第21話 深淵②

文字数 4,517文字

 男は煌びやかな衣装と宝飾を身に纏っていた。古代の砂漠の王ファラオを思わせるエキゾチックな姿をしていた。
「ようこそ」
 男が口を開いた。その声は品性があり、知性を感じさせる落ち着いた声だった。その男は、爆弾魔ザックであった。
「いよいよ最後だね。待っていたよ、守護天使」
 ミカは目の前の男をぼうっと眺めた。とうとう会うことができたはずなのに、自分はなぜこの男に会わなければならなかったのかが思い出せない。
「いつもコミックやアニメを観ては不思議に思っていたんだ。なぜ、悪役(ヴィラン)主役(ヒーロー)に勝てないんだろうとね。悪役は用意周到に準備を重ねて奇襲までしているのに、結局は主役にやられてしまう」
 ザックはまるで少年のような無邪気な笑顔をミカに向けた。
 コミック、ヴィラン、ヒーロー。ミカにはザックの言っている言葉の意味がわからない。正しくは単語として知っているのに、なぜこの時この場所で目の前のザックの口からそれを聞かされているのかが理解できなかった。
 夢の深淵を危険であると避け続けたミカに対して、ザックは幾度とこの場に来ていた。ミカと違い、ザックにははっきりと自我があった。
「それなら、現実ではどうなのか。主役は悪役を止めることができるのか。僕が悪役なら、主役は?」
 ザックはゆっくりとミカを指差した。
「君だよ。ニューヨークの守護天使。君は弟を失い、正義を求めた。僕も兄を失い、世界の敵になると決めた。君と僕は表裏一体なんだ! この世界の光と闇なんだよ! 君と僕は、お互いの存在を証明するために生まれたんだ!」
 ザックの言葉に、頭の中でぼんやりと何かが浮かんでくる。目の前の男に尋ねなければいけないことがあるはずなのに。そして、それは恐ろしく重要なことであるというのに。
「僕は気を病んでなどいない。夢は僕にきっかけを与えてくれたんだ。感謝しているよ。僕という悪をこの世に解き放ってくれて! 僕という純粋な悪を!」
 ザックは興奮するように腕を広げた。
 夢。その言葉にミカのぼんやりとした記憶が段々はっきりと輪郭を現してくる。
 夢、そして、爆弾。ミカの顔が強張っていく。その様子を見ながら、ザックは続けた。
「君と僕は闘う運命にあるが、その前にひとつだけ聞いておかなければいけないことがある」
 ザックは人差し指を立ててミカを見つめると、敢えて一拍空けてから続けた。
「僕と手を組んで、共にこの世界を支配する気はないかな」
 ミカはその言葉の真意が理解できずに、怪訝そうにザックを見た。
「ふっ、そうだろうね」
 ザックは勢いよく玉座から立ち上がり、大きく目を見開いた。
「ならば、ここが貴様の墓場だ!」
 ザックの身体はみるみると膨張し、身に纏った服が裂けていった。皮膚は黒く硬く尖っていき、口は裂けて歯は鋭くなっていった。眼は血のように赤く光るとそれを覆う顔のすべての皮膚も暗く色を変える。ザックの身体はどんどん大きくなり四つん這いになると背中から黒く大きな羽根が生えた。
「神様……」
 マイケルを失ってからというもの、祈ることをやめていたはずの神をミカは自然と求めた。それほど大きな絶望が目の前に広がっていた。
 ザックは黒く巨大な竜へと姿を変えていた。二つ足で立つと、天に向かい大きく雄叫びを上げた。
「グオオオオオン!」
 その声に塔が震えた。恐怖に足が竦むミカを見て、竜は嬉しそう睨んだ。
「ミカッ!」
 どこからか声が聞こえた。それはフォーチュンの声だった。姿が見えないのに、声だけがミカの頭の中ではっきりと聞こえる。その声にミカは我に返り走りだした。
 逃げようとするミカの背中を竜は鋭く尖った爪で引っ掻いた。竜はミカを痛ぶるためにわざと手加減をして致命傷を避けた。
「ぎゃあ!」
 痛みよりも得体の知れない怪物に触られたショックにミカは叫んだ。恐怖に囚われながら、それでも懸命に逃げようとするミカを、竜は尻尾で腹部をすくい上げるように払った。
 ミカは大きく吹き飛ばされると、そのまま床に叩きつけられた。咳と共に口から大きく血が吹き出る。たった一撃で肋骨がいくつも折れて内臓を突き破った。
 ミカはそれでも近くの大きな柱の陰に這って飛び込み身を隠した。その必死で無様な姿を見て、竜は喜びに顔を歪めた。
「逃げてばかりでは、勝てんぞ!」
 竜は大きく息を吸い込むと、ミカの隠れる柱に向かって炎の息を吐き出した。
「きゃあああ!」
 ミカは柱の陰で身体をかがめて叫んだ。視界は炎で赤く染まり、触れてもいないのに身体が焼かれるような熱に包まれていた。
「もういやあ! 助けて! マイケルー!」
 ミカは必死に弟の名前を呼び続けた。
「ミカ、落ち着いて!」
 フォーチュンが取り乱すミカに向かって必死に語りかける。
「これは夢なんだ。現実じゃない」
「夢?」
 フォーチュンの言葉に、頭の中で現実での記憶がひとつ、ふたつとフラッシュバックする。
「そう。そして、これは彼の夢であるのと同時に君の夢でもあるんだ」
「私の夢?」
 ミカの頭に様々な記憶の映像が火花のように浮かんでは消えた。
「君が彼の夢に入り込んだわけじゃない。ここは君が彼と一緒に見ている夢の中なんだ」
 火花は次第に増え続け、頭の中で目まぐるしく記憶が押し寄せてくる。
「君はミカ! ドリームダイバーの捜査官、ニューヨークの守護天使、ミカ・マイヤーズだ!」
 フォーチュンの言葉に、ぼやけていた視界の焦点が合うように、ミカは夢の中にあって悪夢から目覚めていく。
 竜は炎を吐き終えると、ミカの様子を伺った。どんな風に抵抗するのかを楽しんでいた。
 ミカはうつむいて、ゆっくりと柱の陰から出てくる。
「なんだ、もう観念したのか」
 ミカはうつむいたまま答えない。竜の前まで進むと身体を竜に向けた。
「最後にもう一度だけチャンスをやろう。我が妃となりこの塔に残るなら、命だけは助けてやろう」
 竜は笑いながらミカに言った。その強大な力に酔いしれていた。
「まったく……」
 そうつぶやくミカに竜は違和感を覚えていた。風が吹いている。自身には感じられないが、ミカの髪が、身にまとったドレスがゆらゆらと揺れている。
「誰があんたなんか!」
 ミカは顔を上げる。その目は力強く輝いていた。炎で焼け焦げ、血で汚れたミカのドレスが見る見る白くなり、まるで生きているかのようにひとりでにミカの肩口から身体の前で交差して腰の方へと伸びていき、背中からベルトがミカの腰へ巻きついていく。
 すると、今度は背中から胸の方へ白銀の液体が現れ、ミカを包んだかと思うと、瞬時に硬く精製され甲冑へと姿を変えていく。手足も同じように甲冑に包まれ、白銀に輝いていた。
 ミカの癖のある髪はひとりでにうしろへと流れていき、根本から毛先へと黄金に色を変えていく。埃やススで汚れていた焼けた肌は見る見ると純白になり、瞳は吸い込まれるように澄み切った青へと変わる。そして、背中からは勢いよく白い翼が飛び出した。その姿はまさしく、サタンを天界から追い出した天使ミカエルだった。
 竜は得体の知れない強大な存在に恐怖した。それに支配されまいと大きく叫び声を上げた。
 天使は胸の前に左の掌を広げ、右拳をそれに合わせると、掌から白銀の剣を抜いた。剣の感覚を試すように頭上からひと振りすると、切っ先を床に向けたまま剣を構え、竜の顔を見上げた。その瞳は戦う準備ができたことを伝えていた。
 竜はすぐさま、炎の息を天使に向かって吐き出した。竜は天使のすべてを灰にしようと炎を吐き続けた。
 やがて息が続かなくなり、口から炎が出なくなると、竜は天使の最期を確かめるように目を凝らす。炎が消えた先には、先ほど天使が手から出した剣が何倍にも大きくなり、その大剣を盾に竜の炎をすべて防いでいた。
 竜は驚き、すぐに尻尾を天使に向かって振りかざす。天使は大剣を両手で持つと素早く手元でひと回りさせ、その重みを利用して剣を振り上げた。
 竜の尻尾は大剣に斬り裂かれ、赤い血を振り撒きながら大きく跳ね上がる。竜は悲鳴を上げ、すぐ反撃に鋭い爪を天使に振り下ろした。
 天使は翼を使って飛び上がると同時に大剣で竜の手を斬りつける。天使は空中を縦横無尽に飛び回りながら、大剣で竜の身体を次々と切り裂いていった。
 竜も堪らず声を上げながら天使を捕まえようと手を振り回すが、その速さにとても追いつけない。
 天使は竜の腹を横一線に斬りつけると、大きく上に飛び上がった。頭上で高らかと大剣を振り上げる天使を竜は見上げた。そして、その美しさに目を奪われた。
 天使が一気に竜の肩口から大きく縦に大剣を振り下ろした。竜はその一撃に口を開けたまま固まった。
 大剣を振り抜いて天使は着地する。天使が身体を起こして振り返るとすでに竜の姿はなく、身体を肩から半分に裂かれた裸のザックが床に横たわっていた。
 ミカはそのザックに近づく。すでに天使の姿ではなく、ジーンズにTシャツ姿に戻っていた。
「やはり、こうなるのか……」
 ザックは明らかに致命傷を受けていたが、出血はなく、根本的に弱っているように見えた。夢の最深部で身体との繋がりが曖昧になっているようだった。
 ミカはザックの傍まで近づくとしゃがんでザックの顔を見つめた。「ジンガーノ」と呼びかけようと口を開いたが、ミカは躊躇った。
「ノア……」
 ミカはザックをそう呼んだ。ザックは気恥ずかしそうに笑ったが、どこか嬉しそうでもあった。
「爆弾はどこ。あなたの最後の爆弾は」
 ザックは観念したように目を閉じると、ふたたび目を開きミカを見つめた。
「爆弾は僕だ」
 謎解きのようだが、ふざけている様子はなかった。ミカはザックの言葉の続きを待った。
「僕に仕掛けた。僕の人生に。多くの人の命を奪ったのに、とうとう自分を消すことはできなかった。自分の大事な人を消すことができなかったんだ。そうすれば、怒りで世界を焼き尽くす本物のモンスターになれると信じていたのに。そうすれば、ネイサンを一人きりにさせやしないのに……」
 夢を共有しているせいか、ミカの頭の中に自然とザックの思いが浮かんでくる。
 ネイサン、ノアの兄。一緒にベッドで布団を被り、タブレットでアニメを観て笑い合っている。ノアがネイサンに笑いかけると、いつだってネイサンはノアを見て優しく微笑んだ。
 ミカの前でザックは宙を眺めて微笑むと涙を流した。何かに触れようと力なく手を伸ばす。ミカは横たわるザックをしばし見つめた。ザックをこうして置いていくことに躊躇いがあった。
「ノア、いい夢を」
 ミカはそれを断ち切るように立ち上がると目を閉じ、静かに呟いた。
「アイム、アウト」

 ミカはゆっくりと目を開けた。まぶたは重く、目を開けるのがやっとだった。部屋の明かりがとても眩しくて目を凝らす。
 ミカの顔を見て涙を流しているドクの微笑む顔が見えた。チームの皆も駆け寄って目覚めたミカを覗き込んだ。
「ノア……、ノア・ナザラスの生家を。ネイサン・ナザラスの弟、爆弾はそこに……」
 やっとの思いでそこまで伝えると、ミカはふたたび意識を失った。皆が心配してミカの名前を大声で呼び続けたが、ミカの耳には届いていなかった。
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