第20話 帰還①

文字数 2,234文字

 ミカは目を見開くと身体を大きく弓なりに逸らし、限界まで息を吸い込んで目覚めた。咳込みながら身体を起こすとすぐに、慌てた様子で両手で自分の顔を拭った。
 両手を開いて確認し、自分の手の平に何もついていないことに安堵する。夢から脱出する間際、顔に何かの液体のような物がかかり視界を塞がれたように感じたからだ。
 良かった、無事に戻れたのだと頬を緩ませ、同じような顔でミカを見ているだろうJJの方に目を向けた。
「えっ……?」
 ミカは呆然とした。ドクをはじめとする医療スタッフたちが処置台を取り囲み、心臓マッサージなどの救命処置を行なっている。
 スタッフの影に隠れて、その処置を受けている人物の顔がわからない。ミカは処置台を降りて恐る恐るその人集りに足を進める。
 懸命に処置を行うスタッフたちの背中の間から、褐色の肌が見えた。
「いやあああ!」
 ミカは、処置を受けながらも目を閉じたまま反応のないJJの顔を見て絶叫した。
「離れるんだ!」
 ドクがミカを腕で押し除ける。するとすぐにスタッフの一人が両手に電気ショックのパッドをJJの胸に当てて電流を流した。乾いた音と共にJJの身体が跳ね上がる。それほどの衝撃を受けているというのに、JJの目は開くことはなかった。
 ドクがスタッフたちに何か合図を出し、パッドを持ったスタッフがそれに反応して立ち尽す。心臓マッサージを行なっていたスタッフも荒くなった息を整えながら、JJの身体から離れた。
「なんで! どうして止めちゃうの!」
 ミカがドクの白衣を掴んで揺すった。しかし、ドクは俯いたまま、なすがままにされている。
「続けて!」
「駄目なんだ!」
 それでも食い下がるミカにドクは言い放った。
「駄目なんだ、彼はもう……」
 そう言って口を噤むドクの姿には恐ろしいまでの説得力があった。
「そんな……」
 ドクの白衣を掴んでいたミカの手から力が抜ける。ミカは呆然としながらゆっくりと処置台に横たわるJJに近づいた。
 ドクは何度かこの状況を経験していた。ドリームダイバーでの取り調べ中、対象者が突然心停止を起こすことがあった。それまで通常通り拍動していた健康な成人男性の心臓が、なんの前触れもなく停止してしまう。あまりに非科学的であったが、ドクは、まるで魂が身体から切り離されてしまったようだと考えていた。
 これまで心拍が再開した例はなく、恐らくJJも。それならばこれ以上、JJの身体に苦痛を与えてやりたくなかった。
 ミカはJJの傍らまで近づくと膝を着いた。今にも目を開いて、いつものように軽口を言いそうなのに、目の前にいるJJがすでに息絶えてしまっているだなんて、到底受け入れ難い現実だった。
「お前には俺がついてるじゃないか」
「アホか、お前を女だと思ったことなんて一度もねえよ」
「お前が続けるなら、ケツ蹴られてでもついていくさ。俺はお前の相棒だからな」
 JJの姿が次々に思い出される。ミカの視界は涙で滲んだ。
「ジョニー……!」
 出会った頃、警察学校時代の呼び方でJJの名前を呼んだ。
 JJの腕に触れて顔を伏せた。同じように、ミカの傍らでは、頬を涙で濡らしたドクが両手でJJの顔を慈しむように包んでいた。
 自分を助けるためにJJは命を落としてしまった。自分のせいでザックの爆弾により多くの命が奪われた。そして、数時間後に爆発するザックの爆弾によって、さらに多くの命が失われてしまう。あの悪魔のせいで。
 ミカは勢いよく立ち上がった。そして、力強く歩きだすと、処置台に横たわるザックに近づき、唸り声を上げながら両手でザックの首を締めた。その様子にまわりのスタッフは驚き、制止しようとする。
「いいんだ。彼女の好きにさせてやってくれ」
 涙を流してJJを見つめながらドクが言った。その言葉にスタッフたちは一様に目を丸くしてドクを見ていた。
 ドクの心は悲しみに暮れ、医師としての倫理感も人としての良心も忘れ去っていた。もしミカがザックの命を奪うとしたなら、それは仕方のないこと。あとはミカの不利益にならないように、報告書を書き換えればいいとさえ思えていた。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる」
 ミカの思考はザックへの殺意で塗り潰されていた。そこには使命感などなく、純粋な私怨のみがあった。
 怒りに目を見開き両手に力を込める。ドクの言う通りにスタッフたちは戸惑いながらもミカを止めることができない。
 殺そうと首を締め上げているはずなのに、なぜかミカの両手から自然と力が抜けていく。まさに今、命が終わらされようとしているというのに、まるでミカがそうしないと信じているかのように、ザックは安らかな顔で眠っているからだ。
「なんで、そんな平気な顔して眠り続けていられるの」
 多くの人の命を奪った爆弾魔なのに、アイリスとJJを殺した憎むべき仇のはずなのに。ミカはザックを見つめて悔しそうに呟いた。
 彼にも少年時代があり、楽しい思いも辛い思いもして、今は目の前にいる。ミカはザックに近づき過ぎていた。彼を深く知ることで憎むことが難しくなってしまっていた。
 昔から知っていたかのような、まるで目の前のザックが自分の弟のようにさえ思えてくる。いなくなってしまったマイケルが大人になったかのように。
 ミカの両手がザックの首からゆっくりと離れていく。その手は見てわかるほどに震えていた。ミカはザックの処置台の脇にへたり込むと項垂れて呆然とした。どうしたらいいのかわからず、途方に暮れていた。
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