第1話 女②

文字数 4,045文字

 暗闇の中、女が地下へと続く階段を降りると、あたりは瞬時に青白い光に包まれる。そのまぶしさに女はわずかに目を細めた。  
 天井が高く無機質なコンクートに囲まれたひとつなぎの空間が広がり、そこに置かれた人を寝かせても余りある大きなスチール製の作業台が異様な存在感が、まず女の目を引いた。
 ほかにも塗料や溶剤の入ったアルミ製の缶が並べられた棚が備えつけられており、大小様々な工具が取り出しやすいように、整頓して壁にかけられている。整備されて輝きを増した何かを裁断するために存在する電動工具の刃が、作業台の上で怪しく光る。
 店主は進行方向を塞ぐキャスター付きのワゴンを口笛を吹きながら滑らせるように遠くへ押し、それが壁に当たると不快な音を立てた。店主は気にもせずに、大きな黒い布に覆われた身の丈を超える物体へと向かっていく。
「まずはこれを見てくれ」
 店主はその横に立つと、マジシャンのような身振りでこれ見よがしに手を広げている。
「ジャジャーン!」店主が一気に黒い布を引くと、十代くらいの裸の少女が三人、鉄製のポールに固定され、宙に浮いたような形になっている。どの少女も、腕や足などのあらゆる関節が一度切り離されてから、人形のようにビスのような金属片で繋ぎ直されていた。目は硝子の義眼に変えられ、視線は定まっていない。
 女は人形に変えられた少女たちに近づき、その顔をまじまじと眺めた。
「素晴らしいわ。これは美術館に飾るべきよ」
 その言葉に店主は「そうだろう!」と興奮に手を叩く。
「是非、製作過程も見てみたいわね」
 女がそう言うと、店主は「何?」と顔を曇らせる。
「ないならいいけど」
「ある!」
 店主は女の機嫌を損ねまいと、慌てて言葉を被せる。
「あんたは本当にツイてるぜ!」
 そう言うと、今度は女を部屋の奥へと案内する。そこには部屋の角からせり出したかのように、巨大なアクリル壁に囲まれた動物園の屋内展示場のようなスペースが現れる。その中は薄暗く、アクリル壁には女と店主の姿が鏡のように映っていた。
 店主が脇に付いたスイッチを押すと、ブレーカーが作動するような破裂音とともに照明が一気に室内を照らす。アクリル壁で閉ざされた部屋の中央には、両手足を大きく開かれ、Xの形に貼り付けにされた人の姿が現れた。
 ブロンドの少女。花柄の派手なドレスを着ている少女の股のあいだには、便のために用意されたバケツが無造作に置かれている。
 少女は「うう」とうなりながら女に向かって目を細めてる。彼女はひどく衰弱していたが、息をしていた。それを見た女は目を見開いた。
 気づくと隣に立つ店主のほかに、まったく同じ顔をした店主の分身が四人、背後から女を囲むように立ち、囲粘着質な視線で女を見つめている。
「これからどうゆう工程で進むのかしら?」
 女は四人の店主の視線を振り切るようにアクリル壁へとさらに近づく。
「まずは腹の中のものを全部出させるんだ。その方が肌の質感が良くてね。最初の何体かはすぐに肌が浅黒くなっちまって、とても作品なんて呼べる代物じゃなかった。それからは、根気強くビタミンとシリコンを打っていく。最後はムラがないようにアクリルコーティングをしてから、健康的な色に着色するのさ」
 髭を撫でながら嬉しそうに少女を見つめる店主の横顔を女は見つめた。
「しい」
 その視線の奥には、先ほど上階にいた少年が部屋の隅で人差し指を口に当てている。女はそれを見ると、貼り付けの少女に向き直る。
「失敗作の子たちはどうしたの?」
「捨てちまったよ」
「何人?」
「ふたり」
 女と店主は貼り付けの少女を眺めたまま会話した。
「まあ、仕方ないわね。これほどまでに洗練された芸術なら、犠牲もやむなしだわ」
「そうだろう。俺の作品は常に進化してるからな。完成までに前ほど時間もかからなくなった」
 そう言うと店主はアクリル壁に備え付けられたインターホンに顔を近づける。
「ユマー、おはよう」
 店主は赤ん坊の相手でもするように、貼り付けの少女に向かって猫撫で声で話しかける。
「ボビー? ボビーなの?」
 少女はまだ光に慣れていない目を細めながら、嬉しそうに笑顔を浮かべ、声の主を探した。
「ボビー! 愛しているわ!」
 女の目には、少女が命乞いに店主の機嫌を取ろうとしているようには見えなかった。本心からそう言っているとわかる。
「ボビー! 最高! ボビー! 愛してる!」
 人形に変えられた三人の少女たちも跳ねるように身体を上下させている。その様子を店主は満足そうに頰を緩めて眺めている。
「おお、お前たち。こいつら、俺がいなきゃ駄目なんだ。こいつらだけはいつだって俺のことを愛していてくれる。変わらない愛情を俺にくれるんだ」
 身体を小刻みに震わせて悦に浸る店主の横顔を見て、女は微笑んだ。
「とてもいい時間を過ごしたわ。そろそろ失礼するわね」
 女は急に興味をなくしたかのように話を切りあげると、出口へ向かい歩いていく。
「どうしたんだ? 趣味じゃないとでも言うのか」
 店主は女の背中に問いかける。女は振り返り、貼り付けの少女を指差した。
「その子、ニュースでやってる行方不明の子よね。ここにいるのは危険過ぎるわ」
「何のことだ」
「警察よ。きっとここも勘づかれてるわ。あなたも捕まらないように用心なさい。奴らどこにでも現れるから。大事なものは今すぐどこかへ隠すことね」
「じゃあ」と言うと女は階段を上がっていく。女の高い靴音が遠ざかり、消えた。
 電源が入る破裂音とともに室内の灯りが一瞬で赤に切り替わる。店主は血相を変えると、慌てて缶が置かれた棚を力一杯押す。すると、棚で隠されていた壁に埋め込まれた大きな金庫が姿を現した。
 店主は金庫のダイヤルを忙しなく回し、扉を開く。中には古い着せ替え人形と、使い込まれた大人用のベルト、それとメモ一枚だけが大きな金庫と不釣り合いにぽつんと置かれていた。
 店主はそのメモの存在を確認し、安堵に胸を撫で下ろす。扉を閉めようとしたその時、高い金属音が室内に響いた。店主は驚いて身をすくめると、慌てて音のする方を振り返る。
 そこには、先ほど押したワゴンの横にスパナが転がっている。店主は口の端を緩めながら扉を閉めようとした。しかし、メモから目を離してしまったことに気づき、慌てて扉を開く。
 金庫の中を見て店主は愕然とした。たった今、目の前にあったはずのメモだけが消えている。店主は何が起きたのかわからずにうろたえ、手探りで金庫の中をくまなく探した。すると、背中に気配を感じ、恐る恐る振り返る。そこには、赤いドレスの女が裸足でメモを手に立っていた。
 店主はその立ち姿に得体の知れない恐怖を感じていた。つい先ほどまで話していたはずの女と姿形は同じなのに、雰囲気がまったく違っている。
 それまでは肉食であるが優雅な鷹のような印象であった女が、まるで牙を剥く野犬のような危険を身にまとっていた。
「お前、まさか……?」
 恐ろしさのあまり「刑事か?」と続けることができない。かわりに、女は射抜くような視線で応えた。
「どこにでも現れるって、言ったでしょ」
「うおおお!」
 唸り声を上げながら、先ほど女を見つめていた四人いた店主の分身の一人が、背後から女に掴みかかってくる。女はすんでのところで身を翻し、それと同時に一人目の顔に肘を入れる。素早く相手の腕を引き、迫ってくる勢いをそのまま利用して一人目を投げ飛ばすと後頭部を地面に叩きつけた。
 二人目も同様に掴みかかってくるが、それを察知していた女は、すでにそちらに向きを変えて身構えていた。女は半歩前にステップを踏み、左のジャブを素早く顔に打ち込んで動きを止める。すぐに頭を抱えるように掴むと続けざまに三発、みぞおちに鋭い膝を打ち込み、とどめにその膝を鼻っ柱へ叩き込んだ。
 二人目が悶絶して崩れ落ちる。すると、三人目がうしろから女を羽交い締めにし、すぐさま四人目が正面から女に襲いかかった。
 女は羽交い締めにされたまま両足を大きく上げると四人目の顎を下から思い切り蹴り上げる。四人目は大きく顔を仰け反らせ、大きくうしろへと倒れた。
 女は着地と同時に羽交い締めにしている三人目の足を踏みつけ、痛みにひるんで拘束が緩んだ隙に股間を手で掴むと、力を込めてそれを握り潰す。三人目は強烈な痛みに悲鳴を上げながら前屈みになり、女はそれに合わせるように頭を仰け反らせて後頭部を鼻に叩き込む。完全に拘束が解けると、女は振り向きざまに、回転の勢いを乗せた右のハイキックを側頭部に決めた。三人目はそのままの形で真横へと大きな音を立てて倒れた。
 それを女が確認すると同時に背後からショットガンの装填音が響いた。
「そこまでだ! 売女(ビッチ)!」
 店主がショットガンの銃口を女の後頭部に押しつける。女は構えを解いて直立すると、ゆっくりと店主に向き直る。鼻先に銃口を向けられた女の顔には恐怖ではなく、不敵な笑みが浮かんでいた。
「う、動くんじゃねえ! ぶっ殺すぞ!」
 店主はショットガンを頼みに恫喝するが、女はまったく物怖じしていない。
「やってみなよ。ビッチなら簡単に殺せるんでしょう?」
 それどころか、女は目を大きく見開き、店主を挑発するように声を荒げた。
「うわあああ!」恐怖に飲み込まれまいと己を鼓舞するように大声を上げ、店主は思い切り引き金を引いた。
 しかし、弾が出ない。それどころか引き金にまったく感触がない。店主は慌てて何度も引き金を引くが、一向に弾丸は発射されなかった。
 次の瞬間、女は素早い一動作で店主の両腕からショットガンを奪う。
「夢の中で、銃なんて複雑な物、使えるわけないでしょ」
 女はショットガンの銃床を店主の腹に叩き込む。店主は短く声を上げ、そのままゆっくりと前屈みに崩れ落ちた。
 あたりを見回し、完全に危険が排除されたと確認すると、女はドレスの胸元からメモを取りだし、そこに書いてある文字に目を通した。
「オーケー。アイム、アウト」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み