第3話 疑念②

文字数 2,709文字

 ある事件を解決したことにより、ミカは一躍時の人となった。マスコミは話題の敏腕刑事と連日取り上げ、ミカのまわりは急に騒がしくなったが、それは捜査の足かせでしかなかった。顔が割れてしまえば、偶然ミカを見かけた犯人に逃げられてしまうかもしれない。それでは極秘の作戦など真っ先にはずされてしまう。ミカはメディアへの露出を嫌い、移動のたびに現れるマスコミをあしらう毎日だった。

 ニューヨーク市マンハッタンでも、市庁舎をはじめ、多くの官公庁舎が並ぶエリアの一角に「ポリスプラザ一番地」ニューヨーク市警本部はあった。ニューヨークの治安を維持する総本山。その日もニューヨーク市警本部庁舎を目指して歩きながら、ミカは数組のマスコミに囲まれていた。すると、庁舎の前に場違いな十歳くらいの女の子が、手に封筒のような物を持ってミカを待っていた。
「どうしたの?」
 ミカは足を止めて、緊張に顔を強張らせた女の子に話しかけた。すると、一人のマスコミの男が取材に熱中するあまり小さな女の子に気づかず、勢い余って女の子を蹴り飛ばしてしまった。その女の子は地面に放りだされ、手に持った封筒はその男の足の下で無残に踏み潰されていた。
「あんた、何してんのよ!」
 ミカは激昂し、半ば条件反射のようにその男の顔に右ストレートを放った。その男がかけていた眼鏡は大きく飛び上がり、男は「うっ!」とうなって鼻を抑える。
 ミカが「しまった」と思った時には、まわりのマスコミがスクープだと言わんばかりに乱暴に写真を撮りだした。
「大丈夫! ぼくはなんともない! 大丈夫! 大丈夫!」
 男は大声でそう言いながら両手を広げて、ミカに向けられたカメラの間に立ちはだかった。
「あなた、その鼻」
「え?」
 ミカが男の顔を指差した。鼻が見てわかるくらいに曲がってる。男が自分の鼻を触ってみると確かに曲がっており、男は「ああ」と、さも当然というように平然を装うと、次の瞬間、ふっと気絶した。

 後日、ミカは殴ってしまった男を見舞いに、男が勤めるオフィスへと出向いた。男はアメリカでも有数の全国誌に記事を書いているジャーナリストで、アダム・オースティンといった。彼の配慮もあり、「ニューヨーク市警刑事、市民に暴行!」というような記事にはならずに済んだ。そこにいた女の子もそれに一役買っていた。
 彼女と並んで撮られた写真が次の日の新聞を飾った。「少女を救ったニューヨークの守護天使、『ミカエル』・マイヤーズ」と表されていた。

「すみませんでした」
 ミカは出版社の応接間のソファに腰かけていた。
「いや、きみは何も悪くないよ。ぼくの方こそ恥ずかしいです」
 アダムは鼻をガーゼで覆い、その上から銀のプレートのような物で鼻をがっちりと固定されている。アダムはミカの前にソーサーに乗ったコーヒーを差しだし、自身もソファに腰かけた。
「治療代と壊してしまった眼鏡の代金は必ず支払いますので」
 ミカとしてはトラブルを回避するためにも、ここは手早く金銭で解決しておきたいと思っていた。
「大丈夫ですから。でも、本当に悪いと思ってるなら……」
 男はそこまでいうと、一泊置いて続けた。
「今晩、ディナーに付き合ってくれないかな」
「は?」
 予想もしてなかった男の節操ない言葉に、ミカは怒りすら覚え、それが顔に出るのを抑えることができない。
「いや、これはそういうのじゃなくて、ああいう出来事のあとだから、僕たちは友好な関係を築いていたほうがいいと思ふんら」
 ガーゼのせいか、所々、喋り方が変で、それが妙に可笑しかった。途端に笑いが込み上げてきて、ミカはたまらず吹きだした。

 アパートのドアが開くとアダムが二人を迎え入れる。
「やあ、ハニー!」
 JJの肩を借りていたミカが上機嫌でアダムに抱きつく。アダムも抱きかかえるようにミカを受け止めた。
「JJ、すまない。連絡してくれれば迎えに行ったのに」
 アダムはミカを抱えたまま、JJに詫びた。
「いや、いいんだ。こちらこそすまない。ちょっと呑ませすぎた」
 JJの言葉にミカはため息を漏らした。ひとりで深酒したにも関わらず、JJは恋人の手前、あえて自分が飲ませたかのように取り繕ってくれた。ミカも悪いとは思いながら、その厚意に甘えさせてもらおうと沈黙した。
「じゃあ、これで」
「寄っていったらいいじゃないか。コーヒーでも飲んで行ってくれよ」
「いやあ、おれはその……」
 JJは答えに詰まると、ダンスでもするように軽く腰をくねらせてみせる。
「ああ、そう。なるほどね」
 今夜のパートナーとの予定を匂わせるJJに、アダムはそういうことかと顔をほころばせた。
「じゃあな、バディ。ゆっくり休めよ」
 ミカはアダムの胸に顔をうずめたまま、礼代わりに手を軽く挙げる。
「ありがとう、じゃあ、また」とアダムはJJを見送ると、ドアを閉めた。
「さあ、ミカ、もう少しだ。頑張って」
 ミカはアダムに引きずられるようにして、リビングのソファに腰を下ろす。アダムはキッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターをグラスに注ぎ、ソファに座るミカへ差しだした。
「ありがとう」
 ミカが受け取るのを見て満足そうに微笑むと「着替えを用意するね」とアダムは面倒がる様子もなく甲斐甲斐しく動いた。
 ふたりで住むにはやや手狭だが、手を伸ばせば物が届くという距離感は忙しいふたりには都合が良かった。部屋は飾り気がなく、表彰を受けることも多かったふたりだったが、それを部屋の壁にひけらかしたりはしなかった。あるのは小さな額縁がひとつだけ。
 ミカはアダムから受け取った水を半分ほど流し込むと、ソファに大きく身体を預け、ふうと体内からアルコールを吹きだした。
 すると、おもむろに電話のベルが鳴る。電話はすぐに留守番電話へと繋がった。
「ミカとアダムの電話です。ご用の方はメッセージを」
 発信音が鳴っても、電話の相手はすぐに話しださない。この電話にためらいがあるかのように。
「やあ、ケヴィンだ……。ケヴィン・ノークスです。久しぶり、事件解決おめでとう。勲章だってね。誇らしく思うよ」
 ミカはその名前と声に反応して、咄嗟にソファから身体を起こした。
「忙しそうにしてるようだけど元気にしてる? こっちはデスクが板についてきて、なかなか悪くないよ。……いや、そういうつもりじゃなくて。ただ嬉しくなって、それを伝えたかっただけなんだ。じゃあ、身体に気をつけて」
 メッセージが終わってもなお、電話を見つめ続けるミカに寝間着を持ったアダムが声をかけた。
「でなくてよかったの?」
「うん……」
 アダムに余計な心配をかけてはいけないと思いつつも、ミカは電話から目が離せないでいた。
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