第19話 出逢い①

文字数 4,104文字

 JJはミカが嫌いだった。JJがミカと出会ったのは大学を卒業した翌年、ニューヨーク市警の警察学校で同期生として入学した頃のことだった。
 ミカは寡黙で笑顔も見せず、いつも一人だった。なにより気に入らなかったのは、成績が飛び切り優秀だったことだ。自ら首席卒業を宣言していたという、噂の人物だった。
 なんておこがましい。よほど傲慢で性格のねじ曲がった奴なのだろう。どうせ今までろくに友達がいたこともないはずだ。JJ自身も仲間内でそんな風にミカを悪く言ったこともあった。
 かたやJJは成績など気にしていなかった。筆記テストなんて平均点が取れていればいいし、大学までフットボールをやっていたJJは実技の訓練が大した苦労には感じなかった。いい成績を取ることなんかよりも気の知れた仲間たちと楽しい時間を過ごす方がよっぽど有意義であると思えた。そんなJJにとって、ミカは到底合間見えない存在だった。

 アカデミーのカリキュラムも折り返し地点を越え、実技は最終段階に入っていた。その日も屋内訓練場での突入訓練のテストが行われようとしていた。
「ツーバディ二組のフォーマンセルで、急襲作戦を行う!」
 全身黒の戦闘服に装備を整え隊列を組む学生たちの前で教官が吠える。しかし、JJはその説明の半分も頭に留めておくことができなかった。気が遠くなりそうな背中の痛みにじっと耐え続けていたからだ。休めの背筋を伸ばした姿勢が拷問のように感じる。一刻も早くこの状態から解放されたかった。
「ワイルズ、プレイス! ベル、サダス!」
 教官がバディの組み合わせを呼び上げていく。
「ジョーンズ、マイヤーズ!」
「マジかよ……」
 それを聞いてJJは目を閉じた。心の声が口から漏れ出るのを止めることができなかった。
 JJは余暇を使い、仲の良い同期生たちとフットボールをしていた。パスを受け、現役時代に得意としていたロングパスにボールを思い切り投げた時、背中に激痛が走った。
 身体を動かすだけで背中が鋭く痛み、呼吸すらままならない。すぐに氷で冷やし安静にしていたが痛みは収まらず、時間の経過と共にかえって痛みが増していくほどだ。テスト前に不覚を取ったと後悔していた。
 そこに、追い討ちのようなミカとの組み合わせ。首席卒業を目指すミカにこのことが知れればテストの邪魔になると判断し、すぐ教官に告げ口するに違いない。そうなればテストは中止、怪我の具合によっては最悪、科目不履行で退校処分ということもあり得る。そうなれば、せっかく苦労して入った警察を解雇されるということを意味していた。
「冗談じゃない、ようやくここまで来たのに」
 JJは奥歯を噛みしめた。
 いよいよJJとミカの順番が来る。進入するドアの前で痛みに耐えながら待機した。
「たった五分、一◯分の我慢だ」そう自分に言い聞かせ、背中が痛まないように小さく深呼吸した。
「ゴー!」
 同じ組の三人と同様に一気に建物の入口のドアを潜り抜けた。しかし、すぐに背中に激痛が走り身体を思うように動かすことができない。JJは開始早々に三人から遅れを取った。
「クリア!」
 他の学生たちが声を上げる。JJはようやくミカの背中に追いつくが、すぐに次の部屋への突入が始まり、息をつく暇がない。
 ミカはJJの動きにやきもきしながら、進行を続ける。すでに二組の動きにずれが生じ始めていた。
 部屋に突入すると、ランダムに配置された敵を表す的が視界に入る。JJを除く三人は素早く小銃を構え、的確に訓練用のペイント弾を命中させた。
 敵を制圧するとすぐに次の部屋へと続く入口の前で待機する。
「あんた、何やってんのよ!」
 とうとうミカが遅れを取るJJを叱責した。JJは痛みに息も絶え絶えでそれに応えることができない。顔から大量の脂汗が流れる。それを見たミカの顔が一瞬曇った。
「気づかれた」JJは背中の痛みと落胆とで、その場にへたり込みたい気持ちになった。そんなJJをよそに、前を進む組の学生が叫んだ。
「ゴー!」
 その学生たちはテストに舞い上がり、JJとミカの組の遅れを感じ取れていない。
 ミカはJJの前に立つと、背中をかばいながら進むJJと同じ速度で進んだ。
 次の部屋に進むと、前方を進んでいた組が死角から現れた教官たちに襲われていた。それに気づいたミカとJJもすぐに教官たちに羽交い締めにされ、頭から黒い袋を被せられた。

 ミカとJJ、一緒に突入した組の二名は他の学生たちの前で膝を着き、手を頭のうしろに組まされていた。
「この四名は人質になった!」
 主任教官は休めの姿勢で整列する他の学生たちを威嚇するように徘徊した。
「お前らはこの四人を救いだすために、更なる死地に臨まなければいけなくなったということだ! 敵を確保するために突入しているというのに、仲間を危険に落とし入れる奴があるか!」
 学生たちから最も恐れられている主任教官が吠える。学生たちは萎縮しながらも、自分でなくて良かったと安堵していた。
「特にお前らだ、ジョーンズ! マイヤーズ!」
 主任教官が二人のうしろに立つ。
「お前らの遅れが仲間を危険に晒したんだ! 相手が血も涙もないテロリストなら、敵にたっぷり可愛がられてから、死体は野ざらしだ!」
 JJはそれを聞きながら生きた心地がしなかった。主任教官はいつにも増して執拗にミカを責め立てていたからだ。わざと侮辱的な表現をし、皆の前で晒し者にするような真似をして、いつミカがJJのせいだと言い出さないかと恐れていた。
 主任教官はなおもミカを攻めた。しかし、決してミカをおとしめようとしたためではなかった。それはむしろ逆で、ミカに対する期待の現れだった。優秀であり、大抵のことは卒なくこなしてしまうミカを他の学生のように精神面で鍛えることがこれまでできなかったから、こんな機会はもう訪れないだろうと思い徹底的にやった。
「暗がりに乗じてこいつとよろしくやってたんだろ? どうなんだ! マイヤーズ!」
 主任教官がうしろからミカの背中を押すように蹴る。ミカは前のめりになり、地面に手を着いた。
「もう勘弁してくれ」
 それを横で見せられるJJは心の中で祈った。手を着いたミカの手が拳を作り、硬く握られた。
「もう駄目だ」
 JJは諦めて天を仰いだ。しかし、ミカはその拳で強く地面を押すと、手を頭のうしろで組み、元の体勢に戻った。
 JJは理解に苦しんだ。主席卒業を狙っていてプライドが高く意地が悪いと噂のミカが、いくら罵倒されても、一向に口を噤んだままだったからだ。JJは黙って攻められ続けるミカの顔を横目に見た。その横顔は無表情で、何を考えているのかJJには読み取れなかった。

 課業後、ミカとJJは警察学校の一周四◯◯メートルのグラウンドを走っていた。
 いくら攻めても一向に堪える様子を見せないミカに対して、主任教官はペナルティとしてミカとJJにグラウンド二◯周を命じた。
 JJは背中が痛まないように注意を払い走る。その自分の前を走るミカの背中を見つめながら。
 突入訓練の時、ミカが一瞬見せた表情。あの時、ミカはなんらかの異変があることに気づいていた。それにも関わらず、ミカはJJのせいにしなかった。そして、今も背中をかばいながら走る自分のペースに合わせて走っている。ミカならばもっと早く走って、このペナルティを早々に終わらすことができるというのに。
 JJは思い直していた。こいつは噂通りの奴ではないのかもしれないと。
「おい」とJJがミカの背中に声をかける。ミカは返事もせずに走り続けている。
「貸しだなんて思うなよ。誰も頼んじゃいねえんだからよ」
 ミカは黙ったまま走り続ける。憎まれ口の一つでも返してくれれば、いくらか気が楽になるのにと、JJは複雑な気持ちになった。
「なあ、なんで黙ってたんだよ。本当は知ってたんだろ?」
 JJは気まずさから、ミカの背中に向かって話し続けた。
「いいのかよ。主席卒業目指してたんじゃねえの」
 その言葉にミカは僅かに首を傾げると、すぐに前を向き直す。
「それを取ったら、いい警官になれるの?」
 ミカは前を向いたまま独り言でも呟くように言った。
「お前、クールだな」いつものJJなら、そんな風に言って茶化しているところだが、それができなかった。声が出せなかった。
 自分より背丈も小さく、腕力でも恐らく勝る相手に対してJJは敗北感を覚えていた。堪らなく悔しくて、目には涙が滲むほどだった。それと同時に、それにも勝る尊敬の念をミカに抱いていた。
 ミカは成績のことなど始めから気に留めていなかった。ただ優秀な警官になりたい、その一心で努力を重ねていたのだと気づいてしまった。前を走るミカは自分が想像した更に上の次元にいる。いかに自分が矮小であるかを痛感させられた。
「俺もこんな風になりてえ」
 心の底からそう思った。JJにはミカが堪らなく恰好良く見えた。

 そこからJJは人知れず努力を重ねた。普段はそれまで通りに明るくいい加減に振る舞っていたが、一人の時は夜遅くまで勉強した。疑問に思ったところは自分からミカに質問するようになり、それがきっかけで段々と二人は打ち解けた。人気者のJJがミカと接していることで、まわりの学生たちが持つミカの印象も変わりはじめていた。
 警察学校卒業の時には努力の甲斐もあり、JJは上位の成績を修めた。そして、ミカは主席卒業を果たし壇上で表彰されていた。その姿を他の学生たちも拍手で称賛していた。JJはその姿を純粋に喜ぶことができた。
 感謝していた。ミカと出会わなければ、パトロールの合間に食べるドーナツと日曜日のフットボールだけが生き甲斐のしがない一巡査で終わっていたかもしれない。それが、今では世間を賑わせる大事件を最前線で捜査している。この上なく充実したスリリングな警察人生を送ることができている。すべてはミカのおかげだった。

 JJは校舎の廊下に立っていた。Tシャツとジーンズにブーツ。その上には防弾ベストを装備している。
 JJは自分がザックの夢の中にいることを認識すると、ホルスターから使い慣れたグロックを抜いた。
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