第16話 混沌の中②

文字数 3,695文字

「え……? 何言ってるの?」
 ミカはドクの言葉が理解できずに呆然としていた。 
「君は彼がティーンエイジャーのようだと表現したね。それは、君が心の奥底で彼のことをマイケルだと思いたかったからじゃないないのか。君の弟なら、もう立派な大人の男性のはずだ。君の中で弟という存在が彼を若く見せていたんじゃないだろうか」
「そんな」
「当初、君は彼を危険視していたが、本当は彼の姿や言葉に落ち着いたんじゃないか。君の脳波が著しく乱れたあと、急に安定した時が何度もあった。ストーリーと照らし合わせてもそう判断できる。だから、私にとって、彼の存在は複雑だった」
 ミカは呆然とドクの言葉を聞いていた。ドクはミカの様子を伺いながら続けた。
「ミカ、近頃の君は副交感神経が優位になってきていて……」
「わかるように言って!」
「つまり……、君は起きながら眠っている状態なんだ。最近、酷く倦怠感を覚えたり、疲れやすくなっていないかい。元来、動物は狩りをする時と眠る時とで、身体の仕組みをスイッチしているんだ。休む時は瞳孔が閉じたり、筋肉が緩んだりする。心臓にしても眠る時はポンプの機能を低下させている。その状態で君は犯人を追って駆け回っているんだ、身体が悲鳴を上げないわけがない。随分前から兆候は見られたが、最近ではそれが顕著に現れてきている。そして、それは君の精神にまで及んできてしまっているんだ。危険なサイコパスの精神に触れるストレスと任務の孤独さとが、それを分かち合える『彼』という存在を生み出してしまったんだと思う。今、君の精神は二つに乖離しようとしているんだ。そして、君は強迫観念や妄想癖が強くなり、どんどん君と彼だけの世界へ向かっていってしまっている。ミカ、君はもう……」
「やめてー!」
 限界だ、と続けようとしたドクの言葉をかき消すようにミカが叫んだ。フロアは静まり返り、皆、ミカの怯える姿を見ていた。すると、JJが静かに語りだした。
「お前、前によく俺に言ったよな。『ネットなんて牛の(ブルシット)』って。弟の件で、メディアは次第にお前の両親にあらぬ疑いをかけて、ネットからの誹謗中傷に苦しめられたんだったよな。お前は賢い、捜査のツールとしてハイテクを利用したとしても、目に見えないものや、手で触れられないものに価値なんてないと言える人間だったじゃないか」
 ミカは自分の言葉を思い出し、僅かに頷いた。
「ティーチャーなんていない。ネットが生んだ妄想だ。本当に危険なのは、現実に存在する人間だ。爆弾魔や、上にいる奴らだ!」
 JJが天井を指差し、声を荒げ、続けた。
「ジンガーノの夢に潜ることになって、お前の身体を案じたドクが任務を中止させようと掛け合った時、奴はなんて言ったと思う。『責任はジンガーノを無事に逮捕できなかったマイヤーズにある。そうなれば、マイヤーズが陽の目を浴びることはもうない』そう言ったんだ」
「なぜ君がそれを……?」
 ドクはドリームダイバーの経験があるジンガーノの夢に潜ることがいかに危険であるか、また、そのミカ自身の心身が限界に近いことをある人物に直談判し、部屋にはその人物とドクの二人きりだったと記憶していた。それを目の前にいるJJが知るはずがなかった。しかし、JJはそのまま続けた。
「今のお前の精神状態じゃ、それは死の宣告だとわかっているのにだ!」
「やめないか!」
 ドクのJJを止める声がフロアに響いた。ドクはこれ以上ミカを絶望させたくなかった。
 口を噤んだJJは、目を閉じて意を決したように語りだした。
「すまない……、俺がネズミなんだ。ティーチャーなんて途方のないものじゃなく……」
 スミス、そして、その上にいるカーター。JJの口から聞くまでもなかった。しかし、不思議とJJのことを恨む気にはなれなかった。仲間を重んじる彼が出世欲に駆られて自ら進んで任務をかって出たとは思えなかったからだ。ミカと同期生であることで選ばれ、きっと苦悩しながら任務に就いたに違いない。人事権のある局長クラスに楯突くなど、一刑事には到底できるはずもなかった。
「この計画の実働が決まった時、俺はお前が裏切らないか監視するようにスミスから特命を受けた。お前のことを逐一報告するようにと。奴らはお前が壊れるまで使うつもりだぞ。カーターは危険なフェミニストだ。お前がカーターと同じ女であること、メディア映えするカリスマ性、奴らはお前以上の適任者はいないと考えているんだ。そして、奴はお前が壊れてしまっても、それをプロパガンダにするつもりだろう。お前は奴にとことん利用されるだけなんだ」
 そこまで黙って聞いていたミカが唐突に吹き出した。
「あははははは!」
 ミカは大声で狂ったように笑いだした。
「まるで、娘のよう」そんなカーター市長の甘い言葉を信じていたわけではない。利害関係があったからこそカーター市長についていくことをミカ自身が決めたはずだった。権力を手に入れるためにカーター市長の望むままドリームダイバーで数多くのシリアルキラーたちと戦ってきたというのに、カーター市長にとってミカは消耗品でしかなかった。そうとも知らず心を擦り減らして、挙げ句の果てには自らがそのシリアルキラーと同じような狂人になりかけている。
 ニューヨークを守り、大いなる犠牲となる。ともすれば、それはミカの死によって完成されるのかもしれない。あまりに滑稽で屈辱的だった。ミカは顔を覆った。笑いながら泣いてしまいたい気分だった。
「もうこんなことやめよう。お前が警察を辞めるなら、俺も辞める。お前が続けるなら、ケツ蹴られてでもついていくさ。俺はお前の相棒だからな、その気持ちに嘘はない、だから信じてくれ。俺たちが爆弾を探す。必ず見つけだしてみせる」
 JJは優しくミカに語りかけた。
「無理よ。見つけられないわ」
 ミカは顔を覆ったまま言った。
「そんなことはない!」
 JJの反論にミカは顔を覆っていた手をどけてJJに向かって言った。
「だって私たちはリックを見つけられなかったじゃない! あんなに探したのに! あんただって見たはずよ、あの箱の中身を。あんな……、あんな、惨いこと」
 ギルバート・ギャレットの手にかかり命を落としたリック・ローガン巡査。当時分署の刑事であったミカとJJもあの日、各々、必死でリックを探し続けた。しかし、彼を見つけた時はあまりに遅すぎた。箱の中にバラバラにされて詰められ、その顔は断末魔の恐怖に歪んでいた。
「でも、私は倒したわ。あのギャレットを。このドリームダイバーでね。全員を救うことはできなかったけど、奴の思い通りにはさせなかったわ。今回だって私が止めてみせる!」
 そう語るミカの瞳に迷いはなく、先ほどの狂気が嘘のように決意に輝いていた。
「無茶だ。これ以上深く潜ったら戻ってこれる保証はない。こちらの声も届かないかもしれないんだよ」
 ドクがミカを説得しようと試みる。
「やってみせるわ」
「承諾できない、とてもじゃないが」
「なら、こうするしかないわね」
 ミカは素早く腰に手を延ばすと、グロッグを抜き、銃口をドクに向けた。ドクの顔が恐怖に凍りついた。
「ミカ、やめろ! 馬鹿な真似はよせ、今すぐ銃を置くんだ」
 JJが必死にミカを止めようとする。ドクを撃つはずがないと信じてはいるが、このままではミカの刑事生命に関わってしまう。
「私はこの上なく冷静よ。おかげで目が覚めた気持ちだわ」
 銃口をドクに向けたまま、目だけはJJに向けられていた。ちょうど犯罪者が人質を取るように。それを見たスタッフの一人が助けを呼ぼうと電話の受話器を上げる。
「大丈夫だ、彼女は撃たない」
 それに気づいたJJがミカを刺激しないようにスタッフを止めた。しかし、ミカは銃口を電話の置いてあるデスクに向けて発砲した。閉鎖された空間に銃声が耳に痛いくらいに反響した。
「おい!」
 ミカに向かって叫ぶJJに、素早く銃口を向けて狙いを変える。
「今すぐ私を中に戻しなさい! これは命令よ!」
「警部補! なら、進言します。危険とわかっていてみすみすあなたを行かせるわけにはいきません」
 エスカレートしていくミカに負けじとJJは必死で食い下がる。
「言うことを聞きなさい! 撃たれたいの!」
「撃ちたきゃ撃て! これは罠だ! 奴をお前を深みに誘って引きずり込もうとしてるんだぞ!」
 銃で狙われているのをものともせずにJJは捲し立てた。胸を張って自ら銃口に近づくほどだ。
「じゃあ、これならどう?」
 ミカは銃口をJJから逸らすと、今度は自分のこめかみに銃口を当てた。
「この戦いに敗れたら、私は終わりよ。どうせ同じことだわ。誘ってるなら会いに行ってやるまでよ。リスクを冒さなきゃ逆転なんてできっこない。私が前に走ったら、あんたはその自慢の肩でロングパスを投げる。そうでしょ?」
 JJはミカを睨みつけながら、怒りに震えていた。
「くそー!」
 JJが叫んだ。とても反論できない。結局、土壇場でミカに頼るしかできない自分が悔しかった。
「わかった。言う通りにするから、銃を下ろしてくれ」
 ドクが観念するように言った。
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