエリオットが玄関脇の姿見の前で、スーツのポケットに手を突っ込み、ロバート・デ・ニーロを真似て恰好つけていた。
「エリー、エリー」
バスルームからミカの声が聞こえ、エリオットは「はい」と返事をしながら慌ててポケットから手を出した。
「ちょっと、来てー」
バスルームに近づくとシャワーの音がする。エリオットはドアに顔を近づけた。
「どうしました?」
「なんか、力入らなくて、服脱ぐの手伝ってくれないかな?」
いつも冷静に指示を飛ばすミカの落ち着いたものとは違い、なんだか甘い声色にエリオットは動揺した。
「入っても、大丈夫ですか?」
エリオットはドアの前で緊張した。これまで一度もミカを女として見たことなどなかったはずなのに、急に意識してしまう。
「いいよ」
エリオットは生唾を飲み込んだ。
「警部補は確かに
エリオットは声を殺して自分に言い聞かせた。
「入ります!」
ドアを開けると一気に蒸気が溢れ出てくる。バスルームは蒸気で充満していて、その中にうっすらとガウン姿のミカが見えた。
「ちょっと! あっち向いてて!」
ミカの声に、エリオットは慌てて壁の方を向く。すでにミカは少し服を脱いでいるのだと想像してしまう。
「すみません!」
エリオットはミカに背を向け、姿勢を正す。
「そのまま、そのままね」
エリオットは背中に感じるミカの声に翻弄されていたが、それに混じったわずかな殺気を感じ取り振り返った。しかし、もうすでにミカが手に持った空の花瓶が自分の頭に振り下ろされる最中だった。
鈍い音を立て、エリオットは気を失った。ミカはエリオットが気絶していることを確認すると、すぐにガウンを脱ぐとバスルームから出て、ジャケットを羽織りマスタングの鍵を手にアパートをあとにした。
午後九時、タイムリミットまで三時間。
ミカのマスタングがニューヨーク市警本部庁舎の駐車場へと入る。警備員は先ほど出たばかりのマスタングが戻ってきたことに僅かに驚いていたが、随分忙しくしているなと思う程度であった。
ミカはエレベーターに乗り込むと、二、一、二とフロアのボタンを押した。
ドリームダイバーのフロアでエレベーターのドアが開く、フロアは一繋ぎだったので、ミカの姿は確認できたはずだったが、皆、忙しく動き回っていてミカの登場に気づかない。厳密にはミカを見た者もいたが、その違和感の無さに素通りしていた。
ミカはエレベーター横に備えつけられた消火器を手に取る。それでエレベーターの呼び出しボタンを叩きだした。物騒な音に皆一様に手を止め、ミカの方向を見た。
ボタンを完全に破壊したことを確認すると、ミカは消火器を放り、消火器が床に転がる甲高い音がフロアに鳴り響いた。