第5話 医者①

文字数 1,773文字

 ギルバート・ジョージ・ギャレット。彼は医者の家系で育った。祖父も父親も叔父も医者だった。皆、すべからく優秀だったが、ギャレットの学力は人並みだった。祖父や父親に習い必死で努力したが、それに応じた結果は得られず、ギャレットはそのことをいつも父親から叱責された。父親は酔うと決まって「馬鹿な母に似た。きっとお前はあの男の息子だろう」と言った。
 ギャレットの母親は容姿こそ良かったが、月並みの女だった。父親とは縁談で出会ったのだが、不釣り合いな家柄にも関わらず父親は母親を熱心に口説いた。母親は父親の誠実さに惹かれ、ふたりは結婚した。しかし、父親の態度は途端に高圧的になる。家柄が不釣り合いであることは父親にとって好都合だった。父親は人を見下す性分で、歪んだ性格の持ち主であった。母親は良き妻であることを強いられ、毎日のように父親から罵倒されていた。母親は次第に追い詰められ、ある日、不貞を働いた。母親はその男と逃げようとしたが、直前に父親に捕まり、世間体を気にした祖父と父親は、囚人のように母親を家に閉じ込めた。ほどなくして、ギャレットは生まれた。
「私の子ではない」そう父親に言われて妙に納得できた。そうでなければ、これほどまでに実の父親を殺したいと思うはずもない。
 父親の望んだレベルに到達はできなかったが、ギャレットは医科大学に入り、外科医を目指すことになる。
 その初期衝動は検体による解剖生理の授業だった。ギャレットは人の複雑で巧妙な機構に魅了された。命の流れが理解できた。そして、すぐにそれを遮断してみたいという気持ちになった。その時、人はどんな顔をするのだろう。想像すると、ギャレットの陰茎は硬くなった。それ以来、ギャレットはそのことばかりを考えるようになった。

 ミカは手渡された資料に目を通した。セラピストとの対話でわかったことで、本来なら守秘義務により公表されるべきではない情報だったが、ギャレットの夢に潜るため、カーター市長の差し金で市警はその情報を入手していた。
 これをもとにストーリーを決め、いかに情報を奪取するかが話し合われた。
 潜入の目的は被害者の人数、身元の確定、遺棄された場所であった。それにカーター市長が付け加えたのが、「絶対にギャレットを生かしておくこと」だった。
 ギャレットを殺してしまえば、情報の奪取も叶わず、世間からは警察が敵討ちに謀殺したと弾圧されるに違いなかったからだ。
「なんとも無茶な」スミスは心の中でつぶやいた。
 今までは、ふたりとも同意のもとで夢に潜る実験のみを行なってきた。片方が認識のない状態での潜入は行なっていないのだ。
 ストーリーに沿って夢のコントロールを試みることはできるが、どこまでそれが可能かは未知数だった。それをサイコパスの危険な精神世界を相手に試さなければならないのだから、下手するとミカの精神が崩壊する。
 しかし、この実験の終着点はそこであったし、ミカが承諾しなければ、そもそも中止になっていた計画なのだ。「試してみるか」スミスはそう思った。

 ギャレットは収監された刑務所から移送されることとなった。刑務官の人数に対する囚人の人数調整、適当な理由だった。
 刑務所の前にはマスコミとギャレットの信奉者が大勢集まっており、それに併せて警察官も警備に大勢配置された。
 物々しい警備の中、ギャレットの姿が見えると大きな歓声が上がる。ギャレットは満足そうに笑みを浮かべ、その歓声に応えた。中には「私は独身」と書いたプラカードを掲げる女もいるほどだった。
 移送中、ギャレットは暇つぶしに護送車を運転する警察官をからかってみることにした。自分のショーはどうだったかと。しかし、運転席と助手席の警察官はまるでその声が聞こえないかのように無言のまま前方を直視していた。ギャレットは意地でも怒らせてみたくなり、その時の様子を休みなく喋り続けて警察官を挑発した。
 それでも警察官たちは一切ギャレットの方を向かない。つまらないなと思うとあくびがでた。ギャレットは急に眠気を感じると瞼が重たくなり、護送車の壁に身を預けた。朦朧とする意識の中で、自分に向けられている視線に気づく。助手席の警察官がギャレットを見つめていた。顔にマスクのような物を着けているように見える。そのマスクの奥の瞳は怒りで血走っていた。
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